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 八年前から左足が悪くなり、歩くと痛くて、半年もの間ビッコを引いていましたが光線療法との出合いがあり、毎日全身に一時間ずつ照射して十日間で痛みが取れ良くなりました。
 それ以来、足の元気な内に出来るだけ旅行をしようと思い、昨年八月、お盆休みを利用して兼ねてより念願だったザルツブルグの音楽祭に出かけました。
 ザルツブルグはヨーロッパ北アルプスの北にあり、美しい自然とバロック建築が見事に調和した、小さな街でモーツアルト生誕の地で毎年音楽祭が開かれます。
 猛暑の中厳しい旅でしたが、大いに満足して帰ってきましたが、その直後から左足の膝下の様子がおかしくなりました。
 皮膚は広い範囲で赤く腫れ上がり多少の痛みもともなってきましたので知人である皮膚科にすぐ行きました。
 皮膚科では蜂窩識炎(ほうかしきえん)と診断され「皮下組織細胞の炎症」飲み薬と軟膏でしばらく治療しましたがひどくなるばかりで、ますます足は硬く腫れ上がり赤紫色になり、歩く事も不自由になりました。
 今度はすぐに国立別府病院へ紹介され、診断ではどうも血管に異常があるらしいという事で即入院になりました。
 ベッドで足を高く上げて寝て点滴と冷湿布「炎症と痛みを抑える」そして造影剤を入れてのCT検査での結果は、膝下の深部静脈に血栓がいっぱい出来ており、血栓性静脈炎と診断されました。

 この病気の恐ろしさはその血栓が飛んで他の大事なところを塞いでしまう恐れがあると言う事で心配しました。 
 入院して一週間は痛くて痛くて痛み止めをしても痛みは止まらず、泣き明かす状態で、先生や看護婦さんに随分とご迷惑をかけました。 
 十日程して、点滴も終わり、ほんの少しですが痛みも薄れた様に思いましたが、足の腫れと硬さは相変わらずで、先生からは足を高く上げて休んでいるしか治療方法はないだろう、特にこの硬さに関しては一生治らないだろうと言われました。その時私は「足上げて寝るしかないと医者は言う」との川柳が頭に浮かびました。よし!それなら太陽光線で治そうとこの時初めて決心がつきました。幸い病院前の自宅に三台の光線設備をしてありましたので、まずは自宅の温泉風呂に入りその日から光線で足裏と膝下に二時間ほど照射してから病院へ行って来ました。
 翌朝になってあれほど硬かった足が少し柔らかくなっているではありませんか、ビックリするやら嬉しいやら、回診に診られた先生が、足を診られて「太陽光線の事は良く解らないが、いい様だから毎日掛けて下さい」と言われたのでその日から病院での食事を済ませた後、目の前に見えている自宅でありながら歩くことすら出来ず、お隣のご夫妻に毎日車で送り迎えをして頂き、大変お世話になりました。 
 温泉に入った後、光線を二時間照射してから夕方五時に病院へ送って頂く中で、おかげさまで痛みもなくなり腫れも少しずつ引いて来て、一ヶ月目には退院となりました。 
 退院後、私は仕事の都合で日頃は近くの大分市のマンションに住んでいる関係上、近くの日赤病院を紹介して頂きました。退院一週間後の日赤病院での診断結果も全く同じで足を上げて寝るしかない、そうしないと病気が悪化し、手術しなければならなくなると言われました。私はこれからの人生そんな生き方は絶対にしたくないと思い、光線器を五台に増やし、毎日一時間全身照射を続けていました。 
 ある日、血栓を心配する友人から
の紹介で東大付属病院の血管外科の日本一と言われる名医に診察して頂く事になり、十二月二十四日飛行場内は車椅子で移動、空港からホテルまでは弟嫁に、病院へは友人のお嬢さんにすべて手続きをして頂き、大変助かりました。 
 診察は超音波と造影剤を入れてのCT検査でした。結果は一番心配していた静脈中の血栓はすべてなくなっているとの事で安心致しました。まさしく光線の威力と感激しました。 
 しかし、大きく腫れ上がった静脈瘤は残っているため、ここでの炎症による悪化が懸念されるため、医師の推薦で皮膚面に血管が浮き出るのを防ぐための圧迫ストッキングを身につけて歩いておりますが足も細くなり、自由に歩き回ることが出来ております。いずれ光線療法でこのストッキングの着用も不要になる事でしょう。 
 いずれにせよ太陽光線のおかげで寝たきりの人生にならずに済みました。この間小川社長様やサンフォートピアの佐藤先生には随分とお電話でのご指導を頂き感謝いたしております。
 今の健康は周りの皆様と、太陽光線のおかげです。そして先日社員達が快気祝いをしてくれました。


  「太陽に乾杯です」

本当に有難うございました。


                              (サンフォートピアニュース第13号
より抜粋)







 



                         
大分市 72歳 女性
仙台市 65歳 女性
 夏祭りの夜、知人に肩をたたかれ振り向くと、無表情の彼女に声をかけられた。
 彼女は体の具合が悪く、以前から光線療法をやりたいと思っていたらしく今でも前の場所に光線治療院はあるのと聞く、そして光線器は以前母親に健康維持のために使いなさいと言われて一台持っていると言う。
 彼女は約10年程前よりパーキンソン病に悩まされ、薬を飲むようになって約3年を経過するが病気は進行の一途をたどっているようだ。
 パーキンソン病は、ドーパミンと言うホルモンの不足で起こるのだと医師の説明を受けたらしく、どうしてこんな事になるのかなーと首をかしげ、その症状と言えば、頭は他人の頭の様で何か「ザル」の様なものが頭に乗っかっている様だと彼女は言うのです。
 目は一本の線の様に細く、写真を撮っても怒っているかの如く写り、無表情なんだと嘆いていましたが、正に能面をかぶっている様に見えました。足は丸太棒の様に硬く、押してみても石の様に硬く、びくともしませんでした。ベッドに横になっても自分の体を動かすことは出来ず、横になった姿勢のためか、腰が痛くて常に体がだるいらしい、そのためか左側腰上部にこぶの様に硬いシコリが出来ていました。他には膝を曲げることが出来なく、夜中にはよく足がつり、入浴も困難、そればかりか歩行も困難になってきており困っているとの事、日常生活には協力者が必要と言う。実は私は光線治療院を経営している訳ではありません、家族と自分のための治療室を設け、ベッド1台と5台の光線治療器を揃えているのです。その中で母は、骨折や介護施設でうつされた疥癬の治療、そして私の胃の摘出手術後の回復や椎間板ヘルニアなどあらゆる病気の治療に使用し、恩恵をこうむっている所です。
 光線療法を知る先生方の話ではパーキンソン病の治療には良い結果が期待できると聞いてはいたが、はたしてどの様に改善されるか経験のない私には皆目見当がつきません、しかし本人のたっての希望から、まあ人助けと言うか、好奇心のもとに光線療法での改善を期待して照射することにしました。
 光線治療を行う上で、難治な病気や重病人への治療は、毎日欠かさず治療しなければならない事は、自分の経験で実証済みです、取り合えず近くの人でもあることから1、2ヶ月は協力してみるつもりで始めてみました。
 始めに5台の光線治療器の集光器を用いて照射ポイントを決め、次の通り40分間の照射を始めました。

○緑のカーボンで頭頂部に1台と後頭部に1台、お腹に1台、足裏に1台、赤カーボンで腰に1台、次いで2台を膝の前後に移動し、足部3台で20分の合計1時間照射を続けました。その間、週に3日は目に赤と黄色のカーボンで30分の照射をしました。

 1ヶ月を過ぎた頃から足のふくらはぎが柔らかくなってきました。次いで2ヶ月を過ぎた頃より頭が軽くなり自分の頭に戻る、同時に「ざる」をかぶった様な症状もなくなりぐっすり眠れ、足はポカポカして体は温かく、気分はかなり良いと言う、この頃より治療のためのベッドの上での上下移動もスムーズになり、足のこむら返りも無くなり、足首も少し細くなって来た、また目の表情も改善され、毎日の光線治療が楽しいのでしょう、笑顔で治療に通っています。
 3ヶ月が過ぎて膝も曲がる様になり、温泉にも行けるようになる、また様式トイレしか使えなったのが今では和式トイレも使える事で気分的にも安心して旅行も出来ると喜んでいます。歩き方、足運び共に快調、ズボンの上げ下げ時に於いても多少もたつく程度にまで回復する。治療はする私にもやりがいがあります。
 今では4ヶ月も過ぎて何でも昔元気な時の様に出来ると思っているようです。私は彼女に対し、気持ちは常に明るく振る舞い、暗い気持は駄目、そして明るい色を着る様心掛け、病気は自分で跳ね返すぐらいの気持ちを持つ様に話しています。
 最近では自宅でも2台の光線器で毎日照射しています。今や2、3日休んでも大丈夫と言う所までこぎ着けました。1日も早く私の手元から離れて自分の自宅で光線照射を続けられるようにと願っています。
 そんな話の広がりか解りませんが最近ではあっちが悪い、こっちが悪いと光線室に入れてと来て、遊んで帰る人が多くなり、私の趣味の時間だけは勘弁してと言う、多忙な日々が続いております。
 さて、パーキンソ病の続きの結果はまた機会に報告します。


(投稿者)    宮城県仙台市  65歳  女性より



                              (サンフォートピアニュース第12号
より抜粋)