月のみえないところ。 「あれー?珍しいですね。今日は一人なんですか?」 レオナの酒場で。 いつものテーブル席で杯を空けていると、城主であるヤマトが覗き込んだ。 手にウーロン茶と軽いつまみの入った皿を抱えている。 それを受け取ってテーブルに置いてやると、顎で向いの席を勧める。 にっこり笑って座ったヤマトには。 ほんの少し苦い笑いで応えた。 「まあ…な。今日はアレだしな…」 そう言って、空を仰ぐ仕草をしてやる。 ここからは見えない、月を見上げるように。 すると敏い少年はすぐに思い当たったようで肯いたのだった。 「ああ…今日は満月でしたっけ。」 よく、晴れた一日だった。 さぞかしこの城の屋上からだと素晴らしい月が拝めることだろう。 そこに、いるのだ。 いつもは、ヤマトが座る、その席にいる筈の相棒は。 そして。 月を見て、想っているのだ。 今は亡き、彼女のことを。 つまみに手を伸ばす。 すると、ヤマトの少し伺うような視線とぶつかった。 「ねえ、ビクトールさん…」 「おう。」 「ビクトールさんは、イヤじゃないの?」 「なにがだ?」 「その…フリックさんが…月を見るのが…」 「……」 「だって、それは今もその亡くなったオデッサさんて人の事想ってるって事なんだよね?」 そんなのイヤじゃない? 自分だけ、見てて、想ってて欲しくないの? と。 それは至極尤もな質問で。 けれどその質問をぶつけてきたのはこの少年がはじめてだった。 フリック自身さえにも、訊かれてはいないのだ。 「…俺はな…フリックに別にオデッサの事を忘れて欲しいとは思ってねえんだ。」 椅子に凭れて、体重を後ろに預ける。 「むしろ、ずっと想っててもいいくらいに思ってる。」 この、答えには、ヤマトは意外そうな顔をした。 「オデッサさんを忘れないフリックさんが、好きだから…とか?」 顎に手を当て。 難しい顔をして訪ねてくる。 「まあ、そう言えりゃあ格好いいんだろうけどなあ…」 頭を掻いてそっぽを向く。 酒に浮かれた連中が見える。 相変わらずの大繁盛で、活気に満ち、熱気溢れる雰囲気の中で。 ただ、自分の胸の奥は、底冷えてしている。 「そーゆーフリックが好き…てのは、まあ、それはそれでほんとなんだが…」 なかなか本心を吐かない自分を。 ただ、ひたすらヤマトは見詰めている。 その瞳を見返して。 はぐらかす事は出来ないと感じる。 「…思い出ってのは、とかく美化され易いだろ?特に死んだ人間なんて、よっぽどの事がない限り、好きだったもんが嫌いになんかなる訳もねえ。」 「…うん。」 「あいつが、オデッサを好きでいる限り、誰もオデッサに敵う事なんか出来やしねえ。」 もう、覆る事のない記憶は。 いらないものが削ぎ落とされ、研磨され。 より美しく、より高尚になっていく。 フリックの、理想に一番近い形に。 「でもその変わり、あいつは誰のものにもなりはしねえんだ。自分のものにはならねえ。けど、他の誰かに盗られる心配もねえ。」 そんな薄暗い考えに、ヤマトの表情が小さく翳る。 「まあ、何つーかセコイ考えだけどな…」 自嘲気味に笑って、酒を煽いだ。 グラスの向こうから、小さな溜息が聞こえ。 そして。 見えた、ヤマトの表情は困ったような、呆れたような、そんなものだった。 「僕から見れば…普段の二人は見てるこっちの胸が悪くなるくらい、仲睦まじいですけどねえ…」 見て、あからさまに解る程に。 互いが互いの事をいちばん大事に想ってる。 そう言って、ヤマトはぽいっとつまみのフライを口に放り込んだ。 「ははっ…そう見えてりゃあ、俺は嬉しい限りだがなあ…そんな事言われたら、あいつは憤慨しまくって大変だろうけどな。」 怒って赤くなる相棒の姿がありありと浮かび過ぎて。 思わず笑いが洩れる。 「まったく…結局なんだかんだ言ったって惚気るんだから…」 そんな顔しちゃってさあ。 と、ヤマトが笑う。 その笑顔が。 冷えた胸に、ほんの少しの明かりを灯してくれた気がした。 |
もっともよく月のみえるところ。 「また来やがったのか…お前も、ほんとしつこいよなあ…」 城の屋上から。 月を見詰めていると、後ろから気配を感じて振り返る。 呆れた口調でわざと冷たく言ってやると、ニナは挑むような瞳でこちらに歩み寄ってきた。 「それだけ、フリックさんの事が好きなんです!!」 真っ直ぐ自分を見つめて。 そう言い切る。 その、視線から逃れるように。 背中を向けようとしたその時。 「それに…っ!私、このあいだ言われた事、どうしても納得出来なくって!!」 怒ったように小さく叫んだ言葉に。 小さく溜息を吐いて、また、少女に向き直る。 「この前…フリックさんは私の気持が『ただひとときもの』だって!そう、いずれ解るって仰いましたよね?!」 「ああ。」 「でもそれっておかしいじゃないですか!フリックさんはずっとオデッサさんの事好きで…これからも好きだって言うのに…なんで『時が経てば、人の心も変わる』なんて言うんですか?!すっごい矛盾してるじゃないですかっ!!!」 「…っ!」 ニナは、普段の行動が突飛で過剰過ぎるから。 忘れてしまいがちだが、本当は頭のいい子なのだ。 自分の、ささいな言葉をこんな形で返されるなんて。 「確かに…人の心って変わるものだと思います。私だって…フリックさんに出逢う前は、別に好きな人がいたもの。でもっ…!変わって何が悪いんですか?!だって、より以上に素敵な人に出逢ってしまったら、その人の事好きになって当然じゃないですかっ!!!」 もの凄い勢いで食って掛かってくる。 何だか勝手な解釈の人生観が混じっているような気もする。 けれど、言っている事は決して間違ってはいないのだろう。 まるで、喧嘩を売るかのように。 下から睨みつけて言い募るニナ。 そんな彼女に返す言葉も思いつかなくて。 ただ、まじまじと見詰めるばかりだったのだが。 ふと、その上目遣いが緩む。 そして。 なんだか泣き出しそうな顔になって。 「だから、フリックさんも…人の気持が変わってしまう事、悪い事だと思わないで…」 ぎくり、とした。 まるで、見透かされたような気がして。 すっかり大人しくなって俯いてしまったニナ。 頭のいい娘だ。 ずっと自分に纏わり付いて、ずっと自分の事を考えていると憚らず言う。 もしかすると。 そんな風に見てる自分が、何を想って、誰を見てるのか。 気付いてるのかもしれない。 そう、人の心は変わるのだ。 決して、変わらないと想っていたのに。 変わらないと、誓ったのに、変わってしまった。 だから。 どうしても罪悪感が付いてまわる。 裏切ったのだと、胸の奥の声が消えない。 けれど。 この、目の前の賢い少女は。 変わってしまう事が、悪い事ではないという。 この娘は、この、苛む聲を、聞いた事がないのだろうか。 それとも、聞いても、動じることなどないのだろうか。 「いつか…いつか、変わるかもしれないけど…でも、今っ!今は!!フリックさんがすごくすごくすごく好きなんです…っっっ!!!」 ずっと俯いていたニナが。 ばっと顔を上げると、大きく、はっきりと告げる。 「だから私、望みがなくっても、フリックさんに何を言われても…!絶対諦めませんから!!」 そう宣言して、くるりと背を向けた。 そして小走りに駆け出してゆく。 その背中は小さく細く、か弱く見えるけれど。 まっすぐで、とても強いもののようにも見えた。 「これだから女ってヤツは…」 自分もまた、振り返って空を見上げる。 大きく明るい月に。 今は亡き女の笑顔が映り込む。 「敵わないんだよなあ…」 そう、溜息と一緒に出た言葉は。 宙に溶けた後。 柔らかく温かく体を包み込んだ。 |
窓から小さく月のみえるところ。 「何だ…起きてたのか…」 「ああ、今さっきレオナんとこから帰ったところだ。」 もう、随分月も傾いている。 あと何時間かすれば空気に朝の匂いが混じるだろう。 「…ったく、冷え切っちまってるじゃねえか。」 「うん…」 冷たくなったマントを引き寄せて。 ビクトールが、フリックを捕まえる。 腕の中に閉じ込めて。 頬を押し付けて無理矢理、暖めるように。 そうされて、フリックは体の力を抜く。 自分を囲う、大きな分厚い胸に体を預けるようにして。 そろりと瞳を閉じる。 「俺は…変わったかな…」 「そうだな…変わった部分もあるし、変わらねえ部分もあるだろ。それに…」 きっと、少しも変わらない人間なんていない。 そう、耳許に囁く。 「うん。」 そっと、フリックは腕をビクトールの背に回す。 「俺だって、この3年近くで大分変わっちまっただろうしなあ…」 「そうなのか?」 少し、体を離してフリックはビクトールを覗き見る。 フリックの知る限りで。 ビクトールは出逢ってから、何かが大きく変わったようにはとても見受けられなかったからだ。 「はは…まあ、お前は気付かねえだろうなあ。」 「む…何だ、それは!」 失敬な、と憮然とするフリックに。 ビクトールは、とても穏やかな笑顔を向ける。 「俺は、変わったんだよ。いや、いい方に、変われたんだ。」 そう言う、ビクトールの瞳のいろが。 とても深くて、フリックは思わず目を逸らす。 そうすると。 ビクトールの、抱き締める腕の力が強くなって。 ぎゅうぎゅうと押し付けられる胸から、温かい体温がより一層伝わってくる。 冷えた体が。 急速に熱を持ち始める。 「俺も…変わったんだ。この3年で…まだ、3年なのに…」 その熱に浮かされるように。 フリックがぽつりと洩らす。 「3年なんて…全然あっという間で…でも、なのに…」 この3年の間。 ビクトールとずっと一緒だった。 それは本当に瞬く間の時間であったのに。 色んな事があって。 それらは自分を確実に、変えてしまっていたのだ。 誰よりも何よりも。 ずっと今迄。 そして、これからも。 オデッサを一番好きでいる筈であったのに。 この、男が。 深く、大きく。 いつの間にか自分を支配するものに取って代わってしまっていた。 変わる筈なんてないと思っていたのに。 途切れた、フリックの言葉の続きを。 ビクトールは尋ねることはしなかった。 かわりに。 「3年か…あの時はこうしてお前と一緒に連るんでるなんて想像もしなかったよなあ…」 少し、おどけるように笑って。 けど、その後。 「でもな、今は3年後だって、10年後だって…ずっとこうして一緒に居られたらなあ、とか思っちまってるんだよなあ。」 フリックが顔を上げると。 そこにはいつもの、ビクトールらしい、温かい笑顔。 これに連られるようにして。 言葉ではなく、小さく微笑んでフリックはその応えを返した。 ゆっくりと顔が近付いて。 どちからかともなく口吻けを交わす。 ビクトールは、胸の中奥深くに冷えた塊を抱いたまま。 フリックは、暗く重い聲を胸に響かせながら。 それでも、互いが互いとも。 離れられない、と。 そして。 いつの日か。 この塊が、聲が、消えてなくなりますように。 そう願って腕にある温もりを掻き抱いた。 |
…暗くてすみません… 3周年の記念なんで、「3年」とゆーのをテーマに書こうとしたらしいです… えーあー、フリックとニナの遣り取りは、当然ゲームの屋上イベントからなんですが。 フリックの台詞が矛盾してるなあと思いませんでしたか? 勝手な自分解釈で、フリックは自分の経験を踏まえた上で、ニナに「人の心も変わる」とか言ったのでは…とか。 だったらいいなあ、といういつもの妄想話でした! |