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 ある日のこと、車を運転して遠出をした折り、クラッチを踏む足の膝に激痛を覚え、それから膝の痛みと腫れに悩まされる日々となりました。整形外科でのレントゲン等の検査の結果、関節の軟骨がすり減っている、これは老化現象で、もう治ることはないと診断される。
 連日、痛み止めの注射と飲み薬、腫れたら注射器で水を抜く、そんな治療の繰り返しでした。膝の痛みはますますひどくなり、人伝えに聞く評判の良い整形外科を何件も渡り歩きました、何処も同じ治療で根本的な治療法はありませんでした。そして松葉杖をついて台所に立つこともありました。
 整体や漢方薬も二年以上も続けて見たり、鍼灸にも通いましたが何ら変化は見られませんでした。人様が良いという所は全て行き、ありとあやゆる事をやって見ました。この間7・8年は経過しておりましたでしょうか、そんな中、主人が突然亡くなり気分的に落ち込んでいた折り、息子の小、中学校時代にPTA活動で一緒だった友人に何年か振りに再会し、元気な彼女に元気のもとである光線の話を聞かされ、早速光線治療院に案内して戴きましたが、まさに藁をもつかむ思いでした。
 その夜、帰宅した息子に「お母さんはこの治療法に賭けてみるからね、この治療で治らない時は車椅子になるかもね」と話し、光線治療院に通いました。
 丸太棒の様に腫れ上がり、膝がどこにあるかわからない程の左足の状態に治療師さん達も驚き「頑張って」と励まされながら、自分でも頑張ってみようと毎日治療を続けました。 この間、今までより痛みが増したり、腫れがひどかったりと様々変化がありました。不安との格闘の中で治療師の先生から聞いていた陽性反応と信じて、良くなる前兆と心に言い聞かせながら治療を続けました。
 治療2ヶ月程でどこにあったか解らなかった膝小僧が少しずつ出てきてるのがわかる様になってきた。もしかしたらと思うとうれしさが込み上げてくる毎日が続きました。
 そして治療3ヶ月が過ぎた頃、膝が曲がる様になり、痛みも無くなってきたのです。その頃から仕事の関係上、治療も1日おき、3日おきと間をおくようになりました。 そして長い間の苦しみから解放されることが出来たのです。歩くことがこんなにうれしいものか、今では正座も出来る、好きなフラダンスもできる、これほど毎日が楽しく思うことがあったでしょうか! 残された人生を明るく生きる希望を戴き、今では二台の光線器で自宅で腹、足、膝にと身体中に照射しております。
 近所の医学に詳しい方に変形性膝関節症や椎間板ヘルニア等は完治することはなく、病院では対症療法しかないのに不思議だと言われましたが論より証拠です。
 
 良き出会いに感謝すると同時に悩める人への参考になればと思い一筆をとらせて戴きました。





                              (サンフォートピアニュース第13号
より抜粋)




仙台市 65歳 女性
 左腰から足首までの激痛と麻痺に悩まされ、平成5年7月、「椎間板ヘルニア」と診断され、国立N病院でブロック注射を受けるものの痛みは取れず3ケ月の休職の末、自宅療養で落ち着きました。これが腰痛の始まりでした。
 平成9年10月ころになって再び腰痛が起こり始め、鍼灸・骨盤調整などに仕事の合間をぬって通院していたが痛みは日増しに悪化する一方でした。
 平成10年9月、今度は右足の坐骨神経にそって痛みとつっぱりが激化し、10月1日から再び8ヶ月間もの休職で自宅療養を続けるが最終的には寝返りすら出来なく、体は左に曲がり歩いて10mがやっと、トイレでは10秒も立つ事が出来ない始末でした。やむなく11月5日M病院に入院、同日レーザーでの手術を受けるが右足の突っ張りはとれません、左側を下にして横になり、体を海老のように丸めないと眠れず、常に合間なく痛みに襲われ、座薬挿入なしでは眠れない日々が4ヶ月間も続き、披露困憊でした。
 偶然、同室のAさんから光線治療の話を聞き、当人自身、長年の光線治療経験があるらしく、資料も提供して戴き、試して見ることにしたのです。
 11月19日、病院からリハビリの為プールに行くといって外出許可を戴き、光線治療を初めて受けました。
 治療するに当たって好転反応による痛みの話は聞いていたのですが、痛みが増すにつれ、これで本当に治るのだろうかと悩みましたが、自分のヘルニアが治るのは光線治療しかないと心に決め真剣に通いました。照射回数50回を超えても右を下にして1分と横になれずもんもんとした日々が続きました。
 100回の照射が過ぎた頃から徐々に痛みが和らぎ体の曲がりも取れてきましたので、筋肉強化の為、12月から散歩を始め、休みながら1km歩くことが出来るようになり、2月27日には多少の痛みはあっても早足で1時間、歩けるまで回復してきました。
 平成11年4月30日、晴れて退院、6月1日より職場復帰する事が出来ました。光線療法により、全身から健康に慣れることを自分の体を通じて痛感致しました。その後に於いても私の仕事はハードで700kgある牛を相手に産業動物の獣医として毎日100km位の範囲で車で走り回っております。癖になると言われている腰痛もあれから4年目を迎えようとしておりますが、今だその兆候はなく、サンフォートピア療法のお陰で120%完治したと思っております。
 その後、購入した光線治療器は私の息子がバスケットの試合中、右足首の腫状骨骨折で激しい痛みと腫れで全く歩けなく病院で全治三ヶ月と診断され、ギブス装着が必要といわれたが、お断りをし、2台の光線器で毎日2時間ずつ照射した結果、痛みと腫れは急激にとれ、ウエイトを三日間しただけで4日目からはテーピングのみでコート走り練習をしていたのには驚きました。
 結果、3ヶ月が3週間で全国優勝の栄冠を勝ち取ることが出来ました。 おかげさまで我が家では大小に関わらず数々の病気や怪我をサンフォートピア療法で克服し、健康で磐石な家庭と人生を築くことが出来ました。約3年前、忘れもしないあの苦しみから救われた時、あまりのうれしさから光線療法体験集に原稿を提供しましたが3年を過ぎた現在になっても以前の様に度々繰り返すことがないということは完治したことに間違いありません。

 これからもサンフォートピアを紹介し、健康の輪を広げて生きたいと思っております。


(投稿者)    宮城県 獣医師  男性より



                              (サンフォートピアニュース第7号
より抜粋)







 
                         
宮城県 獣医師  男性