8月

『しあわせの理由』
  
グレッグ・イーガン著、山岸真訳
 
色々な書評系サイトでいっせいに取り上げられていたもので、SFとはなじみが薄いが手に取ってみた。短編集なのだが、作風がバリエーションに富んでいる。更に、文体を色々と変えてくる訳文が上手い。かなり倫理感が強いというか、「人間とは何ぞや」という意識の強い作家なのでは。強烈だとか、読んでいて気持ち悪くなったという感想も目にされた『適切な愛』は、さほどのインパクトはなかった。こういう「ふさわしい感情」に関わるジレンマはよくあると思うが(もちろん、作品内のような体験をする人はいないが)。表題作『しあわせの理由』は、化学物質によって感情を全てコントロールされてしまう男の話。人間の自然な感情とは一体何なのか。『適切な愛』とはリンクしているテーマだと思う。読後、かなり後を引く一作。

『新本格猛虎会の冒険』
  有栖川有栖他著

 タイガースファンのタイガースファンによるタイガースファンの為の本格ミステリ小説集。ちなみにこの本が発行されたのは’03年3月。誰が今年のトラの快進撃を予測しただろうか!もしやこの本の威力?!なんてことはないだろうが、トラっ子も本格読みも楽しめる、軽い1冊。吼えよ虎!今年を逃すな!

『陰摩羅鬼の瑕』
  京極夏彦著
 
何と5年ぶりの京極堂シリーズ。そんなに待った気はしなかったが・・・。だが、著者は「俺、もうミステリでやることやっちゃたよな・・・」的気分があるのでは。今作ではいわゆる、鮮やかなな謎解きはない。慣れた読者には、プロローグ部分で犯人となぜそれが起きたのかが、ある程度わかってしまうだろう。ではこの小説はつまらないのかというと、(少なくとも私にとっては)困ったことに面白いのだ。「なぜ」に至るまでの背景の説明が面白いというか、薀蓄部分の語りが上手いせいなのだろうが・・・。関口救済(ちょこっと)小説でもあるので、関ファンは必読。あと榎ファンも。

『ヴードゥー・キャデラック』
  
フレッド・ウィラード著、黒原敏行訳
 
下ネタ満載抱腹絶倒読後は何も残りません!が滅法面白いハイテンション・クライムノベル。戸梶圭太とボストン・テランが推薦というのも納得。リストラされたCIA工作員、チンピラとその相棒、腰抜けCIAとその秘書。金を巡ってそれぞれの思惑が絡み合いすれ違い、アリスとドードー鳥のコーカス・レースの様。

『日の名残』
  
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳
 
老執事が小旅行中に、長年仕えた先代の主人や屋敷での仕事を思い起こす。思い出は美しい。が、それは美しく改竄された記憶である可能性も否めない。執事が一人称で語る思い出の隙間から、前主人は執事が思っているような高潔な人物ではなく、屋敷も彼が思っているほど由緒正しいものではなかったのではないかということが見え隠れする。このテーマは『私たちが孤児だった頃』にも引き継がれている。映画化もされたブッカー賞受賞作。映画はアンソニー・ホプキンス主演だが、これも名作。

『野獣よ牙を研げ』
  
ジョージ・P・ペレケーノス著、横山啓明訳

 根無し草の青年・コンスタンチンは、車に乗せてくれた初老の男・ポウクに誘われるまま、強盗計画に加わる。犯罪チームのメンバーそれぞれのキャラが立っているのだが、何より主人公コンスタンチンの、人生に対する投げやり加減が胸に染みる。ペレケーノスの小説には、普通に生きていくことの悲しみとでもいったものが、色々な形で立ち現れており、それが作品世界の陰影を深めている。コンスタンチンは生きることに飽き、流されっぱなしだ。しかし彼は、かすかに友情を芽生えさせたポウクの為に、初めて自分からある行動を取る。「なにか納得がいくことをやりたいのさ。わかるかい?」。これもまた、ペレケーノスの小説の主人公に共通する気持ちな気がする。

『4TEEN』
  石田衣良著

 めでたく直木賞受賞した作品。月島に暮らす4人の男子中学生の日々。深刻な問題もかかえているが、彼らはきちんと日々を生きる。基本的に人間を好きな作家というか、優しさがある作風なので、普段本を読まない人、特に10代の若い人にも読んで欲しい1冊。この著者は、小説におけるリアルのあり方を、しっかりとわきまえていると思う。少年たちの生活や言葉使いが実際の中学生のものを再現することがリアルなのではなく、リアル「であるかのように見える」ことが小説内でのリアルなのだ。実際の中高生に近づけたら、年長の読者はひいてしまうだろうし、風俗面の描写はすぐに風化してしまうだろう。そこの所のさじ加減が上手いなあという感じ。その上手さがちょっと嫌味で、「ハーン」(薄笑)と鼻を鳴らしたくなることもあるのだが。

『狩人の夜』
  デイヴィス・グラッグ著、宮脇裕子訳

 スティーブン・キングに多大な影響を与えたというサスペンス小説。さすがに面白い。右手にはLOVE、左手にHATEと刺青が入っている怪しい伝道師が、幼い兄妹を執拗に付け狙う。母親にも信じてもらえず、孤立無援で恐怖に耐える少年が追い詰められていく様に、ぐいぐい引っ張られる。伝道師が彼らを付け狙う動機を、神の意思と思い込んでいるところが恐い。

『黒い塔』
  P・D・ジェイムズ著、小泉喜美子訳

 「ダルグリッシュ警視」シリーズ中でも傑作と定評があり、英国推理作家協会シルヴァー・ダガー賞を受賞している。病み上がりのダルグリッシュの元へ、知人の神父から相談があるとの手紙が届く。が、神父は既に死亡していた。果たして病死か殺人か?相談事とは何だったのか?派手ではないが、風土の描写や、人物の内面描写が丁寧で雰囲気のある本格ミステリ。犯人の悪意、いや悪意ですらない動機が見え隠れし、ひやりとする。

『ミステリー中毒』
  養老孟司著

 養老氏はミステリー、特に海外モノが大好き。よくまあこんなに読んでいるね(前に読んだ本を忘れて再読したり、下巻と気付かず釈然としないまま読んでいたりすることも)という感じなのだが、その視点は鋭い。特にアメリカの小説では「親の因果が子に報い」という話がやたらと多いという指摘には納得。私が好きな本も色々出てきて楽しかった。それにしてもこの人の文章は、真顔で冗談をいうような感じでおかしい。

『砂の女』
  安部公房著

 久々に嫌な話を読んだなぁ(笑)。相手と全く話しが通じないのに何となく一緒に生活できてしまう所とか、村人が土地を離れない理由が外の人間には理解できない所とか、理屈が通じない所が気持ち悪い。そして何より砂が。オチはホラー的だと思う。

『深夜プラス1』
  ギャビン・ライアル著、菊池光訳
 
初版が’76年なので訳文や内容の古さは否めないが、渋いアクション冒険小説だった。オーストリアの実業家をリヒテンシュタインに送るという仕事を引き受けた元情報部員のエージェント・ケインは、何者かによって執拗な攻撃を受ける。現代の小説と比べるとアクションは控えめ。しかしキャラクター造形が良い。レジスタンス時代には闘う意義があったが、今は仕事で人殺しをしなければならないケインの葛藤や、アル中のガンマン・ハーヴェイの鬱屈が、作品に陰影と渋さを与えている。ラストのケインの判断は、不器用で哀愁が漂う。

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