「黒井のおすすめ本」
浪速の生き商人(いや生き字引)の黒井さんが書籍を紹介します。黒井さんはこのところ、温泉巡りで忙しいらしく、支部例会などには、とんと(いやめったに、いやほとんど)お目にかかることができません。まあ、なんとさびしいことでしょう。温泉でしっかり本を読まれている黒井さんに書籍を紹介して頂きます。とてもためになります。
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『おまけより割引してほしい』−値ごろ感の経済心理学−徳田賢二/ちくま新書(定価700円+税)
満足感は、あるものに価値を見出すところから生まれる。値ごろ感とは、その価値あるものにどれだけ費用を払うか、つまり、値ごろかんは、費用 (分母) 分の価値 (分子) であらわすことができる。値ごろ感を引き上げる第一は、分母 (費用) をできるだけ小さくする。第二は、分子(価値) をできるだけ引き上げる。第三は、分母 (費用) を小さく分子 (価値) を大きくすることを併せて行うことにある。
最良の値ごろ感は、吉野家の井定食の 「うまい、やすい、はやい」である。「うまい」が「分子」から値ごろ感を増すし、「やすい、はやい」 は 「分母」 から値ごろ感を増す役割を果たしている。値ごろ感は自然にできあがるのではなく、現実には意図的に作られる。超値ごろ感の原点は、グリコのおまけである。
皆が隠れた価値、隠れた費用を含め、的確な値ごろ感をもって行動すれば、世の中はもっと住みやすく分かりやすい場所になる。価値に見合って無駄なく資源が使われることで世の中の資源配分は最適なものになる。
『不老不死のサイエンス』三井洋司/新潮新書(定価680円+税)
不老長寿は、人類にとって永遠のテーマである。本書は、遺伝子や細胞のレベルで解明された科学的成果を踏まえて寿命の謎に迫っている。
最近の研究では、寿命の決定にかかわる遺伝子の存在がわかってきた。「長寿性補償遺伝子群」といって障害を受けたDNAを修復したり、有害な因子を消去、除去する遺伝子がたくさんある。操作すると寿命が延びる遺伝子も発見されている。
遺伝子だけでなく、老化や寿命に大きくかかわっているのはカロリー問題である。実験動物に腹いっぱい餌を与えた時の70パーサントまで減らすせ寿命が大幅に延びることがわかってきた。「腹八分目」 の効果は、下等動物まで幅広く実証されている。 カロリー制限が寿命を延ばすのは、ある特定の酸素と遺伝子に関係していることがわかってきた。
『思春期の危機をどう見るか』(知恵の森文庫・光文社)尾木 直樹/定価(780円+税)
今日の子どもたちを取り巻く環境の最大の変化は、何だったのか。それは、社会全体が思春期の特徴をよく理解して、受容し成長させる力量を急速に喪失しつつある。子どもが大人として自立するためには、彼らのふくらむ自尊心を大切にし、主体性に任せる寛容さと、激しい心の揺れに、とことん伴奏する忍耐強い愛情に満ちた柔軟性が不可欠であると、著者は強調する。
今日の思春期における発達上の危機は、バブル崩壊以降の日本の社会・経済構造の大きな変化が、雇用制度や日本人の平等意識などを根底から揺るがしている。そのことが思春期の子どもたちに、将来への夢や希望を抱きにくくさせていることも大きな問題である。本書は、これら思春期をめぐる今日的な問題をどう見ればよいのか、また打開の糸口は、どこにあるのかについて解明している。最も大切にしたいことは、いかなる場合にも「子どもの目線」に立つという原則であり、思春期の複雑な心に寄り添いながら考えるということである。
『左右額への招待』世界は「左」と「右」あふれている(知恵の森文庫・光文社)西山賢一/定価(571円+税)
ある県警で警官の人員配置を犯人の逃げる方向の左側に多く配置したら、検挙率が上がったという。人は道を選ぶとき左に回る場合が多いそうだ。美術館やデパートでも左回りを選ぶ傾向がある。左側の視野に飛び込むように商品を並べると、「衝動買い」も期待できる。左と右のテーマは、私たちの日常生活に深く結びついている。
※トラック競技や競輪や競馬で左右どちら回りに走っているか。※京都市の右京区が地図の左側に、左京区が地図の右側にあるのはなぜか。左右の違いが生まれる理由としては@私たちの身体に理由を求める。(利き手、利き足、利き目、利き耳など)A環境に求める。(地球が左回りに自転しているため、北半球では運動が右にそれる)B文化や制度に理由を求める。(トラック競技が左回りなのはかつてオリンピックで規則として決められた)
左右をめぐる話題、人間と環境と文化を結びつけていく。左右学は、人間と環境が共生を目指す21世紀を支えていく学問である。
『学校って何だろう−教育の社会学入門−』(ちくま文庫)苅谷剛彦著/定価(700円+税)
この本は「毎日中学生新聞」に連載した「学校って何だろう」をもとにしている。をもとにしている。
幼稚園から大学まで、日本全体で六万校以上の学校があり、そこで毎日何かの勉強をしている人たちが二千万人以上もいる。どんなに人気のあるアイドルだって、アニメだって、ゲームだって、これだけの人を一つの活動に導くことはむずかしい。
それをあたりまえのことのようにやってしまうところに、学校という仕組みの不思議な魔力がある。「学校って何だろう」という素朴な疑問からスタートして、学校のいろいろな面をとらえ直してみることで、私たちの考え方やものの見方、行動のしかたを、知らず知らずのうちに形作っている。学校のからくりや社会のしくみについて考えることができるようになる。
「自分の頭で考えてこそ、自分なりの答えにたどり着ける」それがこの本の出発点になると著者はいう。もう一度「学校とは何か」を問いつめる機会となる本である。
『9条と日中韓』(かもがわブックレット)加藤周一著/定価(600円+税)
戦後六十年間、日本人は九条のある憲法を変えないままで憲法とともに暮らしてきたが、もし、九条がなかったら何が起こっていただろうか。過去六十年間の日本現代史はまったく別の歴史になったと著者は言う。それは、1950年の朝鮮戦争、1970年前後のベトナム戦争、1990年代のイラクの湾岸戦争。日本はこれらに参戦しなかった。なぜかというと、九条が役割を演じたからである。
今九条を変えるということは、世界中のどういう地域でも自衛隊が戦争しやすく変えようという考え方であり、今の憲法は戦争しにくい憲法である。軍事的脅威が成立するための条件は、@相手方が日本を攻撃して、損害より利益が大きいとき。A攻撃の手段を持っているかどうか。この二つの条件を満たしている国が日本の周辺にはない。
日本の安全を保障するためには、今のところどの国とも関係がよくないから、それをよくすることが大事である。それが一番合理的な安全保障政策であると著者は強調する。
『義務教育を問い直す』(ちくま新書)藤田英典著/定価(900円+税)
日本の義務教育は間違いなく、いま重大な岐路に立っている。共生・共創原理を重視し、誰もが差別されることなく、互いに認め合い、高め合っていくことのできる学校と社会をつくっていこうとするのか、それとも能力主義と自由主義の衣装をまとったエリート主義・強者の論理によって教育制度・社会制度を再編し、そこに生じる諸々の差別や不平等を能力主義と自己責任論によって正当化しようとするのか、その岐路に立っている。
義務教育は、教育の基礎であり、子どもの生活・学習・成長の基盤であり、地域社会・国民社会の根幹に関わる営みである。その教育が歪み、機能的に低下するなら、子どもの将来も教育・社会の未来も危ういものとなる。
教育社会学の第一人者である著者が、義務教育の意義を問い直すことを出発点として《強者の論理》に従った改革プランの問題点を整理し、「公の営み」としての義務教育改革を提言する。
『いま、この研究がおもしろい』(岩波ジュニア新書)岩波書店編集部編/定価(780円+税)
この本は、さまざまな分野で今活躍中の研究者14人が、大学や研究所で日々どんな仕事をしているのかを伝えている。一人の人間として、なぜその分野に興味を持ち、研究に人生をささげることになったかが、いきいきと語られている。「社会をよりよくするため」「人がより快適に生きていけるように」という目標こそが学問研究の意味なのだということも、登場する人々の話から伝わってくる。
例えば、福祉工学では、排便の処理を助けてくれるオムツ交換ロボットができれば、介助や看護をする人たちの労力を少なくするばかりだけでなく、介護される人も気を使わなくて済むということで歓迎される。また脳の病気、とりわけ老人ボケなどの認知症を治療する薬の開発などをめざしている。「発見」とは、目の前に見えている事実の重要性に気づいてこそ「発見」である。重要性に気づくためには「問題意識」を持つこと。自分は何を知りたいのか、世間が何を欲しているのか、何がまだ解明されていないのか、どんな事実がわかればその後どんな道が開けるのか。こうした問題意識がなければ発見はない。
『格差社会をこえて』(岩波ブックレット)暉峻淑子 著/定価480円+税
生活者とは、人間らしい社会とは何かを問い、それを実現しようと行動する人たちのことであると著者は定義する。判断力は人間がもつ最大の宝であり、戦争や取り返しのつかない環境破壊は、すべて「人間としての判断」 の誤りから生じたものである。その判断の誤りは、元をただせば、人間生活を忘れたところから出ている。
日本の社会は、先人の努力をフイにして、ふたたび、不平等と格差への後戻りをはじめた。格差と差別は人びとの間を引き裂き、連帯と協力を不可能にする。格差と差別への逆コースは、戦争できる国への憲法改正、それと歩調をあわせての教育基本法の改正へとつながり、福祉の切捨てがすすみ、自己責任論が幅をきかせる。地方自治が力をもちつつある現在、生活者の拠点である地域に、人権を大切にし、誰も排除されない福祉社会をつくっていく人間的な協力こそが、格差と差別の暴力をこえた、人間連帯の社会をつくると著者は強調する。
『考えあう技術』−教育と社会を哲学する−(ちくま新書)苅谷剛彦・西研 著/定価780円+税
80年代以降、目につくようになった、いじめ、不登校、高校の中途退学者の増大。こうした問題に対応すべく、文部科学省はいったん「ゆとりと生きる力」を標語とする教育改革を推進したが、学力低下の懸念が強くなると、「基礎・基本の確実な定着」を唱えて方針転換といった迷走ぶりがあらわになった。
教育の目的は何か、学校の役割はどういうものかという本質的な論議が乏しい。
教育とは、子どもを「社会の成員(大人)としてふさわしい存在」 へと育て上げていくこと。「ふさわしさ」 は、@技能と知識A他者との関係能力であると述べている。
世代を超えて学び合うこと、わかりあうことが「私たち」が利口な世界を作り出すうえでも大事である。想像の共同性のルール作りに欠かせない力量を子ども達に身につけさせるにはどうすればよいのか。その共同性を大人達自身が明確にデザインするのが先決だろうと著者は強調する。
『景気とは何だろうか』(岩波新書)山家悠紀夫 著/定価700円+税
景気がよくなっても暮らしは良くならない。日本経済はそういう構造に陥りつつある。
景気と暮らしが連動していたのは、1990年代半ばまでのこと、暮らしが良くなることを景気の回復には期待しない、今は割り切りが必要なときがきている。
資本主義の波が生じる原因は、次の3つの力が働いている。@市場経済の本質から生まれる力A1つの経済圏に働く外部(海外)からの力B政策(主として財政政策、金融政策などの経済政策)の力が働いている。
暮らしが良くなるためには、@所得が増えることが必要 A雇用が安定することが必要。 B年金・保険制度、福祉政策、教育などの不安が軽くなることが必要である。
景気が良くなったからといって@所得A雇用B物価C労働時間D所得格差E環境 Fその他(食糧自給率など)の指標がよくなれば景気も良くなっているのであろうことは、充分に自信を持っていえると著者は強調している。
『安全と安心の科学』(集英社新書)村上洋一郎 著/定価680円+税
2004年は社会の安全という面から見て、数多い台風の上陸、新潟中越地農、大津波、美浜原子力発電所の蒸気漏れ事故、三菱ふそうのトラック・バス事故などが起こりました。
事故は起こさない方がよいし、被書は少なくする方がよいのが大原則です。リスクというのは、起こる確率を人間の手で減らすことができる危険、あるいは万一起こってしまったらその被害を減らすことができるような危険のことを指しているそうです。
科学・技術も、人間の特性が生み出したものです。この努力はまた犠牲の上に成り立っています。自然災害であれ、人間の営みのなかで生まれた危険であれ、それに立ち向かうとき、過去に起こった多くの犠牲者や損害についての情報こそ、この上もない宝物である。それを学ぶことのなかに、前進の根拠がある。
この本は、人間のもつ「リスクに立ち向かう」営みについて考えた本である。できることは何かを探し出し、一歩でも前進しようとすること、そして時に人間の力の卑小さと自然の力の大きさの前に頚を垂れること、この繰り返しこそ、人類が刻んできた歴史そのものであると著者は、強調している。
『ナンバのコーチング論』次元の違う「速さ」を獲得する(光文社新書)織田淳太郎著 著/定価720円+税
著者は「コーチ論」 「ナンパ走り」 (以前紹介した本)などを書いている。
本書は、「いかに速く走るか」を主なテーマとしたインフィクションであり、そのための技術書でもある。「速さ」 を獲得するための方法論に関しては、最新のスポーツ科学である「二軸(常歩) 理論」 (京都大学の小田伸午が提唱している) からのアプローチを中心に展開しているが、それ以外に忍術や中国武術、さらに今流行のナンバ的な身体運用法からのアプローチも加えている。
本書の特徴は、合理的かつ効率的な「走り」と、野球や剣道、ボクシング、バスケットボールなど他のスポーツパフォーマンスとの密な関連の一端を明らかにしている。
本書で一貫して強調しているのが、自然体である。自然体はリラックスという意味に繋がるが、本文では、(脱力) (抜け) (抜き) (緩み)などの表現を使い、そのための方法も紹介している。
『ネット王子とケータイ姫』(中公新書)香山リカ+森健 著/定価700円+税
ネットはなんと言ってもパソコンというマシンを操作しなければならず、「機械は苦手」と躊躇する少女たちがおおいことが最大の原因になっている。
しかし、それだけなら「ネットもケータイも」という少年がもっといたり、ケータイとはいえ器械なので手を出さなかったりする少女がいたりしても不思議はないが、「ネットは少年、ケータイは少女」というすみ分けはかなりはっきりしているように見える。いま少女たちにとってケータイは、友達の連絡を取り合うための装置というよりは、「いつ嫌われるだろう」という不安や負の思い込みを少しでも打ち消すための確認装置になっているのかもしれない。肌身離さず携帯するのは、友達からのメールには瞬時に返信しなくてはいけないからだそうだ。
一方、ネットの世界では自分でキャラクターを作り上げ、「特別な存在」のまま振る舞うことも可能だ。ホームページを開けば「一国一城の主」にもなれる。そこを訪れた人はだれもが管理人である自分に敬意を払い、自分の裁量で掲示板の書き込みを消したり、採用したりもできるのである。
『パラサイト社会のゆくえ』(ちくま新書)山田昌弘著/定価680円+税
本書はパラサイト・シングルの現代的様相を含め、ここ数年に起こった社会的変化を読み解くことを目的としている。1998年の大不況をきっかけとして、何か、社会的意識、特に若者や青年層の社会意識に「構造的変化」が生じたのではないか。つまり、1998年問題とは、将来の生活の不確実化に直面し、その不確実化に耐えられない人が起こす問題と考えられないか。近年増加している青少年や若者男性が起こす凶悪犯罪、特に、無差別に起こすものに動機が理解できないものが多い。若者はそれを「やけ型犯罪」「自暴自棄的犯罪」「不幸の道連れ型犯罪」などと呼んでいる。98年は、自殺者は2万人から3万人に急増している。「自分を必要とする存在」がいると思えば、いくら苦しくても、人間、自殺の実行まではしないものである。
「ハリーポッター」シリーズは、今、先進国の置かれてる状況、それも「教育」や「家族」をある意味で反映している。魔法使いの世界の学校は、我々の社会の理想の学校の姿、教育の姿を表している。この物語を読んだ子どもは、現実の学校や家族の世界をどのように思い返すのか。
『「個性」を煽られる子どもたち』(岩波ブックレット)土井孝義著/定価480円+税
最近の子どもたちのあいだで、友達との関係が非常に重くなっていて、友だちから悪口を言われたとしても、それを無視したり、笑い飛ばしてみせることが出来ない 「友達関係の重さ」に追いつめられた子どもたちのすがたがある。
親密圏における子どもたちのふるまいがへ 「素の自分の表出」から「装った自分の表現」 へとシフトしているのに対して公共圏のそれは「装った自分の表現」から「素の自分の表出」 へと逆にシフトしている。
子どもたちの親密圏で、高度に配慮し合う人間関係が広がっているのは、相手への思いやりが強まっているからではなく、スムーズな人間関係をいかに保ちつづけるかにある。 子どもたちは、仲間から「ハズれるのはヤバイ」と感じ、お互いに気を遣いあって、自分だけ周囲から浮かないように心がけている。子どもたちの間に内閉的な個性志向が蔓延してきているのは、私たち大人側のメンタリティの反映でもあると著者は強調している。
『パニックと危機管理』(平凡社新書)村上直久著/定価740円+税
「飽食の時代」にあってここ数年、食の安全性をめぐる騒ぎ、混乱が世界中で頻発するようになった。米国でのBSEの発見、アジア各地での鳥インフルエンザの拡大は、日本の食の危機管理体制を揺るがし、食卓を脅かそうとしている、食をめぐる過去数年間の騒ぎの原因は、食品の生産者や流通業者が生産性や収益を追求するあまり、消費者の視点を軽視するようになったからだ。また、農林水産省も、消費者の生命と健康を守ることに新たに軸足を移すという行政目標の転換を怠ってきた。
本書は、食の危機を一歩先に経験し、対応も少なからず日本に比べて先行している欧州からどのような教訓を得られるか、欧州ではこれまでどんな食品汚染騒ぎがあったか、欧州委員会と欧州食品安全庁(EFSA)を中心とする新たな体制下でどのような対応が行われているかを検証・紹介しつつ、食の安全をどのように確保していけばいいのか、欧州の視点から書かれたものである。
『足が未来をつくる』<視覚の帝>国から<足の文化へ>(洋泉社新書)海野弘著/定価740円+税
私たちが世界を捉える感覚は、一口に五感と言われている。視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚である。視覚と他の四感の間には決定的な差がある。人間において視覚は飛び抜けた発達を遂げ、私たちは視覚中心の文化に生きている。私たちに入ってくる情報量の70%は視覚から入ってくると言われる。
目と足はどんな関係があるのか。目は身体の上部に、足は下部についている。足は地面に着いていて、目は地面から離れて、高く保たれていなければならない。見るためには、距離を作り出す足が必要なのだ。目の文化は空間的、間接的、上方的、表層的であり、足の文化は、瞬間的、直接的、下方的、深層的である。歩くことは、移動の方法であるが、歩くことで、新しい考えを生み出すのであり、人間にとって歩くことは、目的的なのである。
ウォーキングのリズム、ゆったりしたペースが、見ることと、考えることことの両方を可能とする。今、目と足の新しい連携の試みが始まりつつある。
『習熟度別指導の何が問題か』(岩波ブックレット)佐藤学 著/480円+税
「習熟度別指導」が小学校74%、中学校67%に急速に普及している。文科省の意識調査では、「授業の理解度によるグループ分けについて」において「子どもの学力の差が広がるのではないかと不安」という項目に、保護者の42%、教師の57%あげている。さらに、「習熟度別指導」より「いろいろな考えの手どもが一緒に学ぶ機会も大切」という項目に保護者の89%、教師の49%に達している。
本書は、第一に「習熟度別指導」がいかに時代遅れの方法か、世界の国々の教育比較から明らかにしている。次に「習熟度別指導」はいくつかの素朴な思い込みを前提として導入されていることを挙げている。
著者は、「習熟度別」に対する対抗的な学びとして、多様な能力や個性や文化をもつ子どもたちが協同で学びを創造する方略について提案している。「協同学習」の有効性はソビエトの心理学者ヴィゴツキーの「内化」の理論と「発達の最近接領域」の考え方によっている。
『ナンバ走り』古武術の動きを実践する(光文社新書)矢野龍彦、金田伸夫、小田淳太郎著/700円+税
難解な吉武術の動きを様々な分野に応用して取り入れているコーチ陣が豊富な実例を基にわかりやすく解説している。実際、「ナンバ走り」をアレンジすることによって走力を飛躍的にアップさせたアスリートが世界に存在する。これまで長きにわたって、速く走るためには「股を高く上げて、地面を強く蹴り、腕を大きく振る」といわれてきた。しかし、中国の長距離界のエース孫英傑、シドニー五輪金メダリスト高橋尚子、200mの末續慎吾、400m世界記録保持者のマイケル・ジョンソンなどの腕の振りはみんな小さく、肩は前後に振らないで、肘から先を振り下ろすという特徴を持ち「省エネ走法」になっている。また、桐朋バスケットボール部が編み出した古武術的身体技法の数々も紹介している。他には、プロ野球のここ数年の首位打者のほとんどが右投げ左打ちが多く、利き目は右目に多く、球筋を手元までしっかり見極めることが出来るという利点につながっているそうだ。
『食の世界に今なにがおきているか』(岩波新書)中村靖彦/740円+税
02年は日本の食の安全性を問われる事件が次々におこり、消費者の不信感がこれまでになく高まった年であった。
違反の性質は大きく分けて2つ。1つは、企業のモラルが問われる偽装事件が中心になる。もう1つは、消費者の健康に直接影響を及ぼす事件、使用が認められていない農薬を使った農産物の流通などである。今回の一連の事件は内側の人間にしか食の供給者の実態は分からない仕組みができあがってしまっている。
著者は、食料生産や研究の現場に足を運んで、いま食の世界に何がおきているのか、BSE対策、遺伝子の組み換え食品、イネ・ゲノム解析競争、サプリメント・現代の食の断面など身近な食材から検証している。
『健康病−健康社会はわれわれを不幸にする−』(洋泉社)上杉正幸 著/720円+税
現代日本人の中で八割以上の人が「自分は健康である」と思っている。
「異常のない状態が健康だ」という考え方は、大多数の人々に見られる健康観であるというだけでなく、社会的にも受け入れられ、保健・衛生施策の推進や医学の発展を支える健康観にもなっている。人間ドックや健康診断の基準値で、健康であるか、ないかが決められている。何が病気で何が病気でないかを決めるものに絶対的な基準はなく、病気を判定する正常値、異常値も恣意的なものでしかない。
生き甲斐を持って生活している自分を見たとき、人は自分が健康だという実感を味わうことができる。健康と生き方を考えるとき「太く短く生きるか」「細く長く生きるか」「細く長く」は、健康のためならやりたいことも我慢する考え方が強く、「太く短く」は、自分の夢や希望をもち、その実現を目指して、やりたいことをやり通そうとする生き方で、まさに健康的な生き方だと思う。
『言語の脳科学〜脳はどのようにことばを生みだすか〜』(中公新書)酒井邦嘉 著/900円
著者は、学生時代に物理学を専攻しその後、連伝学・大脳生理学・心理学と広範な研究をしてきている。
今は、言語学のチョムスキーのグループと協力して、書簡の脳科学の牽引車となっている。チョムスキーの考え方は、「発生の仕組みで体ができあがるのと同じように、脳に(言語器官)があって言語も成長に従って決定される」となる。現代の脳科学は、人間は何を考え、また心が動いた時に脳のどこがどのように活動するかを手にとるように観察できるようにした。このことから、脳の(言語器官)の実体が明らかにされてきている。
著者は、言語は心の一部としてとらえている。第12章の言語獲得の謎、言葉はどのようにして身につくかは、特に参考になると思う。
『人間回復の経済学』(岩波新書)神野 直彦著/700円
20世紀から21世紀にかけて、日本は「構造改革」「構造改革」と絶叫し、強者が強者として生きていく競争社会をめざしてきた。そうした構造改革は人間の社会を破局へと導きつつある。人間への信頼や人間のきずなが喪失し、凶悪な犯罪、自殺、麻薬など社会的病理現象には枚挙のいとまがない。人生は80年だとすれば70万時間ある。生涯労働時間が4万時間になると残り66万時間が、人間が自然制約から逃れて、人間として自由に生活出来る時間となる。自由時間とは本来、人間が人間として幸福を味わう時間である。人間とふれあい、愛し合い、学び合い、ともに遊ぶ、それによって人間の文化的豊かさを体験しつつ、人間としての能力を発揮して人間の文化を創造する時間である。未来をあきらめてはならない。人間は未来を構想し、創造することができる。著者は力強<述べている。
『胎児の複合汚染〜子宮内環境をどう守るか〜』(中公新書)森 千里著/720円+税
著者は、単独の化学物質による胎児への影響を取り上げた研究はいくつかあるが、環境中の複数の化学物質による複合的な胎児の汚染について調べた研究が世界的にないことを知り、研究の必要性を痛感したと述べている。
本書は、胎児の発生・発達過程が基礎からわかりやすく解説されており、子宮内で胎児が化学物質に暴露されると胎児の器官の形成に重大な影響が生じ、その胎児が出生後、さらには成人になってから様々な問題が発生する可能性が読者によくわかるように書かれている。
環境ホルモンの問題は因果関係が黒と断定されてからでは遅く、灰色の段階でも情報公開を行いつつ社会全体として対策を講じていく必要がある。これからの環境教育の実践に参考になると思われる。
『どうなる世界、どうする日本〜9月11日のかなた〜』(かもがわブックレット)加藤 周一 著
21世紀の最初の年の9月11日に起こったのは、反米テロリズムである。攻撃されたのは 「世界貿易センター」「ペンタゴン」(米国防総省)テロリストの立場から言えば成功しなかった「ホワイトハウス」つまり、米国の経済力、軍事力、政治力の象徴の三つの権力の中心部をねらつたものである。
次に、なぜ、誰がやったのか、それが反米に集中してくる傾向があるのはなぜだろうと、問題を投げかけている。パウエル国務長官自身、戦争というものは、対テロリスト対策としてあまり有効な手段ではないと認めている。
著者自身、日本の選択としては、軍事力中心主義から離れ、日米安保を解消していく方向が望ましいと言っている。また、テロリズムをなくすことは出来ないが、平等で公平な立場で話を持っていく状況をいかに作っていくかが一番大事で、そうすれば、確実にテロリズムは減ると述べている。(10月号 支部ニュースNo.310)
『不安社会を生きる」(文春文庫)内橋克人著 定価476円+税
1999年度 「国民生活選好度調査」 (経済企画庁)によると「自分たちの暮らしは良い方向に向かつているか」 との質問を受けて8割の人が「そうではない」と答えている。十年前、同じ調査で「良い方向に向かっている」と答えた人は5割近くにのぼっていたのが、今、将来に希望を見る人はわずか2割になっている。絶えることない企業不祥事、不滅の総会屋市民社会に敵対する企業行動などを見て、日々を懸命に生きる地上の人々はやり場のない焦燥感と苛立ちと孤独の中に閉じこめられ、自立とか自己責任とかの麗句によって追い立てられてきたのが、90年代日本社会の真実だったのではないか、と強調している。
「不安社会を生きる」には、私たちは「現実透視」の鋭い批評精神を杖とするほかない。現実から目をそらさず、空元気でない、ほんものの元気を望む人々への賛歌として一読してほしいと著者は願っている。
『「わかる」とはどういうことか』(ちくま新書)山鳥 重 著 定価720円+税
われわれは、どんなときに「わかった」、「いや、わからない」などと感じるのであろうか。このわかる・わからないという表現は、考えるからこそ出てくる言葉である。考えるというのはプロセスで、終結すると、わかった・わからないという比較的はっきりした心の変化を感じる。この本の第四章「わかる」にもいろいろある。第五章、「どんな時に『わかった』と思うのか」などが、時に授業研究に参考になると思う。
羊を飼う人たちは200〜300匹の羊を全部顔で覚えているそうだ。訓練すれば、我々の知覚はすごい弁別能力を発揮するそうだ。わかるとはどういうことか、認識の仕組みについて、誰にも分かつてもらえるよう、やさしくまとめたものである。
『市町村合併と地域のゆくえ』保母武彦著(岩波ブックレット:480円+税)
これまでの経済は、成長と効率をキーワードに一極集中型の経済システムをつくった。小泉内閣の『構造改革』は弱者を排除し、強い『競争社会をつくったため、信金・信組の破綻、倒産企業、リストラが拡大し、日本経済が沈みはじめている。
この危機を救う有効な処方箋の一つが、地域からの分権経済、社会システムへの組み替えである。第1は、自分たちの地域は自分たちで立て直すという自前の発展努力。第2は、都市と農村の連携をつよめ、地域づくりに活かす。第3は、地域における「共同」部分の再建。市町村合併の理念や目的が「効率」や「行政基盤の強化」に偏っている現在、今後の自治体建設および運営には、平和、基本的人権、住民福祉、環境保全、分権と住民自治が重視される。
『ケータイのなかの欲望』 (松葉仁著)文春新書 定価680円+税)
携帯電話が普及したために、ゲームセンターやカラオケボックスは閑古鳥が鳴いているという。携帯電話の通話料に、ただでさえ少ない若者の小遣いが取られてしまって、ゲームセンターやカラオケボックスに行く金がないそうだ。親友や恋人とのコミュニケーションに、ワンギリ(1回だけ着信音を鳴らすこと)を使っている若者の知恵がある。
iモードというのは、携帯電話でインターネットに接続できるサービスのことらしい。2001年10月現在、2800万人を超えている。2010年には、8000万件ぐらいと予想されている。これからのサービスとして、携帯電話が財布がわりに使え、クレジットカードの役割を果たし、定期券としても使え、ウォークマンのように音楽も聴ける。家電のリモコンの役割を果たし、位置情報で店やレストランまでナビゲートしてくれる時代が、すぐそこに来ているという。現代社会をさまよう欲望の正体を探り当てた、持つひとも持たない人ひとも必読の本である。(3月号 支部ニュースNo.304)
『新エゴイズムの若者たち−自己決定主義という価値観−』 (千石保著)PHP新書 定価680円+税)
日本社会は、1977年に価値観の大転換をとげた。「脱まじめ」主義であった。今年は2000年の大転換で「新まじめ」主義になったのだろうか。」日本の若者の「自己決定主義」は、アメリカよりフランスより韓国より強力に支持されていて、現代のイデオロギーになりつつある。「婚前交渉」も「結婚するかしないか」も「親孝行」も「社会貢献」も日本ではみんな「自分で決める」という。「自己決定主義」はエゴイズム、ワガママの温床にもなりかねない。しかし、一方で、社会的公的なものに貢献したいという自己主張もある。
本書は、90年代の「ガングロ」「援助交際」「フリーター」の現象から、新たな方向軸を示し始めた若者文化を検証している。
(2月号 支部ニュースNo.303)
『学力を問い直す−学びのカリキュラム−』 (岩波ブックレット) 佐藤学著 定価440円+税
文部科学省は 「基礎学力の徹底」 のために「習熟度別指導」 と「少人数指導」を導入し「学力低下」論の高まりを逆手にとつて、「義務教育の複線化」 を強引に進めている。習熟度別・能力別指導は、一九七〇年代に各国で精力的に取り組まれたが、大半が失敗に終わっている。欧・米の先進国では、習熟度別・能力別指導は、もはや存在しない。学びにおいて必要なことは、わからない(できない) ときに階段を降りて、下から昇りなおすのではなく、仲間や教師の援助によって、わかる (できる)方法を模倣し、自分のものにすることが大事であると述べている。教室の観察を続けていると、子どもたちの学び合う関わりが、教師の指導力の五倍以上の力を発揮していることに気づく。著者はこれまで一万近い教室を観察してきたが、教師一人の指導力で、低学力を克服した子どもは皆無といってよいが、子どもたちの学び合う関わりの中で、低学力を克服した子どもが数え切れないほど存在するといっている。
(1月号 支部ニュースNo.302)