8月

『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』
  滝本竜彦著
 ごく普通の男子高校生だった主人公が、チェーンソー男と戦うセーラー服女子高生とお知り合いになってしまう。別に不幸なわけでも生活に不満があるわけでもないし、そこそこ幸せではあるのだが、時に日常に耐え切れなくなる。大人になればこんな感じはなくなるのかと思っていたのに依然としてあるんだよなぁ、やんなっちゃうなぁと読んでいてしみじみとしてしまった。その日常を自力で突破しようとすると主人公の友人のようにとんちんかんなことに没頭するしかなく、それ以外の人はそれこそチェーンソー男の出現を待つしかないのだろうか。何か寂しい・・・

『明日の記憶』
  荻原浩著

 もうじき50歳になる佐伯は若年性アルツハイマー病を発症し、徐々に記憶力が低下していく。一人称小説なので、佐伯本人は気付いていない記憶力の低下が読者にはわかってしまい、なんとも気が滅入る。佐伯がつけている日記の中で同じ事柄を繰り返すようになったり、漢字の数がどんどん減っていったりと、病状の進行の表し方の芸が細かい。よく書けた小説なのだろうが、佐伯が妻や娘の顔も忘れていくのだろうと予測できるので、気分良く読むというわけにはいかなかった。ところで冒頭の部分を読んで思ったのだが、中年男性はそんなにおじさん扱いされるのが嫌なのだろうか。年齢的には立派におじさんなんだから堂々とおじさんをやればいいのに。変に若ぶっている方が見苦しいと思う。佐伯がアルツハイマーだと分かっていながら中々離職しないのも、気持ちは分からないでもないが不思議。涙ぐましい姿勢ではあるのだが、そんなにあがかなくてもなーと。

『幸福な食卓』
  瀬尾まいこ著

 父親が中学校教師という仕事を辞め、更に父親をやめると言い出した中原家。母親は既に別居している。長女・佐和子の視点から描かれるちょっと変わった家族と学校の同級生との日常。一見なごやかでほのぼのとしているので、うっかりとこんな家族いいなーと思ってしまいそうになるのだが、一家が抱えている問題は深刻だ。一見一番安定していて軽やかに生きている兄が、一番問題あると思う。何でもそつなくこなせちゃう分、自分の輪郭がはっきりつかめない人なのかもしれない。父親も母親もそれぞれに生き難さを抱えており、それが解決されたとは言えないのだが、著者は家族は回復し得るものだと信じている人なのではないかと思う。だからか読後、じんわりと暖かいものが残る。

『優しい音楽』
  瀬尾まいこ著

 3編を収録した中編集だが、どれも(形はそれぞれだが)日常の中に闖入者が現われるというパターンのお話だと思う。表題作は、扱いによっては結構きわどい話になりそうだが、そうはならないところがこの著者の強みだと思う。「タイムラグ」は、不倫相手の子供を預かる話だからドロドロな展開になってもおかしくないのに、ユーモラスに反転させて何とラストはええ話に。何と言うか、節度と優しさがある作風だと思う。そこが物足りないという人もいそうだけど、強みでもある。やっぱり希望に満ちた物語は必要なんじゃないかと。人と人との繋がりみたいなものを、基本的に信頼している(したい)作家なのだと思う。

『対岸の彼女』
  角田光代著

 仕事を始めたばかりの主婦・小夜子と、その勤務先の社長・葵。全くタイプの違う、正に対岸にいるような2人の30代女性の物語。20代後半から30代の女性(主婦でも働いている人でも)には身につまされる所が多いのでは。かくいう私も、葵の高校生時代の話から小夜子の就職に関わるごたごたまで、「ううう、そうなんだよね〜」と色々痛い思いをしながら読んだ。何かもういたたまれない!公園のママグループにしろ職場の同僚にしろ、女性のグループって何でこういやらしい小競り合いとか中傷とかをするのかなぁ!他人のことなんてほっとけばいいのに!こういう煩わしさがなくなることはないのだろうけど。でも、お互いのことを全然わかってないけれど、自分とタイプが違うけれど、それでも他人と向き合おうとするラストには力強さがある。これがなかったら更に凹む話になっていたかも。前作『空中庭園』より更に上手いと思う。でも前作よりポジティブ。

『QED〜ventus〜熊野の残照』
  高田崇史著
 レギュラーキャラ以外の視点から見たお話は、今シリーズ初では。薬剤師会の旅行で熊野に行くことになった「私」神山禮子とタタル、奈々。熊野三山の謎にタタルが挑む。物語の構造は相変わらず同じなのだが、少なくとも読んでいる間は「それってこじつけなんじゃ・・・」と突っ込ませない吸引力があった。歴史に対する推理と禮子の悲しい過去とがリンクし、仮説(そして禮子に関わるある事件)の残酷度はシリーズ随一。お話とは言え腹立つしやるせないです。所で、初対面の女性に対する第一声が「三碧木星か」という男性ってのはどうかと思う。

『酔いどれに悪人なし』
  ケン・ブルーウン、東野さやか訳

 アイルランド系警官ってのは珍しくないが、アイルランドを舞台にしたハードボイルドってのは珍しいのでは。アル中で刑事を辞めるはめになり、今は探偵をしているジャックが少女の自殺事件の真相を探る。といっても、この探偵何もしないで勝手に事件が解決した気がする・・・。ストーリー自体よりも、所々で引用されている言葉や、読書家であるジャックが読んでいる本の話題や、彼の本との接し方に惹かれた。彼の母親は本など男にとって役に立たないと考えていたが、父親は読書を勧める。確かに読書に実利はないかもしれない。でもね。“「本は選択肢をあたえてくれる」「選択肢って何?」親父は遠くを見るような目になって言った。「自由だよ、坊主」”

『女たちの遠い夏』
  カズオ・イシグロ著、小野寺健訳
 イギリス人の夫と再婚した悦子は、戦後間もない長崎での暮らしを回想する。戦後すぐの時代を舞台としているが、いわゆる反戦小説や庶民の苦労を描いたものではない。あくまで1人(いや2人か)の女性の心の動きを描いたものだと思う。2人の女性は全くタイプが違うのだが、娘をどこか突き放している所が徐々にシンクロし、2人ともこの後娘を失っていくことを予感させた。リアリズムなのか幻想的なのか段々わからなくなっていく所がこの作家らしい。英語で書かれた日本を舞台にした話を、日本語に翻訳したものを読むという不思議さ。解説で、登場人物の氏名を感じでどう表記すればいいか訳者が悩んだというエピソードには目からウロコが。元は英語なんだった。

『麦ふみクーツェ』
  いしいしんじ著

 音楽家の祖父と数学者の父、そしてとびぬけて大きい体をした「僕」。僕には幼い頃から、クーツェという男が麦踏をする音が聞こえていた・・・。メルヘンチックなのに、起こる出来事は全て悲劇。淡々と嫌な話だ。悲劇は唐突に降りかかるものだが、こうもてんこもりで、しかも最後は何故かええ話風に終わられると釈然としない。「ええ話」演出の為に悲劇を山積みにするのは品がない気がするのだが。所で、自分の孫の呼び名が「ねこ」ってのはどうかなー。ねこの鳴き真似をさせるってのもあまり趣味がよろしくないと思う。

『炎に消えた名画』
  チャールズ・ウィルフォード著、浜野アキオ訳
 美術評論家が主人公なので、美術、特に現代美術に関する薀蓄もたっぷり。このあたりの知識が多少あれば、より楽しめるかも。しかし小難しい印象はなく、むしろジャンクな味わいがある。物語のペース配分がちょっと妙な珍作。美術評論家フィゲラスは、伝説的なシュールレアリスムの画家へのインタビューの依頼を持ちかけられる。一応ミステリなのだが、ラストには拍子抜けか唖然とするかかもしれない。面白いけど変だ!フィゲラスの倫理観が表れてはいるのだが・・・。ある意味完全犯罪ストーリーなのだが、彼がそういう行動をとると、ある人物に既に見越されていたとも考えられる。本当の勝者は果たして誰だったのか。

『目撃』
  ポール・リンゼイ著、笹野洋子訳

 FBI捜査官デヴリンは、組織内の規則よりも正義の遂行を優先する、組織内のはみ出し者。警察協力者のリスト盗難事件と、同僚の娘の誘拐事件を、上層部には内緒で追う。デヴリンが信用できる仲間を集めて独自に捜査する様子は、仕事というよりも中高生の部活みたいで、男子臭がプンプン。なーんか子供っぽいのよね。面白いが、都合よく偶然が起こりすぎる所がちょっと気になった。あと、過去のエピソード等を盛り込みすぎで、話の本筋を見失いそうに。枝葉を伸ばして面白くなるタイプの話ではないので、剪定してスピード感を上げて欲しかった。著者は執筆当時は現役のFBI職員だったそうだが、上司によっぽど恨みがあったのかと勘ぐってしまう。訳文がこなれていて、会話に軽さがあるのは良い。

『沈黙』
  ロバート・B・パーカー著、菊池光一訳

 探偵スペンサーシリーズ初挑戦なのに、何故か文庫版最新刊から入ってしまった。長く続いているシリーズなので、当初と雰囲気を変えないようにしているのか、文章が古めかしくて癖がある。しかしそこがまた、それこそクセになり、うっかりスペンサー風喋りをしたくなる。今回スペンサーは、学生の自殺騒ぎを追う。その学生は大学教授と同性愛関係にあり、振られたのがショックで自殺したのではというのだが。そして同時に、別件で美人ストーカーに追われる羽目になる等と忙しい。ストーカーに対する忍耐強さは一般男性の域を超えているよ・・・。一見マッチョなキャラクターだが、実はジェントルでフェア(スペンサーファンである我が母によれば、恋人スーザンの登場によって大分変化したとか)。

 

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