12月

『黄色い雨』
 
 フリオ・リャマサーレス著、木村榮一訳
 「私」が語り始める、人が去った廃村らしき情景。そして「私」を捜しにくるであろう人々。村人達がなぜ「私」を捜しているのかわからないまま読んでいると、「私」はある状況下にあることが分かる。そしてそこにいたるまでの経緯が淡々と語られていく。「私」の目に映るもの、五感が感じていくものが刻々と変化していき、饒舌なのに冷静。死んだ人々、そして村自体の亡霊に対する悲哀は強烈なのだが、客観的でもある。「黄色い雨」の黄色とは死の色、朽ちていくものの色である。視界が黄色に染まっていき、読んでいると黄色の雨にむせ返りそうになる。しかし文章は硬質で全編透明感に満ちている。訳文と訳者解説がとても良い。

『老ヴォールの惑星』
 
 小川一水著
 未知の環境にいかに適応するかという部分では、共通しているかもしれないSF中編集。表題作はラストが感動的。しかしヴォールたちの形状が、文章を読んだだけではさっぱり想像できない。表紙絵を手がけた人はえらいと思う。「漂った男」は、海しかない星で漂流する軍のパイロットの話。自分の状況は全然変化していないのに、周囲(と言っても物理的には関与できない)の事態がどんどん大きくなっちゃう所がおかしい。そしてちょっと奇妙な友情には泣かされそう。基本的に希望の残る話を好む作家なのかな。ただ、話自体は面白いのに文章に華がない。もうちょっと文章が美しければかなり好感度上がったんだけど・・・

『グラン・ヴァカンス 廃園の天使T』
  飛浩隆著

 これは美しい!SFには馴染みの薄い私だがこれは大変気に入りました。仮想リゾート「数値海岸」で、人間の訪問者が訪れなくなってから1000年もリゾートを維持し、お客を待ち続けるAIたち。永遠のような夏の1日を繰り返してきた彼らだが、ある日「蜘蛛」と呼ばれるプログラムたちが街を消失させ始めた。AIたちは決死の戦いを挑む。美しく、グロテスクで残酷。穏やかな夏の日の表面を一枚めくると・・みたいな落差がたまらない。短編でも、物や世界が変容していく様の一種異様な美しさ、崩壊していく様の美しさを描くのが上手い作家だと思ったが、今作では正に本領発揮といった感がある。続編が非常に楽しみ。文章に華があるというか、芸がある。

『ティンセル』
 ウィリアム・ゴールドマン著、沢川進訳
 おかしくて、やがて悲しきハリウッド。元・売れない女優で今は医者の夫と裕福に暮らすディクシー、プレイボーイでやり手のプロデューサー・ガーヴィ、巨乳の元モデル・ピッグ、ガーヴィの息子でディクシーのファン・ノエル、元女優で才気溢れるジンジャー。「虚飾(ティンセル)」なる映画の製作に漕ぎ着けるまでの、彼らの右往左往。ハリウッドにたいする皮肉と愛に溢れているので、映画に詳しい人はより楽しめるかもしれない。愛憎交じりというか、結構シニカルなおかしさがある。ポイントは、「虚飾」という映画が全く面白くなさそうな所だと思う。映画製作側は自信満々で語っているのだが、こういう映画を実際に撮ったら滑ると思う。著者がそこまで意図していたのかどうかが気になる。

『象のブランコ とうちゃんと』
  工藤直子著
 詩人であり童話作家である著者の、子供の頃の思い出を綴った随筆。小さい頃のことをすごくよく覚えている人だ。こんな風に克明に覚えていられるものなんだなぁと感心した。両親に、特に父親にものすごく可愛がられていた様だ。無条件で愛されたというのは、強さになると思う。あと、父親の後妻である義母との関係を「仲良い同士がたまたま親子になったんだ!」と解釈するのがすごくいいなと。

『喜びのおとずれ C.S.ルイス自叙伝』
  C.S.ルイス著、早乙女忠、中村邦夫訳
 「ナルニア国物語」の作者であるルイスの自伝。第一次大戦から戻って大学に復帰するまでの、若い頃の話だ。大学に戻ってからの、キリスト教に回心するまで(それまでは意外にも無神論者だったそうだ)の経緯は正直言ってそれほど面白くないのだが、子供の頃の話や、パブリックスクール時代の話はすごく面白い。小さい頃から兄ととても仲が良くて、架空の国の地図や歴史を作っていたそうだが、これがナルニア国の原型なのだろう。自伝だから、あくまでルイスの主観であって、他の人から見たらまた違った人物像が浮かぶのかもしれないが、自分に対して割と客観的で分析好きな人だったみたいだ。そしてユーモアがある。真面目な顔して冗談言う感じ。

『The MANZAI(1)』
  あさのあつこ著

 新しい中学校に転校してきた瀬田歩は、同級生の秋本貴史にいきなり漫才のコンビを組まないかと誘われる・・・んだけどどう見ても愛を告白されてる!さすがあさの先生であります。漫才やるだけに、「バッテリー」よりも軽快で楽しく、マンガやラノベのノリ。ただ、大人の目線から見ると「先生たちも結構大変なのよー」と周囲の大人に同情してしまいそうなのだが。文庫版の巻末には、著者と重松清との対談が収録されている。あさの先生、やっぱり少年がお好きなんですね(笑)。重松があさのを「少年に対する視線が、お父さんやお母さんの末の妹って感じ」と称しているのが上手い!

『ファスト風土化する日本 郊外化とその病理』
  三浦展著

 地方都市に行くと、大型ショッピングセンター、ファミレス、パチンコ店等が建ち並び、都心部の郊外と風景があまり変わらない。元々あった風土や人間関係のあり方が急速に変化していくことが、犯罪が多発する要因になったというのが著者の説だ。提示されているデータがちょっと微妙でこじつけっぽいかなと思う部分もあったのだが、大型店の進出による弊害というのは確かにあるだろう。大型店が出来ると地元の商店は立ち行かなくなってしまう。そして大型店が撤退すると、そこで働いていた労働力が宙に浮き、失業者が増加する。その地域の経済構造が全く壊されてしまうというのが問題だと言う。ちょっと郊外の町に行くと、駅前の商店街が軒並みシャッター閉まっていたりするので、確かにそうかもしれない。

『オリーブの海』
  ケヴィン・ヘンクス著、代田亜香子訳

 12才の少女マーサは、事故死したクラスメート・オリーブの母親から、彼女の日記の1ページを渡される。そこには「マーサと友達になりたい」と記されていた。マーサとオリーブは殆ど口をきいたこともなかったのに。少女の心の揺れを爽やかに描いている。が、ちょっとさっぱりしすぎ。主人公と同年代だったら共感して読めたのかもしれないが、彼女が何を思っているのかもっと深く掘り下げてほしかった。オリーブの日記はあくまできっかけで、ストーリー上の必要性はちょっと弱い。むしろ、好意を寄せている男の子とのあれこれや、仲の良い祖母、主人公との関係がぎこちなくなっている両親という、更に身近な人達との関わりの見直しに焦点が当てられていた。特に祖母との関わりが良いと思う。こういう人が身近にいると、子供はちょっと楽になるだろうなと。

『本格小説(上、下)』
  水村美苗著
 昭和の軽井沢。孤児の少年と恵まれた少女の恋は、数十年にもわたって彼らとその家族を呪縛していく。正に日本版嵐が丘。メロドラマって上手い作家が書くとこんなに面白いのか!と目からウロコが落ちた。著者には、日本の純文学としての私小説に対する反感があったのだと言う。私小説とは程遠いベタなメロドラマを、いかにして純文学に仕立て上げるか。著者は冒頭に延々と「本格小説の始まる前の長い長い話」を綴り、伝聞の伝聞という形をとった。今ベタな「小説」を純文学としてやるのには、このくらい入念な手続きが必要なのか。著者の小説に対する覚悟というか、挑戦心が窺われる。伝聞であるということで、2人の男女の話であると同時に、ある人物の話でもあったということが最後に分かってくるという重層的な構造になっていて、いきなり話の立脚点が揺らぐような揺さぶりがあった。それはともかく、お話として面白い!確かに「本格小説」である。

『萌える男』
  本田透著

 ほ、本気だ・・・本田透は本気で世界を萌えで救おうとしている!すごく一生懸命な感じがする。なぜ彼らは萌えるのか?そもそも萌えとはどのようなシステムなのか?という画期的(か?)な萌え解説書。萌えで世界を救えるかどうかはともかく、自己治癒機能があるというのはあながち的外れではないと思う。ただ、恋愛資本主義に異を唱えているものの、恋愛至高主義の呪縛からは逃れられていない。やっぱり恋愛がしたい!でも純粋な恋愛は現実的には無理だから萌えへシフトしよう!という提案なのだと思うから(何か誤解を招きそうな説明だな・・)。恋愛感情とは全く別のものとしての萌え論の方が読みたかったなー。この本で解説されているような萌え方は女性はしないと思うんだけど、違うかなー。今後女性の側からの萌え研究が必要になるのでは。

『バッテリー W』
  あさのあつこ著

 巧の投球に耐えられなかったことに苦悩する豪。その思考ぐるぐるっぷりを読んでいるとウキウキします!(鬼や)。目の前に天才がいるというのは、喜びでもあるが苦しみの方が大きいのね・・・というのを豪・巧サイドと門脇・瑞垣サイドの両方で存分に見せてくれるのでお腹いっぱい!よりウキウキします!(鬼や)。あと今回は海音寺と吉貞がかっこよかった。本当にかっこいいのはこういうタイプの子だと思う。ついでに書き下ろし短編がセルフ同人誌のようです・・・馴れ初め話って貴女。あと瑞垣が姫姫言い過ぎなので注意してやりたい。

『天使と髑の密室 本格短編ベスト・セレクション』
  本格ミステリクラブ編

 だ、騙された・・・。これ『本格ミステリ02』の再編版じゃん!全部読んでるって!タイトル変えるなんて小細工しやがって・・・。でも全部読みましたよ一応。麻耶雄嵩「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と霞流一「わらう公家」は趣旨が似ているような。基本的にバカミスな所が。そして折原一「北斗星の密室」もどちらかというとバカミスだろう。いかにも本格ぽいのは有栖川有栖「不在の証明」と柄刀一「人の降る確率」。「人の〜」が一番良く出来ていたかな。

『砂漠』
  伊坂幸太郎著

 「鳥瞰型」の北村、お調子者だが気のいい鳥井、世界平和を憂いわが道を行く西嶋、クールな美女東堂、ちょっぴり超能力者な南。5人の大学生の4年間の物語。著者の直球青春小説。自分達は世界を変えられると信じ、自分の力の及ばない世界のことを真剣に心配している西嶋は、人の話を聞かないうっとおしい奴かもしれないが、読んでいるうちにすごく真っ当な奴に見えてきた。それを青臭いというのは簡単だが、彼らはかっこいい、というか正しいと思う。『魔王』からテーマを引き継いでいる所があるが、小説としてはこちらのほうが良く出来ている。著者らしいミステリ要素や捻りも健在。ただ、映画や小説からの引用がこれみよがしにマイナーで恥かしい。

『フォトジャーナリスト13人の眼』
  日本ビジュアル・ジャーナリスト協会編

 世界中で活動している、日本人ジャーナリスト13人の写真とルポ。世界中で紛争は絶えず、悲惨な現実はなくならない。1人の人間に出来ることなど殆どないが、それでも写真を撮り記事を発信し続けることが必要なのだと思う。読んでいると世界の暗さに鬱々としてきた。綿井健陽による「9.11同時多発テロ事件を追悼する前に・・・」という章は、自分が常日頃感じていたことと重なる部分もあり、より考えさせられた。9.11は確かに痛ましい事件だったが、より多数の人々が世界中のテロや紛争で死んでいるのに、なぜ9.11だけ追悼されるのかと。その以前・以降で世界が変わったということはないのではと。

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