今日はいわゆるクリスマス・イブだ。 ケーキも買ったし、シャンパンも買った。 簡単な料理は作ったし、メインのチキンはさっき宅配にコールしておいたからもう暫くしたら届くだろう。 テーブルには二人分の取り皿とナイフとフォーク。 そうだ。 箸も用意しておかないと。 そう思い付いて、溜息が出た。 俺は何を浮かれて用意なんぞしてるんだろう。 あいつは、来るかどうかも解らないのに。 水町とクリスマスを二人で過ごすようになってからもう随分となる。 一緒のアメフト部に入ってから、ずっと続いている。 進学して、歳も取って。 お互いに行動範囲も交友関係も広がって、昔のようにずっとべったり、という事はなくなっても。 クリスマスだけは水町は必ず俺に会いに来てた。 その殆どが、 『彼女に振られた〜!』 と言って自棄酒を煽ってであったけれども。 水町は、マイペースでいい加減でこっちの都合なんて全然考えない奴だけど、それでも友達で憎めない奴で。 いや、友達よりもずっともっと。 近しいものだと自分だけは思っている。 そうじゃなければ。 毎年、クリスマスの予定を水町のためだけに空けておく筈がないだろう。 自分に彼女がいたその時期でさえも。 窓の外を見ると雪が降っていた。 東京とは違って、ここは雪の降る確立は高い。 俺は大学を出てすぐにアメリカに渡ってNFLの入団テストに挑んだ。 幸いな事に実力を認められ、今では選手としての生活を過ごせられている。 主力メンバーという訳ではないけれど、日本人でしかも大学を出たばかりである自分にはそれだけでも充分な処遇であると思っている。 日本を出る時。 周りは『まだ早い』としか言わなかった。 『アメリカに行きたいのなら、もう2年後でもいいのでは』 皆が口を揃えてそう言っていた。 日本でもアメフトは出来る。 大学に在籍中にも、幾つかのチームから勧誘はあったし実際具体的な契約の交渉の話もあった。 普通は、まず日本でプロになって実績を作ってからNLFに挑戦するのが通例だ。 それでも高き門である事には変わりないのだが。 大学出てそのまま挑戦するなんて『無謀』で『金と時間の無駄』な事らしい。 親も監督もチームメイトも友達も。 皆が皆、そう俺に言って渡米を諦めさせようとした。 ただ一人、水町を除いて。 奴は、俺の決意に賛成するでもなく、反対するでもなく。 ただずっと見守っていた。 ただ一言、『応援してる』。 それだけ言って。 その時俺は。 嬉しかったのか、そうでなかったのか良く解らない。 皆が反対するなか、水町の「筧なら絶対大丈夫だよ」のその言葉に励まされたのは確かだかけれど。 空が暗くなっていく。 部屋の明かりを点け、椅子に座るとまた溜息が出た。 水町は来ないかもしれない。 俺が渡米したと同時に。 水町は、また、水泳に戻った。 昔取った杵柄、もあってその頭角をめきめきと現している。 まだ水泳を再開して一年も経っていないのに、今年の日本大会ではあっさり優勝しやがりやがった。 また、馬鹿みたいに躍起になって練習に励んでいた、その成果の賜物だろうけど。 そしてやっぱり、あいつは大したもので。 次にある五輪の選考にまで名前が持ち上がっているらしい。 ほんとに、大した奴だ。 だから。 水町が、水泳に戻るのに。 俺も反対しなかった。 あいつがどれだけ泳ぐのが好きだったかを知っていたから。 俺はそれでよかったとさえ思う。 ただ。 アメフトだって、凄く上手かった。 その、才能が惜しいとは思った。 そして。 もう、一緒にアメフトをやれないのだと思うとそれもなんだかとても残念だった。 日本とアメリカ。 遠く離れていても、同じものを目指していれば。 どこか繋がってる。 なにか共有出来ている。 そんな気でいられたのかもしれないのに。 水町は、来ないかもしれない。 いや、きっと来られない。 五輪選考には今は大事な時期だろう。 それに『期待の新人』だけあって、今、奴は日本では話題の渦中の人になってる。 色々忙しいだろうし、相変わらず練習だってしたいに違いない。 水町は来ない。 わざわざ、こんな遠く離れたところに。 パスポート持って、チケット取って、言葉の通じないようなところに。 来る、理由もない。 彼女に振られたって、きっと、今の奴なら両手に余るほどの人が慰め役に回ってくれるだろう。 こんなところにまで。 飛行機に乗って、ただ、毎年一緒だからとやって来る筈なんてない。 そう思うのに。 どこかで、信じてる自分がいる。 水町は、必ず会いに来てくれるだろう、と。 そうだ。 俺がこの国に来たのは。 自分の実力を試したかった、その事もあるけれど。 それ以上に。 逃げたかった。 水町から。 ずっと一緒に居て。 でもずっと一緒にいる理由もなくなって。 自分でもどうしたいのか、よく、解らなくなってしまっていた。 だから逃げた。 いつまでもこうして二人でクリスマスを過ごせる筈なんてない。 ある年、突然水町はやって来なくなるかもしれない。 その時が来るのが怖くて。 だから、言い訳を作った。 こんな遠く離れた地になら、水町は来られなくて当たり前だと。 クリスマスに。 自分と過ごす以上のものを、水町が見付けたからではないのだと。 そして。 試したかった。 こんな、遠く遠く離れた地にさえいても。 それでも。 水町は、クリスマスには自分に会いに来るのかどうか。 来る筈がない。 解ってる。 けど。 『じゃあ俺、クリスマスまでに金貯めとかなきゃなー』 『来るつもりか…』 『えっ?!ダメ?!!いーじゃん〜!あ…でも折角アメリカまで行ったのに、筧、ガイジンの彼女とらぶらぶで追い返されたりしたら俺どーしよー?!』 『ばーか。日本ではクリスマスは恋人と過ごすものってなってっけどよ、あっちじゃ普通家族と過ごすもんなんだよ。』 『フーン…じゃあさ、俺を筧の家族にしてよ。俺がオヨメサンになってもいいからさー』 俺が渡米する時。 水町が笑ってそう言った。 バカなやつ。 でも、俺の方がもっとバカだ。 所属チームには遠くから来てるやつもいて。 そいつらが一緒に騒ごうと誘ってくれたのも。 家族のいる先輩選手がホームパーティーに誘ってくれたのも。 俺のファンだという女の子達からの個人的な誘いも。 何もかも全部断った。 そうして。 来るか来ないかも解らねえ奴を、ディナーの用意までして待ってる。 バカにも程がある。 こんな遠くまで逃げてきて。 なのに、水町がここに、来ればいいのにとこんなにも願ってるなんて。 玄関のチャイムが鳴った。 はっとして顔を上げる。 もう外は真っ暗で。 そういえば、チキンのデリバリーを頼んだ事を思い出した。 慌てて玄関に向かう。 ドアを開けると、チェーン越しに伝票をこちらに向けた宅配の箱が目に入った。 「チキンのお届けでーす!」 「ああ、ちょっと待っ…」 扉を一旦閉めて、チェーンを外す。 と、手が止まった。 ちょっと待て。 今の日本語…? 「よー筧、ひっさしぶりー」 ドアは向こうから開けられ。 そして、見慣れた、けれどずっと見ていなかった顔がそこにあった。 鼻も頬も目元も赤くして。 手に持った箱を掲げて水町が笑う。 「あ、これね、さっきソコでこれもったヤツと出くわしてさー、伝票に筧の名前があったから俺が引き取っといたよ?」 「みずま…ち…」 言葉もなく、呆然と突っ立っていた俺を見て。 水町は、なんだか酷く複雑な表情になった。 「なんだよ?入れてくんねえの?」 なんだか、泣きそうに見えるのは気のせいだろうか。 「…っ!ああ、勿論いいよ。入れよ」 そう答えたら、水町はへにゃっとなって笑った。 そんな水町をドアを大きく開けて迎え入れる。 「なあ、筧。」 「ん?」 「コレ…一人で食うには大きすぎるよな?他には、誰もいそうにないし…」 部屋に入ってきょろきょろとしながら水町が言う。 「なあ、だったら俺と食べようと思って頼んだって思っていいワケ?」 じ、っと自分を見る水町の視線に。 なぜか耐えられなくて。 顔を背けて、部屋にあるテーブルに移す。 「…ああ。他にもちゃんと用意してある。」 「っ?!なんだよ?!心配してソンしたじゃん?!!」 「え…?」 テーブルにはケーキにパンに簡単な手料理。 シャンパンとグラスと空いた大きな皿。 受け取ったチキンを置けば、すぐにでも食べ始められる。 水町は、その、準備万端のテーブルに近付いてはしゃいだ声を上げた。 「なんだよーもー!俺、追い返されたらどーしよーとか思っちゃったじゃん!」 「なっ、なんで追い返すんだよ?!わざわざ、遠いとこから来てくれたってのに…」 そうだ。 来て、くれた。 今頃になって、じわり、と嬉しさが込み上げる。 「いやー遠いトコだから、余計にさー…」 「…?」 頭を掻いて、水町はへへ、と小さく笑って。 「迷ちゃってさ…一時間くらいその辺うろうろしちゃった。」 「迷…って、お前、だったら電話くらいしろよ!てゆーか、タクシー乗んなかったのか?!まさか歩いてここまで来たんじゃねえだろうな?!」 「あ…いや、ハハハ…そうじゃなくて…」 「はあ?…まあ、いい。ちょっとこっち来い。」 困ったように、目を泳がす水町をヒーターの近くに連れて行く。 一時間くらい。 そう水町は言ったが、もしかしたらそれ以上だったのかもしれないと思った。 それくらいに。 掴んだ腕は酷く冷えきっていたから。 ヒーターの前で、やはりきょろきょろと部屋を見渡している水町。 半年以上、会わなかった。 変わってないようにも思うし、変わったようにも思う。 「そういえば、お前…今大事な時期じゃねえのか?こんなとこに来てていいのか?」 五輪に向けて、トレーニングとかそのほか色々と忙しいんじゃあ? と、そう問いかけると、途端に水町は不機嫌に口を尖らせた。 そして。 「……ぶっちした。」 「…はあ?」 「なんか、なんとか委員会のクリスマスぱーちーとかあったけど、すっぽかして来た。」 「なっ…!何だって?!!」 「だってさー俺、筧に会いたかったんだもん。」 「何バカな事言ってんだよ?!今からでも遅くねえよ!即効帰って謝れって!!!」 「帰えんねえよ!!」 「っ…!」 水町が吼えるように叫んで、俺は動きが止まってしまった。 あまり見ない。 真剣そのものな水町の表情に気圧されたのもある。 「水町…解ってんのか?自分が何やってんのか。」 「解ってんよ。でも知んねーよ。記録とか、オリンピックとかって、言われたってよ。」 「俺は…今度はまた水泳で『てっぺん』狙うのかと思ってたよ。」 「ちげーよ…俺は、ただ…泳げたらそれでよかったんだ。」 らしくなく、小さな声で。 水町が呟く。 「でも、皆が喜んでくれんならって、オリンピックも目指そうかなって思ったけどさ…」 そこで、水町がすねたような顔をしてこちらを伺った。 「俺だって頑張ってたけど、でも、一番大事な事ダメだって言われたら、そりゃ俺もそこまで我慢出来ねえワケで…」 「一番大事な事?」 「うん。」 「何だよ?」 「…今日、筧に会いにくること…」 「……」 今、一番大事な事って言わなかったか? 『今日、筧に会いにくること』 それが。 水町にとって、一番大事な事? 「だっ…て…オリンピックだぞ?皆、誰もがいけるって訳じゃねえんだぞ?それを…俺に会う方が…大事だって?」 「うん。」 「……」 呆れて、声も出ない。 「筧…俺達、こうやってクリスマスを二人で過ごしはじめて8年くらい経つよな。」 「……」 「毎年、無理やりでもなんでも理由を付けては、俺、お前に会いに行ってた。」 「……」 「歳とって、オンナが出来ても他にダチが出来ても、それでも俺はお前に一番に会いたくってさー」 水町の、顔に苦い笑みが浮かぶ。 「ほんとは、クリスマスだけじゃなくって、ずっとずっと傍にいつでもいられればいーのにって。ずっとずっとそう思ってて。」 無理に、笑おうとしてる。 その口元が痛々しい。 「だから、お前がアメリカ行くって時はほっとした。これで、顔見なくなったらこんな思うのもなくなるかなーって。」 「……」 「でもな、ダメだった…!半年以上会わなくったって、やっぱ毎日筧に会いてえし声も聞きてえし傍に居てえんだよ!!」 そう、叫んだ水町の顔は見えなかった。 ヤツが自分の手で、顔を覆っていたから。 俺はそろそろと、腕をあげる。 そして。 水町の、その顔を覆う手を掴んだ。 不思議そうな顔になって、俺を見返す。 「…?」 「…傍に、居る、だけでいいのか?」 上手く、声が出ない。 でも、訊きたい。 ゆるく水町は首を横に振って。 「笑っててほしーし…触ったりもしてえよ。んで、俺のこと、好きになってほしーよ。」 「うん。」 「でも、そうじゃなくても、傍に居られんなら、それだけでもいい…」 掴んでいた方の手を引いて。 水町は俺を引き寄せると、手を背に回して。 「傍に居てえ、居させてよ。なあ、筧。」 そう言って、ぎゅうぎゅう抱き締めながら首筋に顔を擦り付けた。 まだ、暖まりきってなかった髪が頬や首を掠めて冷たい。 バカ水町。 ネットで、お前の記事は読んでたよ。 知ってるんだ。 どれだけ、お前が皆の期待を集めてるか。 その憎めない性格で、どれだけ皆に愛されているか。 まだ新人ながらも。 五輪の選考には間違いなく通るだろうと言われていることだって。 なのにお前は。 そうして期待してくれる人達も、お前を愛してくれてる人達も。 五輪に出場、そして活躍出来るかもなんて輝かしい未来も。 それら全部『知らねー』とか言って俺に会いに来ちまいやがって。 バカ、あほ、ボケ。 何で会いになんか来るんだ。 しかも『傍に居てえ』なんていいやがって。 水町は来ない。 来なくてもいい。 そう思ってたのに。 思えてたのに。 人の気も知らねえでバカヤロウ。 目頭が熱い。 ほんとに、来なくてもいいって思ってたのに。 もう、会えなくってもいいって思ってたのに。 なのになんで俺は。 こんなにも泣きそうになってんだよ。 ちくしょう。 自分に呆れて、声も出ねえよ。 何も言う事が出来なくて。 仕方がないので。 返事の代わりに、俺も水町の背を抱き締めた。 窓の外。 暗闇に降り注ぐ雪が見える。 切ない、ような。 温かい、ような。 そっと目を瞑ると世界は閉じて。 そして水町と自分だけが。 この世界に存在してるかのように思えた。 その考えは。 酷く甘く幸せな気分を自分に齎したのだった。 |
おそまつさまでした。
好き勝ってやってごめんなさい!(ほんとにな…)
パラレルとかそんな風に思って下さいまし。
もうちょっと続く筈でしたが、ぶった切りました。
今後の二人は皆さんのご想像に任せたいと思います。
Happy Merry Christmas! 2004.12.22