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Last updated Nov,15, 2004

うたかたの日々

2004年のうたかたの日々です。 

● 11月15日 演奏家と音楽家は表裏一体?

 ついにワタクシ、ドラムを研究し始めました。(笑)
ドラマーになる為ではありません。ポップミュージックにおけるドラムというものを、ちゃんと知っておきたいと常々思っていたのです。ですから、研究といっても大それたことではなく、主にやることは、レコードを聴く、ってことかしらん? チャーリー・ワッツやリンゴ・スターが、曲のどの部分で何をやっているかとか、他の楽器とのバランスなどに着目して聴き直してみるのは、大変面白いです。 そして、今までスティックこそ持ったことはありませんでしたが、いくつものバンドの中で、何百回とドラマーのやっていることを間近で見ていますので、音を聞けばなんとな〜く、何がどこで鳴っているのかは分かるつもりでした。
しかし!
実際やろうとすると大変ですな、こりゃ★
右、左、右、左…と交互に叩くだけでも一苦労。利き手でない左から始めようものなら、違和感アリアリ。両足も使うと崩壊寸前。。。頭で理解していても、体で実践しようとなると、やはり訓練するしかないのね。。。ギターやピアノや唄も、そうだったものね…
はっ!!??
そうでした。私は、訓練しました〜出来るようになりました〜ではやりましょう〜という具合にバンドで演奏を始めたのではなかった…。やりたいことを表現するため、必要な訓練をしてきたにすぎず、演奏職人になろうとしたことはありません。
 今回ドラムを知ろう、と思ったのも同じ理由です。
バンドサウンド全体に、だいたいこんな感じ〜っていうイメージがあっても、ドラマーに対しては、なかなかそれをうまく伝えられないことが多いからなのです。…まぁ、私なんぞに言われんでも出来るわい!と世のドラマー達は憤慨するでしょうが…。しかしですよ、大変失礼ながら、ポップミュージックにおいて、あるいはバンド音楽において、絶妙にツボにはまったプレイをするドラマーは稀少なのです。。。(うわ、言ってしまった〜ッ!言ってしまったついでに)ギターもキーボードも練習しなければイケナイ私が、一念発起したという現実…。これを、ドラムを本職とする方たちは、どう受け止めるのでしょう…?
● 10月29日 ドキドキ!ヒヤヒヤ!あやうく故郷がなくなるところでしたわい。。。

 先週土曜日以来、いま世間で最も懸念されているのは、新潟中越地震とその救済活動ですね。
私も、一部の親しい人たちから、たくさんのお見舞いの言葉をいただきました。ありがとうございます。
と言うのも、私、震源地から約40キロほど離れた町の出身でして…。この夏には、水害で大変な被害のあった、あの地域です。 現在も、親と妹家族がそちらに住んでいますので、震度6の第一報を聞いたときには、一瞬目の前が暗くなりました。。。 幸い、私の家族が住む地域では、家屋の倒壊、断水・停電などはなく、死傷者や非難住民もいないようです。身内もみんな元気でほっとしています、が。
当時の状況を聞くと…
もうこれでこの家は壊れる!っていうくらい揺れたらしいです。
母は、立っていられずテーブルにつかまっていたとか。
そして、入浴中だった父は、真っ裸で風呂から飛び出してきて…
「アラ!あなたそんなカッコでッ…!」
「いや、一応タオルは持っておるッ!」
…などと、かみ合っているんだかいないんだか分からない会話?をしていたらしい。
そもそも、そんなこと言ってる場合じゃないと思うんだケド。。。
非日常的な現実に突然遭遇すると、こうなっちゃうのかしら?

 幸運にも、私の身内は無事だったわけですが。。。亡くなられた方には、心よりご冥福をお祈りいたします。
また、地震は乗り切ったものの、その後も非難生活・復旧活動を続けられる方々は、どんなに大変でしょう…。全国各地から支援物資が送られているそうですが、果たして、必要としている人々にちゃんと届いているのか心配です。テントとかって…もらっても、張れる人いるのかしら?あの過疎の村で。あと、もし自分だったら、いちばん困るのは…トイレかしら?必要なものは…お腹はあんまり空かなそうだから、カップラーメンより、むしろコンタクトレンズとか?! ぼやけた目じゃ、お湯を沸かすのも一苦労しそう。
 また、自家用車の中で避難生活を送っている方も多いそうですね。危険と忠告されながら、そうする人たちの気持ち、分かります。崩れた家の中には居られないし、外は冷えるし不安だし。車が足代わりになっている地方の人たちには、とりあえず一番不安が少ない場所かも。何かあったらすぐに移動できるような気がして、安心するんでしょうね。

最後に。多くの人が、東京にはこの規模の地震は来て欲しくない、とおっしゃいます。確かに、人口も建物も密集度が違う都会では、大惨事は免れないでしょう。私も生きのびられるか分かりません。
でも…
私、自分より家族が被災するほうがイヤだわ〜!!
それにそれに…
もう住むことはないといっても、やっぱり故郷がなくなってしまうのは悲しい。
家や家族の存在とは関係なく、そこは、望めばいつでも手を広げて迎えてくれるところのような気がするから…。
● 8月18日 茶の湯、芸能、一期一会

ある書物で、「芸能とは何か」をこんな風に定義していました。

* 演者と観客の間の、見る見られるという緊張関係の上に成立する文化である。
* 全く同じ形では繰り返すことができない一回性、形を残さない無形性である。
* 日常性を超え、非日常世界への変身願望を内在させている。

 実はこれは茶の湯についての本なのですが、これを読んで、私は茶の湯で言うところの「一期一会」という意味、そして妙に狭い入り口を持った小さな部屋で行われることの意味が、ようやっと理解できたのです。
つまり、茶を出す者出される者、そこに居合わせた人間のみによって成立する、“形を残さない”、“再現不可能な”、“一回性の美”。今さら何を、そんなの常識じゃい!と笑われるかもしれませんが、それが「一期一会」の意味か…と。そして、茶室という“狭小なしかも閉じられた空間”は、“異質な劇的空間”である、と。…てことは、あの狭い入り口(「にじり口」というらしい)は、いわば非日常世界への入り口という意味か・・・と。
 みなさまもうお気づきかと思いますが、これは私たちがライブ演奏をすることと、全く一緒なのです。
同じ演奏者、同じ観客、同じ演目をやったとしても、同じライブは二度と繰り返すことができないのです。
そこが大変面白いところであり、取り返しがつかないという点では、怖いものでもあります。
 私は、ライブ演奏も作品だと思っています。秀作も駄作もひっくるめ、“一回性の美としての作品”を創り続けられたらどんなに良いだろう、と思っています。そして、それは、“演者と観客の関係によって成り立つもの”であっても、“異質な非日常空間”でなければならないと思っています。

 ちなみに私、茶の湯の心得は全くありません。。。たまに茶席に縁があっても、お隣の人の真似してどうにかこうにかって感じで。。。なんで私が茶の湯の本なんか読んだのか、察しがついちゃいますネ(笑)。何といっても正座がニガテで。。。「お楽にどうぞ」と言われると、ホントにお楽にしてしまうのでありました。。。