背中を預けられるのは

頭がぼんやりとする。
体が熱い。
また、脇腹の辺りがじくじくと痛みを孕む。
熱を出してから、幾日経った頃だろう。
まだ治りきらない矢傷で臥せっている俺に。
ビクトールが言った。


「仕事に出て来る。」


朦朧とした、頭で考える。
この国境近くの村で。
多分手持ちの金が尽きたのだろう。
医者代や薬代。
そして生活費に、決して少なくはない金額が掛かっているのだろう。
申し訳なく思う。
しかし、今自分には、どうすることも出来ない。
きっと体を早く治す事こそが。
一番ビクトールの負担を減らし、恩を返す事にも繋がるのだろう。

ビクトールが言うところでは、ここはどこにでもあるような小さな村で。
仕事と言えば、農作業などの手伝いくらいで物騒な事もないのだろう。
ビクトールが、軽装で出て行こうとする。
それを。
思考が纏まらないままで詰めて。
そして、言った。

「剣を…捨てるのか?」

奴の剣。
有難い真の紋章の化身である星辰剣を。
壁に立て掛けていたビクトールが振り返った。
ひどく、驚いたような顔で。
「剣を…捨てる?」
「ああ…」
頷き返すと、今度は神妙な顔付きになって、口元に手を当て何かを深く考え込んでいた。
「…?」
何でそんな顔をするのだろう。
自分はそんなおかしな事を言っただろうか?
確かに、何かをまともに考えられる状態ではない気がするが。
やっぱり、まだ、ぼうっとする頭でそう考える。

「そうだな…そんなこたぁ考えた事もなかったが…それもいいかもな。」

ひとしきり考え込んだ後。
ビクトールはそう呟いて。
「じゃあ、行ってくるな。一応ここのおやじに頼んであるからな。何かあったらすぐに言えよ。」
そうして、その、身軽なままの格好で出て行った。
途端に静寂が訪れる。
それは、なんだか酷く居心地の悪いものだった。

「剣を…捨てる…?」

ビクトールが。
剣を。

今の呟きも、さっきの遣り取りも。
全部聞こえていたであろうに、星辰剣は何も言わない。
ただ、そこに在るだけだ。

ビクトールが剣を捨てる。

何故だろう。
自分でそう訊いておいて。
なのに、その答えに酷く違和感を覚える。
何故だろう。
そうなる事だって、充分有り得る筈なのに。

ビクトールは自分の事を多くは語らないので、良く解らないけれども。
確か、仇討ちのために剣を持っていたのではなかったか。
だったら、その、仇討ちが終わった今なら。
剣を捨て。
何か他の道を歩む事だって出来る筈だ。
そして。
それを望んでもいい筈だ。
例えば。
今のように、畑を耕し日々の慎ましやかな生活を送るのでも。
商売を始めて忙しい日々を有意義に送るのでも。
温かな家庭を持って日々を楽しく送るのでも。
何も、また、再び剣を握る必要なんてない。
自分のように、小さな頃から戦いのためだけに教育を受けてきたわけでもあるまいし。

そうだ。
自分は、戦いの場でしかきっと生きられない。
でも、ビクトールは違う。
きっと、違う筈だ。
何もまた、命の危険に晒されながら戦いの場に戻らなくとも。
平和な一生を送れるならば、そのほうがいい。
そう思う。

けれど。

あの、強さは惜しいと思う。
基本なんてかけらもない。
我流もいいとこだが、それでも強い。
ひとたび戦場にたったならば。
あの、身を削ぐような威圧感。
そして心を凍らせるかのような、狂気にさえ似た殺気による畏怖感。
豪胆で勇猛。
時に残酷で冷淡。
あれほど、戦いの似合う男もそうはいない。
でもそれは。
きっと『復讐』という名の下に培われてきた、忌まわしき副産物なのであろう。
切り離せるのであれば。
そうしてやった方が、ずっと本人のためであるのかもしれない。

そう思う。
でも、どこかで残念に思う。
だとしたら、戦場でしか生きられない自分とは袂を別つ事になるだろう。
それは、とても淋しく残念に思う。

やっと。
背中を預けられる相手を。
見付けたと思っていたのに。





それから数日後。
今度は、2週間出て来る、と言ってビクトールは出掛けて行った。
そして、更に数日後。
すっかり体の癒えた自分に、ビクトールは出立を申し出た。
その、傍らには星辰剣の姿はどこにもなく。
代わりに。
星辰剣には劣るけれども、それでも普通の剣にしては結構な業物を持っていた。

「…お前、それ、どうしたんだ?」
「お、これか?いいだろう?なかなかそこそこな逸品だぜ?」
「いや、ていうか、星辰剣はどうした?」
「おお、あれなら捨てて来たぜ。」
「すっ…捨てっ…て?!!!」
「まあ正確に言うなら売って来たってトコだが…」
「は?!」
耳から聞こえる言葉が、どうにも信じ難く。
あからさまに怪訝に訊き返す。
「いやだからよ、あの野郎を『風の洞窟』ってーところに置いて来てよ、何人かの奴に宝の地図だっつーて、適当なもん書いて売って来たんだよ。」
「おっ…お前っ…!」
「何だよ?別に詐欺とかじゃねえだろ?ちゃあんとお宝はあるんだしよー」
「そっ、そういう問題じゃねーだろ?!お前っ…真の紋章なんだぞ、アレは!!!」
しかし返って来た答えは更に信じ難く。
というか、信じたくない。
けれど、このアホは、いけしゃあしゃあと言ってのけた。
「真の紋章だか何だか知んねーけどよ、俺にとっちゃああいつはただの煩い剣だったぜ。まあ、最後に金になったのはよかったけどなー」
「……」
「んだよ、そんな顔すんなって。それに大体、お前が剣を捨てるとかどうとか言ってたじゃねえか。」
「…っ?!!ばっ…あれはそーゆー意味じゃねーよ!!!!」
怒鳴った後で、気付く。
この男は、そう鈍い奴じゃあない。
それどころか、こちらがわざわざ隠してある事さえ見つけ出して、先回りしてくるような男だ。
そうだ。
ほらみろ。
いつもの、笑顔になって、ビクトールが目を細くする。
そして。

「俺は、剣を捨てたりしねえよ。」

それは、普段のビクトールには似つかわしくないような。
深く真摯な響きを持っていた。
「俺の親父は傭兵やっててな…俺は、ずっとその親父に憧れていた。」
それははじめて聞く、ビクトールの過去だ。
「だから俺も自然と剣を握ってて…15の歳には戦場に立ってたぜ。」
「そうか…」
『復讐』のためだけに剣を取った訳ではなかったのか。
そう、思うと。
それはとても嬉しい事のように思えた。
ビクトールにとって。
剣とは、ただの、悲願を果たすためだけの道具ではなかった。
「ずっと戦場にいたんだ。今更、普通の生活になんて俺は戻れねえよ。」
「ああ…そうだな。」

この男には戦場こそが良く似合う。
自分も、そう思う。
そして。
その隣には自分がいられたなら。

「それによ…剣を捨てるなんて勿体ねえじゃねえか。」
「何でだ?」
「だってよお、やっと折角見付けたんだぜ。」
そう言ったビクトールが、笑う。
とても、それは嬉しそうに。
楽しそうに。

「背中を預けられる相手を、よ。」

「…っ!」
「俺はお前になら背中を預けられるし、預けられてえと思ってるぜ。」

ずっと。
ビクトールには反目してきた。
それは自分が。
この男に敵わないと、ずっと思ってきたからだ。
けれど、今、その男に。
自分は認められたのだ、と。
確信して、胸が震える。

「お前だってそうだろう?」

笑って、けれどどこか窺うようにして。
ビクトールが問うたのに。
俺も笑う。
だって、なあ。
答えはひとつだろう?

「ああ…俺も、背中を預けられるのは…」

お前一人。
ただ一人。







腐れ縁の二人が、剣を捨てるなんて考えられないし、あまり考えたくありません…
2005.01.17