吉祥寺の由来
■ 歴史
当山は寛永年間(1624〜1643)に、「宥應上人」
がこの地に霊水の湧き出るのを発見して、一宇を建
立し薬師如来を勧請してご本尊となし衆病悉除の祈
祷場とせられ、爾来300年余になる。
その間、明和元年(1764)十月「阿闍梨法真上人」が
庫裡を改築し、享和二年(1802)四月、「英範大徳」
が、客殿を造立せられた。古くは讃岐大野原の地蔵
院萩原寺の末寺であったが、明治元年(1868)に高野
山の管轄となり現在に至っている。
■ 山寺の趣
南面に続く石垣の中程にある石段を登り、小さ
な山門を潜って境内に足を踏み入れると、右手に大
きな銀杏の木が立っている。秋には数知れないほど
のぎんなんを降らせてくれる。左手には見事な枝振
りの笠松が寺苑に絶妙の風格を醸し出していたそう
だが、惜しくも枯死してしまい、その美しい姿を知
る人も今は少なくなってしまった。境内の西には古
い佇まいの本堂が、北側には本堂から渡り廊下でつ
ながった客殿や庫裡が山懐に包ように並んでいる。
まさに小さな山寺の趣である。
■『 鷹羽 狩行』の句
−村々の その寺々の 秋の暮れ−
この句は、何処のどのお寺というのではなく、人々
の生い立ちの中にある懐かしい風景を思い出させて
くれる。ねぐらに帰る烏たちと梵鐘の音と。今にし
て思うと。あれは西方浄土の図ではなかったのかと
毎月八日に「薬師護摩」を焚き、ご参拝された方々
のご祈願ご祈祷を行っております。