やくそく






吐く息が白い。
さすがに雪は降ってないものの、コートとマフラーを付けていても寒さが沁みる。
冬の夜。
いつもなら、もう少し静けさが支配しているのだろうが、今日は少しばかり賑やかさが増している。
今日は大晦日だ。
しかももうすぐ年が明ける時刻。

待ち合わせの場所に着く最後の角を曲がると水町の姿が見えた。
と、気付いた途端、大きく手を振って寄越す。
水町のオレンジ色の髪が揺れる。
街灯のあるそこだけが、辺りからぽっかりと浮き上がってまるで別世界のようだった。
だからだろうか。
水町の姿を認めて、ほっとすると同時に何故だか不安な気持ちになる。
自分でも良く解らない複雑な気分に小さく笑みを作って。
足を速めて小走りに走り寄る。
しかし水町の第一声に顔を顰める羽目になった。

「ンハッ!ほんとに来た!」
「ほんとにって、お前が一緒に初詣行きたいって言うから、ここで待ち合わせって決めたんだろ。」
「そりゃそーなんだけどさ、急に行くのヤになっちゃったりとかさー」
「そんなの、よっぽどの事がなけりゃ約束したのに破ったりなんかしねーよ。」
「おー筧まっじめー!」
おどけて言う水町を睨んで。

お前と違ってな。

そう、言おうとしてやめる。
水町は確かにちょっと不真面目で、よく時間には遅れて来る。
けれど、自分との約束そのものは決して破った事はないのだ。
なので、言い掛けた言葉を無理矢理別の言葉で流した。
「…無駄口叩いてねえで、さっさと行こうぜ。」



待ち合わせたのは小学校の裏門だった。
そこから歩いて10分位の所に、毎年水町が参っている神社があるらしい。
人通りのない、暗くて寒い道を二人で歩く。
凍てついたアスファルトの上を擦る音が辺りに酷く響いている気がする。
その、静寂のなか。
水町の声が。
「でもマジ、だいじょぶだった?大晦日だし、ほんとは家族と一緒に居なきゃとかだったり…」
珍しく水町が気を遣うのを見て、なにか違和感を感じる。
どこが、と問われれば、答えられはしないけど。
「大丈夫だから来てんだろ。それにもうガキじゃねえんだから、家族にべったりって訳でもないしな。」
「そっか。よかった!」
ごく自然で当たり前の答えをした筈だった。
なのに水町はとても嬉しそうに笑うので、なんだか面映くなって視線を逸らせる。
「…大体、そんな気にすんなら正月明けてからとかに誘えばいいだろ。」
「だって今日、どうしても会いたかったからさー」
「まったく…」
水町のこういったワガママはいつもの事なので仕方ない、と思う。
そーゆー奴なんだ、と認識してからは呆れる事はあっても憤る事はあまりない。
現に今も、満面の笑みで上機嫌な水町を見てると、寒い中わざわざ出掛けて来てでさえよかったと感じられる。

「お、見えて来たぜ。」
車がぎりぎり通れるか、位の道を抜けるともう少し大きな通りに面していた。
右前方に神社の鳥居が見える。
そこから、敷地内に入りきれなかった人が少しばかり溢れている。
一歩通りに出ると、さっきまでの暗い静かな世界とは打って変わってそこは明るくて賑やかで。
聞こえてくる太鼓の音や雑踏が気分を高揚させた。
「あちゃー…もういっぱい来てんなー」
水町の声を聞いて、腕時計を見るとまだ零時には15分程あった。
けれども見える範囲では、あの神社への参拝客らしき人達が結構な数で歩いている。
「ちっちぇ神社なんだけど、初詣の時だけはわりかし人が来んだよなー」
「へえ」
周りに急かされる様に、二人して足を速める。
列の最後尾に着く頃には少し息切れしてて、二人して顔を見合わせて笑った。

「なーなー、あれ、オミキってやつかなあ?」
「だろうな。」
水町が指差した方を見ると、どでかい樽が置いてあった。
こういう時、人より背が高いと周りがよく見渡せていい。
ただ皆から頭ひとつ飛び出しているから、目立ってしまって注目を浴びてはしまうけれど。
お神酒の反対側には松明が灯してある。
たまに人がやって来ては色々放り込んで行くので勢い良く燃えていた。
その炎に照らされて、水町の髪はもとより顔さえも赤く染まっている。
「なー、筧。」
「ん?」
「あのさ、今日俺のたんじょーび。」
「……」
直ぐにはその言葉が理解出来なくて、再度頭の中で復唱する。
「誕生日?お前の?」
「うん、そー」
なんでもない事の様に水町は前を向いたまま答えた。
「な、んだよ、水町。もっと早く教えろよ。俺だって知ってたら…」
「知ってたら?」
水町が言って、覗き込むようにして自分を見た。
その瞳が、松明の炎を移しこんでまるで燃えているようだ。
「知ってたら…もっと早くに会ってどこかへ出掛けるとか、何かプレゼントでも…」
「プレゼント!くれんの?!」
「いや、だから、知ってればの話だろ。なんで言わねーんだよ。」
「いやーなんか言いそびれちゃって〜」
がりがりと頭を掻いて水町はえへへと笑った。
それに溜息を吐いて。
そして、やっぱり自分は他の奴と比べて水町には随分甘いのだと思う。
「…解った。なにかプレゼントやるよ。直ぐには無理だけど…何か欲しいものとかあるのか?」
「今すぐ欲しいんだけど。」
「お前な…」
自分が甘やかすから、水町がつけ上がるのだろうか。
それとも、他の奴に対してもこうなのか。
いや、やっぱり水町は、他の奴と比べると俺にだけは特に甘えてるような気がする。
「今すぐたって、こんな時間じゃコンビニくらいしか開いてねえだろ。」
それともコンビニに売ってるもんが欲しいのか?
そう言うと、水町は
「ちげーよ。『もの』とかそんなんじゃねくて。」
苦笑を作ってそう答えた。
「じゃあ、何が欲しいんだ?」
当然、解らないからそう訊いた。
答えはすぐに返らなかった。
パチパチと火の爆ぜる音と、人々のざわめきだけが聞こえて数分。
やっと水町は声を出した。
「やくそく。」
まるで独り言のように呟いた後。
こちらに向いて、はっきりと言った。
「約束。俺、筧に約束してもらいてー事があんの。」
「約束?何を?」
「『アメフトやめねえ』って、約束して。俺と。」
「……」
プレゼントに約束、なんて言うから一体どんな約束をさせられるのかと思いきや。
あまりにそれは、自分にとって当たり前の事だったから随分と拍子抜けしてしまった。
「アメフトやめねえ…って、そんなの、お前と約束するまでもなく俺はやめねえよ。」
「うん、そーだろな。」
「だったらなんでそんな約束…」
「うーんと…」
水町は言い澱んで、またうーんと唸った。
「えとさ、筧にとって『約束』って大事なものだろ?ほら、アイシールドとの約束もすげー大事にしてるワケだし。」
「…まあな。」
時折、こうして水町は何故だかアイシールドとの話を持ち出しては自分と比べたがる。
揶揄したり、怒ったり、羨んだりも。
「それで、アイシールドとの約束と同じように、お前との約束も大事にしろって?」
「あ、や!そーゆーワケじゃねくて…っ!そりゃ確かに大事にはして欲しーけど。」
慌てて水町が手を振る。
「…俺はさ、ずっと先の事見てんの。今、そりゃ筧は約束なんかしなくったってアメフトやめねえだろうけど。」
了承を得るように顔を見られたので堅く肯く。
「でも5年先、10年先はどうか解んねえじゃん?」
「つまりお前はいつかは俺がアメフトやめるかもしれねえって思ってるんだな?」
「や、別に思ってねえけどっ!でも、将来何があるかなんて解んねーじゃん。真面目に、じゃなくても、ちょこっとだけでも『やめてえな』って思う事だってあるかもしれねーじゃん。」
「……」
そんな風に言われれば確かに。
絶対に思わない、とは言い切れないかもしれない。
自分では絶対に思わない、と思うけれど。
「な、そん時にさ、『そーいえば水町と約束したっけな』てな感じで約束を思い出してくれればいっかなーなんて。」
「ああ。」
「それにさ、そん時には俺は側にいねーかもしんないじゃん。」
「え?」
「そん時側に居て、直接何か言ってやれればそれが一番なんだけどさ、絶対一緒に居られるなんて解んねーだろ。そりゃ、俺はずっと一緒に居られたらって思うけど…」
5年先、10年先には水町と一緒には居ない?
考えた事もなかったその言葉に水町の顔を見た。
いや、見ようとした。
「み…」
が、その時丁度に、寺の鐘がなり始めた。
辺りで歓声が起こる。
鐘の音があまりに大きすぎて。
水町に声を掛ける筈だったのに、出す言葉は掻き消えてしまった。
108回、鐘が鳴り終るその間。
とても長く長く感じられた。

鐘の音が鳴り終わるとまた歓声が上がり拍手が起こった。
「筧、あけましておめでと。今年もヨロシク。」
「…ああ、おめでとう。」
年が明けて、参拝が始まったので一気に列が前に進む。
その勢いとあの鐘の音に。
水町に言いたかった事は、すべて流されてしまったかのように出て来なかった。
そして変わりに出たのは。
「本当に、プレゼントがあんな約束なんかでいいのか?」
「へへ、すっげ嬉しい!やくそく、な。」
「ああ、やくそくだ。」

そうして、その年のお参りには予定の他にもう一つ、願い事が増えたのだった。
水町との約束が守れますように、と。















***

「それでは次に、貴方がアメリカンフットボールを始められたきっかけは?」
インタビュアーがマイクを口元に寄せた。
すっかり板に付いてる英語で答える。
この番組はNFL所属チームの数少ない日本人を集めた特番なのだそうだ。
ひとりづつ何やら質問されて、今は自分の番だった。
あまり出演したくはなかったが、チームの宣伝を兼ねてと強く推されたのだ。
あと、一緒のチームのやはり日本人である選手がやたらと一緒に出たがったのもある。
「…そう、ではアメフトをやめたいと思った事は?」
幾つかの質問の後。
そう訊かれて、脳裏に鮮やかなオレンジ色の髪と姿が浮かぶ。
嬉しそうな、満面の笑みだ。
YES、と答えると更にインタビュアーは突っ込んできた。
「ではどうしてやめなかったのですか?」

どうしてやめなかったのですか?

過去に自分に「アメフトをやめねえって約束」をさせた奴がいる。
その時は、何を馬鹿な、当たり前の約束をさせるのだと思ったものだ。
けれど。
そいつの目論見は大変に見事だった。
その約束を交わしてから10年。
当時絶対にアメフトをやめたいなんて思わない、と思っていた自分だったが、それでも色々あって幾度かやめたいと思ってしまった。
その度に、あの約束を思い出す。
そして、そいつの事も。

結果、自分はこの10年アメフトをやめる事はせず、今こうして夢を掴んでアメリカに居る。
そしてこの10年。
あの約束と共に、交わした相手もずっとこの胸にあったのだ。



「どうしてやめなかったか?それは大事な人と大切な約束をしたから。」
そう言うと。
隣で聞いていた、一緒に出演してた水町が笑った。
昔と変わらない、満面の笑顔で。

水町はあの時。

そん時には俺は側にいねーかもしんないじゃん。

なんて言ってたくせに、あれからずっと自分の隣を誰にも譲らなかった。
その上、一緒にNFLの試験に合格して、今は一緒のチームでおまけに住んでるところまで同じだ。

そして。

あの約束と同じくらい、水町の存在は自分にとって大事なものになっている。







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て事で、水町お誕生日おめでとー!
お、遅くなってごめんよ…

2006.01.06