11月

『ジョゼと虎と魚たち』
  田辺聖子著
 短編集だが、女の可愛い所も恐い所も、すごく冷静に、かつユーモラスに描かれている。セリフが関西弁で柔らかなので、読んでいる間はそう気にはならなかったのだが、後から、うわあ嫌な所を、と(笑)。『うすうす知ってた』の主人公・梢が「中学生のころやっていたことを28になってもまだやっている」という所には、あ、私ですか・・・と思わず俯いてしまった。全ての短編で女は気丈で男はヘタレ気味であった。表題作は映画化された。見に行きます。

『白い兎が逃げる』
  有栖川有栖著
 著者初のカッパノベルズ。「カッパノベルズから出すときは鉄道ミステリで」と思っていたそうで、表題作は鉄道モノ。でも私は鉄道ミステリは苦手なので、ちょっと残念・・・(地元民意外には分かりにくいネタだったし)。ダイイングメーッセージものである「比類のない神々しいような瞬間」は、被害者が残したダイイングメッセージが、本人の意図とは全く別の所で意味をもったというユニークなもの。収録作の中では一番良く出来ていたと思う。

『きみとぼくの壊れた世界』
  西尾維新著
 通称きみぼく(勝手に命名)。それほど壊れてません。間口はやや広くなった(?)がその手ものがお好きな方には物足りないかも。大変青々しい青春学園(やや)ミステリ。「僕」が先を見越して戦略を立てるのが得意(将棋とかが得意)と自認しているにも関わらず、自分の周囲の状況認識が出来ていない所が、若いってイタいね!と温い笑いを誘う。

『山ん中の獅見朋成雄』
  舞城王太郎著
 「やまんなかのしみともなるお」と読む。少年が異界に行って帰ってくる成長物語。男版「阿修羅ガール」か「千と千尋」か?が、今作はどうも勢いがない。主人公が持つ鬣にしろ、書道にしろ「人ボン」にしろ、出てくる必然性、説得力が今ひとつ感じられない。パーツをもっと省いてもいいと思うが。著者の強みだった文体のグルーブ感が感じられなかった。擬音に力を注ぐより、文章自体の推進力を強めて欲しかった。

『無名』
  沢木耕太郎著
 著者が父親を看取るまでの最後の日々を綴った随筆。自分を「僕」と呼び、息子を「君」と呼ぶ著者の父親は、なかなかかっこいい方だった様だ。子供は親のことをどのくらい知っているものなのか。著者は若い頃の父を思い起こし、こうだったろうか、ああだったろうかと考えるが、結局本当の所はよくわからない。私自身も考えてみると、親のことなど大して分かっていないと思う。色々と考え込まされた。

『テロリストのパラソル』
  
藤原伊織著
 ・・・今時小説の中ですら絶滅寸前な主人公だった。アル中のバーテンダーの島村は、典型的なハードボイルド小説の主人公。どこか鈍いので女からは「頭が(ついでに音楽の趣味も)悪い」と言われる。善人でも悪人でもないが、仁義と自分の主義は通す。そしてもちろんクサいセリフを吐く。展開がやや強引だが、面白い小説を読んだという感じは十分にあった。正直島村よりも、インテリヤクザ浅井の方がかっこいいような。主人公が学生運動をしていた全共闘世代な所が、「今更何を」的に批評されることもあった作品だが、世代云々はこの作品にとってさほど大きな要素ではないと思う。

『ひまわりの祝祭』
  藤原伊織著
 いおりん第二弾。巷では評価がいまひとつな本作だが、個人的にはこっちの方が面白かった。ゴッホの絵が絡んでいる為、美術に興味のある人の方が楽しめるかもしれない。主人公・秋山の過去現在丸投げな姿勢には、妙に共感してしまう。ドーナツ(ホイップクリーム入り)と牛乳が主食な所にも共感してしまう。・・・って中年男としてその食生活はどうよ。新幹線の中で「ちょっとつまむ」為に買うのがいちご八つ橋ってどうよ。話の本筋以外の所が大変ユカイ。いや話も悪くないですが。原田(IQ170で腕っ節強くて優雅なゲイ)が秋山のドラえもんの様でそれもユカイ。

『神も仏もありませぬ』
  
佐野洋子著
 著者が今住んでいる土地が、私がよく遊びに行く土地らしく、知っている地名や店名が色々出てきて、あそこか!とか、そうだったのか!とかと地元ネタ的に楽しかった。相変わらずクールでちょっと意地悪だが、昔よりは丸くなってきているような・・・。『猛スピードで母は』の長嶋有のお父さんと友達だったとはびっくり。だから表紙のイラスト描いてたのねー。個人的にウケたのはWカップの話。そうだよね!カーンはそうだよね!

『夜のミッキーマウス』
  
谷川俊太郎著
 ミッキーマウスと夜、とはあまりそぐわない気もする。ちなみに「朝のドナルドダック」という詩も、プルートー(ミッキーのペットの犬)も登場する。「百三歳になったアトム」という詩の“ちょっとしたプログラムのバグなんだ多分”という一節がちょっと切ない。この人の詩は、若い頃よりもどんどん素直になってきている気がする。

『ケータイを持ったサル 「人間らしさ」の崩壊』
  
正高信男著
 サル学者である著者による、現代の若者・家族論。そもそも人間らしさとは何かとか、ルーズソックスに対する考察はちょっとオヤジくさいぞとかいうツッコミ所はあるものの、ひきこもりも電車内で化粧する若者も、公的空間に出て行けないという点では同じ、という指摘は興味深い。ちなみに、日本サルの群は殆ど血縁者で構成されている為、正確には社会を作っている(「家」の外でのコミュニケーションがある、つまり公的な空間を持っている)とは言いにくいとのこと。そういう点で現代の若者はサル化しているということなのか。

 

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