’01.7.8


「3名人(有田・野口・向山)模擬授業」 に参加して
                〜研修報告 

                         

■ 主催   21世紀の授業をつくる会

■ 開催日  平成13年7月8日(日)10:00〜17:30

■ 会場   早稲田大学14号館201教室

■ 内容


T 「他人の授業をこう見る」
    ・有田が語る野口・向山両氏の授業・・・・・有田和正
    ・野口が語る有田・向山両氏の授業・・・・・野口芳宏
    ・向山が語る有田・野口両氏の授業・・・・・向山洋一
U 模擬授業
V 授業検討会
W 若手実践者の模擬授業(※電車時間が迫っていたため残念ながらここで退席)
 

 それぞれの内容に添って、三浦メモより研修報告を記してみたい。


HOME    NEXT

 

T @有田が語る野口・向山両氏の授業

 



 


 〜という資料の○ページに〜と書いている。したがって、私は〜と考える。
 



 

「資料活用能力」というものは、普段の授業の発言の中で見えるものだ。
子供らの発言は、ほとんど「単語」である。発言は、「文になるように」「文章にな
るように」指導すべきである。
 

 


野口先生曰く、「国語とは、文章をきっちり読みとることである。」
例えば、説明文を扱った場合でも、追究させることで読みが深まることも多い。
教科書というのは、全部を表していない。不完全な部分に「?」を持たせて、プラス
αを合体させていくべきだ。このあたりは、野口先生とは違う部分かも知れない。
 

 


国語の物語文「ごんぎつね」では、次の発問は大いに追究心を生んだ。
@「ごん」は何才? A「兵十」って何才?
 

 


こわいことは、他でもない。自分の力がないこと。
実力がないことほど、こわいことはない。
 

 


先生の実力を、子供はたった一時間で見抜いてしまうのだ。
向山氏との立ち会い授業を思い出す。
我がクラスの子供たちは、口々に言った。
「今までで(向山先生は)最高の先生だった。」「有田先生、負けてるよ。もっとが
んばんなさい。」と。
 

※ そう言える有田学級の子供たちも「すごい!」と思う。(三浦)


教師は、「教え方のプロ」らしくはなってきた。しかし、「教える内容のプロ」では
なくなってしまっている。
 

 


「総合」は、内容と方法を創意工夫しなければ、成り立たなくなっている。
 

 


「斎藤喜博」のみだったことを「とび箱はだれでもとばせられる」と向山氏が教育技術を一般化したこと、このことは、当時自分しかできない授業を目指していた私をガーンと打ちのめした。
 

 


研究というのは、一般化できねば研究とは言えない。
だれにでもできる教材、だれでも使える技術を向山は確かな物として広めた。
 

 


いいものは広まるのである。いいもので広まらないものは、存在しないのである。
 

 


さらに言えば、向山しか、野口しか、有田しかできぬものは存在しない。
 

 


向山の授業で言えば、2分の1の「ー」や筆算ですらもきちんと定規を使わせるとい
うこと、このようなきめ細かい指導が大事だと言うことを知らない教師が多すぎる。
 


向山の授業と言えば、てふてふの「春」。「桃太郎」の要約指導は秀逸である。
私もすぐ追試させてもらった。
 

 


向山氏は、線で先を読む。1000手先を読む。
コンピュータゲームの将棋では、1億手まで読めるようになっている。
しかし、名人は、1億3手先を読む。
向山氏は、まさにそれである。
 

 

HOME   BACK   NEXT 

 

A野口が語る有田・向山両氏の授業


授業というのは、分かちがたくその人間と結びついているものである。
 

 


全て共有できるかというと、そうではない。
どんなに共有化しても、有田・野口・向山、その名前に残る授業が存在するのだ。
 

 


「国語教育」(明治図書)の「ごんぎつね」論文のたった1ページに書いたことから
向山氏に目を付けられた。それが、出合いの元である。
 

 


私に言わせれば、向山さんは、「伯楽」「ばくろう」である。
 

※ 「伯楽」・・・・筋のいい馬を見分ける力のこと。転じて、人物を見抜く眼力のある人のことを言う。


初めてお会いした向山氏は、ネクタイをきちっとし、正座をし、礼儀正しき人であった。
 

 


授業は、一つの現象なのである。
その後ろに、人間観・世界観があるのだ。
 

 


法則化運動は、教育技術の一般化を目指したものだが、法則化の本質とは、その人の人格の錬磨・哲学の涵養をふまえて、初めて技術が生きていくというところにあるのだ。
 

 


岩根小フェスティバル(h8.校長時代)は、実に贅沢な研究会であった。
この開催の言い出しっぺは、私ではなく、向山さんだった。
 

 


この研究会で自ら授業をし、人間的に深い感動を与えるものを「力のある教材」と言ったのは、向山氏である。
 

 


かかる人間にして、かかる人間がある。
小手先の技術だけであっては、本当の教育はできぬであろう。
 

 


研究会や講演会などにおいて、教育の語りというのは、大方暇なものである。
しかし、この人だけは違った。世の中には、これほど話の上手な人がいるのかと思った。
それが、有田氏であった。
 

 


5分に1回は、笑わせるユーモアのセンスは、多くの教師の学ぶべきものである。
 

 


有田氏のすばらしい実践の数々を技術として取り入れ、追試しようとしても、そこに
はやはり限界がある。いわば技術主義の限界である。
授業というものは、精神的なものが支えになっているものである。
それは、技術を支える哲学であったり世界観であったりする。
そうでないと、子供は、教育の盲点を告発し続けるのではないだろうか。
 

 


有田先生の授業と言えば、まず、これであろう。
 「材料7分に腕3分」
 

 


第二に、授業における「ユーモア」である。
 

 


第三に、知的挑発による「とぼけの妙」である。
「先生は、うそつきで何にも分かんないから、僕たちが調べて教えてあげなくちゃ。」とさせていく、乗せていく技術である。
 

 

HOME   BACK   NEXT

 

@向山が語る野口・有田山両氏の授業


教育というのは、家庭=学校=社会で成り立っている。
だが、教育基本法には「家庭教育」がない。
社会教育と書いてあって、その下に(  )とあって家庭教育と書いてある。
ここが、大問題である。
 

 


例えば、「漢字教育」。
漢字かな交じり文は、世界最低の言語であるという認識の元、戦後の国語教育の戦略が始まった。音声による言語、例えばローマ字。それこそが国字であるという考え方が広がった。
しかし、現在に至っては、漢字こそ世界最速の言語である。
 

 


現在の日本の国語教育においては、「読み・書き」をいっしょに同じ時に教えている。
「読み・書き同習」である。これは、実はきわめて稀なことなのである。
例えば、現在の中国では、多くを読み、少なきを書くといったものである。
今年から全中国では、4月,5月,6月のわずか3か月で1500文字を読めるよう
にするという政策をとっている。
 

 


「鳩」「鷺」「鳥」どれから先に教えるか。
当然、「鳩」「鷺」から教える。「鳩」「鷺」は、図で示せる。「鳥」という鳥はいない。
「鳥」は抽象概念である。子供にとっては、「鳥」の漢字の方が難しい。
具体的事象の方が教えやすいのである。
 

 


「6歳から文字の学習を教える」これでいいはずがない。
はっきり言って手遅れである。
学校に入るまでに、最低限の読み書きができることは当然でなければならない。
ここに幼児教育の必然性がある。
家庭教育の大切さが問われている。
 

 


0〜3歳は「親の愛の無償の時代」,3〜6歳は「お手本の時代」,6〜12歳は
「教科書の時代」である。
 

 

 

 
「漢字」と「かな」どっちが難しいと問われたら、「かな」なのである。
漢字の方が認識しやすいのである。
「I go to ザ・山」というように、漢字英語交じり文を今後広めたい。
 

 


当時、私が出合った有田・野口・伊藤(つね?)の実力は群を抜いていた。
心から尊敬できる3人に支援してくれるならば、他の多くの人を敵に回してもいいと
さえ思った。
 

 


有田先生、北俊夫先生は、抜きんでた社会科実践家であることは間違いない。
有田先生は「足」「しつこさ」「こだわり」にその凄さがある。
現実の事実を一つ一つ大切にしながら授業へと導いていく。
 

 


初めて出合った「なるほど。子供の解の方が深い。」という野口論文の最後の文が忘れられない。
 

 


野口先生と言ったら「うとてとこ」。この授業のすばらしさは筆舌にがたし。
これ以上の卓越した詩の授業は未だ出ていない。
 

 


たとえば「一つの花」という教材。「ひとつだけ、ちょうだい。」これが、ゆみこの
初めて覚えたことばであるという解に対して、こんなわけない!と軽快に言葉の事実に注目する授業解釈・教材解釈には、揺れがない。
 

 


自分の仕事に誇りを持ち、決してごまかさず、子供の事実のみを見つめ、一歩一歩神様にしかできない仕事を人が授かった。それが教師という仕事。
 

 

HOME   BACK   NEXT

 

U 模擬授業

 

 模擬授業の順番は、万座の中、三方のじゃんけんで決められた。

 @向山氏A有田氏B野口氏である。

 以降、一人ずつメモをもとに、コメントを加えながら簡単に授業の流れを記していくことにする。

 

 

<向山氏の授業〜算数4年わり算>


久しぶりに、向山氏の模擬授業を拝聴した。
とにかく、水の流れのごとしである。テンポ良く淡々と進んでいく。
きつい一言もあるのだが、なぜか口調は柔らかく心にやさしく響く。
天才のなせる技であろう。これは、まねしてもまねできない。だからこそ名人芸なのだろう。
 

□1。問題があります。

・いっしょに読みます。さん、はい。

・算数ができるようになるためには、きれいにそろって読めていなくてはなりません。

・もう一度。さん、はい。

・とっても上手です。

・しかし、最初一人ずれています。終わりに二人ずれています。もう一度。さん、はい。

・やればできるじゃない。

・式を教科書に書きなさい。

・全員で一緒に読んでごらん。

・21の次に=と書いた人、手をあげてごらん。

・=と書いたならば、その答えまで書いていなければ×です。=で終わっているならば、式は不完全です。

・次に、計算の仕方を考えましょうと書いてあります。

・今の式を筆算でやります。

・ABどちらに立ちますか。

・「たてる」そのあとは、かけます。

・その次は・・・「うつす」

・「たてる」「かける」「うつす」はい、いっしょに言ってごらんなさい。

・21を34の下にうつします。

・その次に何をしますか。そう、「ひく」ですね。

・はい、その次に何をしますか。

・「おろす」

・はい、2をおろしてごらん。


「一つ一つ分解してやる」これでできない子もできるようになるのだ。
 

・次はどうしますか。

・「かくす」1と2をかくす。指で!13の中に2はいくつありますか。


いわゆる「指のマジック」である。指一本で驚くほど簡単になる。
 

・はい。6をたてます。

・そして「かける」「うつす」「ひく」

・これを読んでもらいます。


向山氏は、ここで徹底した読みの指導を行っている。一字一句も違っていたら認めない。
何度でも言わせ習熟を図る。
以下、流れるように進み、練習問題を解かせ、例によって3問目に○付け、そして板書させて発表させた。
 

 

HOME   BACK   NEXT

 

 

<有田氏の授業〜鉄道から歴史が見える>


向山氏も言われるように、有田先生の授業の骨格は、「こだわり」と「しつこさ」で
ある。1枚の資料から次から次へとびっくり箱のように新たな「?」を生みだし、追
究させていく。見ている自分も時を忘れ、ぐいぐいと引き込まれていった。
 

・この図は、何か分かりますか。(鉄道地図)

・何の線路でしょう。(新橋〜横浜間の鉄道)

・いつの頃の物でしょう。(明治5年9月12日)

・このころの出発の合図は、何でしたでしょう。(太鼓。翌年から鈴になった。)

・ところで、長さはどれくらいでしょう。(29km)

・29kmに4つの駅があって、53分で走りました。当時歩いたら10時間。人力車だと7時間かかったと言われています。

 さて、当時53分で走った電車を見た人々は、どんな感想を持ったでしょう。

・夢の超特急列車。今で言ったら、新幹線よりすごいのです。

・もっともスリルがあったのは何でしょう。

・木の橋だった。617mの木の橋。鉄橋なんて無かったのです。これは、日本の大工さんが作ったのです。

・当時は、イギリスなどから資材を運ばなければならなかったのですが、それには1年かかる。待てなかったのです。

・ところで、トンネルや踏切はあったんでしょうか。

        踏切はあった。しかし、トンネルはなかった。この鉄道地図の赤いところ。ここは何か。

        実は、海の中。盛り土して作ったのです。どうしてこんなことしたのか。

・土地の買収がうまくいかなかったのです。つまり、日本中が反対したのです。

        当時の人たちは、鉄道を造るのに何故反対したのだろう。その反対の理由を3つあげよ。

        決定的な理由は、次の「3つのない」であった。(@金A技術B必要性)

・それでも、がんばったのは何故だと思うか。

・世間の反対に屈するくらいなら、維新政府の改革などできるはずはないと考えての行動である。

・このことについて、アメリカは、いっさいアメリカ持ちで作ってやろうと言ってきました。しかし、日本政府は、これを断ったのです。どうしてか。

        それなのに、調べていくとイギリスからは借りた。これはいったいどういうことなのか。

        イギリスは植民地主義のさいたるものであったが、当時植民地主義を捨てた。

 近代的な貿易国としてお相手したいと、当時の情勢をかぎ分けて、日本政府はアメリカではなくイギリスを選んだ。鉄道を他国が作ると言うことは、これ即ち植民地の礎になると言うことである。イギリスの国家の変化をかぎ取って技術と金を借りたのである。お金の援助は現在で言えば886億円と言われる。これは、日本の国家予算の3分の1にもあたる。それほどの大きな援助であった。参考文献を調べると、かなりハードな業務であった。過労死したイギリスの技術者もいる。エドワード・モーレルという人の墓が横浜の外人墓地にある。

・それにしても、何故にこんな苦しい状況をはねのけてでも、急いだのか。

・当時、世直し一揆が113もあった。

 このままでは、明治政府は滅んでしまう。明治政府ってなかなかやるじゃないかという権威を国民に示し、驚きと衝撃を与えたかったのである。

 これは、廃藩置県と同じくらい価値があった。一世を風靡し、文明開化とは何かをしらしめるためのものだった。

・ところで、このことを命がけで取り組んだ人はだれだと思いますか。

・私はここの会場入りするときに、その人に会ってきましたよ。

・その人にあって確認してきました。

・そう。ここ早稲田大学を作った人です。大隈重信です。当時彼は大蔵省にいて、伊藤博文といっしょに作り上げたのです。

・余談になりますが、彼(大隈)が、こんなこと言っている。「我が輩の一世一代の失策であった。」それは何かというと・・・鉄道のレールの幅を狭くしてしまったこと。

・また当時おもしろいことに、乗車の際、これをすると罰金というきまりもあった。

 それは、おしっこ10円。おなら5円であった。

 当時の乗り賃が、1円12銭5厘だから、相当高額な罰金と言えるだろう。

 

HOME   BACK   NEXT

 

 

<野口氏の授業〜詩の鑑賞指導>


野口先生の授業は、一言で言って「向上的変容の連続的保障」につきるだろう。
「読解というものは、正確な読解力を伴ってこそなし得る物。それなくして正しい鑑
賞などできやしない」という硬派な理念の元、切れ味の良い鍛える国語授業を展開する。
小気味いいほど、ばっさり切っていく手法と絶妙な語り口は、未だ絶品の名人芸と言わざるを得ない。
 

(教材文)


ほのぼのと 目を細くして
抱かれし子は去りて
より幾夜か経たる
 

 

・読んでもらおう。ただ読めばいいんじゃないよ。精一杯最高の読みで読んでごらん。

・この詩を読んだイメージをズバッと一言で言ってください。

・読解鑑賞は自由でいいんだ、だから、教師が解を押しつける、これは授業とは言えない。 冗談じゃない。

・話者と子との関係をズバリひと言で書いてごらん。

・まだの人?早いねぇ。

・「父(母)と子」「祖父母と孫」「それ以外」だね。

・よーくみてみなさい。自分を疑ってみるという勇気が大事。

・「目を細くして」とは、どういうことだ?

・「ほのぼのと」とは?

・どうして「幾夜か経たる」なのか。「幾日か経たる」でもいいじゃないか。

・読者は文脈に添って考えるべし。「ほのぼのと目を細くして抱かれし子」って何才ぐらいですか。

・「去りて」は意識的、「幾夜か経たる」の「か」は係助詞、「経たる」は「経たり」の連体詞である。

・この詩は、斎藤茂吉作「赤光」という中にある。三連作の中の一つ。

・実は20才代である。

・「幾夜か経たる」という切実な哀別の情である。

・大変色っぽい詩なのである。

・露骨にして大胆。しかし、極めて細心な技法である。感覚的でありながら、肉感的でない官能表現である。

 

HOME   BACK   NEXT

 

 

V 授業検討会

(司会)樋口雅子氏

○ 明石氏(千葉大教授)の採点

  大学では60点可・70点良・80点優であるとしたところで、私見の評価を述べた。・向山氏・・・90点

・有田氏・・・80点

・野口氏・・・85点

 

○向山氏の授業について

・内容・方法の基礎基本をしっかり押さえつけた授業である。

・きちんと書いて説明させること。ここが優れている。これが子供に力をつけていく。黒板に書かせて個別評価し、些細なところに目を向けさせている。(以上 有田)

・「Aにたちますか。Bにたちますか。」この程度で充分。突っ込んでやらなくていい。

・「手でかくしなさい。」「指でかくしなさい。」は絶対に分かる方法である。

・補助計算は必ず横に書かせる。わり算は、「たてるかけるうつすひく」である。

・一つ一つのシステムと意味づけがしっかりなされていなければならない。

・読み方もきっちり教える。教師自身ができないのに、子供ができるはずがない。

・「待つ」ことはダメ。

・教科書を教える教師は、一万人に一人もいないと思っている。

・人間の脳の中には、専門的なことがパターンとして2万5千〜10万入っている。その中から1つ選び出されて授業として表れるのである。

・熱心に努力した10年間があって初めてできる。(以上 向山)

・「向山型算数」は、とっても新鮮だった。

 かつて、大事にされてきた文化を新たな装いと整理を加えて、授業として構築化されたものである。

・単純かつ明確な言葉を教え込むことで、無駄な混乱のない物としている。

・新しい授業と言うより、今までないがしろにされてきた、かつて大事にされてきた文化をきちっと整理し、装いを新たにして提示した授業と言える。(以上 野口)

○有田氏の授業について

・一枚の資料から、他の地域の鉄道のでき方をきちんと想像させることができる。理解させることができる。そして、歴史的な見方・考え方といったものを育てていける。

たとえば、今昔の相違や因果関係の見方など。(有田)

・具体的な事実をどこまでも追究分解していくのが有田先生の最大の特徴。

・相当にしつこくやらねば、「追究の鬼」どころか「追究の虫」と言われるまで大変なことだ。

・向山は与えられてくる条件を切り刻んでいって、そのあと分析・分解していって、分類し整理を加える。

・レベル1「〜がある」という事実、レベル2「〜が多い」という分布、レベル3「時間は?いつ?どこ?」という指定といった具合である。(以上 向山)

○野口氏の授業について

・国語の教材解釈はとても難しい。どうでも解釈できる資料は、社会では×。きちんとしたデータこそ命である。(有田)

・アダルト向けの授業であった。「子」という言葉が問題である。私自身ぶったまげてしまった。「子」は少女であった。自分でも読んでいて3才程度であると思った。

しかし、解説書を読んでショックを受けた。

 国語は、いつでも文脈に規定される。(以上 野口)

・連作の中の位置づけの妙である。あの通り読むと、我々の解釈が正しい。(市毛)

・やはり生活環境から解釈していくと思う。自分の生活経験から来る物でないか。

・国語の力ってどうやってつけていくのか、毎日の授業の中でどれだけ力をつけていったのか絶対評価で評価して行かねばならない。

 作文などは、もっとも難しい教材であるとともに、見直さなければならない時期に来ている。(以上 江部)

 

○教室に入ったとき、どこを見るべきか。

(野口氏)

 授業こそ全てである。それ以外は興味なし。

 @新しいどんな学力を形成したのか。

 A工夫があるか。無駄がないか。

 B雰囲気やその人が持っているもの。

 

(向山氏)

 @教師はおしゃれをするべきだ。つまり、教師を見る。

  (「だって、子供がかわいそうでしょ。」師尾氏談)

 A笑顔が素敵であること。

 B誉め上手。誉め上手な人は素直な人である。

 C知的な教師は、本棚に本が置いてある。

 D大嫌いなのは、模造紙に書いたお化けみたいな調べ学習みたいなもの。あれは、「模造紙を書く」という。外に向けて、見栄ぷんぷんの臭いいっぱいの教室。

 Eノートを見るのが一番。

 F靴箱。靴箱を見ればそこに自分の学級経営が反映されている。

(有田氏)

 @教師の感覚や品性。教師の人柄がにじみ出て、教室の空気に表れる。

 A板書を見る。

 B子供のノートを見る。

 C教材を見る。

 D指導案を見る。(書くべきことが書かれているか。)

・こんな子供だから・・・

・こんな教材を使って・・・

・どんな指導を・・・・

・こんな力を付けたい!

                                   以上。

                                (文責 三浦)

---

マンマミーヤトップページヘ