「お前、ほんとバカみたいに練習好きだよな。」 夕暮れの名残の赤もすっかり消え失せて。 地平に近い空は白く、その上から濃い紺色がじわりと降り注ぐ。 顔を出した月は輝いている。 その空を仰いで。 夕食の後、また自主トレをはじめた水町に付き合っていた筧が、流石に呆れて溜息を吐いた。 「え〜?そんな事言って、筧だって付き合ってんじゃん〜」 へらりと笑って。 水町が動きを止めて振り返った。 「そりゃあ、俺だって練習は好きだけどよ…」 でもお前には負ける。 そうしみじみと思って筧は水町を見詰めた。 はじめは、半信半疑だった。 部員の勧誘をしている時に出会ったこの水町という男が、入部した時。 その見た目とちゃらりとした喋り口調に、とても真面目にアメフトに取り組む気などないのだと思った。 『やる気のある奴しかいらない』 そう言った自分に、水町は。 『やる気?あるある!なんなら試してもいーからさー!』 笑って言って、その日から入部した。 そして。 その日から。 水町は、誰よりも一番練習に励む部員になったのだ。 そしてそれだけではなく。 その練習量に比例するかのように。 アメフトの技術もまた、誰よりも上達していった。 今ではもう。 水町なしのチームなど有り得ないと思えるくらいに。 「ナニ?」 押し黙った筧に、どこか居心地の悪そうな顔をして。 水町は座り込むと靴紐を結び直し始めた。 その向かい側に筧もまた腰を下ろす。 「いや…お前が入部してくれて、よかったなと思って。」 その言葉に、水町が顔を上げる。 「練習だって真面目に一生懸命やってるし、はじめて間もないってのに、もう一端の戦力になってる。」 「……」 筧の言葉を。 じっ、と上目使いで見ていた水町が。 どうしてかむっとした顔をして、ふいと俯いた。 「…?」 そんな水町の仕草を見て。 筧は首をかしげて眉を寄せた。 いつもなら。 さっきみたいな褒め言葉には、過剰に飛び上がって喜ぶ筈なのに。 現に、昼の練習時に先輩に「この調子だ」と肩を叩かれた時には、大声で笑ってはしゃいでいた。 なのに今は。 拗ねたような表情になって口を尖らせている。 そういえば。 ここ最近の水町を。 たまにおかしいなと思う事がある。 例えば、今。 例えば、昨夜のプールで。 いつもとは違う、こちらの予想とは違った反応を返す事がある。 単純なようでそうでないのかもしれない。 自分は、まだ、水町健悟という人間を理解し尽せてはいない。 水町の、視線が上がった。 「…っ?!」 射殺される、かと思うような。 そんな、視線だった。 何故、と思うと同時に。 どくりと心臓が大きく鳴った後、鼓動が速度を増した。 視線はそのままに、水町が低い声を出した。 「でも俺…アメフトよりも、もっと好きなものがあるよ。」 「……」 強張ったままの表情の水町に。 筧は答えるべき台詞を慎重に考えた。 「それは…しょうがねえと思うし、でも、それでも水町がアメフトをやってくれてんのには、凄く感謝してる。」 「……」 「それに、お前今だってこんな遅くまで練習してたじゃねえか。他にもっと好きなもんがあったって、アメフトやって楽しいと思ってくれて、それで好きになっててくれてるんなら、何も文句なんか言えねえよ。」 「…うん、まあ、アメフトは2番目に好きだけど…」 応えた水町の声と表情が緩んで。 筧はほっとして密かに息をついた。 安堵からか、筧の顔に少しの笑みが洩れる。 そうすると水町からも、怖いとさえ思えるような険しさは消えた。 そして、また、どこか拗ねたような顔に戻って。 「それで筧はさ…俺に何が一番好きか、とかは訊かねーの?」 「は…?」 水町の問いに、筧はアゼンとして間抜けな声を出した。 何を今更、解りきったことを。 そういった思いからの反応だったが、水町には気に障ったらしく、ますます唇を尖らせた。 「なんだよー筧は俺が何が好きかなんて、全然キョーミねえってのかよー」 「バカ、そうじゃねえだろ。お前が一番好きなもの、つったらひとつしかねえだろ。」 「…何?」 「水泳、だろ?」 「あー…まあ、うんその…それはそうかもだけど。」 「なんだよ。」 「あれは別格。水泳は、俺にとってはスキとかそーゆーレベルじゃねえの。」 あはは、と笑って。 さも当然、とばかりに言う水町。 そんな水町を見て。 筧の胸がほんの少し痛んだ。 「筧も知ってっけどさー俺カナヅチだったじゃん?」 「ああ…」 「でもさ、頼まれて水泳部入ったワケだし、とにかく泳げるようになんなきゃってさ。」 「うん。」 「それで、そりゃーもう、毎日練習したワケよ。朝も晩も夏も冬も。」 知ってる。 今、こうして夜遅くまでアメフトの練習に励むように。 水泳だって、たくさんたくさん練習したんだろう? 「出来るだけ水に浸かってさ、『俺は魚だ〜!』ってずっと一年ぐらい自分に言い聞かせてたんだぜ。」 水町の、目が。 きらきらと輝き出した。 それは、決してグランドを照らすライトのせいばかりではないだろう。 「大会で優勝した時はそりゃー嬉しかったね!カナヅチだった俺が水を制したんだって、すっげ気分良かった。」 生き生きと、そしてとても嬉しそうに。 「だから水泳は別格。」 水町がにっかりと笑った。 それを見て、筧は思う。 どうして、笑えるのだろう、と。 頼まれて入った水泳部。 なのに、結局はそれに裏切られた形になった。 水町は、何にも悪くはなかった筈なのに。 どうして、笑えるのだろう。 自分も、アメフトに裏切られた、と思った事がある。 それは全て自分が悪かったのだけれど。 でも、それでも、あの頃の事は笑えない。 それに、もし。 自分が水町と同じ経験をしたとしたら。 それこそ、絶対に笑えないと思う。 笑って、『別格』なんて。 絶対に絶対に言えない。 そして。 また、もう一度。 頑張ろうなんて。 思えないかもしれない。 だからこそ。 本当に凄いと思うのだ。 その、ずば抜けたセンスとか運動能力とか、そんなものではなく。 まだ、水泳が好きだと言える。 まだ、頑張ろうと思える。 その、強い心こそを。 憧れに羨望に。 そして嫉妬と少しの敗北感を。 感じて筧は小さく笑う。 「その、『別格』の水泳には戻らなくていいのか?」 言った後、自分の声が酷く情けなく聞こえた筧は下唇を噛んだ。 それをしばしじっ、と見た水町が明るく言う。 「いいよ。前にも言ったじゃん。」 「……」 「それに筧、一緒にアメフトしたい、って言ってくれたじゃん。あれウソじゃねえよな?」 「ああ。」 固く肯いた筧を見て、水町の顔がぱっと輝く。 そして。 「ダイジョブ!今俺アメフトやってて、すっげ楽しーし!!」 嬉しそうに、楽しそうに、笑う。 「それにさ、そんな心配ならさ、筧が付きっきりで俺にアメフトの面白さを教えてよ。」 アメフトも『別格』だって、思えるくらいにさ。 踏ん反り返って。 不敵に笑う。 そんな水町に。 筧もまた、挑むように笑った。 「そうさせて貰う。」 「おー!」 じゃあよろしく、とばかりに筧の肩を水町がどつく。 筧もまた、どつきき返す。 そうして。 いい加減やめろと先輩部員が迎えに来るまで。 二人して戯れながらどつきあいをやり合っていたのだった。 「それで、結局お前の一番好きなものって何なんだ?」 宿舎に帰りながら。 ふと思い出して筧は水町を振り返った。 「解んねえの?」 「だから訊いてんだろ。」 「フーン」 頭の後ろで手を組んだ水町が。 面白くなさそうに、また、口を尖らせる。 「また今度ー」 「なんだよそれ…」 訊かれたそうにしてたくせに、と顰め面になった筧は前に向き直って早足で歩き出す。 その背中に水町が舌を出した。 「ちょっと考えれば解りそうなんだけどなあ…」 その呟きは。 もうすっかり闇に閉ざされた。 夜の空に吸い込まれるように消えた。 |
本誌で水町の過去が明かされたので。
あんな過去でもまだ水泳が好きな水町がとても素敵です。
でも、また「水泳が好き」だと声を大にして言えるのは、筧に出会ったからだとも思いたいのですが…
それまでは、好きだけど泳げなかった。てのが私的見解。
いや、どこにもお話にはそんなの出てないですけどね(笑)
2004.12.153