4月2日

乗車列車小湊鉄道いすみ鉄道

卒業旅行と言う事で家族で小湊鉄道といすみ鉄道に乗りに行った。

五井の鉄道事務所で小湊鉄道といすみ鉄道の片道が乗り降り自由の房総横断切符を購入した。

途中、海士有木と言う面白い名前の駅を通り、上総牛久に着いた。上総牛久までは民家も多くまだ町だなという感じがした。

上総牛久を出ると田んぼや畑が続いて小さな集落の飯給についた。飯給はこれでもかてほど民家も少なく駅も改札が無かった。

これは凄くいい所だった。

そこからしばらく走り小湊鉄道の終着駅そしていすみ鉄道の始発駅の上総中野に着いた。

上総中野でいすみ鉄道に乗り換え大多喜に向かった。途中には菜の花のとてもきれいなところが続いていた。

大多喜では2時間35分の観光時間があったので大多喜城を見て回った。

大多喜城は総南博物館といい本多忠勝や松平家、大多喜の歴史についていろいろ学ぶ事ができ、千葉県の城の地図などが在った。

大多喜城の天守閣からは城下が見渡す事ができ、景色がとてもよかった。

大多喜にはメキシコ通りという通りがあります。

名前の由来は、近くで明日エピソードがあったからです。

慶長14年(1609年)、フィリピンからメキシコに向かっていたスペイン船が上総国夷隅郡岩和田村(御宿町)の沖で難破しました。50余人が溺死、300余人が岩和田村の海岸に上陸しました。

当時は、フィリピン、メキシコともにスペイン領で、ドン・ロドリゴはフィリピン政庁長官の任を終えてメキシコに帰る途中でした。一行は村内に分宿し、40日近く滞在、領主の本多忠朝(大多喜藩主)がロドリゴのもとを訪れ、滞在中の厚遇を約束しました。 

報告を受けた徳川家康は、豊臣勢力を駆逐するために外国貿易の独占的拡大による軍事力・経済力の強化を目指していました。前年にはフィリピン政庁長官・ロドリゴから家康に友好的な書簡がもたらされ、初めてスペイン船が浦賀に入っていました。

遭難者の中にロドリゴがいることを知った家康は、駿府に招いて厚くもてなし、帰国のために西洋帆船を建造、翌年にメキシコとの交流拡大を目指す家康の使節や京の商人・田中勝助ら日本人20人を乗せてロドリゴ一行は浦賀を出航、無事メキシコに帰りました。

その後大多喜名物10万石最中を買い家路に着いた。