2005年5月22日(日)
2005年5月22日(日)〜5月26日(木)までマレーシアに出張することになった。
マレーシアに来るのは初めてということもあって、久しぶりに日記を書くことにした。

飛行機は12:00発ということで、9:05に阪神西宮を出るバスで関空へ。
これまで、海外へ行くときは10時頃の便が多くて、朝早いバスに乗ることが多く、その時間帯はいつもバスも空港も結構一杯なんだが、今日はバスも道も空港もガラガラだった。チェックインカウンターも手荷物検査場も出国審査も、みんな俺が来るのを大勢で待ってる状態。

クアラルンプール(以下、KL)へ着いたら現地の17:30。(時差1時間で、6時間半のフライト)こちらの入国審査はえらい長蛇の列で、隣のマレーシア人向け窓口には人が余ってるが、気を利かせて外国人のレーンを増やそうという気はないらしい。
マレー系の女性係員はみんな例のスカーフを頭に巻いてて、そのせいだけではないと思うが、みんな顔が丸くてノリさんとそっくりに見える。
一人だけ、インド系と思われる人がいて、その人はスカーフを巻いてなかったが、その人はかなりかわいかった。

空港からホテルへは、車で1時間ほどかかるらしいが、タクで行きたがる田所君を説得して、電車を乗り継いで行くことにした。
空港からKLセントラル駅まではノンストップの特急で30分ほど。この電車が、結構早いのに滑るように走ってなかなか快適。ずーっと変な音楽がかかってて少々うるさかったが。お値段は35RM(マレーシアリンギット、1RM=30円ぐらい)で、約千円。安くない。
KLセントラル駅で地下鉄のようなものに乗り換えて、ホテルの近くのKLCC(シティセンター)駅まで5駅ほど。この地下鉄は通勤に使われてるのか満員。乗客を見ると、インド系とノリさん系(イスラム教なので頭にスカーフを巻いてる女性)が半々ぐらいの割合か。この電車もやはりすべるように走る。こちらは、ほんとは1.6RMでよかったんだが、乗る時点ではホテルの最寄り駅が次の駅かどうかわからんかったんで2.0RM払った。それでも60円。これはえらい安い。やはり、観光客価格と一般ピープル価格に分かれてるようだ。
なぜ日本の電車は線路の継ぎ目でガタン、ゴトンと言うのにマレーシアはこんなにスムーズに走るんだ?実はマレーシアの技術のほうが進んでるんとちゃうか、と田所君と考えた結果、マレーシアは年中気温が25℃くらい、最高気温と最低気温の差も10℃程度で安定してるので、線路の伸び縮みによるひずみを考慮しなくていいが、日本は寒いときは氷点下、熱いときは40℃(線路表面温度は50〜60℃もありえるかも)なので、線路の膨張を無視できなくて、わざと継ぎ目に隙間を空けてあるんじゃないか、という結論に達した。多分、正しいような気がする。なんとも理系的な話をしとるな。

KLCC駅から地上へ出ると、いきなり目の前にでーっかいビルが。聞くと、台湾の101に抜かれるまで世界一の高さだったペトロナスタワーというツインビルらしい。聞いたことあるようなないような。2棟のうち1棟は日本の会社(間組っちゅうたかな?)が、もう1棟は韓国の会社が建てたそうで、四十何階に連絡橋があるんだが、2棟の高さが微妙に違って橋が斜めになってるそうな。

ペトロナスタワー
ほんとはツインタワーだが、撮影した場所は真横だったため、もう1棟が見えない

KLCC駅から歩いて2分ぐらいで宿泊予定のChorusホテルに到着。部屋は、鍵で操作しないとエレベーターのボタンが押せない11階のエグゼクティブフロア。エレベーターを降りるとその階専用の受付があって、なんかえらくなったような気分で部屋へ行ったんだが、スーツをクローゼットに入れて、取り急ぎインターネットに接続できるかどうか調べてると、机のそばにゴミの入ったゴミ袋が。掃除の時に忘れたんだろうと思ってベッドを見ると、前の人が寝たままやないかい。それでもまだ我慢して、まあ、たまにはそれでもええかと思ったんだが、これは全然掃除をしてないという意味やなと思って、部屋を探索してみると、飲みかけのコーヒーと紅茶を発見し、いよいよ堪忍袋の緒が切れた。
フロントへ行って「わーっ」て言うと、「じゃ、こっちの部屋を使って」と、何事もなかったように部屋を変えてくれた。よくあることなのか?ホテルにとって大失態だと思うが。
再度11階へ上がっていくと、元俺の部屋だった部屋をおばちゃんが掃除してた。単におばちゃんが掃除すんのが遅かっただけなのか(って、もう8時なんですけど)、こういうときだけ連絡が異様に早いんかしらんけど。
インターネットのほうは、1分あたり○円で、MAX24時間で1500円弱ぐらいで高速インターネットが使えた。100Mbの高速インターネットと書いてある割には異様に遅かったが、ちゃんとぷららのメールも見れたし、まずは文句なし。

晩飯は、マレーシアのペトロナスという会社のShafieさんも加えてホテルのバイキングで食べたが、マレーシア料理、うまいもんないぞ、という印象。比較的ましだったのはトムヤムクンスープかな。具の入ってないスープがあって、好きな具を入れればいいようになってた。で、ラーメン、きしめん(ではないんだろうけど)、そうめん(これもそうめんではないんだろうけど)と、湯がくための湯が置いてあって、入れたい人は麺も入れて食べなさいという感じだったので、ラーメンを入れて食べてみた。これはおいしかったが、トムヤムクンはスープだけでおいしいので、別に麺はいらんな。

23日(月)
寝る直前にコーヒーを飲んだせいか、全然眠れない。気になり出すと、外の車の音はよく聞こえるし、周期的にお湯の流れる音かボイラの音かがゴーッて言うのも気になる。てなことで、結局1時間に1回ぐらい目が覚めた。
朝飯は、11階の客専用ルームでバイキング。これまたえらくなった気分だったが、これまたおいしいものがない。取り急ぎ空腹をいやしたっていう感じで、なんだか不満足。

今日は朝から再び空港へ行って、クアラトレンガヌというところへ。なら、1時間もかけて市の中心部へ泊まりに行く必要あったのか?と疑問を感じながら空港へ。
空港で、合流する予定のエックス都市研究所という会社の河村さんを待つが、フライト時刻の1時間前に待ち合わせだったのに、30分前になってもこない。乗る予定だった飛行機はちゃんと定刻通り着いてるようだし、なんかトラブルに巻き込まれてるんじゃないかとかなり心配したが、こちらも行かないと仕事にならないので、置き去りにして出発することに。河村さんの切符を我々が持ってるので、彼女は途方に暮れるだろうけど、まあ社会人なのでなんとかするだろう。しかし、電話もできない状況というのは、トラブルに巻き込まれてるか寝てるかぐらいしか状況が思いつかず、結構心配。もう一人のエックス研究所の鈴木さんによると、彼女の場合、眠りが深いので、寝てる可能性が否定できないとのこと。
ということで、「ほって行きます」ということをもう一人のエックス研究所の鈴木さんが会社に連絡しようとして、電話機の故障とかで時間がかかっていたら、すんでのところで河村さん登場。なんでも、到着後時間があったので、出国審査をする前にラウンジで休んでて、集合時間の30分前に出たんだが、出国審査に1時間も並んでしまったんだそうな。
鈴木さんの会社への電話がサクッと終わってたら会えなかったところで、ある意味物凄く幸運な人かもしれない。

トレンガヌの空港は、いかにも田舎の空港で、まず驚いたことに、着陸して飛行機が止まるとそのままUターンして滑走路を逆行。1日に数便しかないから、これでも事故は起こらんということかな。離陸の際も、全く同じルートで滑走路を走ってからUターンし、着陸と同じ航路で離陸。もしなんかの間違いで離陸と着陸が同時になったら正面衝突するんですけど。どうせなら、滑走路の反対の端にターミナルを作ったら、着陸も離陸もスムーズやのに。

その後は、トレンガヌ州政府の迎えの車が来てくれて、州の会議室でパームオイル工場の人達と打ち合わせ。
ここの人達は名刺をくれないだけでなく、名前も名乗らない。お前、誰やねん。わからんままにディスカッション。
この国の人達の英語はみんなノリさんと同じで独特のなまりがある。慣れるとネイティブよりは聞き取りやすいかも。語尾を強めに言ってしまうのが特徴的。

昼に一旦ホテルにチェックインして部屋へ行ってみると、リゾートホテルだけあって景色がいいのでベランダへ出てみた。が、熱い。それに、ホテルの近くに民家があって、そこから漂ってくるのか、じゃなくてホテルから出るゴミのせいなのかよくわからんが、なんだか臭い。ということで、写真だけ撮ってあわてて部屋に引き返した。

昼過ぎからは、130kmほど離れたKemaman(クママン)というところにあるパーム油工場へ。マレーシアは、クアラルンプールの周辺でも見渡す限りパーム椰子ばっかりで、一見ジャングルのようなのに実は人間によって管理されてるところがすごい。なんでも、昔はゴムを栽培してたが、天然ゴムの需要が少なくなってパーム油のほうが儲かるということで、20年ほど前に全部植え替えたそうな。やることがでかい。

帰りに、Industry complexを見せてくれるというので行ってみたら、台湾プラスチックと甲乙つけがたいような強大な石油化学コンビナートが出てきた。こんなものがマレーシアにあったとは知らなかった。Shafieさんはアジア最大ではないかと言ってたが、そうであってもおかしくない。全貌を見たわけではないのでわからんが、なんとなく台湾プラスチックのほうが大きいような気はするけど。

晩飯は、道端にあるでかい屋台のようなレストラン。魚介類を焼いたり煮たりしてくれるて、味はまずまず。ただ、ガイドブックに書いてある通り一般のレストランにはアルコールを置いてない。外国へ来て晩飯時にビールが飲めないのはつらいものがあるな。ひょっとすると、初めてかも。

11時頃にホテルに帰り着くハードスケジュールで、さすがにぐっすり眠れた。

24日(火)
朝から今度はトレンガヌ州北部、ホテルから30kmほど離れたSungai Tongというところにあるパーム工場へ。
パーム工場というと、壊れかけのボイラーで椰子ガラみたいなもんを燃やしてるんだろうと馬鹿にしてたが、なかなか立派なボイラーが入ってるのでびっくりした。一部、そこら中漏れまくりのボイラーがあったが、それも来年更新予定なんだそうな。さすが、儲かってる産業というだけあって、投資もしっかりしてるようだ。

パーム油工場には、ラグーンというただ穴を掘っただけのところに水を貯めておく水処理設備があって、昨日行ったKemamanの工場はただ穴を掘っただけだったが、ここはちゃんと掘った穴にライナー(不透水シート)を敷いてあって、ちゃんと管理してる様子だったが、そこまでやるならもうちょいちゃんとした水処理設備を導入しようとは思わないんかね。

と、今回の出張は朝から夜までずっとスケジュールが入っていたため、ここまで書いたところで帰国することになってしまった。
ということで、あとは覚えている出来事などを。

3日目(24日)の晩、
遅い夕食を摂った後、11時頃だったが田所君と「どっか飲みに行こか」と外出。この国は治安がいいと聞いていたが、ほんとに治安がよさそう。感心したのは、滞在中一度もホームレスの姿を見なかったこと。暖かい国なので、ちょっと努力すれば飢えない程度に食うことはできるってことか。でも、似たような気候と思われるフィリピンにはスラムがあって、めちゃめちゃいっぱいホームレスがいると思われるんだが。これもマハティールさんの人徳か。
で、飲み屋を探しに出たはいいが、ほとんど店が開いてない。で、やっと開いてる店を見つけて、客も一杯入ってるので、「この時間にこんなにはやってる店なら酒を出してるやろ」と言いながら入ろうと思ったが、ふと見えた店員が、例のへんてこな民族帽を被ってる。これを被ってるやつは間違いなくイスラム教徒なので、「こういう店員がおる店に酒があるとは思えんな」と思って試しに店員に「酒あるか?」と聞いたら、案の定「ない」。こんな時間にみな何しとんねんと思ったら、思い切り飯を食ってた。なにゆえこの時間に?

あきらめて他を探そうと思って、歩道橋に登って辺りを見渡すと、Chinese Restaurantと書いた店を発見。中国系なら酒もあるはずと思って勇んでいって見ると、予想通りありました。客はほとんどおらんかったけど。で、結局そこで1:30ぐらいまで飲んで帰った。
そろそろ帰ろうと思ってたときに店員がやってきて「もう一杯いるか?」と聞くので「ノーサンキュー」と言ったのだが、しばらくすると2人に一杯ずつ出てきてしまった。あんなに明確に断ったのに、どうしてそうなるのじゃ?

4日目の晩、
地元に住んでる日本人のおじさんに中国系のレストランに連れて行ってもらった。ここはかなりうまかった。どうやら、中国系の店はうまいが、マレー系はいまいちという感じ。中国系なら酒も飲めるし。
で、この店の店員はぶちゃいくなおばちゃんばっかりなんだが、2人だけ明らかにかわいくて露出度の高い服を着てる若い子がいて、ビールを頼むと彼女らがやってきてお酌をしてくれる。そういうサービスの店かと思ったら、ビール以外の酒を頼むとおばちゃんが注ぎにきよる。観察してると、どうやらビール会社から派遣されてるセールスレディのようだ。なかなか露骨でおかしかった。

全体の印象として、マレーシアは豊かだという感じがした。一応発展途上国ということになってるし、確かにぼろい家の地域も多いんだが、それでもちゃんと家具は揃ってるし、テレビも持ってる。で、暖かいので食う物さえあれば凍えることもない。ということで、ある意味何不自由なく暮らしておられるんじゃないか。失業率もかなり低そうだし。「発展」ってどういう意味かな?と考えさせられる国であった。日本も、競争社会にするのはいいが、底辺の人でも最低限の暮らしはできるようにした上で競争しないと、食えない人が出ると治安が悪くなって、結局みんなが困ることになる。おおいに参考にすべきところがある国のような気がした。

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