4月

『永遠の出口』
   森絵都著
 これは著者の自伝的小説ではないだろうか、というくらいディティールのリアリティに溢れた、少女の小学校〜高校にわたっての物語。よくこんな微妙な所まで覚えているなーと感心した。子供の心理に手応えがあって生生しい。特に小学生の頃の話が、「(こんなこと)あったあった!」と思わず膝を打つ感じが。ただ、私自身はこういう中高生時代をすっかりすっ飛ばして現在に至っている感があるので、かなり複雑な気持ちもある。中高生の王道からは明らかに遠退いてしまったし、グレる道からさえも遠く離れてしまった。あんなトキメキやドキドキなんてなかったなぁと己の過去を振り返って微妙に寂しい気持ちに。

『アビシニアン』
  古川日出男著
 野良猫の様な身体感覚を獲得することで文字を失った少女と、偏頭痛という身体の痛みを具現化させる為文字を綴る青年。文字と身体の関係が極めて暗示的だ。この著者は「語り」という身体性を伴った物語を目指しているように思えるのだが、その割には文章にグルーヴ感がなく、言葉が上滑りしている感じなのは何故だ。オチは結局ボーイミーツガール。タイトルは何だったの。

『慟哭』
  貫井徳郎著
 あらゆる書店で手書きポップによる賞賛宣伝が寄せられている。確かに上手い。が、絶賛するほどか?ミステリを読み慣れた読者には、早い段階でオチが割れてしまうだろうし、なによりこの程度で「慟哭」?それほどには迫ってくるものがない。ただ、これを書いた当時著者は25歳だったというから、それを考えると確かに凄いのだが。ベテラン作家が書いた様な作風だ(若さがないとも言うが)。

『死人主催晩餐会』
  ジェリリン・ファーマー著、智田貴子訳
 ケータリング会社の経営者、マデリンが探偵役のライト・ミステリ。シリーズ第一作目だ。パーティー等に出張して料理するケータリングは、最近は映画のエンドロールでも名前が出るくらいお馴染みの産業。マデリンはまだ駆け出しのケータリング業者のようだが、出てくる料理の描写がみな美味しそうだ。でもミステリとしてはちょっと苦しい。

『世界の果ての庭 ショート・ストーリーズ』
  西崎憲著
 ファンタジーノベル大賞受賞作。ショートストーリーというよりは、複数の話をシャッフルして交互に配置していると言ったほうが正しい。しかし、こういう形式をとる必要性があまり感じられず、アイディア倒れな感が。

『死者との誓い』
  ローレンス・ブロック著、田口俊樹訳
 もう酔いどれではない探偵マット・スカダーシリーズ。シリーズが長く続くと当然当たり外れが出てくるが、今作は結構当たりなのでは。といっても、ミステリとしての要素は薄い。登場人物達の会話に情感があり、時には哲学的。1ページ目を読んだだけで、これは良いなという雰囲気がある。スカダーやその恋人は人生の転機にさしかかっており、もう若くはない。死を間近に迎えている友人もいる。それでも彼らは一歩を踏み出す。人生は続くのだ。

『どろぼうの神さま』
  コルネーリア・フンケ著、細井直子訳
 子供の頃って大人になりたかった?なりたくなかった?最近の子供は大人になりたくない人が多いのではないだろうか。「どろぼうの神さま」は大人になりたがっている。彼が率いる子供たちのグループは、親元や施設を飛び出し、閉鎖された映画館をねぐらにして、子供たちだけで生活している(「どろぼうの神さま」にだけ実は・・・なことがあるのだが)。子供から見たら羨ましい生活なのでは。子供たちが結構しっかりしているのに対して、大人たちが意外に子供っぽいのがおかしい。付け髭をコレクションしている探偵なんて!冒険小説の中に1つだけファンタジーの要素が入っていて、ちょっとちぐはぐな感じが。でも楽しい。続編も作れそうなオチだ。

『夕陽を見つめるチンパンジー』
  鈴木晃著

 類人猿にももちろん社会がある。チンパンジー、ゴリラ、オラウータンはそれぞれ少し違った社会を作っている。著者を始めとする研究者たちは、根気強い研究でそれを観察してきた。著者のおサル達に対する愛情が感じられる。新しい行動パターンを見ることが出来た時の著者は本当に嬉しそうだ。しかしおサル達が生活できる環境は年々破壊されている。こんなに興味深い生き物に迷惑をかけちゃあいけないと思う。

『謎亭論処 匠千暁の事件簿』
  西澤保彦著

 著者のデビュー作『解体諸因』と同じく、タックこと匠千暁シリーズの短編集。探偵役が自分とは無関係の事件を勝手に推理するアームチェアディテクティブもの。同じパターンのものに、倉知淳の猫丸先輩シリーズがあるが、本作では話の最後に探偵の推理が正しかったことが述べられる。実際に何が起きていたのかには頓着せず、論理の整合性のみを考える猫丸先輩のほうが強者かつ粋な気が。ちなみに今作最大のサプライズは、ボアン先輩に不倫経験があるということだと思う。

『満月の夜のさんぽ』
  フランシス=ハマーストロム著、大塚純子訳

 昔読んで、絶版になっているのだが、もう一度何とか読みたいと思っていた児童書。幼い兄妹が、満月の日だけ母親に連れられて夜の散歩をするという話。物語というよりも、夜の自然観察記とでもいう話。とても地味な本なので、当時(12歳くらい)なぜあんなに心に残ったのか不思議。私自身は特に動物好き・アウトドア好きというわけではないのだが。実直に、誠実に作った感じのする本だった。

『死への祈り』
  ローレンス・ブロック著、田口俊樹訳
 マット・スカダーは既に64歳。そしてついに結婚、不動産による収入もあり、安定した生活を送っている。とうとうこうなったかと感慨深いものが。もうおじいちゃん世代になっちゃうんだなぁ。そのせいか、今作でのスカダーは物思いにふける事が多く、話のテンポはやや緩慢。彼が事件に関わる理由もちょっと弱い。話の本筋ではないが、前妻との間の息子2人とのぎこちない関係が心に残った。次男は金のトラブルを起こすのだが、スカダーは「彼を助けたいが金で解決はしたくない。彼は今回切り抜けても、また同じことを起こすだろう」「彼は(元妻でなく)私の方に似ている」と言うような事を話し、でも結局は援助するのだ。

『香水 ある人殺しの物語』
  パトリク・ジュースキント著、池内紀訳

 とてつもなく嗅覚が冴えている代わりに、自分の体臭を一切持たない男グルヌイユ。体臭が人間性と直結しているという設定が面白い。臭いを持たないグルヌイユは、天才的な調香士となるが人間的な感情を持たない。からっぽなのだ。「悪人」と表現されているが、からっぽな人間に悪人も善人もないのではないだろうか。池内紀の訳がリズミカルで良い。物語の1行目からつい引き込まれる。奇妙奇天烈な物語。グルヌイユが作った至高の香の効果には大笑い。そして最後の最後であっけにとられた。

『スパイダー』
  パトリック・マグラア著、富永和子訳
 「私」が綴る過去と現在の物語。が、読んでいるうちにちょっとおかしいなと気付く。「私」は、いわゆる「信頼できない語り手」なのだ。ミステリなら叙述トリックというやつだ。ミステリならばラストで真相が明かされるところだが、この作品の場合それはあまり重要ではない。「私」にとって世界はこのようなものであるということの方が、実際に何があったかよりも重要なのだ。記憶の改竄というテーマは、カズオ・イシグロの『私たちが孤児だったころ』を思い起こさせる。ちなみに著者の父親は病院の精神病棟に勤務していたそうで、患者の混乱の様や幻影の様子がリアル。体の内部から腐食していき、体内が蜘蛛で満たされるという描写は何ともグロテスク。

『塩一トンの読書』
  須賀敦子著
 本にまつわるエッセイ集。表題作に出てくる著者のお姑さんが中々素敵だ。学はないが読書が大好きで、「色んな風に読めるから本当はどんな意味なのかわからず本は難しい」と悩む反面、安直なロマンス小説も大好き。でもスキャンダル雑誌は決して読まない。本当のことかもしれない様な話は、嘘かもしれないから面白くないんだそうだ。「こんなふうにも読めるし、あんなふうにも読めるからいい小説なんだよ」と。いい読書の仕方を知っているお姑さんだなぁ。

『九十九十九』
  舞城王太郎著

 この人はどこまでが本気でどこまでが冗談なのか分からない作風だが、これは特に。清涼院流水へのトリビュートという企画だからだろうが、笑うか怒るか脱力するか。それにしても九十九十九ってこんなキャラでいいのか(笑)。この作家は毎回「世界はろくでもない」ということを書きながら、最後は自分の周囲に対する愛に着地するというのが一つのパターンになっているが、これをこだわりと取るか弱点と取るか。ミステリ的なところでは、近年のミステリ論で論ざれている問題がてんこもりになっている。ある程度ミステリ論に詳しく、清涼院作品を多少読んでいないと入っていけないかもしれない。

乱雑読書TOPへ HOME