5月

『わたしを離さないで』
  カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳
 著者の小説には、あるジャンル小説(本作はミステリかSFか?)を模しながら、その隙間から全く違った姿が立ち現れるという所がある。小出しにしていく過程が緻密で、構成がとにかく上手い。主人公キャシーの語りは冷静なのだが、何かズレのようなものがあり、徐々に施設と彼女らが置かれた環境の異様さが浮き上がってくる。生命倫理を問う小説としても読めるだろうが、それ以上に一つの学園小説であり、青春小説である。異様な状況を使って普遍的なものを描いているのだが、その普遍性が更に異様さを引き立てる。普遍故に小説のラスト、そして題名が痛切なのだ。著者の小説ではしばしば記憶の改竄や誤謬等が重要なモチーフとなる。キャシーは自分の記憶だけでなく、友人が何を思ったか、そして施設そのものにも思いを巡らし、記憶を入念に強化しようとしているように見える。彼女の運命を思うと、その行為はあまりに切実だ。ともあれ、抜群に面白かった。構成だけでなく翻訳も上手いのか、リーダビリティが高い。久しぶりに心底良い小説を読んだという満足感があった。

『激闘ホーブ・ネーション! 銀河の荒鷲シーフォート(上、下)』
  デイヴィッド・ファインタック著、野田昌宏訳

 「ママー、変なおにいちゃんがいるよー」「シーっ、見ちゃいけません!」なーんて脳内会話が始まってしまう位相変わらず皆様躁鬱が激しいです!お前ら××か!と思わず放送禁止用語を叫びたくなりました。太陽系の植民地であるホープ・ネーションの農場主との調整役を仰せつかったシーフォート。しかしホープ・ネーションの独立運動に巻き込まれるわ、「金魚」は襲撃してくるわで、またしてもいいことなしなのだった。悲惨の状況なのに相変わらず突っ込みし放題。あんた死にかけすぎだよ!野宿で肺炎てコントかよ!ていうか軍人がそんなにひよわでいいのだろうか。そしてこの作品世界の法体系はどう考えてもおかしい。あのオチにはどうしようかと思った。ちなみに、訳者あとがきがやっつけ仕事としか思えないのが微笑ましい。

『ある秘密』
  フィリップ・グランベール著、野崎歓訳
 1950年代のパリを舞台とした、著者の自伝的小説。病弱な一人っ子である「僕」は想像上の兄を作って遊んでいた。しかし、兄が本当にいたのではという手がかりを得る。この小説の痛ましさは、時代の悲劇という側面はもちろんあるのだが、それ以上にたとえ平和な時代であっても、遅かれ早かれ何らかの形で悲劇は起きただろうという点にあると思う。そういう意味ではやはり家族の「悲劇」であるのだ。ちなみに本作は「高校生が選ぶゴンクール賞」受賞作だそうだ。フランスの高校生は目利きねぇ。

『おまけのこ』
  畠中恵著
 若だんな&あやかしシリーズ4作目。表題作では鳴家がとうとう主人公に!しかし、何だかかわいらしすぎて妖怪らしくないなぁ。妖怪は、もうちょっと人間を突き放した感じのほうがそれらしいと思うのだが。基本的に人情話っぽいトーンのシリーズだが、本作では人間の(いや妖怪もか)悲しさを感じさせる部分が多かったように思う。しかし食べたら倒れる饅頭てどんな味なの。

『世界の果てのビートルズ』
  ミカエル・ニエミ著、岩本正恵訳
 やかまし村の男の子達が成長したらこんな感じ?もっとも、本作の方が下品ではあるが(笑)。スウェーデンの辺境発王道男の子小説。現実と幻想がすっと入れ替わっても違和感がないのは、深い森と川に囲まれた環境ゆえか。少年小説として、ユーモアがあってカラっとしていてとても楽しい。お姉ちゃんに「レコード(エルビス・プレスリーというあたりが時代を感じさせる)に触ったら殺すよ!」と言われるくだり等は、こういうのって万国共通なのかと可笑しかった。そして当時、ビートルズがいかに強烈だったかというのが分かる。ぶわーっと世界が開けるような感じだったのかなーと。しかし少年小説とは、失われていくものの小説ということでもある。エピローグは淡々としつつも痛切。

『ほとんど記憶のない女』
  リディア・デイヴィス著、岸本佐知子訳

 奇妙な短編集。随筆風だったりシュールだったり、おとぎ話風だったりと、作風も内容もてんでばらばらで脈略がない。でも全体としては、やはり1人の作家の作品だよなと納得してしまう。こういうのはどうだろうか、いやここをこうしたら・・・と、著者が小説を書くことの特訓をしているような、延々と実験を続けているような感じがする。と言っても、基本的にからっとしたユーモアがある。言葉遊びが好きなんだろうなー。ストイックでありつつ貪欲。

『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』
  ジョン・ル・カレ著、菊池光訳
 くはー、しびれる。ル・カレ先生かっこよすぎです。英国諜報部「サーカス」を引退したスマイリーは、組織内に潜入したソ連の二重スパイを捜す為呼び戻された。人物名とそのポジションとがなかなか覚えられずてこずってしまった。そしてストーリーのテンポが良いわけではなく、むしろじっくり(ノロノロと)進むのだが、全く飽きずドキドキする。エンターテイメントと文学性を兼ね備えたスパイ小説。冷戦下のスパイ合戦ものであるが、結局は個人個人が抱える問題に帰結してくる所が面白い。人間関係の敵味方と割り切れない所や、組織内の人間の孤独が読んでいるうちに際立ってきた。コンプレックスや嫉妬心、矛盾を抱えつつ、客観的には優秀な諜報員であった(外見は小太りの初老男性だが)スマイリーという男の陰影が深い。あと、子供の視線からの描写がすごくいい。ジムと少年ローチとの交流は泣ける。

『わが百味真髄』
  檀一雄著
 美食家であり料理上手であった著者の、食に関する随筆集。色々な贖罪、料理や調理方法が出てくるが、得体の知れない野草やキノコも好奇心旺盛に料理しているので、本人はともかく食べさせられる人はちょっと(いやかなり)迷惑かも。そして著者の料理だが、私にはあまり美味しそうに思えなかった。何となく生臭そうな料理が多いんだよな・・・。「料理しない奴はバカ」と言わんばかりの態度も気に食わん(笑)!ご馳走って、わざわざ手間隙かけてまで自分で作って食べようという気にならないんだけどなー。

『ラス・マンチャス通信』
  
平山瑞穂著
 不幸の星のもとに生まれた青年の遍歴。一話目の「畳の兄」には変な生物が出てくるが、これって(題名見れば一目瞭然だが)引きこもりでDVな兄のことだよな・・・。というふうに、そのへんにありそうな鬱々としてくる日常を変なフィルターを通して見ると、よけいに鬱々とした異様な世界が見えてきたというような作風。フィルターの変換度自体は案外安易なのだが。どの話も気持ち悪さに溢れていて、読後にはげんなり感が。気持ち悪さと言っても、具体的に気持ち悪い現象や生き物が出てくるから気持ち悪いというよりも、人間の心性や人間関係の中で、ふっとしたことで沸いてくる気持ち悪さだと思う。ちなみに、主人公の姉の末路が月並みでちょっとがっかり。多分、それほど妄想度の高い作家ではないのでは。

『みんな行ってしまう』
  マイケル・マーシャル・スミス著、嶋田洋一訳

 ちょっと怖く、ちょっと郷愁漂う、不思議な短編集。ジャンルで言うとSFホラーらしいが、あまりSFぽくはないんじゃないかなー。SFとしては小話的すぎるというか・・・。もうちょっと展開を盛りあげたら、もっとぞーっとする話になりそうなのに、割と淡々と終わってしまうので、その怖さポイントをうっかり見落としてしまいそうになった。特に表題作は、最初何のことかよくわからず、読み直してしまった。何か、作品に対する見切りが早いのね(笑)。でもそういうあっさりした所が好ましい。

『一号線を北上せよ ヴェトナム街道編』
  沢木耕太郎著
 ホーチミンからハノイまで、幹線道路をバスで旅してみようと思い立った著者。腰と背中が悪いのに長時間バスに揺られて大丈夫なの?とハラハラしていたら、巻末の高峰秀子との対談で、「ちゃんと病院にいきなさい!」と叱られていた(笑)。ベトナムの町々で見聞きした様子を淡々と綴る紀行文だが、やはり著者も年をとってしまったのか、かつてのような瑞々しさに欠けるのがちょっと切ない。えっ、こんなもんだっけ?と思ってしまった。

『強運の持ち主』
  瀬尾まい子著

 OLから占い師に転身したルイーズ吉田(本名吉田幸子)。それなりに売れっ子になってきたものの、時々妙な客もやってくる。うーん、これはちょっと手抜きしているんじゃなかろうか・・・。著者のこれまでの作品がなかなか良かっただけに期待していたのだが、期待はずれだった。自腹切るんじゃなかった・・。口当たりは良い短編集なのだが、小手先で書いているような感じだった。もうちょっとずしりとくるものを期待していたのにー。駄菓子のように食べ応えがなくて、甘いばかり。おやつにもならん。

『漢方小説』
  中島たい子著

 突然体調を崩して救急車で運ばれた「私」。病院めぐりをしたものの病状は好転せず、漢方診療所へ行くことに。30代女性の行き辛さをさらっと描いてみました、みたいな作品で、きれいに纏まっているが、そつのないところがつまらない。脚本家という主人公の職業といい、飲み仲間といい、この人達中央線沿線に住んでるんだろうなという雰囲気といい、いかにもいかにもな感じで、ちょっとひいた。そもそも漢方が出てくる必然性があまりないんじゃ・・・。急ぎすぎず、対処法的に生きてみるのもいいんじゃない、という投げかけにはなっているか。

『アラン島』
  J.M.シング著、栩木伸明訳

 自分が何か一冊本を書ける能力をもらえたとしたら、こういう本を書いてみたいかもしれない。著者は19世紀末にアイルランドで生まれ、その後ヨーロッパを転々としていた人物。パリでくすぶっていた時期にアイルランドの辺境・アラン島を訪れ、その魅力に取り付かれる。これはその時の体験を綴った紀行文だ。時代的な制約からか、「文明対野蛮」という図式からは逃れられていないのだが、著者の視線は素直で、対象への愛情や敬意が感じられる。自分の解釈や思考は挟まず(社会的背景や歴史等にもあえて触れずに)、観察する目に撤し、見聞きしたものをそのまま書きとめようとしているのがいい。ともすると無個性な内容になりそうでもあるが、そうはなっていないのは、観察眼の鋭さ故か。何より謙虚なのが好ましい。訳文もきれい。簡潔で、よくこなれている。

『「かわいい」論』
  四方田犬彦著

 キティにピカチュー、日本人は何故にかわいいものが好きなのか?なぜ「かわいい」が最上のほめ言葉になるのか?「かわいい」を新たな美学として位置づけようという試みの本作だが、美学的な側面と社会学的な側面が同時に論ぜられているので、ちょっと駆け足な感じになってしまっている。著者自身書いているが、ここから新たな研究題材を見つける人がいれば幸い、ということなのだろう。「かわいい」にぴったりと当てはまる言葉って、外国語にはないのだそうだ。否定的な意味を含むケースが多いとか。日本文化の独自性というよりも、外見を真っ向から誉める習慣がないから、迂回して「かわいい」という言葉をつかうようになったんじゃないかとも思う。ちなみに本筋とはちょっとずれるのだが、著者が大学生にアンケートをした時の、回答形式の男女差が興味深かった(男性は簡潔に、女性は具体的に答える傾向がある)。私がアンケートなどに答えた時の答え方って、まんま男性の回答形式にあてはまるんですけど・・・。

『戦闘美少女の精神分析』
  斎藤環著
 戦闘美少女を精神分析するわけではないですが。著者の出世作になるのだろうか。アニメに登場する、トラウマを持たずに戦う可憐な美少女「ファリック・ガールズ」の発生及び発展、その特性と、それを愛好するおたくの心性を分析する。おたくの精神分析本、特にセクシャリティの視点から分析したという点では、おたく分析本史に残る1冊だろう。東浩紀による解説でも触れられているが、後発の研究者に与えた影響も大きいはず。著者自身が、おたく文化への親和性は持ちつつも、どっぷりと漬かったおたくではないという点が、適度な距離感になっていると思う。執筆が長期にわたっている為か、内容の一貫性にやや欠ける所と、原本(私が読んだのは’06年発行の文庫版)が2000年発行なので、おたく界の現状が更に変化していて若干内容に時代を感じる所があるが、面白い。ちなみに、第3章で引用されている海外おたくからのレポートが大変興味深い。誰かこういうのばかり集めて1冊作ってくれないかな。

『漱石の孫』
  夏目房之介著
 以前、NHKで「世界わが心の旅」という紀行番組があった。その中に、著者が自身の祖父である夏目漱石の足跡を辿ってロンドンへ行くという回があった。漱石が暮らしていた下宿の部屋で、著者が思わず涙ぐんでいたのがかなり意外だった(あまり感傷的な人ではないと思っていたので)。しかし、著者自身にとっても予想外のことだったそうだ。そのTV収録のエピソードを交え、著者が祖父・漱石について、そして自分の父親や、漱石の享年を越えた自分自身について思いをめぐらす。やはり有名人の息子・孫というのは大変なようだ。あまり気にならなくなったのは最近のことだそうだから。親族である自分よりも、他人の方が祖父について詳しいというのも不思議だろうなと思った。余談だが、父親が著者にやっていた(あまり良くない)のとそっくり同じやり方で自分の息子に接していたことに気付きぞっとしたというエピソードが印象的だった。で、息子もまた同じやり方でその息子(著者の孫)に接するわけだ。怖いなー。そういえば、私の母も同じことを言っていたな。親の影響からは、よっぽど気を付けないとなかなか抜け出せないものなのだろう。

『陽気なギャングの日常と襲撃』
  伊坂幸太郎著
 日常編と襲撃編とでも言うべき中編集。日常編の方が好きかなー。でもどの話もコミカルで軽めなので、気分転換に丁度良かった。『陽気なギャングが地球を回す』の続編。ギャングの皆様は今日も元気だ。伊坂作品なので、当然のごとく中篇同士に関連があって最後は一つの話に収束していく。このへんが伏線なんだろうなーというのは何となく分かるが、お約束的展開なので安心して読めるという面もある。前作よりもキャラクターそれぞれがよく動いている。特に久遠の萌えキャラ化には目を見張るものがあります。著者が何か変なスキルを身につけつつあるのではないかとハラハラしています。

『荒ぶる血』
  ジェイムズ・カルロス・ブレイク著、加賀山卓朗訳
 1930年代アメリカ西部。暗黒外の殺し屋ジミーは、腕利きで有名だった。南部の国境から逃げてきた美女と出会って、彼の運命は大きく動き出す。ファム・ファタール(なかなか逞しい)は出てくるものの、中心となるのはむしろ男の世界だ。ジミーと仲間たちの、友情とも職業意識ともつかない絆の方が心に染みた。西部劇とノワールとをミックスしたみたいな、かっこいい小説だった。スピード感があってぐいぐい読めた。ジミーが自分ではそうと知らないまま、自らの宿命に従っていく様が面白かった。あと、前作を読んだ時も思ったのだが、この著者、食べ物を書くのが上手い。具体的に味がどうとか臭いがどうとか書いてあるわけではないが、何か美味しそうな雰囲気がする。

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