懲りない遅刻魔の罰ゲーム







水町はとかく時間に遅れる。
本人に悪気があったり、支度が遅いという訳では決してない。
むしろ、人より数段支度などは早い。
ただ、性格上、色んなものに気が取られてしまうためだ。
約束の時間には十分間に合うように出掛けたとしても。
途中で誰かしらと話し込んでしまったり、面白そうな出来事に首を突っ込んでみたり。
そういった訳で、水町が時間通りにやって来ることはあまりないのだった。



そして、その日もやっぱり水町はミーティングに遅れて来たのだった。

「ちわーっス!」
「遅ぇよ水町」

元気一杯な声を上げて部室に入ってきた水町に、顰めっ面で筧が声を掛ける。
「今日は大事な作戦練るからちゃんと間に合うように来いって言っただろ」
「ンハっ!そーでした!わりーわりー」
「ったく…」
悪い、という割にはまったく堪えた風がない顔で笑う水町に、筧が呆れて溜息を吐いた。
そして気持ちを切り替える。
いい加減、こんな遣り取りは遣り尽くしたのだ。
しかし何度言っても、水町がちゃんと来た試しはない。
だから筧は、この頃ではこう思う事にしていた。
来るだけマシなのだ、と。
特に今日は、遅れるにしてもミーティングは始まったばかりで大した事は話してなかった。
だからそう、目くじらを立てる事ではない。
もう来週に迫った他校との練習試合の為の、大詰めのとても大切なミーティングなのだとしても。
たぶん。



「じゃあ、小判鮫先輩、続けてください」
「えっ?ああ、うん」
すっかり気持の切り替えが済んだ筧が、ボードの反対側に居た小判鮫を促す。
それに慌てて応えた小判鮫は、中断した話の続きを言おうとした。
が、何か思い立って、あ、と小さく呟いた。
そして。
「水町、アレ、ほらいつものやつ。後じゃ忘れそうだからさ」
そう言って、それから筧に後ろの窓際に置いてあった箱を取らせる。
筧はその薬箱位の大きさの箱を手に取ると、壁に背を預けた水町の前まで歩いて行った。
そうして、その箱を胸元に掲げる。
「ほら、水町」
「ん、今日はナニかな〜?」
「バカ、遊んでんじゃねえんだぞ」
「わーかってるって!」
水町の軽口にまた顰めっ面になった筧に。
そんな怒んなって、と笑って水町は部員達の注目の中、その目の前の箱に手を突っ込んだ。


その、箱の中には小さく折りたたんだ紙が沢山仕込まれていた。
この箱、実は罰ゲームのためのものなのだ。
密かに巨深ポセイドンに伝わる伝統の風習なのである。
部員全員で何かペナルティになりそうな事柄を紙に書いて箱に放り込む。
遅刻は勿論、その他何かやらかした時に、そのくじを引いて罰を与えるというのだ。
当然、それが例えどんな罰だったのだとしても部員である限り拒否権はない。
巨深ポセイドンの中では、絶対のルールとしてその箱は存在しているのだ。
専ら、ここ最近は水町専用となりつつあるけれども。

ちなみに、水町は少なくとも10回はこのくじを引いている。
その内容は、スクワット500回だとか、タックル練習1000回だとか、ドリンクの買い出しダッシュで隣町までだとか。
主にトレーニングの延長やハードな肉体労働的なものばかりであった。
そんな感じで、普通に校庭100周したり、タックル練習2000回したりする水町にに取っては全然苦にならないもので。
それもあってか、一向に水町の遅刻癖は直らないのであった。


「え〜と、何ナニ…?」
中にはすっかり黄ばんでしまったものもあるくじの中から水町はひとつを選び開ける。
嬉々とした表情で書かれた文を眼で追っていく。
その水町の。
目が大きく開かれて、表情が強張った。
「?…どうした?」
水町の様子に、その前で立っていた筧が一番に気付き声を掛ける。
すると、水町がぎくりとして顔を上げた。
「え?いやっ…」
「何が書いてあんの?」
「あっ!」
訝しむ筧に気を取られた水町の脇から、いつの間にか近寄っていた小判鮫がくじをひょいと掠め取った。
そして意気揚々と読み上げる。
「ん〜どれどれ〜?えーと、目の前にいる人にキスをす、る…」
最後まで読んで、小判鮫が固まった。
勿論、それに興味津津と耳を傾けていた部員達全員もまた固まった。
「目の前って…筧?」
ぽつ、と固まったまま小判鮫が漏らした言葉に。
一同が固唾を飲んだ。



皆、この降って湧いた事態に戸惑っていた。
これが、もし、同じ部員であってもあまり水町とそう接点のない相手なら笑って済ませてられたのに。
やれ!やれ!!、と面白がって囃し立てたりもしただろう。
けれど、あの水町と筧なのである。
キスなんかしてしまったら。
洒落にならないんじゃねーの?なんて。


巨深ポセイドンの部員達は皆、基本的に仲が良い。
その中でも特に、水町と筧は仲が良いと言えた。
いや、仲が良過ぎるというべきか。
水町の入部の切欠が筧であるのは周知の事実であったし、事実二人は一緒にいる事が多かった。
アメフトでもプライベートでも。
騒がしい水町が、何かと筧を構う。
そしてそんな水町に筧も嫌な顔をしない、どころかなんだかんだいって付き合ってやってる。
そんな二人を、部員誰もが知っていた。

だからこそ。

普段からとても仲が良いからこそ。
いつもノリのいい水町が、ほとほと困り果てた顔になってしまっているからこそ。
酷く洒落にならない気がしてしまうのだ。



暫し流れた微妙な空気を。
破ったのは最高峰の二人だった。
「さっ…させんぞぉぉぉぉぉ!」
「かかか筧先生とキキキキキスなどこの僕が絶っっ対に許さんっ!」
いつも以上に涙を流す大平と憤怒で顔を赤くした大西が、庇うようにして筧の前に回り込む。
その騒動に、やっと辺りの張りつめたような空気が解れた。
「い、いやでも、ほらっ、いちおー規則ってゆーか伝統の罰ゲームってゆーか…」
金縛りから解けた小判鮫が、首を限界に上げながら大男達の間に慌てて割り込んだ。
と、途端に上から涙と情けない声が容赦なく降りかかる。
「そっそんなあああああああ!!」
「ですが先輩っ…!」
「ひぃぃぃ」
高いところから大波のように押し寄せる二人に、小判鮫が情けない声を出して仰け反った。
そこに、筧の静かな声が。
「おい、やめろ二人とも」
「っ?!!」
「うおっ?!」
後ろを振り返った大平大西に、筧は諭すようにして言う。
「小判鮫先輩、困ってんじゃねえかよ」
「は、はあ…」
「うおっ!すいませんっス!!」
「お前ら、騒ぎ過ぎなんだよ」
はあ、と大きなため息を吐いた筧を見て。
大きな二人はしょぼくれてすみませんと萎れた声を出した。
「それにだな」
筧はそれまでは大人しくしていた水町をちらりと見る。
けれど目が合った途端、水町は俯いてしまう。
それが目に入ってまた溜息を吐きたくなった筧だったが、構わずそのまま続けた。
「…キスって言ったって、口にしろなんて書いてねえだろ。別に手でも足でも適当なところにしとけばいいじゃねえか」
「っ!!」
その筧のセリフに、おおっとどよめきが起こる。
小判鮫も大仰に頷いて。
「そ、そーだよ筧!俺も今そう言いたかったんだよー」
そう言って笑う。
大平はまた涙を流しながら、大西はメガネをずり上げながら、ほっとして肩を下ろしたのだった。
が、何やら疚しい事を思い付いた大西が慌てて頬を染めて筧に向き直った。
「先生、手はともかく足は駄目です!」
「…ああ、そうか?」
訳の解らない筧は、足にキスを送る自分を妄想して真っ赤になった大西に曖昧な返事で答えるしかなかった。



これで無事解決、とばかりに安堵に包まれる部員達の中。
じゃあ手でいいよな、と誰かが言って。
筧の手を、部員のひとりが掴んで水町の方へと差し出した。

その手の向こう、筧の見た水町は。
酷く狼狽えて困りきった表情だった。
差し出された手を受け取ることもなく、表情と同じように体も固まったままで。

筧は、それを不審に思う。

いつもなら水町は。
ノリの軽いお調子者で、悪びれずふざけた事をやらかすような奴だった。
きっと、いつもの水町なら、ノリにノって大笑いして馬鹿みたいに騒いで。
手だって言ってるのに、頬にキスするくらいはやってのけそうな気がしていたのだ。
それなのに、そんな水町が固まったまま動かない。
それは筧でなくとも、きっと不審に思うだろう事態であった筈だ。

「水町?」
だから筧は、眉を寄せ、目の前にある顔を覗き込んで声を掛けた。
それにびくりと肩を揺らせて水町は、思い出したように体を動かして頭を掻いた。
「あ…えっと、その…」
目を泳がせながら、水町は筧から目を逸らせて斜め下を向いた。
そこで。
「…………あ」
「あ?」
水町がぱか、と口を開けて間抜けた声を上げた。
それを聞いた筧も同じ音を語尾を上げて出す。
そして、動かない水町の視線を追って同じ方向を見る。
そこには、突然見詰められる羽目になった小判鮫がおどおどと水町と筧とを交互に眺める姿があった。
「えっ?何?!えっ?!」
「小判鮫先輩!」
「ハイっ?!」
呼ばれた小判鮫が素っ頓狂な声を上げる。
その前に向き直って、水町は楽しそうに言った。
「こんで、俺の目の前の奴って先輩っすよね?」
「う、うん?」
「って事で失礼しまーっす!」
「って?ええ?!」
目を見開く小判鮫をがっしりと捕まえて。
水町はその頬に、突き出した唇を当て思い切り吸った。

「んぎゃあああああああああああああ!」

暫くアメフト部の部室では、小判鮫の絶叫が悲痛に響いていた。










それが2週間前。
そして今日もまた、水町は遅れて来るのだった。



「アリ?筧、何やってんの?」
「水町…いい加減遅れんなよな」

水町が部室へ入ると、筧一人が机に向っているのみだった。
いつもなら全員グラウンドへと出てる時間帯だ。
水町の不思議そうな顔は尤もだろう。
「ああ、こないだの練習試合勝つには勝ったけどよ。まだもっと改善出来るとこがあるんじゃねえかって」
今日の練習で早速試してみたい事があるので、こうして独り残らせて貰ったのだと。
筧はそう答えながら、机に広げたフォーメーションの絵をコツコツとペンで叩いた。
それに水町も興味を示して机へと近付く。
「ふーん?どれどれ?」
「ここの…佐々那をこっちに、とか」
「あーそっか、でもそれだとさあ」
筧の提案に水町も乗って意見を。
二人で小さな絵を覗き込む。
四角といくつかの丸が描かれた紙には、赤い線が数本引いてある。
その一本に沿らせて水町が勢いよく指を滑らせた。
「こーやってボールが来たら…って、悪ぃ」
「ん、ああ」
小さな丸と丸が書かれたポイントへと紙面の端から行った手が、筧の置いてあった手に当たったのだ。
そこで、白熱し掛けた会話が途切れる。
顔を上げた筧のすぐ間近には、水町の顔があって互いに目が合った。
けれどそれも一瞬で。
「あ、そだ、俺また遅刻したからアレやんないっとな」
そう言って、水町は筧から離れたので。
窓際にある、その箱へ向かう大きな背中を見て筧はそっと詰めた息を吐いた。


先々週からこっち。
水町と筧はどこかぎこちなかった。
お互い、理由は解っているようでいて実は全く解ってはいない。
ただ、自分側の理由だけが痛い程解るだけで。



「っ、なんだよこれ〜〜〜」
水町のどこか苛立ったような声がして、筧ははっとして物思いから我にかえる。
「なんでこんなばっかなんだよ」
がりがりと頭を掻く後ろ姿は、酷く狼狽たえているようにも筧には見えた。
「なんて書いてあるんだ?」
「……」
筧の問い掛けに、すぐには水町は答えなかった。
かわりに、苦笑を浮かべたまま筧の元へと歩み寄る。
そして。
隣の椅子に座ってから、やっと水町は口を開いた。
「…好きな人に告れ、だってよ」
「……」
「はあー…アメフトなんか全っ然かんけーねーじゃん!」
背凭れに思いきり体重を預けて仰け反った水町が嘆く。
その水町の色素の薄い髪が、窓からの光に晒されて更に色を飛ばしている。
筧はそれを眩しそうに見詰めながら訊いた。
「好きな奴、いるのか?」
「ん…」
それには水町が肯定とも否定とも取れるような声で返すのみだった。

静かになった部室に、様々な運動部の練習の掛声や足音が響く。
目を閉じたまま動かない水町に。
筧が。
「それ、寄こせ」
「あん?」
「それだ」
自分の手元に視線があるのに気付いた水町が、その手を前へと差し出した。
その手にはさっき引いたくじが握られている。
受け取った筧は少し黄ばんでいる小さな紙片を見た。

『好きな人に 告白する』

そこにはそう書かれていた。
そのくじを筧は小さく折りたたむ。
そしてそのままジャージのポケットにと仕舞い込んだ。
不思議そうに眺める水町に。
「これはなかった事にしてやる。校庭100周でも、タックル練習でも、好きなのやってこいよ」
そう告げて、置いたペンを握り直した。


筧は水町が喜んで部室を出て行くのだと、そう思っていた。
けれど違った。
水町は立ち上がらず。
喜ぶどころか、少し怖い顔をして。
「なんで?」
「え?」
「だからなんで?筧はズルとかってキライじゃね?なのになんで?」
「なんでって…」
怒ったように問い質してくる水町に筧は戸惑う。
「別に、ズルじゃねえだろ、かわりをしろって言ってんだからよ」
水町がそれを誤魔化したりサボったり、なんてしない事を筧は知っている。
形が変わるにしろ、罰はちゃんと受けるのだからズルではない、と筧は思っていた。
しかし水町はそうは思わないようで。
「そのかわりをするってのがズルって事なんじゃねーの?」
そう、言った水町はいつの間にか背凭れから体を起して前のめりな体勢になっている。

筧は、本当に解らなかった。
何故水町が怒っているのかが。
だから何も言えないままで、水町の顔を見詰め返すしか出来ないでいる。
そんな筧に、水町は更に言い募る。

「ズルじゃねえっつーんならさ、こないだん時にだってそうすればよかったじゃん?」
「こないだ?」
「そー、なにもヘンな理屈捏ねねーでさ、今みてーにキスじゃなくって他のやってこいってさ」
「おい、水町」
こないだ、とは。
先々週にやった罰ゲームの事である事だけは理解した筧が。
何か言おうとしたけれど。
ますます不機嫌な顔になって水町が苦々しく言う。
「そりゃあ筧はアメリカに居たから、手だろーが足だろーが…口だろーがキスすんのなんて何でもねーんだろーけどさ!」
別に、何でもない事はないと筧は思ったが口を挟む間もなく。
「こっちの身にもなれっつーの!俺…俺は…っ!」
勢い良く続いた台詞は、途中で途切れた。
机の上で握りしめた拳が僅かに震えている。
それを筧は怒りのせいなのだと思った。
そして。
俯いて唇を噛みしめる水町を。

やはり、筧は理解出来なかった。
何故、こんなにも水町が怒っているのかが。
だから。

「何を怒ってんだ」
「…っ」
筧の声に、水町の髪がびくりと震える。
前髪が邪魔で表情は良く見えないけれど。
「俺はただ、お前が嫌そうにしてるから言ってやっただけじゃねえかよ。意味解んねえよ」
「……」
「それに大体、お前の身になれったってよ…なってやってんだろ」
顔を上げないままの水町が。
筧はやっぱり解らなくて憤りながらも、どうしてか切なく思う。
「こないだのだって…妥協案、出してやったんじゃねえか」
「妥協案?」
水町のくぐもった声が問い返した。
「ああ、普通キスっつったら口に、って思うだろ。けどお前、すげえ困ってっから屁理屈だって解ってたけどよ、手とか足とか言ってやったんだろ」
「……」
不思議そうな水町の顔が上がった。
「なのになんでそんな怒ってるんだお前は」
そこまで言って、筧は口を噤んだ。
言外に、お前のためにしてやったのに、とは十分に伝わっているだろうと。
眉根にきつい皺が寄る。
見ようによっては、今にも泣きそうにさえ見えて。
それを水町がまじまじと見詰めた。


「……俺が困ってっから?」
ややあって、水町から問うような声が漏れた。
「ああ」
やっと通じたか、と思いながら筧は固く肯く。
だが、また眉を顰める結果となる。
「じゃあ、俺があんとき困ってなかったらふつーにキスするつもりだった?」
「…そうだな」
「ヤじゃねえの?俺とキスすんの」
「…仕方ねえだろ、罰ゲームなんだしよ。お前だってしたくてする訳じゃねえだろうし」
「俺が困ってっから、俺がしたくねえだろーって思って…そんで妥協案?」
「そうだ」
そう答えて、筧は机にと視線を落とした。
強い視線で見詰めてくる、水町から逃げるように。
しかしそれを許さない、とでもいうかの様に水町は筧の腕を強く掴んだ。
「してえよ、俺」
「何?」
「筧とキスしてえんだけど」
「いっ…」
水町の手に力が篭って、筧は痛みで小さく声を洩らす。
筧はぎゅっと奥歯を噛み締めてから水町を睨み付けた。
「離せこのバカ、ふざけんな」
「ふざけてねえよ。筧がヤじゃねーなら、すげーしてえけど?」
強く腕を掴まれたまま、水町との距離が狭まって。
筧は、焦った声を上げた。
「嫌がってたのはお前の方だろ?!俺の事、嫌ってたんじゃねえのかよ?!」
「は?なんで?嫌いな訳ないじゃん」
あっさり否定を返して、尚も引き寄せようとする水町に筧はむっとしながら反対側の腕を突っ張る。
「あんな嫌そうな顔してたくせに何言ってやがる!」
突っ張った腕を、今度は水町の胸にどんと強く打ち付けて。
「だから小判鮫先輩にしたんだろ?!俺にはっ、手にするのも嫌だったって事じゃねえか!」
「…っ!」
「あ…」
水町が酷く驚いた顔をして。
そして筧は自分が言った言葉の意味を理解して。
顔を赤くして下を向いた。
「ナニ?筧、俺にキスして貰いたかったの?」
「んな訳あるか」
水町の胸を叩いた手は、そこでそのまま弱くシャツを掴んでいる。
その腕を取って。
俯いてるから見える頭のてっぺんに水町は軽く唇を寄せて。
「…だってさ、怖かったんだよ」
「何がだ」
ひっそりと呟いた声に、筧は俯いたまま低く返す。
「バレんじゃねーかって」
「だから何が」
「…俺が、筧にずっと、キスしたかったってバレんのがさ」
「……」
筧が顔をあげる。
間近に、どこか怯えの色を含んだ瞳があった。
「知んなかったろ?」
苦く笑ってそう言う水町に呆然としながらも筧はゆっくりと肯く。
「だからさ、筧にキスなんかしちゃったら…それが手でもさ、なんかどっかおかしーなってバレんじゃねーのかなって」
腕を取っていた水町の手は、いつの間にか下の方で筧の両手をしっかりと握っていた。
ぎゅっと強く。
なのにどこか冷たいような。
「それにさ、一回でもしちゃったらさ、またやりたくなっちまいそうでさ…」
ハハ、と小さく乾いた笑いが漏れた。
水町の、そんな様子を見て筧の胸が痛む。
無理をしているのがありありの。
そんな水町は見たくないと思った。
いつもの、馬鹿で騒がしくて、必要以上に自信を持った。
あの、太陽のような笑顔の。
そんな水町が、見たいと。


「すれば、いいだろ」
その言葉は、するりと筧の口から出た。
ただ、水町の顔を見ながらではなかったけれど。
「何回でも、したけりゃしろ」
「あのさ、筧…」
また俯いてしまった筧の頭上に、深い深い溜息が落ちる。
「そりゃあ、筧にとっちゃキスなんて何でもねーんだろーけどさ、でも」
「何でもなくはない」
「俺にとっ…って、ええ?!」
「何故お前がそんな風に思ってんのかは解んねーけどよ、俺は別にキスするのが何でもねえなんて思ってねえ」
「……」
上から見下ろす形になった水町の目に。
赤く染まった筧の耳が映る。
「意味、解ってんだよな…?」
水町は恐る恐る訊いた。
「俺、筧のことが好きだって、言ってんだけど?」
握った手がびくりと震えて、水町は強く力を入れる。
このまま、逃げられそうで。
逃げられないように。
ちょっとした沈黙が降りる。
けれどそれはすぐに筧の声で破られた。
「そのくらい、俺にだって解る」
それは小さな声だったけれど。



水町の、強く握りしめていた手が離れる。
そしてそれはゆっくりと上へとあがって。
そっと筧の頬に触れる。
と、同時に筧の鼻先に水町の鼻先が触れた。


それはとてもぎこちなかった。
ただ、触れるだけの。
そしてすぐに離れていってしまう。
それだけの。



でも、それで充分だと二人は思って。
閉じた目を開けて。
どちらともが、ほっとして、そして泣きそうな顔で笑っていた。





「あ、そだ」
ふと、水町が思い出したように呟いた。
どうしたと瞳で問う筧に目を眇めて。
「俺、罰ゲームクリアな。ちゃんと好きな人に告ったもんな」
そう、水町は清々しく笑った。



その時同じくして。
休憩時間になったからと、様子を見に部室へやって来た小判鮫が。
扉の向こうで起こっていた喧嘩にハラハラし、そしてその決着を成り行き上見てしまい。
途方に暮れて立ち尽くしていた事などは、二人が知る由はなかった。










ところで水町の遅刻癖だが。
少しはマシになったのかと言えばそうではなく。
それどころか、遅刻の罰で想いを遂げたとあって一向に直るような事はなかったのだった。







メインへ TOPへ

筧、誕生日おめでとー!
あんまりお祝いっぽい感じではないけどね…ごめん
でもこれからきっと幸せになる筈だから!ね!!
2008.06.06