4月
『ああ、顔文不一致』
勢古浩爾著
私は本を読んでいても、作家の顔はそう気にはしない。しかし下手に著者近影なんてもんが掲載されていると、「この顔でこんな文を・・・」とうっかり思うこともなくはない。著者に言わせるとそれは「顔文不一致」なのだそうだ。顔と文とは無関係だが、顔を知っているとつい気になる。顔とは色々厄介らしい。この本で言う「文」とは顔の持ち主の内面のことも指す。顔はあくまで入り口、その奥にある「文」を見よ、という趣旨なのだが、雑談を纏めたような本なので、読みやすいが脈絡がない。「文」という言葉を持ち出した割には作家がらみの部分が少なかったような。個々の作家にツッコミいれているのは面白かったけど。そしてこの手のツッコミ企画には渡辺淳一は大変使い勝手がいいのだと再確認。もうねー、突っ込み疲れるよ!『マンガ産業論』
中野晴行著
マンガを表現論や作品論ではなく、商品・産業として論じた一冊。貸し本時代から現代までのマンガの生産・消費のされ方を分析している。他の出版物と比べるとやはり特殊な産業のようだ。こういう本がもっと早く出てもよかったと思うのだが。業界関係者は必読、業界に関係ない人も面白く読める。そもそも(昔は)マンガは消費者と読者が異なる商品で、それがマンガ産業の持つ構造の問題点になっていたという指摘にはなるほどと思った。現代では消費者と読者が一致しているが、今度は購買層を絞りきれないという問題にもなっている。マンガ雑誌の売れ行き不振はこのあたりにも原因があるとか。雑誌連載→単行本という構造はもう限界なのかもしれない。『黄金の声の少女』
ジャン=ジャック・ショル著、横川晶子訳
現代は「イングリッド・カーフェイ」。実在したドイツ人女性歌手だそうだ。彼女の伝記小説かと思ったが、読んでみたらそうとも言えない。人が何かを思い出す時は必ずしも時系列淳ではないように、一つのシーンから全く別の時代のシーンへと移り、様々なパーツから1人の女性と彼女が生きた時代がぼんやりと浮かびあがってくる。イヴ・サン・ローランや映画監督ファスビンター、映画プロデューサーのジャン・ピエール・ラッサム、そしてアンディ・ウォーホルら、実在の人物がぞろぞろ登場して、第二次世界大戦後から近年までのカルチャーの側面をちらりと映している感もある。カーフェイは結婚するが、読んでいるうちに、彼女はドイツ人で夫はユダヤ人であることが明らかにされる。彼女はその事実に気後れせずにはいられず、夫はそれに苛立つ。双方の言葉はどこまでも平行線のままだが、それでも夫は彼女を愛し続ける。ちなみに彼女は著者の妻である。この小説は、役者解説にあるように妻へのラブレターなのだ。それもどうかという気もするが(だって粘着質ぽい)。『遺失物管理所』
ジークフリート・レンツ著、松永美穂訳
北ドイツの大きな駅にある、遺失物管理所を舞台にした小さな人間ドラマ。もちろん遺失物管理所というセクションは(日本でも)実在するが、どこか寓話的な小説だった。主人公の青年・ヘンリーが、どこか子供っぽくて浮世離れしているからかもしれない。年上の同僚女性パウラに思いを寄せてちょっかいを出す様子には、かなりイラっとした。これでキレないパウラは出来た女だわ・・・。しかし、ヘンリーの子供っぽさや、ナイーブさに対する著者の視線はどこか優しい。そのナイーブさにまたイラっとするんだけど。また、ヘンリーの友人であるバシュキール人の数学者ラグーティンは非常に純粋な人物だ。こういうタイプのキャラクターが著者の好みなんだろうなー。しかし悲しいことではあるが、純粋すぎる人が現世で生きるのは大変だ。純粋さを捨ててこの世界に残るという方向にストーリーが向わないのは何故だろう。最後、そんなことで立ち去っちゃうのかーと。説得力ない。『ナターシャ』
デイヴィッド・ベズモーズギス著、小竹由美子訳
アメリカで生活するロシア系移民の一家を主人公とした連作短編集。当時のソ連国内はやっぱり大変だったんだとか(うっかり知合いのKGBと鉢合わせした父親が、息子に「お前達をあんな奴らと付き合わせない為に移住したんだ」と漏らす部分にはうっすらと寒くなった)、ユダヤ人であろうとする(あるいはそうでなくなろうとする)ことの困難さとかは、読んでいてああそうかと思っても、文化背景が今一つわからないのであまり切実さを感じない。で、どこに切実さを感じたかというと貧乏さである。極貧ではないが、リアルに想像できる貧乏さなので、実に身に染みてしょっぱい気分になった。そして「タプカ」や表題作での、子供が成長する・大人になる過程での喪失感や痛みが、余計な情感を交えずに描いてあって上手い。こういう部分は万国共通でわかるのではないかと思う。ともするとウェットになりがちな題材なのだが、センチメンタルさを注意深く排してある所が良い。『帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて』
小谷野敦著
帰ってくるなよ(涙)。前半で、前作への各論者からの批判に対して一々実名を挙げて反駁もしくは賞賛するあたり、律儀と言えば律儀だしねちこいと言えばねちこい。基本的に誠実な人なんだとは思うのだが。離婚話は元妻の弁護士からNGが出されている(と書いちゃうあたりがな)のだが、風俗話や出会い系サイト話までかなり赤裸々に非モテっぷりを披露している。前作でも思ったのだが、基本的に女性のことをあまりわかってないぽい(モテない=実施訓練できないのだから当然か)のでモテないんじゃ・・・。いや非モテな私が言えることではないですが。それにしても、皆そんなに恋愛がしたいのか?モテないならモテないで、他に楽しい人生の送り方があると思うのだが(周囲から嫌われまくりというのは困るけど)。『無思想の発見』
養老孟司著
著者の文はかなりクセがあるので、内容がスっと入ってくる時もあるのだが、どうにも入ってこない(玄関先でもたもたしている感じ)時は何度読んでもよくわからない。残念ながら本作は後者だった。内容どうこうではなくて、相性の問題だと思うが。分からないというのではないが、中身が浸透してきにくかった。ただ、著者にとっての実体というのは、あくまで肉体ベースのものであって、人間の意識(思想)にはあまり信用をおいていないというのことは分かる。さすが解剖学者。理系出自の人がこういう本を書いているというのもちょっと不思議だが。本書作での日本人は無思想であるというのは、思想がないということではなく、思想がないという思想を持って生活しているということだと言う。『デス博士の島その他の物語』
ジーン・ウルフ著、浅倉久志・伊藤典夫・柳下殻一郎訳
非常に精緻で入り組んだ仕掛けのある小説を書く作家だそうだが、私はその仕掛けの3割も理解できなかった気がします・・・。解説読んでやっと分かった所も。しかし、その仕掛けや引用等が分からなくてもこの小説の面白さは損なわれないと思う。訳の良さもあるだろうが、非常に美しい中編集。表題作を始め、一つの事象を複数の地平から見るような所があり、読んでいる側の足元が揺さぶられる。表題作を含む三部作は、どれも世界から隔離された人の物語だが、詩情豊かであり残酷。何が書かれているかを理解しようとするよりも、まずイメージを味わいたい。『チャンレンジャー号の死闘(上・下) 銀河の荒鷲シーフォート』
デイヴィッド・ファインタック著、野田昌宏訳
宇宙軍最年少艦長であるシーフォートを含む宇宙歓待は、69億光年離れたホープ・ネーション星系を目指す。しかしシーフォートは謎の生命体により攻撃された宇宙艦チャレンジャーを押し付けられ、地球から19光年離れた所に置き去りにされてしまう。反抗的な艦隊員に非協力的な乗客、乏しい物資に故障した船という四面楚歌状態かつ悲劇てんこもりのシーフォートだが、あまり同情する気になれないのは彼のヒステリー気質故か。気分で部下を怒鳴るなよー。もっともこの小説、出てくる人出てくる人皆ピリピリカリカリしていて、皆ちょっと落ち着こうぜ・・・と窘めたくなる。貴様らに足りんのはカルシウムだ!牛乳飲め!『惑星救出計画 ダーコーヴァ年代記』
マリオン・ジマー・ブラッドリー著、大森望訳
今で言ったらラノベみたいな感じなのかしら。SF設定ではあるが、むしろファンタジーもののような雰囲気。惑星ダーコーヴァで定期的に流行する熱病を予防する為、病気の抗体を持つトレイルマン族との交渉係に選ばれたジェイスン。しかし彼は医師ジェイ・アリスンのもう一つの人格だった・・・。二重人格て!としょっぱなから突っ込みたくなってしまった。あまり二重人格にする必要も感じなかったのだが。そもそもジェイスンが言うほどジェイは悪い奴ではないような・・・自分の別人格だから余計腹が立つってことか。あと登場人物紹介欄で、ジェイスンが「山男」とされていてうけた。他に説明すべきことがあるだろうが(というか山男ではなかった気がする)!『奇術師』
クリストファー・プリースト著、 古沢嘉通訳
ジャーナリストであるアンドルーが手にした、自分の祖先の手記。それは20世紀初頭の天才奇術師の手によるものだった。ミステリなのかと思っていたら、もっと奇妙な、ホラーとも幻想小説ともつかない珍妙な小説だった。瞬間移動マジックのネタはいんちきSFみたいだしな・・・。手記の記述の特徴が示唆するものにはすぐに気付くだろうが、オチがそういう方向とは。これまた一歩間違うといんちきSFみたいなのだが、じわりと怖いのは描き方の上手さ故か。しかし一番怖いのは奇術の真相ではなく、2人の奇術師がお互いの才能を認め合いながら延々と憎みあうという所だった。何かのタイミングが常にちょっとずれてしまうという悲劇。しかしよくまあ、飽きずに蹴落とし合うな。ちなみに原題は『THE PRETIGE』。邦訳は直訳なのだが、原題には複数の意味があり、内容にどんぴしゃだった。