11月

『水の迷宮』
  石持浅海著
 水族館で起きたある「事件」。これは過去の「事件」と関係があるのか?水族館職員達は一丸となって謎に立ち向かうが・・・。前作『月の扉』の時も思ったのだが、この著者は壮大な夢や理想を抱く人に対する、強い憧れや賞賛の気持ちを持っているのかもしれない。が、それがひっかかる。夢や理想を過大評価していないか。夢の為なら何やってもいいのか。また、死んだ人間に対して生きている人間が出来ることなど何もないのに「死んだ〜の為にも」みたいな言葉を持ち出すのは単なるエゴイズムだ。「美しい」「感動の涙」が売りらしいが、むしろ醜悪さを感じた。謎解き部分は、ピースの一つ一つがパタパタと組み立てられていく楽しさがあっただけに複雑だ。

『明暗』
  夏目漱石著

 漱石は意地が悪いな〜。お話自体は昼のメロドラよろしく通俗的なのだが、登場人物それぞれの心理の動きを執拗に書き込んでいるのが面白くて、一気に読んでしまった。結局通俗的なものの方が普遍性があるということか?人間のあまり美しくない部分をじっくり観察して丹念に書いているので、大変後味は悪い。が、面白いなぁ。女性同士の駆け引きや腹の探りあいの描写が、非常に具体的でいやらしい。こんな風に観察されてるんじゃ、作者の周りの人達はたまらなかったんじゃないかと思う。

『半身』
  サラ・ウォーターズ著、中村有希訳

 1874年の秋、ミルバンク監獄を慰問したマーガレットは不思議な女囚シライナと出会う。シライナは霊媒だと言うのだ。マーガレットは次第にシライナに惹かれていくが・・・。評論家絶賛のミステリだが、ミステリらしき事件がなかなか起きないので、おおー百合だ百合だーと思いつつ、どういう話なんだろうと考えながら読んだ。話の起伏がないからか、かなり時間がかかってしまった。評判通り最後に今までの物語が反転する・・・のだが評判ほど鮮やかではなかったかなー。普通に納得してしまった。ただ、反転するとものすごく実も蓋もない話になるのは確か。うーん残酷。

『追悼の達人』
  嵐山光三郎著

 明治・大正・昭和の文士49人の死に寄せられた追悼文や弔辞から、彼らの姿を捉えなおす。文士同士の人間関係や、彼らが世間からどのように見られていたのかが窺える。優れた弔辞は優れた文学批評になりうる。親しい人からの弔辞よりも、故人と対立していた人や殆ど親交のなかった人の方が、故人に対して的を得た評価をしている場合があるのが興味深い。また、いくら文士とはいえど、情死に対する弔辞というのは書きにくいものらしい。何とか上手いこと言おうと苦戦しているのが見え隠れする。

『情痴小説の研究』
  北上次郎著

 著者が考える情痴小説の主人公の条件とは、@主体性に欠ける、A優柔不断である、B反省癖がある、C自己弁護が上手い、D何事にも熱中しない。つまりダメ男である。ダメ男のオンパレードで実に愉快だ。しかし著者が主人公達をダメだダメだと言いつつも、何か暖かな視線を感じるのは、彼らの中に自分のダメさを見ているからではないだろうか。昔のダメ男の方が凄みがあるらしく、現代小説になるにつれて著者のテンションが下がっていくのがおかしい。ラストの渡辺淳一作品に至っては、うんざりしているのが明らかに窺える。

『抑えがたい欲望』
  キース・アブロウ著、高橋恭美子訳

 大富豪の生後5ヶ月の娘が殺された。容疑者である16歳の息子は逃走。法精神科医グレンジャーは事件に関わるうち、富豪の妻に惹かれていく。「悩みを抱えた女性ほど心を動かされる相手はいない(帯より)」って、精神科医としてはまずいんでない?しかも彼、ものすごく分かりやすく騙されてるんですけど。それ精神科医として致命的なんでない?「あーほらほら騙されてますよーっ!」と声をかけてあげたくなること数回。家族の暗部がドロドロ流れ出るトラウマてんこもりなサービス精神なのだが、グレンジャーの堪え性の無さにはつい失笑。

『消えた人妻』
  スチュアート・カミンスキー著、中津悠訳

 召喚状送達業者のルー・フォカネスは、家出した実業家の妻と、性的虐待歴のある父親に連れられた少女を捜すという2つの依頼を受ける。2つの依頼の間には何の関連もない。単純だと思われた依頼だったのだが・・・。フォネスカは妻を交通事故で失って以来、人生に対する意欲を持てない。そのせいか、全編わびしさが漂いほろ苦い。ストーリー自体はありふれたものだが、カミンスキー節とでもいうべきセリフ回しの渋み、滋味がある。この人の作品を読むと、人生はきついがそれでも何かが、という気持ちになる。フォネスカは地味で冴えない中年男なのだが、彼をサポートする老人・エームズはフォネスカ用ドラえもんのごとくキャラが立っていた。

『映画を見ればわかること』
  川本三郎著
 雑誌連載だった映画コラム。しかし映画以外の話題もちょこちょこ出てくる。「年をとっての数少ないいいことのひとつは映画の思い出がたくさんふえてくること」とあとがきに著者は書いている。一つの映画から他の映画へ、更に小説や音楽へ。ひょいひょいと連想が連なるというのは、映画鑑賞や読書をする上での一つの醍醐味だと思う。私も早くこの境地に至りたいものだ(笑)。文芸評論もしている人だけに、読書の守備範囲も広くて、こんなものまで読んでいたのか!とびっくりするところも。だが著者も年をとったのか軽めのコラムだからか、ちょっと本作は映画に対するコメントが甘めで、そこは物足りなくもあった。

『デモクラシーの冒険』
  姜尚中、テッサ・モーリス−スズキ共著
 社会学者2人の対談集。100万人以上の規模で反戦運動が行われたにも拘らずアメリカと同盟国によるイラク攻撃が行われた。デモクラシーが掲げられているにも関わらず、民意が反映されない現状とは何なのか。2人の考え方には、国家に対する立位置が単純ではない(姜は在日韓国人であり選挙権がない。モリース−スズキは日本人と結婚しイギリス在住だったがオーストラリアに移住)ことが多かれ少なかれ影響していると思う。第三章「政党、世論、ポピュリズム」では常日頃の疑問に思っていたことが説明されていて、面白かった。かなり駆け足な対談ではあるが、タイムリーな1冊だと思う。まず克服すべきは私たちの政治に対する無力感ということか。対談の間に編集者が小芝居をするのがちょっとうっとおしい。それはちょっとやりすぎでは。

『夜のピクニック』
  恩田陸著
 一晩中全校生徒が歩くという「北高鍛錬祭」。高校生達はそれぞれの思惑を胸に行事に参加する。こういう全校行事って、私のように学校が嫌いだった生徒にとっては拷問に近い。一昼夜同級生と一緒ってちょっと耐えがたいものがある。だから、何故この小説に出てくる高校生達がこの行事を楽しみにしているのかが分からなかった。色々な生徒が出てくるのに、学校が嫌いな生徒は出てこない。著者はきっと高校生活が楽しかったんだろうなー。でもせっかく夜歩くなら、一人で歩きたいと思うけれどなぁ。

『フリーダムランド 上下』
  リチャード・プライス著、白石朗訳
 夜中、病院に現れた白人女性が、黒人男性にカージャックされたと訴えた。しかも車内には幼い息子がいたという。事件が起きたのは黒人居住者が多い地区だ。事件は人種差別問題にも火を付け、報道は加熱し、住民間の緊張はぎりぎりまで高まっていく。一つの事件で簡単に両者を爆発させるほど、人種間の問題は根深いのか、と暗澹たる気持ちになった。主人公の黒人警察官ロレンゾは地域の治安に心をくだいているが、度々無力感に駆られる。その無力感を読者も味あわされる。こういう問題を目の前にすると、どうしていいか途方にくれて足が竦んでしまうのだ。著者は「ハスラー2」「クロッカーズ」等を手がけた脚本家。流石に盛りあげ方が上手く、映像化しやすそうな小説だった。

『人間以上』
  シオドア・スタージョン著、矢野徹訳

 やんちゃな黒人の双子、生意気な少女、発育不全の赤ん坊、そして言葉もろくに喋れない青年。彼らはそれぞれ異なる超能力を持つ「人間以上」な存在で、自分たちは「集団人(ホモ・ゲシュタルト)」だと言う。全員が人体のそれぞれの機能を代表しているのだ。彼らは世界を変えられる力を持っているのに、どこか不自由そうだ。自分と同質のものがいない、世界に適応できない苦しみや孤独感が漂う。世界に対して違和感を感じる反面、仲間が欲しい、受け入れられたいと思う感情は、著者自身のものではないだろうか。

『愚か者死すべし』
  原ォ著

 実に9年ぶりの新作。ぎこちない会話キザなセリフも原作品だと思うと許せる。むしろ味わい深い。探偵・沢崎は相変わらず沢崎だった。彼は今回、警察内での参考人襲撃事件と、ある政治機関を巡る脅迫事件に関わる。というか前者に関しては首を突っ込む。正統派ハードボイルド小説の主人公にふさわしく、沢崎は時にこっけいなくらいストイックだ。こういうタイプの主人公も、ハードボイルドというジャンルも確実に滅び行くのだろう。でもそれをあえてやり続けているとこに意味がある、と思いたい。沢崎が作品内である人物から「平静な人」と評されるのだが、これにはなるほどと思った。冷静ではなくて平静。私は平静な人になりたいんだなぁと。事件の真相は、ドロドロに書こうと思えばいくらでもドロドロにできるようなものなのだが、そこを硬質なままに抑える所が著者らしい。

『きみの血を』
  シオドア・スタージョン著、山本光伸訳
 正体不明の語り手がまず読者に語りかける。それに導かれて精神科医のファイルを読者が覗き見、精神科医とその友人である陸軍大佐との往復書簡により、ジョージという兵士の奇妙な行動と彼の生い立ちが明らかになる。「幻の傑作!」とうたわれていたのでどんなに衝撃的なのかと思ったら、意外に地味で拍子抜け。ラストのオチにも、そんなのもうわかってるよ〜と言いたくなった。でも地味に気持ち悪い感じが漂う。ジョージはすごく変わっているというよりも、何かの拍子にふっと奇妙な面が見える人間だ。その奇妙さの正体が徐々に明かされていく過程に引っ張られた。

『機械たちの時間』
  神林長平著

 脳にTIPを埋め込んだ機械と人間のハイブリッドソルジャー・邑谷は、1976年の日本で経理士をしていた。彼は本当は未来の火星で、マグザットという無機生命体と闘っていたのだが、戦いの中で仲間共々時空を飛ばされてしまったのだ。そんな邑谷に、2131年にいる仲間からコンタクトが。設定はSFだが、文体や主人公の言動はもろにハードボイルドだ。火星にはもう自分の肉体がないかもしれない、自分の意思すら幻想かもしれないと思いつつも進み続ける姿はどこか虚無的でもあるし、何かに取り付かれたようでもある。ラストは吹っ切れたと見るべきか諦めたと見るべきか。女性キャラがお愛想程度にしか出てこないところもご愛嬌。

 

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