Route66の旅ホームページへようこそ
このWebサイトは、2001年夏に 実施したRoute66横断ドライブの旅行記録です。最初は単なる道楽のつもりで作ったHPですが、気が付くとカウンターもかなり増加しました。
時々、見知らぬ方からメールをいただくことがあり、制作者としては嬉しいものです。先日都内に住む方からメールをいただきました。その方は、この夏休みを利用して、オフロードのインラインスケートでRoute66走破を計画しているとのことでした。
その後ご連絡をいただいていませんので、この計画がどうなったか定かではありません。しかし、2006年6月にロサンゼルス、グランドキャニオン、ラスベガスに行きましたが、6月初旬でも40度を超える暑さでしたので、自転車はかなり大変だと思われます。このHP新バージョンになってから1年半ほど経ちましたが、相変わらず、月間700アクセス(少ないですね)くらいでしょうか。あまり頻繁に更新できる状況では
ありませんが、頑張って、少しずつ写真を入れ替えることにしましょう。なかなか更新ができないまま、訪問してくださる方も4万の大台を越えてしまいました。
かなり個人的な要素が強いページですが、大変に嬉しいことですね。また、旅行の前に調べていた通過州にかんする情報も少しずつアップしようと思います。ということで、本筋に話を戻しましょう。このRoute66、本来ならシカゴからサンタモニカというコースが一般的です。しかし極東から向かう私はその反対、サンタモニカからシカゴまでを、約10日間かけてドライブすることにしたのです。何回もチャレンジできることではありませんので、できるだけ古いRoute66を走るように心がけドライブしてきました
。今回のチャレンジは、2001年、21世紀、50歳という 個人的ないくつかの数字の区切りがきっかけとなっています。
かなり昔、多分30年ぐらい前からだと思いますが、「ドライブ」という遊びの枠で、二つの夢を持っていました。一つが今回チャレンジの対象となっている「ルート66を基本としたアメリカ大陸横断ドライブ」。そしてもう一つが「シルクロード横断ドライブ」です。シルクロードは、NHKの放送によって、かなり一般的になっていますが、今から30年ほど前には、歴史の教科書でしか知ることのできない、全く未知の世界でした。
そういえば、高等学校時代、二人の社会科の教師に習ったのですが、一人は2年かけてギリシャ史だけ、もう一人は辛亥革命を1年間かけてという変わり種の先生でした。その辛亥革命教師の
授業の中に、よくシルクロードの話が出ていたことを思い出します。またシルクロードというと「敦煌」 が頭に浮かんできます。映画にもなったのでご存じの方も多いと思われますが、敦煌で発見された巻物を見たい、というのも、シルクロード横断ドライブ旅行の目的のひとつなのです。しかし、アメリカ大陸横断は、映画のイージーライダーやキャノンボールなどを通して、ハイウェイや田舎の町並みなどを見ることができましたので、実行に対するイメージは作りやすかったということがあります。とはいっても、費用も時間も掛かりますので、当時は自分の中だけで楽しむ夢に変わりありませんでした。
私が社会に出た頃は、海外旅行といえば特別な人たちのものでしかありませんでした。東京でいえば、いわゆる山の手と呼ばれる地域にお住まいの人たちですね。もちろん、私自身が海外旅行に行くなどということは、夢のまた夢だったのです。外貨の持ち出しも制限を受けていました。ですので、ヨーロッパにしても、アメリカにしても、死ぬまでに一度は行ってみたいところ、という夢の対象でしかなかったのです。私が家内と結婚したのは今から30年ほど前になりますが、結婚を決めたその頃、今の若い方々には想像もつかないでしょうが、私は家内に
「死ぬまでには必ずヨーロッパに連れていってあげる」、
と大まじめに話していた、そんな時代だったのです。私がはじめてパスポートなるものを手にして羽田から飛び立ったのは、現在の沖縄県でした。しかし、高度成長、円の切り下げなど、いろいろな要素が絡み合って、比較的簡単に海外旅行が楽しめる時代になりました。格安航空券など、ハイシーズンを外せば、アメリカ西海岸往復が4万円程度ですし、ヨーロッパですら10万円を切る安さです。北海道や、沖縄往復より遙かに安い費用でアメリカに行けるのです。そんな時代に感謝しながら、アメリカ大陸を車で横断するという、ちょっぴり無謀とも思えるチャレンジを開始しようと思います。
私は性格的に少し性急なところがあり、熟慮に熟慮を重ねるというタイプではないことも手伝って、アバウトな計画で物事を進めるきらいがあります。今回のチャレンジドライブもその性格が全面に出たものとなり、一応予定は立てますが、その予定通りに進むことはなさそうです。 特にルート66は所々寸断されているようですので、予定を立ててもその通りに進めることは難しそうですので、あくまでも、予定、ということにしておきます。つまり、予定は未定であって、決定ではない、ということです。
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今回の旅行に同行してくれた家内です。 |
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