4月

『死者との対話』
  レジナルド・ヒル著、秋津知子訳
 ダルジール君もパスコー君もウィラード君も大好き!というわけでダルジールを始め刑事さんたちのキャラ立ちも堪能できる海外ミステリの名シリーズ。デブで意地悪、根性曲がりなダルジ−ル警視だが、上層部からのプレッシャーを決して部下には伝えないという漢気も見せる。今回の敵は連続殺人鬼「ワードマン」。言葉遊びとペダントリィに溢れた大作なので、日本語でどの程度味わえるのかと心配だったが、これは面白い!傑作でしょう。犯人の見当が途中でついてしまっても問題なし。犯人探しとは別の面白さがあるシリーズだと思う。

『河岸忘日抄』
  堀江敏幸著

 セーヌ河に浮かぶ船を借りて、何をするわけでもない、いわば「間」を過ごす「彼」の日々。著者は一貫して停滞し続けること、どこにも行き着かない場所に留まることの価値に拘っていると思う。世間一般では白眼視されがちな姿勢なのだろうが、この著者の手にかかると、それがとても豊かなものに見えるし、実際、停滞していてこそ見えてくる世界もあると思う。「躊躇い続けること」の意味も確かにあるし、躊躇い続けることが出来るというのも一種の才能ではないだろうか。大切に読みたい小説だった。作品の中に色々な小説や映画の話が出てきて、そちらにも興味を惹かれた。

『フレーム憑き 視ることと症候』
  斎藤環著
 精神科医である著者による、映画・マンガ等視覚メディアに関する評論集。批評家というよりも精神科医としての視点の方が先立っていて、映画評論家なら、こうは書かないのではという部分があり、そこが面白い。著者自身は、自分は映画に関してそれほど詳しくはないと述べており、リンチやトラン・アン・ユンや北野武のフィルムを愛するが、同時に「コマンドー」「ショーガール」「フィフス・エレメント」を愛する。「わかっていただけただろうか。私の鑑賞眼をニセモノと呼ぶのは一向に構わないが、私の愛が本物であることを疑うことは許されないということが」。映画を愛する姿勢としては極めて正しいと思う。色々な媒体に掲載されていた文が纏められた本なので、硬軟がまちまちでまとまりには欠ける。その中では宮崎駿論が面白かった。要するに宮崎がロリコンでよかったなーって話ですよ(そんな誤解を生みそうな)。

『武装解除 紛争屋が見た世界』
   伊勢崎賢治著

 著者は国際NGOとして東モチール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮した人物。紛争解決の一つとして、国内の武器一切を没収し武装解除させるDDRというものがある。内戦で生き残った人々が和解に対する人間的な価値から和解するのではなく、復讐気力も失われた後の絶望から和解するという言葉が重い。リアリストに徹しながらも(例えば、その国それぞれの歴史文化背景に沿った民主化のなされ方がされるべきだというのは正論だが、資金を提供しているアメリカ・ヨーロッパにわかりやすい民主化でないと資金を出してもらえない等)理想は捨てない現場の声は、やはり強烈だ。また、こういった作業には高度な交渉力と金が必須だが、日本の外交は交渉力が弱い。そのことを踏まえて、日本と自衛隊に国際協力の為何が出来るかを考えた、第4章「介入の正義」は興味深い。

『性転換する魚たち サンゴ礁の海から』
  桑村哲生著
 サンゴ礁に住む一部の魚は、環境によってメスからオスへ、またオスからメスへ性転換するそうだ。それはひとえに自分の(種族ではなくあくまで自分個体)遺伝子をより多く残す為。DNAって利己的というか何と言うか・・・いやーよく出来ているわと感心。同性の個体2匹が一緒にいると、ちゃんとどちらか一方の性別が変わるのだ。ディズニーアニメ『ファインディング・ニモ』の主人公だったカクレクマノミも性転換するのだとか。ちなみに、性転換することを証明するよりも性転換しないことを証明する方が難しいのだそうだ。なるほど。若い頃の著者が、サンゴが空気にさらされ続けていると死んでしまうことを知らず、実験を失敗してしまったというのが意外。サンゴ礁の魚を研究しているのだから知っていそうなものだが。

『<美少女>の現代史 「萌え」とキャラクター』
  ササキバラ・ゴウ著

 今やオタクの生活必需品と化した「美少女」。「美少女」はいつ生まれてどう変化してきたのか?タイトル通り、現代にいたるまでの歴史をたどる。アニメやマンガにどっぷりひたってきた身としては、言われてみればそうかなー程度の新鮮味だったが、流れを押さえておくという意味では重宝するかもしれない。美少女キャラクターの性質・役割がその背景となる時代における男性が直面していた困難さを反映しているが(最近は女性も美少女キャラクターに視線を注ぐようになっているが)、女性の困難さはどこに反映されるのだろう。

『樽』
  F.W.クロフツ著、加賀山卓朗訳
 堀江敏幸の『河岸忘日抄』にこの小説の話が出てきて、無性に読みたくなり、新訳版を購入。ロンドンの波止場に揚げられた樽から、金貨と人間の手が覗いていた。慌てた荷揚げ作業員が目を離した隙に、樽は姿を消した。樽と死体の行方を追ってロンドンとパリを行ったり来たりする、元祖アリバイ崩しミステリ。うーん、満足。今で言ったら時刻表トリックか?犯人当てどうこうよりも、それに至るまでの経緯の穴を詰めていく感じが面白い。そして新訳で読んだのは正解だったと思う。文体が(活字も大きいし)読みやすい。古典だからこそ、定期的に新訳された方がいいと思う。それぞれの時代に即した訳でいいと思うのだが。

『シン・マシン』
  坂本康宏著

 脳の一部が機械化する奇病・MPSが蔓延した世界。機械化した部分を利用したMPSランニングと呼ばれる機能により、極度に社会の情報化が進んだ。しかしMPSにかからなかった人々は、情報の共有化が出来ない「スタンドアロン」として差別されていた。そんな中、スタンドアロンの青年・弾は奇妙な事件に巻き込まれる。未来社会を舞台にしたSFだが、物語がどうこうというよりも、主人公の言葉使いや地の文のルビの振り方のセンスの古さが気になってしょうがなかった。カタカナの使い方が野暮ったいと思う。文章でかなり損をしている気が。

『小説探偵GEDO』
 桐生祐狩著

 小説探偵は「ノベルアイ」と読む。広告屋・三神外道、通称げどの裏の顔は「小説探偵」。小説世界に侵入し、小説のキャラクターからの依頼を解決するのだ。本好きなら一度は想像してみたであろう「小説内のキャラクターが現実世界に出てきたら」というシュチュエーションをまんま小説化した本作。小説世界内での行動の制限(書かれた筋を変えてはいけないとか、書かれていない場所にはいけないとか)がミステリ部分の仕掛けになっているのかと思ったら、そうでもなかった。げどの過去の謎が放置されっぱなしで終わっているので、シリーズ化されるのだろう。続きが楽しみ。

『ヰタ・マキニカリス(上) 稲垣足穂コレクション2』
  稲垣足穂著

名作「チョコレット」を含む短編集。この人の小説は長編にしろ短編にしろ、起承転結の承の部分が延々と続くような感じがする。しかし本作に収録された短編・中編は、「チョコレット」をはじめ、起承転結がわりとはっきりとしていたと思う。わりとバランスの良い作品集になっていた。稲垣足穂は作品に自分の趣味を丸出しにしても、全く悪びれた所がなくあっけらかんとしている。あくまで「俺ルール」な姿勢は天晴れ。それにしても「チョコレット」って、語感がいいわー。

『ヰタ・マキニカリス(下) 稲垣足穂コレクション3』
  
稲垣足穂著
 割と長めの作品が収められている。特に「飛行機の哲理」、「飛行機物語」や「ファルマン」などの飛行機関係の作品からは、タルホの趣味趣向のまた別の一面がわかる。しかし一番面白いのはタルホ本人による「ヰタ・マキニカリス註解この人自分大好きだな・・・。著作に対する他人からの批評に「いやそうじゃねーよ!」と駄目出ししまくり。菊池寛には散々けなされたらしいが意に介した様子はない。当時の日本文壇からは相当浮いていたのではないだろうか。というより、文壇を馬鹿にしていたんじゃなかろうか。

『嘘』
  アニータ・ブルックナー著、小野寺健訳

 ロンドンのアパートから50歳の独身女性・アナが失踪した。アナは母親とずっと2人暮らし。アナは親切心に溢れているが、それが空回りしがちだ。本来は頭の良い強い女性なのに、周囲が自分に対して持っているイメージの通りに自分を装ってしまう姿にはちょっとイライラしたし気の毒でもある。アナを始め、独身女性や年輩の未亡人など、女性達のやりとりが妙に生生しくて、自分の将来はこうなっていくのかもしれないと思うとちょっと体温が下がる思いが。アナは周囲からは冴えない中年女と思われていたが、最後に飛躍する。「あたしは世間の人がなってほしいと思った人間になっていたのよ。あたし自身がどういう人間になりたいのかは、訊かれもしないで。もう、そう言う人間はやめることにしたの」。
 

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