よく晴れた日の午後。 土手沿いの道をゆったりとした気分で歩く。 もう高校を卒業してしまったので、今までよりも長い春休みを謳歌中だ。 無事に志望校にも受かったし。 とりあえず今日は昼前から買い物に行って、散歩がてらちょっと遠回りをして家路についている。 最近は、出来る限り足を使う事にしてる。 2学期で部活を引退してから、過酷な運動をぱったりやめたせいで運動不足を実感してるからだ。 進学する大学には、所属していたアメフト部はない。 だから別に体が鈍っても構わないし、ブランクだって気にする必要もない。 けれど、折角鬼のような練習に耐え、自分でも驚くぐらい鍛えられた体をそのまま腐らすのは勿体なくて。 アメフト部はなくても、何か別の運動部にでも入ろうか。 そんな風に考えては、なんだかしっくりこない気がして。 でもただ出来る限り動く癖を付けよう、なんて意味があるのかないのか解らない考えを実行していた。 うららかな陽射し。 それはもうすっかり暖かくて、風は少し冷たいけれど逆にそれが気持ちいいくらいで。 今まで部活だ受験だのと慌しくしていたから。 なんだか今のこの時間はぽっかりと迷い込んだ別世界のようにさえ思えてくる。 春休みに入ってから、何人か友達には会ってるし、同じ大学に行くやつだっている。 新しく始まるだろう生活を、多大なる期待と少しばかりの不安とを持ちつも楽しみにしている。 なのに、何故だろう。 どこか、ぽっかりと胸に穴が空いたような気がするのは。 目を閉じると浮かぶのは馬鹿みたいに練習に励む部員と自分の姿。 有り得ない練習目標を挙げ、前を行き、振り向いて寄越す無邪気な笑顔。 挑むように前を見続け、けれど声を掛ければ含みのない好意のこもった言葉を返す綺麗な瞳。 事あるごとにぶつかっては騒いで暴れて、けれど礼儀正しくて迷惑だけど嫌いになれなかったデカイ二人組。 独り言を洩らす度に横から突っ込みをくれるメガネ。 自分の繕った言い訳に、生暖かくも笑って付き合ってくれた面々。 毎日、ただ、目の前にあるものをこなして生活しているのだと思っていたのに。 あれらの日々は、こんなにも自分に焼き付いていたのかと。 そう思うと苦笑が漏れた。 きっと、楽し過ぎたんだよなあ。 それとも、もう決して戻れないと思うからこそ、こんなにも焦がれるのか。 「チーーーーーーーーーーッス!!!」 後ろからざかざか駆け寄った足音は、耳元で盛大な声と共に立ち消えた。 「?!!!」 「ほーら!やっぱ小判鮫先輩じゃーん!」 「別に違うとは言ってなかったろ。」 突如現れた影は振り返って明るい笑顔を見せた。 日に晒された髪がきらきらと眩しく光っている。 続いて後から現れてぶっきら棒な声を残した相手は、対照的に黒い髪がつやつやとしていた。 「水町、筧…」 「お久しぶりっス!」 「こんな所で奇遇ですね、どこかへ?」 もう決して戻れない、なんて。 感傷に浸りつつ姿を思い描いていた相手に。 偶然とはいえこんな簡単にひょっこり会えて暫く呆けてしまった。 まったくこいつらときたら。 ゆっくり感傷に浸る隙も与えない。 「うん、ちょっと買い物に。俺は今帰りなんだけどね。そーゆー君達はどっか行くの?」 そう訊くと、水町が嬉しそうに飛び跳ねた。 「スパイっすよ!スパイ!!」 「人聞き悪い言い方すんなよ、水町。偵察だ。」 「いやどっちも一緒じゃ…」 「今度の春大会に向けて、みっちり作戦練るんすよーそれでそのテーサツに!」 今までやってくれてた小判鮫先輩が居なくなったから、変わりに俺らが実働部隊なんスよ! と、水町はとても楽しそうにして、な、と隣の筧の肩を叩いた。 「小判鮫先輩みたく上手く出来るかは解りませんが…出来る限りの事をします。」 スパイとかそーゆー小ズルイのをあまり好きじゃない筧が、それでも頑張りますと笑った。 自分よりも頭一個は大きい二人を見上げる。 とても彼らが眩しく見えた。 「…その、先輩ってのやめない?ほら、もう俺、卒業しちゃったしさ。」 なんでそんな事を言ってしまったのか、自分でもよく解らない。 だけど大学に進んで、アメフトをやめてしまう自分への自己嫌悪があるのは確かだ。 「は?何言ってんスか?!先輩っつったらずっと先輩でしょ?」 「俺も…そう思いますけど。」 自分でも情けないなあと思うような質問に、即答で返ってきたのは不思議そうな声で。 「そっか。」 「そっスよー」 あどけなく笑う、その笑顔になぜか心の中で謝る。 何に対して、なのかは自分でも解らない。 でも、こうして純粋に好意を寄せてくれる後輩に対して、色んな意味で申し訳なく思うのだ。 アメフトを、やめてしまう事。 まだ、続けられる彼らを内心羨んでたりする事。 その才能に、実は嫉妬すらしてた事。 自分の非力さを僻んでいた事。 辛い練習をこなしたのは、ただ主将としてのプライドだけだった事。 そうじゃないのに、ずっと馬鹿にしてるなんて酷い奴らだと思ってた事。 キャプテンだって、純粋に慕ってくれる、2つも下のまだ子供の彼らを。 自分の曇った目のせいで、充分に可愛がってやれなかった。 ごめん。 と、そう口に出そうとした瞬間。 「あーーーっ!やべっ!時間時間!!」 そう水町が時計を見て叫んだ。 「先輩、すんません!ちょ、今日は急いでんでこれでっ!」 「偵察校、今日練習試合するんです。失礼しますっ!」 慌しく言って、二人はくるりと背中を向けると一斉に走り出した。 さすが、と言うべきか。 その後姿は本当にあっ…という間に小さくなっていった。 呆然とそれを見送りながら。 相変わらず騒がしい奴らだなあと笑みが浮かぶ。 あんな風に、きっと二人でこれからも走り続けるんだろうな、なんて思った。 そういえば。 ずっとアメフトを続けていたけど、負けて一番悔しいと思った試合にはあの二人がいた。 秋大会、準々決勝。 高校、いや自分のアメフト人生最後の公式試合。 極めて接戦で、最後の最後、たった数十センチの攻防で負けてしまった。 試合が終って、水町が大声あげて泣いてるなか。 筧がすいませんでした、って謝ってきた。 それに自分はいいんだ、と答えた。 練習すごすぎで今までで一番きつかったけど、今までで一番楽しかったから。 その気持ちは本当で、うそなんてひとつもない。 悔いなんて全然ない。 頑張った、頑張ってきた自分に満足していた。 だけど、それと同じくらい悔しかったのだ。 ずっと特に弱くもないけど特に強くもない、そんなチームにいて。 だから負けてもしょうがないなんて、そんな風に思ってる自分がいて。 でもあいつらすげー一年が入ってきた時から。 死に物狂いで練習して、プレイ以外にも自分に出来る事はなんでもやって。 秋大会で一回戦二回戦と順調に勝ち進むと、いけるんじゃないかって思った。 頑張って頑張って頑張ったその成果が、出てるような気になっていたんだ。 だから。 試合に負けて、悔しかった。 今までのように負けてもしょうがないかなんては、全然思えなかった。 人生の中で一番の挫折だった。 けれども振り返ってみると。 そこには自分でも信じられないくらいに、頑張ってた自分がいた。 そして、頑張ってる事を、楽しんでいる自分がいた。 なにをムキになって、そして何のために、そんなに頑張っていたのか。 馬鹿だなあと自分でも思うけれど、ただ、確かに言える事は、あいつらが居たからだという事。 自分だけでは、きっと頑張れなかった。 あいつらが自分の前に現れて。 馬鹿みたいに頑張るから、自分もつられて頑張ってしまったのかもしれない。 穏やかな風が吹く。 その風に乗って、柔らかな歌声が聞こえてきた。 ふと見遣ると、土手の下にある小学校からで。 ピアノの音と一緒に、まだ幼さの残る声。 そういえば、小学校の卒業式は高校よりずっと遅かった筈だ。 式の練習なのだろうか、それは体育館の方から流れてくる。 あおげばとおとし わがしのおん おかしな話だけれど。 後輩である筈の彼等は、自分の師でもあったのだ。 それなりに適当に。 アメフト部のキャプテンに抜擢され、卒なくやりすごそうとするだけの自分に。 彼等はその身をもって教えてくれた。 全国制覇なんて、チームの現状をみれば解るだろう途方のない夢を掲げて。 恥なんていくらでもかいていいと、毎日のように部員の勧誘に励んだ筧。 アメフト初心者のくせに、筧と同じ途方もない夢を追って。 一番はりきって一番誰よりも楽しんで、恐ろしい量の練習をやっていた水町。 無駄かもしれないけど、力の限り精一杯。 なんて、そんな言葉は好きじゃなかったのに。 聞こえていた歌が終る。 そしてまた、ピアノの伴奏が始まった。 自分も先日の卒業式で歌った。 「あーおーげーばーとおーとしーわがーしーのーおんー」 自分の声は流石に低くて、小学生の歌声からはちょっと浮いている。 「おしーえのーにわーにもーはやーいくーとせー」 あっという間の高校生活。 でもそれだけ楽しかった。 「おもーえばーいとーとし、このーとしーつーきー」 そして、無駄でもなんでも頑張れる事を学んだ。 報われなくても。 頑張れば、悔しいけど、同じだけ心が晴れること。 受かった大学は、実は学力がワンランク上の学校だった。 以前の自分だったなら、きっと受けはしなかっただろう。 だけど今の自分は、受けるだけ受けてみろ、と心の中で言って笑っていた。 何度も落ちるかも落ちるかもと思いながら、ただひたすら頑張った。 結果、見事桜は咲いて、教師も両親も喜ばせた。 そして。 きっと不合格だったとしても、満足してただろうと思う自分がそこに居た。 「いまーこそー…わかーれ…め…っ」 我が師、我が後輩。 出会えてよかったと心から思う。 アメフトをやめる自分と、今後これから疎遠になっていったとしても。 彼らから学んだ事は忘れない。 そして彼らと過ごした日々。 楽しくて楽しくて楽しかったあの日々を決して忘れない。 「いざーさらーばー…」 歌い終わって顔を上げる。 綺麗な青い空に、太陽が輝いている。 ぼやける視界ではよく見えないけれど、きっと今世界は美しいに違いない。 出来る事なら、もう少し早く出会いたかった。 そうすれば、もっと沢山の時間を一緒に過ごせたのに。 ああでも、と笑う。 卒業の日、水町はあの試合後と同じ位、大泣きしていたっけ。 その横で筧が真っ赤な目をして鼻を啜ってた。 先輩だったからこそ、あんな風に慕ってくれていたのかもしれない。 同級生なら、慕うとかじゃなくて、きっと仲間とか友達だっただろう。 歳が上なだけで、あんな凄い奴らに尊敬されるんなら、それは得してるに違いない。 友達だったなら、と想像するのも悪くないけど。 二人が駆けて行ったその先を見詰める。 この道の先にある高校といえば、大体想像が付く。 練習試合と言ってたから、試合が終るまでは居るだろう。 ここから走れば10分弱。 まだ充分間に合う筈だ。 「スパイするには大事なコツがあるんだけど、あいつらじゃあまだ解んないだろうなあ。」 抱えていた荷物を持ち直す。 「しょーがない。俺が、行って、伝授してやんないと!」 この俺が元キャプテン、先輩として見本を見してやんないとな。 そう、自分で自分に言って。 思いっ切り駆け出した。 |
巨深の皆が大好き。
水筧の存在はけっこう大きいと思うんだけどどうかな。
こばちゃんは大学行ってもアメフト続けて欲しいなと思いつつ、でもやめちゃっても仕方ないかなあ、とか。
萌えもなんもないお話で申し訳ありませんが、書いた本人は満足です。
2006.03.16