花になろう



先の戦で傭兵砦から一緒だった仲間が死んだ。
ビクトールの歩兵隊、第三部隊副長だった男だ。
砦の出来た時からの古参で、よく自分達とも気が合った酒飲みで陽気な男だった。
家族も特にこれといった恋人もいなかったから、城の地下にある墓地に埋葬した。
一緒に戦ってきた信頼する仲間であったその男は、自分達には何も残しはしなかった。
素性も知らないままで、生い立ちも知らないままで。
ただ、あの砦が出来たその時から共に戦って、馬鹿騒ぎをして、苦楽を分かち合ったその瞬間だけを残して。
だからその男の死を、誰に知らせればいいのかさえ知ってはいなかったのだ。城の中庭に出ると、ひゅうと風が吹き抜けた。
陽の光の眩しさに目を眇める。
世界はもうすっかり春めいて、明るい緑に所々淡い色合いの花が競うように咲いていた。
特に何を話す訳でもなく、ビクトールと並んでその明るい景色の中を歩く。
途中、遊び回る子供達に声を掛けられ軽く手を振ったりしながら、ただただ静かに歩いた。中庭を抜けると、城の入り口へと続いている。
明らかに誰かが手入れをしている花壇が現れ、一際華やかな色彩に包まれた。
パンジーや桜草など、名の解るものから見たことすらないような花まで揃っている。
テラスにある庭園とはまた違って素朴な雰囲気ではあるけれど、決して劣るという事はなくて、ここもまた愛情に溢れた手入れがされているように見受けられた。
その一角に、見慣れた姿がしゃがみ込んでいるのを見付けて声を掛ける。



「やあバーバラ、いい天気だな。」
「ビクトールにフリック!こんな所で昼間っからサボリかい?」
「おいおい、そりゃねーだろ!休みだよ休みっ!!」
「全くだ。この熊だけならそう思われても仕方ないけどな。」
「あっははは!それもそうだね、悪かったよフリック!」

バーバラはここに来るまでは、今はもうないあの砦で一緒に暮らしていた。
ここでの仕事と同じ倉庫番をやっていて、恰幅ある体格と同じ、懐も大きな明るく強い女性である。
会えばこうして、気安い遣り取りを交わしていた。

「花を摘んでいたのか?」
立ち上がったバーバラの手には籠が提げられていて、その中は取り取りの花で溢れている。
「ああ、これは違うんだよ。花柄つみと言ってね、咲き終わった花を取ってるのさ。」
足元にあるパンジーは一株がこんもりと繁っていて、幾つもの花でひとつの花のように見える。
その中の一つを摘んで、バーバラは花の柄の根元から鋏を入れて実演して見せてくれた。
「それ全部そうしていくのか?それは…凄く大変な作業じゃないか?」
籠は相当な数の花で埋め尽くされている。
しかもここにある花全部にその作業をしなければならないのなら、かなりの労働になるような気がする。
「あはは!まあね、そりゃ大変だわさ。でもね、綺麗に咲かすには欠かせない作業なのさ。」
「花なんざほっといたって咲きそうなもんだがなあ…」
「このバカっ!そこらの雑草じゃないんだよ!!こうしてちゃんとダメになった花は取らないと雨で腐っちまうし、それに実がならないようにしないと…」
呑気なビクトールの一言に、バーバラが悪ガキにくれるような拳骨をビクトールの胸に浴びせてからふぅと溜息混じりに言った。
手が届いていたのなら、その拳骨は確実に頭に降っていたことだろう。
そんな遣り取りはさっくり流して引っ掛かりを覚えたものを訊き返す。
「実がなったらダメなのか?種が取れればいいんじゃないのか?」
「そりゃあ最後には種は貰うけどね。でもまだまだ咲いて貰わないと!種が出来るとね、そっちに栄養が全部いっちまって花の方に回らないのさ。そうなると新しい花を咲かせなくなるからねえ。」
「ふうん…やっぱり大変そうだ。」
「でもね、その分こうして綺麗に咲いてくれると格別に嬉しいもんさ。私ゃ出来るものならここを花で埋め尽くしたいもんさ。」
「ああ…そうだな…」
頷いたビクトールを振り返る。
そしてまたバーバラに視線を戻した。
この二人の故郷は、この城の建つ、この場所に嘗てあったノースウインドウという町だ。
たまたま出掛けていたビクトールと余所に嫁ぎに出ていたバーバラは運良く生き残ったが、村にいた者は全て亡くなったと聞いている。
二人の家族も、友人も、知人も。
家も教会も学校も遊び場も。
何もかも全てが失われたのだ。

出来るものならここを花で埋め尽くしたい。
そう言ったバーバラも、それに頷いたビクトールも。
きっと想いは同じで。
そしてきっとそれは自分には量り知る事は出来ないのだろう。暫しの沈黙の後、もう行くからと笑って背を向けたところにバーバラがぽつりと言った。
「またカースの墓に花を届けとくよ…私ゃあんた達には花なんか送りたくはないからね…」
「…ああ」
ビクトールが振り返らずに応える。
自分は何も応える事は出来なかった。


カースは、歩兵隊第三部隊副長は、前を歩くこの男に負けず劣らずの力自慢の気さくな奴で。
よくバーバラの倉庫の手伝いをしていた。



目には春の淡い風景が映っている筈なのに、さっき見たバーバラの摘んだ華やかな花びらの色が浮かぶ。
「なあ…俺達って花みたいだよな…」
「あぁ?」
振り返った訝し気なビクトールに構わず続ける。
「全体にひとつの花として『綺麗に咲き続ける』ってのが使命で、ひとつひとつの花は実すら付けられずに摘まれていく」
「……」
「なあ、『戦争に勝つ』ために、子すら作れず死んで往く兵士達は花のようだよな…」

あらゆる生物は、統べからず種を残すように本能が定めている、筈だ。
それが叶わず大儀のために死んでいくその命は、何か意味のあるものなのだろうか。
兵士達が、カースが、自分達が、生きる意味が。

ただ前しか向くことが出来なくて、空ばかりだった視界にビクトールが現れる。
困ったような、けれど優しい目だ。

「なにをんな泣きそうになってんだよ」
「なっ、泣きそうになんてなってない!」
「こ難しく考えんなって。人それぞれ、花それぞれだろ?」
「……」
「子を残したい奴だっていりゃあ、綺麗に咲く事に命掛けてる花だってきっとあるんだろうよ。」
「そうか?」
「ああ」
また、歩き出したビクトールの後を追う。
花壇が途切れると、広く開けた城門近くの広場に出る。
暖かい日差しの降る中、子供達が楽しそうに遊んでいる。
「世の中にゃ変わりもんはどこにでもいるもんさ。種は残せなくともよ、大きく綺麗に咲いて見てる人を喜ばせられたら死んでもいいって、そんな花がいたっておかしかねえ」
そうビクトールは言った後、姿を見付けた子供達の突撃を食らって小さく呻いた。
きゃあきゃあ言って纏わり付く子供達は、皆明るい笑顔でとても楽しそうだ。
「っと!ちょっ…おい!こら!!」
残りの子供がマントに潜り込んで出たり入ったりして遊び出したのを、慌てて諌めるとビクトールが大きな声を上げて笑った。
「笑ってないで助けろ!」
「まーまーそのくらいいーじゃねえかよ。」
「ってこら、引っ張るな…っ!」
やめるどころか益々エスカレートする子供達に混じって、ビクトールがふざけてマントを引っ張ったのを蹴り上げて止めさせる。
「やーい!怒られた〜!」
「きゃー」
くるくると周りを走っていた子供達は、その見事な蹴りを見て、一目散に散っていった。
「…ったく…」
「はっはっは!でも皆いい笑顔だったろ?」
「え?」
「俺はあの笑顔のためになら死んでもいいって思うぜ。」
「…ウソをつけ。お前がそんなタマかよ?」
「ウソじゃねえよ。ほんとだぜ。」
片目を閉じてふざけたように言ってビクトールは、笑って、そして。
「お前だってそう思うだろ?」
笑ってない目で、問いかけた。


子供達の明るい笑顔。
あの笑顔を、平和を、自分の大事に思えるものを、守るために死んでいく。
一つの大きな花を綺麗にするために、精一杯誇らしく咲く一つの柄の花のように。

「ああ、そうだな。」



思い出だけしか残らなくても、いいのではないか。
いや、思い出が残ればいいではないか。

共に戦い、馬鹿をやって苦楽を分ち合った、その記憶が残るだけできっと生きていた意味はある筈なんだ。

あの花は綺麗だったと、思い出しては幸せな気持ちになれるように。


どうせなら、自分が飾る花はどれよりも綺麗だと言われたい。
先に咲き散っていった花達に報いるためにも、自分もまた負けずに大きく綺麗に咲き誇れる花になろう。



END.




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