ぎこちないけれど心からの笑顔



「用が済んだらさっさと帰りやがれっ…!!!」





背後から轟いたビクトールさんの怒鳴り声に、僕は驚いて振り返った。
酷く、怖い顔をしている。

先程、何も言わずに自分を温かく迎えてくれたのとはまるで別人のような。





僕は。
僕とナナミは。

逃げ出したんだ。

同盟軍の城から。
僕を主君として、集い助け、共に闘ってきた仲間を捨てて。
戦場から、逃げた。

でも。

逃げても、戦いからは逃げられなかった。

僕は迷っていた。
『本当にこれでよかったのか』、と。
そして、ナナミも。
僕達は、迷って、疲れて、途方に暮れていたんだ。



そんな時。
フリックさんとシュウさんとアップルさんが迎えに来てくれた。

リドリーさんの訃報と共に。

そして、このクロムの村で。
ビクトールさん達がネクロードの討伐に来ている事も知らされたんだ。





僕はここへフリックさんに連れて来て貰った。
まだ、どこか迷っている風なナナミと一緒に。





そんな僕達を、ビクトールさんは笑って迎えてくれた。
何もなかったかのように。




でも、それは。

僕とナナミに対して、だけだったのだ。





「リーダーの事を頼まれてるんだ…帰る訳にはいかない。」
「だから、それは俺が引き受けてやるってんだろ?!」
「俺がシュウに頼まれたんだ。そんな無責任は出来ない。」
「いいから、帰れっつってんだろーがっ!ああ?!!」
「帰らないって言ってるだろ?!そんな事お前に指図される云われはねーよ!!」
「どーやっても帰らねえつもりなんだな…?!」
「ああ!!」
「だったら、ここに居る間てめぇと俺は赤の他人だ!一切口はきかねぇからな!!!」
「だったらどうした?!!別にそれで困る事なんざこっちにはねーんだよ!!」
「っ!!勝手にしやがれっ…!」
「ああ!勝手にするさ!!」



派手にビクトールさんとフリックさんは言い争いをして。
それから、本当に一切二人は口をきかなくなってしまった。





その日の夜。
人気のない、宿屋の一室で。
僕はビクトールさんと話をした。
リドリーさんのことで。


「気にすんな。」

そして。

「今は先を、未来をよおっくみすえて。涙を流すなら、後にしておけ。」

と。
ビクトールさんが言ってくれた事は尤もな事で。
納得もしたし、元気付けられもした。
でも。
僕はまだ、項垂れている。

「あの…フリックさんとの事なんですけど…」
「……」
「お願いだから喧嘩なんか…っ!…元はと言えば僕達が悪いんだし…」
「……」
「どうしてビクトールさんが、そんなに怒るのか僕には解らないけど…!でもっ…!!」
「あー…」
「僕に出来る事があるなら、何でもするから…っ!!」
「ったく、参るよな。フリックの石頭にもよ…」
「だから…って、……え?」

「あいつも言い出したら聞かねえからなあ…」

そう言うビクトールさんの顔は。
予想に反してとても穏やかだった。
ただ、頭をがりがりと掻くその表情は、困ったように顰められているけれど。

「心配掛けちまって悪かったな…」
大きな掌が伸びてきて。
僕の頭に乗せられた。
「でもまあ、別にフリックが嫌いになったとか、そーゆーんじゃねぇからな。」
わしわしと髪を混ぜる。
ランプのたどたどしい灯りが、ビクトールさんを照らす。
それは。
優しい、いつもの表情だった。

「じゃあ、どうして…」

フリックさんと言い争うような真似を?

目で問い掛ける。
そうすると、ビクトールさんは肩を竦めて小さく笑ってみせた。



「あんなあ…お前がネクロードと初めて会った時の事覚えてるか?」
「え…?あ、はい。」

唐突な質問に。
僕は一瞬不意を突かれて。
でも、何とか肯いてみせた。
そうすると。
ビクトールさんは僕の頭をぽんぽんと軽く叩いて。
開け放たれた窓の横の壁に、腕を組んで凭れ掛かった。

「あん時、俺が斬った女な…デイジーっつーんだが…」

低い声で告げる。
その瞳は。
部屋の中にある、暗い闇を見据えていて。
少し、僕の身を震わせた。

「俺の幼馴染でな。裏の家に住んでたんだが…まあ…何かと世話を焼いてくれたりしてた。」
「……」
「あん時はまだ良く解っちゃあいなかったが…俺にとっては、一番大事な奴だったんだ。」

淡々とした口調が。
余計に、何だかもの悲しさを増しているような気がして。
僕は、ただ、聞いてる事しか出来ない。

「だから、あの野郎…それが解っていやがったからデイジーを…」

青い服を着た、少女だった。
黒い髪を三つ編みにした印象的な黒い瞳の。
ビクトールさんは、あの時、迷わずその少女の首を刎ねた。
そんな風に見えた。
けど。

「それが、あのゲス野郎の好きな手口だ…人の心を踏み躙って、それを高みで笑って見てやがる…っ…」

冥い瞳で。
語尾の震える声で。
組んだ腕の下で隠して拳を握り締めるビクトールさんが。
あの時、ほんとに平気だったなんて、そんな風にはとても思えない。

「ま…俺にはそんな手、通用しないけどよ…」

けれど、そう言ってビクトールさんは深い溜息の後、苦く笑ってみせた。

『ほんとに、ほんとに辛くはなかったの?』

僕は、思わず出そうになった声を飲み込んだ。
辛くない筈がない。
なのに、ビクトールさんは笑う。
それが。
酷く僕の心を苦しくさせる。
何も言えなくって、ただ、佇む僕に。
ビクトールさんは続きを。

「今更、死んじまった人間をどれだけ出されよーが、俺はそんな事じゃ動じねえ…けどよ。」
そこで、ひとつ息を吐く。
そして。
「今生きて傍に居る人間であれをやられると…ちっとキツイんだよな…」
苦しそうに、言う。
「あいつが、あのクソ野郎に何かされるかも知れねえと思うだけでっ………くそっっ…!!」
だんっ、と。
石造りの壁をビクトールさんが殴りつけた。
その振動が、空気さえも震えさせて僕を襲う。
それは抑えても抑えきれない、怒りや憎しみや悲しみや苦しさをもって。

「だから…フリックさんに帰るように言ったんですね…」

僕の声に。
ふっと肩の力を抜いて、ビクトールさんが顔を上げた。
その顔は、もう、いつものものだ。
「ああ。なのにあの頑固者はよ…困ったもんだぜ。」
どっ、とまた壁に凭れ掛かってビクトールさんが頭を掻く。
「だったらあんな頭ごなしに帰れとか言わないで、ちゃんと正直に理由を言えばいいじゃないですか。」
「馬鹿、お前そんな事言ってみろ。余計意固地になって帰りゃあしねえだろーが…」
「そうかな…?」
「そうなんだよ…」
「はあ…」
「しかしありゃあ、もう絶対ぇ帰んねぇな…」
ふー、と息を吐いてビクトールさんが、参ったと呟く。
けれど、その顔はどこか優しげで。
ここにはいない、フリックさんを愛しげに見詰めるような。
そんな風に思わせられた。
だから。
「じゃあ、もう仲直りするよね。」
「いや、それは出来ねえな。」
「え?!」
驚いて声をあげた僕に、ビクトールさんが苦笑を向ける。
「言ったろ?ネクロードは大事なもんを踏み躙るってよ…今んとこ、あの野郎とフリックは直接会ってねえからな。まだ、バレてねえ筈だ。だからここにいる間は絶対あいつとは口もきかねえ。」
「でも…っ!だからってほんとに喧嘩しなくったって…!」
言い募る僕に。
ビクロールさんの顔が酷く真面目なものになった。
「あーゆー手口が好きなだけあってな、ヤツはもの凄く鼻が利く。」
そして、とても。
苦しそうに声を。
「俺に、今、何よりも大事にしてぇ奴がいるなんて、絶対バレちゃあならねえ事なんだよ。」
「……」
「だから、ここにいる間はフリックは他人だ。口もきかねえし、側にも寄らねえ。念には念を入れるにこした事はねえだろ?。」
「でも、じゃあ、フリックさんに言って誤解だけでも…!」
「はは…馬っ鹿、んな事したらバレるに決まってんだろ?」
嘘が嫌いで苦手な奴だからなあ、とビクトールさんが肩を竦める。
「じゃあ、じゃあ…!このままフリックさんに何も言わなくて、ほんとに喧嘩みたくなっちゃったら…?!」

僕は昼間の二人の言い争いを思い出す。
凄い剣幕で、ほんとうにハラハラとした。

「それでフリックさんがビクトールさんの事、ほんとに嫌いになっちゃったら?!もう、仲直り出来なくなっちゃったら?!それで、ほんとにいいの?!!」
「…ああ。」
「…っ?!」
「それで、フリックがヤツに狙われる事がなくなるならな。」
「……っ」
「あいつが、無事でいてくれるんなら、それでもいいと思っちまうんだよなあ…」
「でも…そんなの…っ…」

ビクトールさんの表情は静かで。
だからこそ、決意の固さを伝えてくる。

「すまねぇな、余計な心配掛けちまってよ。でも、大丈夫だ。」
「……」
「まあ、俺だってそんなんは嫌だからな、後で土下座でも何でもして許して貰うからよ。そう気を揉むなって、な?」
ビクトールさんは、明るい笑顔を作ってそう言った。
「ほんとに?」
「ああ。」
「ほんとに、仲直りして下さいよ…!」
「おう、だから、俺だってそうしたいっつってんだろーが。」
「うん…」

ビクトールさんの声は、力強くて、温かなものだった。
けれど。
まだ、僕は唇を噛み締める事が解けないでいる。
だって。
本当に、ビクトールさんは。
フリックさんの為になら、自分にとっては最悪の結末になる事さえも厭わない気がするから。
そしてそれでも、よかったと。
ビクトールさんは笑うような気がするから。
でも。
でも、そんなの。
僕は。

開け放った窓から、冷たい風が舞い込んだ。

ぶるりと身を震わせる。
でも、それは風の冷たさだけではなく。

「…冷えて来ましたね…」
そう言って窓に寄った。
窓を閉めようとして、窓枠に手を掛ける。
「あっ…」
「ん?どうかしたか?」
「…ううん…別に…」
窓を閉めてビクトールさんを仰ぎ見る。
すると、それと同時にビクトールさんの掌で視界が遮られた。
頭をよしよしと撫でられて。
「遅くに悪かったな…もう寝ろ。ゆっくり休むんだぞ…」
「ううん…ありがとうビクトールさん。僕のほうこそ話せてよかったです。」
「さっきも言ったけどよ、リドリーの事はあんま気に病むなよ。」
「うん…」

ビクトールさんと、話せてほんとによかったと思う。
いつもこうして。
ビクトールさんやフリックさんは。
僕が迷って立ち止まった時、力をくれる。

それに、応える事が出来ればどれだけいいだろう。
そう、思っていた筈なのに。
僕達は、裏切ってしまったんだ。

ちくりと胸に棘が刺さる。
その痛みを誤魔化すように。
僕は部屋を出る事にした。

「おやすみなさい。」

そう言って背を向けた僕に。
ビクトールさんが、声を掛けた。

「それとな、俺とフリックとの事はいいから放っとけよ、な?!」
「……」

最後の台詞には、曖昧に笑って返事して。
僕は扉を開けて出て行った。



それから。
本当に二人は。
この一件が終わるまで。
顔すらもまともに合わせるような事はなかった。












そして。

ネクロード討伐も無事に終わった今日この頃。
また、あの二人はレオナさんの酒場で並んでグラスを傾けている。




何もかも片付けて、本拠地の城に帰るために、クロムの村を出た、その直後に。
ビクトールさんが、フリックさんの肩を叩いた。

「帰ったら直ぐに、レオナんとこで祝杯をあげてえんだ…付き合ってくれんよな?」

少し、バツが悪そうに。
けれど、明るく笑った。
優しい眼差しで。


そしてフリックさんも。

「…ああ…」

一瞬、泣きそうな顔になったあと。
ほんとうに嬉しそうに笑ったんだ。



それから、二人は。
すぐ、元のように仲良くなって、今に至る。

まるで、何にもなかったかのように。

一緒にクロムの村に行かなかった仲間からみれば。
口さえもきかなかった時があった事など、考えも出来ないだろう。
それくらい、自然に。
また、二人は共に有る。









「やりましたね…!ビクトールさん…っっ!!」

ネクロードを斃した後。
僕はビクトールさんに駆け寄った。
その、後ろから。
フリックさんも、また、ビクトールさんに歩み寄っていた。

そして。

軽く肩を叩くと、そのまま僕の横をすり抜けて行ってしまったのだった。


だけど。
あの時。
ビクトールさんからは見えなかっただろうけど。

あの時、フリックさんは確かに泣いていた。
喜びと安堵に満ちた表情で。


僕は、思う。

ビクトールさんの背負っていた、辛く重い大きな十字架のその片端を。
フリックさんもまた担いでいたのだと。

ビクトールさんの相棒として。
共に有る事を決めたその時から。
きっと。

辛い過去を。
今も残る傷跡を。
その苦しみを、哀しみを。
与え続ける仇敵を討ち取るという、ビクトールさんの念願は。
フリックさんにとっても、そうであったのだと。

ずっと傍で見てきた筈だ。
ビクトールさんが、苦しんできたのを。
一番、近くで見てきたからこそ。
きっと、今、本当にフリックさんは心から喜んでいるんだろう。

もう、これでビクトールさんを苦しめる存在はこの世にいない。

その事を。





ビクトールさんに帰れと言われても、口をきいて貰えなくっても。
それでも『帰らない』と意思を貫き通して。
共に闘い、ビクトールさんの、そして自分の。
願いを果たしたフリックさん。

嫌われる事も覚悟の上で、何よりもその存在を大切にして守ろうとした。
辛いのにわざと突き放してでも、守る事を第一とした。
その上で自分の不幸を厭う事をしなかったビクトールさん。


そして。

ただ、ナナミに言われるまま。
一緒に逃げるだけしか、出来なかった僕。



僕にほんの少しでも。
フリックさんのような強さがあったなら。
ビクトールさんのような優しさがあったなら。

また、違う、結果があったのかもしれない。
少なくとも、仲間を失うような事はなかったのかもしれない。

僕と、ナナミが。
二人のように強かったなら。
よかったのに。





あの時。

「あっ…」
「ん?どうかしたか?」
「…ううん…別に…」


窓を閉めようとして目に入った屋外に。
フリックさんの姿を見付けた。
でも、その途端に行ってしまったから。
僕達が話していたのが聞こえたかどうかは解らなかった。

でも、たとえ聞こえたとしても、そうでなくても。

同じ結果があったように思う。


言葉なんかなくても。
解り合える事は出来るのだと。
お互いが、お互いをより強く想い合えるなら。



ビクトールさんがほんとに土下座までしたのかどうかは解らないけれど。
今、二人は。
隣に並び立ち。
笑い合って、背を預け合っている。

何もなかったかのように。

でも。
ほんとに何もなかった訳じゃない。

僕は、知っている。


互いが互いを強く想って。
それでも尚、自らの願いさえをも果たしたのだと。





強くなりたい。
優しくなりたい。
あの、二人のように。


でも。

まだ。


僕の手は小さくて。
僕達はまだ、解り合えなくて。

だから。

言葉にして伝えようと、思う。
僕の、精一杯の気持を。

もう、逃げないで、戦いたいのだと。
自分の道を往きたいのだと。
それで、その事に。
傷つくような事はないのだと。

自分のせいだと。
まだ、落ち込んで元気のない。
ナナミに。


もう『逃げよう』なんて言わせないから。
今度は、僕がナナミを守るから。

だから。
無理して頑張らなくていいから。
ただ、傍に居ていてくれれば、それでいいから。

そう。
伝えよう。
心を込めて。




そして、出来るなら。
笑い合いたい。

あの時の、二人のように。

少し、ぎこちないけれど。
心からの、笑顔で。



END. 2003.11.24


ティントにはどうしてフリックを連れて行けないのか。
を、自分的に消化。
熊はネクロードの事を、フリックはオデッサの事を、互いに『関係ない』とするのもいいんですが…
でもやっぱり一緒にいるんだったら、関係ない顔をしていても、どうしても影響を受けると思うんですよね。
隣で相棒が苦しんでいる。
それをもたらす原因を憎く思ったり、苦しんでいるのをどうにかしてやりたいと思ったり。
そう、思えないなら、一緒に居る意味なんてないと思うんですよね。
無理矢理踏み込まない。けど、助ける事を譲らない。そうあって欲しかったのです。
いや、妄想の塊で申し訳ない…
そして2主とナナミはあくまで姉弟でひとつ…


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