6月

『捕虜収容所の死』
  マイケル・ギルバート著、石田善彦訳
 第二次大戦下、イタリアの第127捕虜収容所ではイギリス人捕虜の間で大脱走劇が計画されていた。ところが脱走用トンネルで死体が発見される。果たして犯人は誰なのか?脱走は成功するのか?シリアスな状況下ながら、雰囲気は意外にのんびりしている。演劇に情熱を傾けているグループがいたり、脱走トンネル用に備品を取られてしまって腹を立てるグループがいたりで、なにやらほのぼの。終盤で一気に謎解きをしてしまう唐突さはあるが、「えっ、ここも?」という感じにきちんと伏線が張られていたので、後からチェックしてみるのも楽しい。

『チルドレン』
  伊坂幸太郎著

 著者初の短編集。といっても著者に言わせると長篇。同じ人物達が時系列をいったりきたりして主人公を務めるからだ。今回は伊坂節は控えめなので、今まで「ちょっと・・・」と思っていた人もとっつきやすいかもしれない。もっとも「バンク」の軽妙さや「チルドレンU」のオチの付け方の優しさは著者らしくてうれしい。「そもそも大人が恰好良ければ、子供はぐれねぇんだよ」と言い放つトリックスター的存在の陣内は、身近にいたらはた迷惑だと思うが楽しいキャラだ。軽やかで優しい短編集。

『ボーイズインザシネマ』
  湯本香樹美著

 ボーイズだけでなくガールズも登場する映画エッセイ。私が見た映画もいくつかあったが、更にマイナーで、多分今ではレンタルも出来ないであろうものが多くてちょっとびっくりした。著者は自分が子供の頃何をどう感じたのか、すごくよく覚えている人だと思う。そしてとても目が良いと思う。映画自体の話というより、著者の子供の頃とその映画を結ぶものの話、という感じがした。

『博士の愛した数式』
  小川洋子著

 80分しか記憶を維持できない元数学教授と、彼の家に通う家政婦「私」とその息子の交流。とても静かでひたひたと満ちてくるが、ぎりぎりのラインで留まっている、今にも壊れそうな幸福の気配がして、うっすら不安でもある。第1回本屋大賞受賞作。本屋さんはこういう本を売りたいらしい・・・が、泣くほど良いかなー?ちょっとピンとこなかった。数式は美しいものだったんだなとは思ったが。

『憎しみの連鎖』
  スチュアート・カミンスキー著、棚橋志行訳
 刑事リーバーマンシリーズ5作目。リーバーマンが通うユダヤ教会が襲撃され、彼は捜査にあたる。今回はユダヤ対イスラムという民族間問題を孕んでいる。お互い自分が正しいと思っているだけに厄介だ。一つの事件が憎しみを生み、その憎しみが更に新たな憎しみを・・と切りがなく、読んでいてちょっと鬱々とした。リーバーマンがある青年に贈った本に記した言葉と、最終章にわずかな希望が見える。ちなみに色々と問題を抱えているリーバーマンの娘・リサには新恋人が。でも母親には「あなたは大人じゃない」ということを言われていましたよ・・・どうなるリサよ。

『サンセット・ヒート』
  ジョー・R・ランズデール著、北野寿美枝訳

 舞台は大恐慌下の1930年代、テキサス東部。治安官である夫・ピートの暴力に耐えかねたサンセットは、レイプしようとしてきた彼を殺してしまう。彼女に同情した姑・マリリンの協力を得て、治安官に就任し、過去の事件解決に乗り出す。サンセットは美人で度胸があって強いのだが、男を見る目は結局ないままというのが何かかわいい(いやそんなことで済ませちゃいかん事態になるのですが・・・)。「ボトムズ」よりはハップ&レナードシリーズに近いノリで、非常に愉快でかっこいい。自然災害がからんでくるのはランズデール作品のお約束だが、著者が楽しんで書いていた感じがする。やたらと面白くて一気に読んでしまった。

『裁きの街』
  キース・ピータースン著、芹澤恵訳
 新聞記者ウェルズシリーズ第4弾。今回彼は、謎の暴漢に襲われてもみあった挙句、相手を殺してしまう。その後が良くない。記者とは思えないパニック振りで、自分で事態をやっかいにしているような気がしなくもない。悪徳警官と立ち向かう正義感はいつも通りなのだが、どうもかっとしやすい面ばかりが目立って、もうちょっと上手く立ち回れそうなものだけどと、イライラさせる。新任の女性編集長や同僚ランシングなど、女性達の方が奮闘している。

『ジャージの二人』
  長嶋有著

 おそらく著者自身と著者の父親がモデルなのだろう、父子。北軽井沢の別荘(と言っても山小屋みたいなもの)に向かうのだが、実は我が家もこのあたりに別宅がある。なので、このスーパーはあそこのことだなとか、このホテルはあのリゾ−トマンションだなとか、かなりピンポイントなご当地小説として楽しんでしまった。私の母など、二人が北軽井沢へ行くのに使ったルートの推定までしていました・・・。「僕」はもっとオジサンなのかと思っていたら、私と同世代らしい。年寄り臭さと子供っぽさが同居している。それは父も同じだ。どうも大人になりきれない二人なのだ。

『太陽がイッパイいっぱい』
  三羽省吾著

 本当にイッパイいっぱいな感じで・・・。大学生活には意味を感じられず、休学して土建業のアルバイトに打ち込むイズミとその周辺の人々。真面目でも不真面目でもなく、子供ではないが大人にもなりきれないイズミの割り切れなさ加減が、うんうんそんな時期もあるよねーと微笑ましい。大学生活よりも実際に身体を使って生活していくイズミを肯定も否定もしないのと同時に、サラリーマンを否定しているわけではない所は、独りよがりになっていなくて良い。著者の「今これが書きたい!」というモチベーションの高さを感じた。文章は決して上手くないが、その切実さで乗り切っている感じがする。

『表現の現場 マチス、北斎、そしてタクボ』
  田窪恭治著

 著者の名前は知らなくても、ノルマンディで「林檎の礼拝堂」(サン・マルタン・ド・ミュー村のサン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂の再生プロジェクト。NHKのドキュメンタリー番組でもとりあげられた)を造った人と言えば分かるかもしれない。マチスや北斎、ジョットォなどの芸術家を取上げた内容は少々とりとめもないが、著者の真摯な態度が感じられる。自分が実際に見た作品が取上げられているのも嬉しかった。ただ、ガウディのサグラダ・ファミリア教会に対する「ガウディではない他人の手によって、今後200年の時間と労力を使って歓声させることにどれだけの意味があるのだろう」という意見には同意しかねる。ガウディは芸術家である以前に建築家だった。もし自分の監督下でのみ完成させようと思っていたら、老齢であんなに大規模なプランは立てなかっただろうと思う。次世代へ受け継ぎ、色んな人によって完成するという過程にこそ、あの建物の教会としての意味があると思うのだが。

『回送電車』
  堀江敏幸著

 著者の日常、あるいは雑貨をモチーフとした随筆集。モノに対するこだわり、というか一種の愛着が強い人なような気がする。決して派手ではないし、テンションも低〜いのだが、私にとっては心地よい文を書く著者だ。常に何か躊躇っているような感じがする。パリの古書店主との縁を綴った「Eメールの効用」という一編は良い話だ。著者のほかの著作にも、なかなか心意気のあるパリの古書店主の話が出てきたが、同一人物だろうか。そんな中にいきなりルース・レンデルが登場する意外性も。

『おかしな奴が多すぎる』
  トニー・フェンリー著、田村義進訳
 ニューオリンズのゲイ・バーで、猟奇的殺人事件が起きた。ゲイで元・凄腕の検察官、今は家具店主というマット・シンクレアは、友人の刑事に請われてゲイ社会の側から捜査を開始する。結構下ネタが多いし被害者の殺され方もエグいのだが、作品全体としてはあまり下品な感じがしない。シンクレアもその周囲の人々も己の欲望に忠実なのだが、キュートで憎めない所があるからかもしれない。

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