今日、水町君とすれ違った。 向こうは、僕のことなんか全然目に入ってなんかなかったけど。 というか、僕のことなんてもう忘れてしまってるかもしれないけど。 僕は、君のこと、忘れたりはしないよ。 水町君とは、中学の水泳部で一緒だった。 入学当時から彼は凄い運動能力だって、有名だった。 だから、都内でも弱小で通っているうちの水泳部に入部したと聞いた時はひどく驚いたものだった。 後でそれは部長が騙したようにして連れて来たんだって知ったんだけれど。 最初カナヅチだった水町君は。 毎日毎日練習して、一ヵ月後にはちゃんと水に浮いて、少しだけど前に進んでた。 それからも水町君は。 やっぱり毎日毎日練習して。 先輩達が帰っても、夜中になっても、独りででも。 とにかくずっと練習してた。 僕が水泳をやっていたのは、子供の頃喘息に罹っていて。 それにいいのだと言って、親に無理やりやらされていたから。 でも、週に2回。 毎週泳ぐうちに。 喘息は良くなって、体も強くなって。 そして、自分でも不思議と泳ぐ事が大好きになっていた。 少しづつでも。 タイムが伸びていくのもまた、達成感と充実感を与えてくれていた。 だから中学に入るとすぐに水泳部に入ったんだ。 同期で入った水町君とは、クラスも同じだったから、良く話もしたし、まだカナヅチだった彼にアドバイスなんてのもしてあげてたんだ。 僕は頑張ってたよ。 僕だけじゃない。 水泳部の他のみんなだって、すぐに泳げるようになった水町君を見て。 そしてぐんぐんタイムを伸ばす彼に、期待を寄せて、皆で頑張ろうって言ってたんだよ。 でも、いつからだろうね。 僕は、頑張るのが辛くなってたんだ。 毎日毎日。 朝夕と練習して。 へとへとになって、毎晩ベッドに倒れ込んで気付けば朝だった、なんて毎日になってた。 でも、それでもいいと思ってたよ。 だって、確実にタイムは伸びてたし、泳ぐのは大好きだったからさ。 でも、でもね。 いつからなのかな。 もう、頑張れないって思うようになったのは。 いつの間にか、水町君は、部の中で一番速く泳げるようになっていたよ。 僕なんか。 いや、部長でさえもまったく追いつけないくらいに。 速く速く誰よりも速く。 水町君は。 毎日毎日練習して。 先輩達が帰っても、夜中になっても、独りででも。 とにかくずっと練習して。 そして。 カナヅチを克服して、誰よりも早く泳げるようになってた。 あんなに練習したんだもんね。 それが報われたんだ。 よかったよね。 そう思うんだよ。 ほんとうに。 でも。 でもさ。 僕だって毎日毎日朝夕と練習した。 水町君には及ばなかったかもしれないけどさ、それでも精一杯一生懸命やって来てたんだよ。 その、僕の努力は、報われたかって言うとそうじゃなかった。 タイムは確かに沢山伸びたけれども。 でも、大会の選手にさえなる事は出来なかったんだよ。 どうしてなのかな。 僕だって。 水町君に負けないくらい。 頑張ってたのに。 やっぱり、毎日。 楽しそうに、僕達の倍以上の量を。 笑ってこなして水町君は練習に励んでた。 その頃、僕は、選手にもなれなくて。 一体何のために練習してるのか、良く解らなくなっていたよ。 きっと、部長や先輩や、同期のみんなも同じだったんじゃないのかな。 そして、入部から一年後の全国大会で。 カナヅチから一年ちょっとで、水町君は優勝した。 周りは、大混乱だったよ。 全く無名の。 大会初出場の、しかも水泳を始めて一年ちょっとの選手が。 優勝しちゃったんだもの。 水町君を取り囲むすごいすごい人の数。 でも。 僕達は、それを酷く冷えた気持ちで見詰めていたんだ。 だって。 喜べないよ。 だって、水町君は。 尋常じゃない練習量を笑ってこなす体力を持っていて。 どんどん技術を吸収できるセンスを持っていて。 朝でも夜でも冬でも、水に入ろうと思える精神力を持っていて。 ずるいよ。 僕だってそんなだったら。 絶対君以上に練習してたよ。 でも、水町君のようにはなれなかった。 でも、それでも、すごく頑張ってたよ。 だけどね。 頑張ったら頑張った分だけ、全部が比例して能力が上がるなんて、普通は有り得ないよ。 皆、普通はどっかに限界や壁があって、どんなに努力しても報われない事だってあるんだよ。 現に、僕がそうだったじゃないか。 水町君が、僕らの方に向かって「やった!」て手を振ってる。 でも。 笑えないよ。 ずるいよ。 どうして、そんな恵まれた才能を持ってるの? ずっと水泳やってて、毎日死ぬほど頑張ってた僕を、君は笑ってあっさりと追い抜いていったね。 君だって、すごくすごく頑張ってた。 知ってる。 でも。 でもさ。 やっぱり、ずるいよ。 まるで、ちまちまもたもた、敵をやっつけたり躱しながら、なんとかゲームをクリアしていくのが僕なら。 君は、裏ワザで不死身モードになって、揚々と容易くクリアしていくみたいなんだよ。 最初から、スキルや仕様が違う。 解ってるよ。 でも、解りたくないよ。 同じ努力をしても。 報われる者と、そうでない者がいるなんて。 全国大会で優勝して。 日本一速くなっても、水町君は練習に励んでた。 今度は、『皆で、団体で優勝するんだ』って。 水泳部の皆は、その時、誰もが辛そうだった。 だって、知ってたから。 『団体で優勝』なんて。 出来る訳ないんだもの。 だって、結局全国大会のその予選にだって。 出場できた選手は他に誰もいなかったんだからさ。 そう、皆、知ってた。 水町君のように頑張っても。 水町君のようにはなれないこと。 その時の彼の存在は、僕達にとっては、脅威以外の何者でもなかった。 一緒にいると、何だかとても自分が惨めな気分になってしまってた。 ちっとも、水町君は悪くなんかはなかったけど。 僕は、水町君の事は好きだった。 何かと話もしたし、あの、クロールのフォームだって僕がアドバイスしたんだ。 頑張って練習に打ち込む姿勢は尊敬に値すると思ってたし、みるみる上達するその才能には憧れもした。 でも。 この、もやもやと苦しい、辛い、気持ちはどうしても拭い去れなくって。 だから。 あの日、あの夜。 僕は、咎めることも、庇うことも出来なかったんだ。 独り夜のプールで、練習を続ける水町君を見て。 誰かが言った。 それは部長だったのか、それとも他の先輩だったのかは今では思い出せないけれど。 でも、誰かが、 「なあ、俺はもう、ついてけねえよ。」 そう言った。 そしてまた、誰かが応える。 「俺も…もう、限界だ。」 誰もが、みな、ただ頷くことしか出来なかった。 そうして、僕達は。 ただ独り、泳ぎ続ける水町君の元へ、行って言うしかなかった。 「お前はおかしいよ…はっきり言って、ついてけねえ。」 水町君は、とても、傷付いた顔をしてた。 ような気がする。 凄く罪悪感が圧し掛かった。 でも。 じゃあ、どうすればよかったんだろう。 だって。 水町君みたいに、そんな毎日夜中までなんて練習出来ないよ。 確かに、水泳は大好きだけど、でも、他にだってやりたい事もあるよ。 それに元より、そんなの、体力的に無理があるよ。 そこを無理して頑張ったとして、それで僕達が水町君みたいに。 驚異的に速く泳げるようになるなんて。 そんな風にはどうしても思えないんだよ。 どうすればいいの? 圧倒的な力の、才能の差、ってやつを見せ付けれてさ。 水町君は悪くない。 それは、よく、解ってるんだ。 彼は、部長の嘘によると『廃部寸前の水泳部』、に現れたまさしくヒーローそのものだったよ。 そしてそのヒーローは、見事に窮地を救ってくれたよ。 でも。 でもさ。 ヒーローに、ただ救われて嬉しいのはヒロインだけなんだよ。 同じ男なら、やっぱり、自分こそがヒーローになりたいものなんだよ。 でもなれなくて。 その、悔しさとか、惨めさとか、辛さとか。 それらを、どう自分の中で扱えばいいのか。 その時の僕には、答えを見付ける事はどうしても出来なかったんだ。 きっと、皆も、そんな気持ちがあったんだと思う。 だからして、皆して、水町君を否定して。 結果、自分の世界から排除するという結論にしか至ることが出来なかったんだろう。 その次の日から。 水町君は水泳部には顔を出さなくなった。 僕も、もう、同じクラスでなくなってたからほとんど彼と会う事はなかった。 たまに、廊下とかですれ違うくらいで。 それから水泳部は、ぴりぴりと張り詰めてた空気はなくなった。 けれども、後味の悪さを残して、どこか皆居心地を悪そうにしていた。 水町君に付き合って、ハードで長時間あった練習は、普通の部活動しての範囲に戻って楽になった。 皆、それを望んでいた筈だったのに。 誰もが、全然楽しくなさそうにしてた。 それから暫く、活気なんてものはなくって。 ホープの抜けた水泳部は、その次の年では地区大会ですら散々な結果に終わってしまっていた。 3年になってから。 たまに、水町君の噂が耳に入って来るようになった。 それはあまり芳しくないもので。 よく授業をサボっては屋上なんかでタバコをふかしてる、だとか。 何組の女子と付き合ったけどすぐに別れた、だとか。 年上の女の人と遊んでる、だとか。 そういった類のものばかりだった。 僕は、そんな話を聞く度に、心が激しく痛んだ。 一年前のその頃、水町君は楽しそうに練習に励んでいた。 一年前のその頃、水町君は全国大会で優勝して皆の注目と賞賛を集めていた。 もし、水町君が水泳を続けていたならば。 そんな噂を聞く事なんて、きっとなかったんだろう。 そう、思うと、僕はどうにも居た堪れなくなってしまっていたんだ。 やっぱり3年でも違うクラスになった僕が。 廊下などで見掛けたその彼は。 良く聞く、悪い噂ほどには荒んだ印象はなく。 ピアスをしていたくらいで、見た目はそんなに変わってはなかった気がする。 相変わらず飄々として、でも人懐こいような風貌だった。 でも、すぐに気付いてしまった。 いつでも、つまらなさそうな顔をしてる。 どこか冷めてて、一歩引いている。 一緒に水泳部で頑張ってたあの時の。 目の輝きはどこにもなかった。 酷く、心が痛んだ。 でも。 僕にはどうすることも出来なかった。 時が経ち、高校生になって。 夏服に変わって暫くした頃。 水町君の噂を聞いた。 なんでも、アメフト部に入ってすごく練習に励んでいるらしい、と。 そういえば、ついこないだまでアメフト部が部員の勧誘を派手にやっていたっけ。 アメフト部といえば、留学帰りの『天才』がいるって有名だったような。 確か、筧とか言って、もの凄くデカイんだっけ? 水町も相当デカかったから、アメフトってのはそういうガタイのいいのが集まるものなのかな? とか思っていたら。 今、まさしくその『留学帰りの天才』と一緒の水町君と擦れ違った。 ちょっと怖そうな雰囲気を持った、筧って奴に。 水町君は平然と肩を回して、しきりに何か話し掛けていた。 とてもとても。 楽しそうに、笑って。 擦れ違った、僕なんか全然眼中にないくらいに。 いや、まあ、僕の事なんかを水町君が覚えているとも思えないけれど。 擦れ違った後。 思わず僕は振り返った。 そう、してしまう程に。 水町君は変わっていた。 中学の時に見た、あの、笑っていても全然楽しそうじゃない。 どこか冷めて、何もかもがどうでもいいような。 そんな姿から。 高校になってから。 水町君の悪い噂は聞かなくなった。 替わりに。 『あの水町』が、アメフト部で酷く頑張っているらしい。 そんな噂を聞くようになっていた。 そして今。 擦れ違った水町君は。 僕が嘗てに良く知っていた、『水泳部で頑張ってた水町君』だった。 いや。 あの時よりも、ずっとずっと楽しそうで嬉しそうだった。 だから、思う。 彼は、見付けだんだと。 僕達では、どうしても成り得なかった。 『共に頑張れる相手』を。 同じものを目指して。 同じ歩幅で歩けて。 共に、歩いていける。 その、相手を。 彼らの背中を見送って。 よかった、と思うそれと同じくらいに。 胸に苦いものが込み上げる。 あれから、落ち着いて。 僕は思うようになっていた。 あの時。 僕は僕なりに頑張っていたけれど。 本当に、頑張っていたのかな? どこかで、水町君に感じる劣等感や屈辱とかを、諦めに変えてしまっていなかったのかな? もっと、本当は頑張れていたんじゃないのかな? あの時。 ただ素直に水町君の才能を認めて、敵わなくてもそれに近づけるように頑張れていれば。 そうすれば、たとえ練習の成果がなかっても。 こんな苦い、自分への敗北感のようなものを感じる事はなかったかもしれない。 そう、思うんだ。 でも。 まだ、遅くはないよね。 本当に、楽しそうな。 心からの笑顔。 君はまた、頑張っているんだね。 僕も、また。 頑張ってみるよ。 敵わなくても。 思うような結果が出せなくても。 自分には胸を張れるように。 頑張りたいんだ。 ありがとう。 僕のヒーロー。 君が、僕を忘れてしまっても。 僕は、君を忘れないよ。 君のようにはなれないかもしれないけど。 でも、それでも。 君のように頑張ってみるよ。 いつの日か。 僕が、ヒーローになれるように。 そしていつか。 君に謝りたい。 『あの時はごめん』って。 君は許せないって言うかもしれないけど。 もしくは、覚えてないって言うかもしれないけど。 ヒーロー。 忘れないよ。 ありがとう。 そしてまた、いつの日か。 |
お、お付き合い有難う御座いました…
水町と筧の出ない水筧。
そして水泳部員の苦悩。
そんなものが書きたかった。
激しく自己満足なお話ですが、書いた本人はひじょーに満足です。
2005.01.13