「あーおなかすいたあ!」 「何かあったかいもの食べたいよねぇ…」 木枯らしの吹き荒ぶ中、本拠地の城へと帰還する集団の先頭に立った姉が叫んだのに、弟が相槌を打って応えた。 近隣の街へ買出しを兼ねて情報の収集をしてきた帰りだった。 冬真っ只中で雪こそは降ってないものの、身を切る風は体の芯から凍えさせていく。 後に続く残りのメンバーも、姉弟の意見には尤もだと頷いた。 「じゃあ、鍋なんてどうです?」 「うん!いいね、鍋!」 「すき焼きとかーチゲ鍋とかーあ、ちゃんこもいいよねー!」 カミューがふると、姉弟は目を輝かせて乗ってくる。 「鍋かあ…皆でアレやると楽しいんだよなぁ〜」 「アレ…って?なになに?ビクトールさん?!」 あれこれとメニューを思い浮かべていたナナミの耳に、ビクトールの呟きが届いた。 好奇心旺盛な彼女は『アレ』とやらに興味を惹かれたらしく振り返る。 「んー?闇鍋ってな、知ってるか?」 「えー?知らなーい!」 「何なのそれ?」 「俺も知らないな…」 ビクトールの隣で遣り取りを眺めていたフリックも会話に混ざる。 「私は知ってますがね…」 「えっ?!ホント?カミューさん。」 その一言で一同の視線がカミューに集まった。 「…皆で食材を持ちあって食べるんですよ。」 「それだけ?」 「いっせーのーでで具を取るんだけどよ、一旦箸を付けたらだな、どんなもんでも食わなきゃなんねぇんだ。」 「そんなの、狙って取ればいいんじゃないの?」 「だから部屋を暗くしたりしてだな…だから闇鍋とゆーんだろうが。」 「なーるほど!おもしろそう!」 「んん?帰ったらやるか?だったら俺が用意してやるぜ?」 「やろうやろう!」 はしゃぐ姉弟を傍目に、フリックはビクトールの脇を突付いた。 ビクトールに付き合って、毎回ろくでもない目に合わされるので訝しんでいるのだ。 「お前…また何か企んでるんじゃねーだろうな?!」 「失礼なヤツだなー俺が何を企むってんだ。」 胸を張るビクトールをまだ、フリックは不審な目で眺めている。 「俺はだな、ただ皆で楽しく夕食を食おうと思ってだな。最近ヤマトも疲れてるみたいだしよ。」 「…だったらいいけど…」 まだ幼い城主を気遣う言葉が出て、そこでフリックは口を閉ざした。 自分達が戦いに巻き込んだと思っているフリックは、あの姉弟には滅法弱いのだ。 ビクトールは少し俯いたフリックの頭をわしわしと掻き回した。 「カミューさんも来るでしょ?」 「え…?いや…私は…」 当然のように誘いを掛けるナナミに、カミューは口篭った。 闇鍋の実情を知る身としては、参加はご免被りたい。 しかしそこにすかさずヤマトが、大きな瞳の上目遣いでカミューを覗き込んだ。 「僕等と一緒じゃ嫌ですか…?」 「そーゆー訳でわ…」 「じゃ、いいですよね?」 途端にぱっと瞳が明るくなる。 さっきまでのしおらしい態度は確信犯的にやっているのだ。 「ああ…えーと…」 「勿論来るさ。な?カミュー。」 返事を渋っていたカミューの肩を叩いてフリックが笑顔で言った。 屈託のない、爽やかさを持って。 姉弟に加えて、いい大人に純真な笑顔を向けられてカミューはたじろいだ。 「そうだ!マイクロトフさんも誘ってね!」 「はあ…いやしかし…」 ぱん、と手を叩いてナナミがにこやかに言う。 そしてカミューの生返事を聞くと、姉弟は二人して先頭に立って早足で歩き出した。 「そうと決まれば急いで帰ろう!」 「「おおー!」」 意気揚揚と声を上げるナナミに、ヤマトとビクトールが手を挙げて応える。 それを見て微笑むフリック。 和気藹々としたその雰囲気から一歩離れて、カミューは一人溜息を吐いた。 まるで、天使に導かれて地獄に行くような気分だった。 「ビクトールさん、来たよ〜っ!!」 ばんっ、と大きく扉を開けて一同は中を覗き込んだ。 ヤマトとナナミはうきうきと。 マイクロトフとフリックはもの珍しそうに。 そしてカミューは溜息と共に。 「おう!出来てるぜ!!」 部屋の主のビクトールが大きな鍋の向こうから手を挙げた。 テーブルの上には他に人数分の取り皿やコップなどが並んでいる。 「う〜ん、いい匂い〜!」 「おなか空いた!早く食べようよー!」 きゃあきゃあとはしゃぎながら姉弟が席に着く。 「ちゃあんと好きな食材持って来たか?」 そんな二人に目を細めてビクトールが問い掛けた。 「もっちろん!これこれー!」 「皆もちゃんと用意してるよ。」 「そうか、じゃあ、始めるかな。」 「うん!」 全員席に着いたのを見計らって、ビクトールは簡単な説明を始めた。 「まあ、そんな難しいもんじゃなくてだな。こん中のもんを掴んで食う、それだけなんだが…」 こん中…のところで皆が鍋を覗き込んだ。 食堂ででも借りてきたのだろう、普通のものよりも幾分大きい。 中は醤油がベースだと思われるスープに、見た限りでは何の変哲もない具が入っている。 しかし底がかなり深いため、奥の方までは良く見えないのだが。 「一旦掴んだものは、絶対に食べなきゃいけないんだよね?」 楽しそうに尋ねるナナミにビクトールが頷いた。 「嫌いなもんでも食うんだぞー」 「解ってるわよう!」 ぷうと膨れるナナミに、一同が笑みを零した。 和やかな雰囲気に、カミューは心の中でほっと一息吐いていた。 これは意外とまともなのかもしれない…と。 「そしたら皆が持ってきた具材そろそろ入れるかぁ?」 「りょうか〜い!」 各々隠し持っていた包みに手をやる。 「じゃ、せーので入れるぞ。」 「はーい!」 元気のいい返事に続いて掛け声が上がった。 「せーのっ!!」 どぼん! だぱんっ! ぽちゃん… ぺちっ。 どぷん。 どくどくどく… 「…ってちょっと待てぇえい!!」 声を荒げたビクトールが、席を立った。 皆の視線が指差されたフリックへと突き刺さる。 「お前っ?!何入れてやがるっっ?!」 「え?何って…酒だけど?」 ワインの瓶を逆さに持ったフリックが不思議そうにビクトールを見返した。 まだ勢い良く注がれるその液体のせいで、鍋の中は真っ赤に染まりつつある。 「お前なあ!鍋の具に酒ってあるかあ!!」 「何だよ?お前が一番好きなもん持って来いって言ったんじゃないか!」 「ちったあ常識ってもんがあるだろうが!」 「お前に常識がどうとか言われたくねー!!」 むっとしたフリックが立ち上がって応酬する。 今にも取っ組み合いを始めそうに睨みあう二人の間に、ナナミが割って入った。 いつもの事ではあるが、今は鍋があるので放ってはおけない。 「まーまーまーまー!いいじゃないの、もう入れちゃったものは仕方ないしねぇ。」 「そーゆーナナミは何入れたの?」 「ん?あたしはチーズよ。最近凝ってるの〜!」 弟に問われると、得意気にナナミは胸を張って答えた。 しかし周りの反応は些か不評である。 「チーズぅ?」 「お前もなあ…」 結構な量を入れたらしく、鍋は黄色くとろみががっているようだ。 「…まぁ、チーズフォンデュと思えば…色が違うけど…」 「そうだな…」 「醤油味だがな。」 カミューが目元を押さえながらの提案に、マイクロトフが頷き、ビクトールが一言突込みを入れた。 「で…?ヤマトは何を入れたんだ?」 「僕はね…ふふ…鹿の睾丸。」 がしゃっ、とフリックが空になった酒瓶を落とした。 「元気が出るんだって!ハイ・ヨーさんに満貫全席で使った残りを貰ったんだー」 「そ・・・そうか…」 青い顔で気を取り直そうとしているフリックに、更に追い討ちのようなナナミの声が襲う。 「ねーねー!コーガンって何?!」 「睾丸とは…」 「わー!わー!わーーーっ!!」 無邪気に質問するナナミに、律儀に答えようとしたマイクロトフをフリックが両手をばたつかせて止めた。 「言わんでいいっ!!」 叫んだフリックの顔は真っ赤になっている。 「え〜?余計に気になる〜!」 「だよなあ、ナナミ。睾丸ってのはだな…」 「このバカ熊!!!」 「がっ…?!」 フリックは転がる酒瓶を掴んで、隣にいる面白がって茶々を入れようとしたビクトールの頭を思い切り叩く。 そこに。 「お前は何を入れたんだい?」 話を逸らすように、絶妙のタイミングでカミューがマイクロトフに向った。 この辺の機転は流石のものである。 「俺は…肉を…」 「へえ、何の肉だ?」 取り乱した事を恥じて、大人しくなったフリックも話に混じった。 「ビクトール殿にうまいと勧められたので…」 いつもは快活な口調のマイクロトフが、少し言い難そうにしている。 そこで、ぴんとカミューとフリックの勘に何かが触れた。 「ビクトールに?」 「ああ、一度食ってみたくてな。『ころしやうさぎ』の肉だ。」 「ころしや…うさぎ…」 「あのモンスターの?」 唖然として反復したカミューの言葉にヤマトが声を上げる。 「お前っ!何であんな熊の言う事なんかっ…!!」 横にいるマイクロトフに向って、カミューがワナワナと震えながら低く呟いた。 「モンスターを食いたいだなんて…!恥ずかしいとは思わないのかっ!」 「別にうまければいいと思うんだが…」 「おいおい、非常時にはモンスター食うなんて当り前だろ?それに結構いけるんだぜ?」 反対側の隣で眺めていたビクトールがカミューの肩を叩いてそう言った。 「いくらうまいと言われてもですね!世の中には食したくないものだってあるんですよっ!!」 肩に置かれた手を払いのけて、激昂するカミューをマイクロトフが取り押さえた。 「大丈夫だって、カミュー。俺も食ったけど、ほんとにうまいから…」 「だってさ、よかったね。カミューさん。」 「……」 フリックが取り成すように声を掛けると、ヤマトもにこやかに笑顔を向けた。 さすがに自分より年少の者に晒す姿ではないと悟ったのか、カミューは自分を羽交い絞めにしていたマイクロトフを引き剥がすとふんと鼻を鳴らした。 「解りましたよ…」 やっと落ち着いたかと思われた雰囲気に、ナナミの一言が響き渡った。 「ねーねー!この緑色のがそうなのかなあ?」 「みどっ…りいろ?!」 ばっ、と鍋を振り返った連中が見たものは。 ぷかりと浮いた緑色の何か得体の知れない物体だった。 「……」 「……」 「いや…確か普通の赤い色をした肉だった筈だが…」 「…みどり…だね…」 「うん。」 「……」 しん、とした空気の中、フリックははっとしてビクトールの顔を見た。 「まさかっ!お前っ?!!」 「ははははは!バレたか…」 「何を入れたんですか?」 フリックに胸倉を掴まれて、気まずそうに笑うビクトールにヤマトが尋ねた。 「いや〜『ワーム』の肉をちょっとな…こいつがいくら美味いっつっても食わねぇから、この際食わせてやろうかと…」 「貴っ様ぁあ〜〜〜っ!!」 その言葉を聞いて、ますますフリックの顔が恐ろしくなっていく。 「確か『ワーム』って…」 「あの、でっかい芋虫みたいなやつ…?」 そこで、どんっ、と雷が一つ落ちた。 見るまでもなく、熊が一匹焦げている。 「ちょっと用事を思い出したので私はこれで…」 すかさず立ち上がったカミューの手を、焦げたばかりのビクトールが掴む。 「逃げるのか…?」 低く響いた声に、カミューはむっとして言い返した。 「逃げるとかっ!逃げないとかの問題じゃないでしょう?!こんな怪しげなものを食べらされるなんて、冗談じゃありませんよっ!!!」 「え〜?意外と美味しいかも知れませんよ?」 憤るカミューに、ヤマトののん気な声が掛かった。 しかしその口調とは裏腹に、瞳に強い光があって、逃がす気は更々ないのだと雄弁に語っている。 「しかし招かれといて、出されたもんが食えないって退席するたぁ、騎士様ってのは高慢なもんだねぇ…」 「なっ…!」 「そんな事はありません!!」 『騎士』の名を侮辱するかのような言葉が出て、マイクロトフが立ち上がった。 同じ騎士として生真面目な彼は黙ってこの場を見逃す事が出来なかったのだ。 「さ、席に着くんだ。カミュー。」 「……」 カミューとしても、騎士の名を出されれば従う事しか出来ないのだ。 その名を汚す事だけは許されないのだから。 大人しく席に着くと、忌々しげにビクトールを睨んだ。 その冷たい突き刺さるかのような視線を悠々と受け止め、ビクトールは満足そうに笑っている。 事の顛末を見送って、フリックはひっそりと溜息を吐いた。 自分もあわよくば逃げ出そうとしていたのだ。 しかし今ので解ってしまった。 絶対に、ヤマトとビクトールは逃がしてくれないのだと。 嫌々ながらも仕方なく腹を括ったフリックが、まだぶつぶつと言っているカミューにふと思い立って尋ねた。 「ところでカミューは何を入れたんだ?」 「…プリンですよ。」 「は?」 事も無げに答えたカミューの言葉は、一瞬この場に溶け込めず宙に浮いた。 「ぷりん?」 「そう、プリンです。」 「お前なあ!鍋にプリンはないだろうがっ!」 「そんな事は解ってますよ!でも仕方ないでしょう?一番好きなものと言われればプリンを差し置いて別のものなんて用意出来ませんよっ!!」 どこか誇らしげに語られて、ビクトールはがっくりと肩を落とした。 散々騒いでおいて、自分こそとんでもないもん入れやがって… はあ、と溜息を漏らして目を逸らしたビクトールと、フリックの目が合う。 同じ事を思っていたらしい彼等は、お互い力なく笑い合った。 「ね、もういい加減食べようよ!おいしそうに鍋も煮えてる事だし!」 「……」 待ちきれないと、食べる気満々のナナミが叫んだのに、これまたヤマトも力なく笑って応えたのだった。 「じゃあいいか?…せーのーでっ!」 ビクトールの威勢のいい掛け声と共に、皆の箸が一斉に鍋から上がった。 赤ワインとチーズで濁った鍋では中は見えないという事で、部屋の明かりは点いたままだ。 「なあんだ、大根かぁ…まあ好きだからいいけど。」 そう言ってナナミが残念そうに大根を一口齧る。 それを皆が羨ましそうに眺めていた。 「ビクトール殿…ひとつお訊きしたい事があるのですが。」 「おう、何だ?」 マイクロトフが固まったまま自分の皿に目を落とした。 「あの…これは…?」 一同が覗き込むと、そこには軍手がくたりとチーズに塗れて横たわっていた。 「はっはっは!それはほんの茶目っ気だ!」 「そうですか…」 「……」 「……」 ビクトールが豪快に笑いながら答える。 そこに、ヤマトの声も割って入った。 「…じゃあ、このタワシは…」 ヤマトの皿には亀の子タワシが、やはりチーズに塗れて転がっている。 「それはハズレだな!」 「ハズレ…」 「って事はアタリもあるのかな…?」 「ははは…」 ビクトールの返答に、どうしたものかと笑うしかない面々に、その元凶が楽しそうに告げる。 「おう!アタリも当然入ってるぜ!勿論ハズレのほうが数は多いけどな。」 他にもハズレがあるのか… げんなりする一同は肩を落とす。 「…アタリも食えるもんだといいけどな…」 何気なく呟いたフリックに、ビクトールは不思議そうに返した。 「何言ってんだ?食えるもんしか入れてねぇぜ?」 「?!」 その場にいた全員がビクトールの顔を見た。 そして、軍手、タワシ、と視線がいく。 『誰がこんなもん食うってんだ?!!』 一同の思いは一緒であったが、誰もがその思いを口にする事はなかった。 本当に、この熊なら食べかねない…と思ったからだ。 「食えないってんなら、しょうがないけどよ、一口くらいは口付けろよな。」 「了解した。」 「はあい…」 ビクトールに言われて、マイクロトフとヤマトが箸を動して言われたまま口を付けた。 その横で、今度は自分の皿に目を移して考え込んでいるカミューがいる。 「どした?食わねぇのか?」 「いえ…これは何の肉なのかと思いまして…」 カミューの皿には良く煮えて柔らかくなった肉が入っていた。 どうやらマイクロトフの入れた『ころしやうさぎ』の肉ではないのかと怪しんでいるようだ。 「ああ、そいつはただの鶏肉だな。『ころしやうさぎ』のはこっちだ。」 そう言って、ビクトールは自分の皿から塊りを掴むとカミューに見せる。 それにほっとしたようにカミューが笑顔を見せた。 「こっちの方がうまいんだけどなぁ。なあ、フリック。」 摘んだ肉を口に放り込んでビクトールは反対側を振り返った。 「フリック…?」 「あっ?…ああ…」 「どした?」 「…これは、何だ?」 「どれどれ?」 フリックもまた自分の皿をまじまじと凝視していた。 何かの肉らしい黒い塊りを覗き込んで、ビクトールも首を傾げる。 そこへ、フリックの隣にいたヤマトも首を突っ込んだ。 「あ!それ僕が入れたヤツですね。」 「げ…」 「ほぉお〜これが鹿のかあ…」 心底嫌そうに顔を顰めたフリックに、ビクトールが可笑しそうに感嘆の溜息を吐いた。 「元気が出るそうだから、絶対に食べてね、フリックさん!」 ヤマトも目を爛々とさせてフリックを見上げた。 「…食べたくねー…」 小さく出た言葉と盛大な溜息を聞き逃さなかったカミューが、意味深な笑みを作ってフリックに言った。 「確かにあまり食の進むものではないでしょうけど、フリックならいつも熊のを食べてるんですから、今更鹿のくらい平気でしょう?」 「?!!!!」 「がははははははは!!」 一瞬きょとんとした後、ばっと顔を赤くして絶句するフリック。 いつもそんなもの食べてるんだぁ、というナナミの声が遠くに聞こえても、ショックのあまり反論すら出来ないようだ。 そんなフリックを傍目に、熊…もといビクトールは大いにウケて、馬鹿笑いをしている。 「いやー…まあ、食ってんのはタマよりか、どっちかってーとさお…ゴガッ…っ!!」 ビクトールは、最後に奇妙な声を発して会話を続ける事が出来なかった。 我に返ったフリックが痛烈な一撃を顔面にお見舞いしたからである。 「ね、早く食べてみて下さいよ!」 「うっ…」 嬉々とした表情でヤマトに腕をぐいぐい引っ張られて、フリックはぐっと詰まった。 「ひ、一口だけでもいいんだよな…?」 ごくりと唾を飲み込んだフリックに冷や汗が伝う。 男として…はもとより、こんな怪しげなものは食べたくはない。 しかし自分だけ食べない、という訳にもいかず。 仕方なく箸で摘んで皿から取り上げた。 それでも中々決心がつかず、暫く躊躇った後、漸く口を開けた時に。 「…何だよ?」 血の流れる鼻を押さえたビクトールに、だらしなくニヤけた顔で見られている事に気付いてフリックは片眉を吊り上げた。 「あー…いや、何かやらしい顔してんなーと思ってよ…」 頭を掻きながらビクトールが告げた直後。 本日二度目の落雷が部屋を襲った。 その横で。 「何お前まで赤くなってるんだい?」 「っ!!」 何かを想像していたらしいマイクロトフは、にこやかにそう言ったカミューにテーブルの下できつく脛を蹴飛ばされていた。 鍋には極普通の具も沢山入っていたらしく、時々運の悪い人(主にフリック)がハズレを引当ながらも、その味はおいておくとして、それなりに楽しく食事の場は進んでいた。 当然、鍋の中身も減ってくる。 そこで、ふと、フリックは気付いてしまった。 この鍋は、一斉に皆で箸で突付いて、必ず何かを取らなければならない。 このまま順調に具が減り続ければ、いつかアレを取らざるを得なくなるのではないのか、と。 アレ、とは。 鍋の真ん中辺りを漂っている、緑色の物体=ワームの肉の事だ。 あまりにも解り易く漂うそれは、当然一同から倦厭されて、今もぷかぷかと浮いている。 そしてそれは、嫌でも認めざるを得ない運の悪さを誇る自分に回ってくるのではないのだろうか。 そこまで考えて、フリックは身震いした。 そこに、ビクトールが人の悪い笑みを湛えて耳打ちをしてきた。 (よぉフリック…ここから逃がしてやろうか…?) (?!) 驚きで目を見開いたフリックがビクトールに向き直る。 しかしその表情を見て、胡乱に目を眇めた。 (何か…ろくな事考えてねーだろ…) (ああ?嫌なら別にいいんだぜ?どうしてもアレを食いたいってぇなら構わねぇけどよ) アレ…と言って、ビクトールは鍋に我が物顔で居座る緑の肉を見遣った。 フリックもつられるように視線を向けて、げんなりと肩を竦める。 (…わかった…頼む…) (そうか?よしよし) ぱっと瞳を輝かせたビクトールを見て、フリックはやっぱりやめようかと思い直した。 けれど、背に腹は変えられない。 (いいか?次の具を掴む時、お前は何も掴まないでじっとしてろ) (それだけでいいのか?) (おうよ、後は俺が何とかしてやるからな) (……) 片目を閉じて笑ったビクトールに、フリックはぎこちなく笑み返した。 一抹の不安は感じるものの、こんな時ばかりは実に頼もしく感じる。 「よっし、じゃあいくぞー!」 全員が鍋に箸を突っ込んだのを見計らって、ビクトールが声を上げた。 「っせーのーでっ!」 「…?」 「あっ!」 「おや?」 皆の注目が、ビクトールの箸に集まった。 ビクトールは、言われたまま大人しくじっとしていたフリックの箸を摘んでいたのである。 「いやー参ったなあー!掴んだもんは絶対に食わなきゃなんないんだよなあ!」 参った、という割には随分と嬉しそうなビクトールである。 「しょうがねーから、ちょっくら行って、食ってくるわ!」 「えっ?ちょっ…!」 「あ」 言うが早いがビクトールはフリックを抱え上げて立ち上がると、一目散に部屋を飛び出した。 フリックが何か喚いているのが廊下から聞こえて来たが、隣のフリックの部屋の扉の閉まる音がすると、それも聞こえなくなった。 電光石火の出来事に、しんとその場は静まっていたのだが。 「逃げましたね…」 「…うん…フリックさんがね…」 カミューがまだ呆然としたまま呟いたのに、ヤマトもまた呆然として応えた。 ビクトールは逃げた、というより、食後のデザートを食べに行ったとしか思えない。 「え?何で逃げるの?」 「……」 「じゃあ、えっと…人数も減った事だし、おひらきにしますか?」 「そうですね、それがいいでしょう。」 「ああ、もう遅い時間だしな。」 さくっとナナミの疑問は無視して、体よく逃げた二人に怒りを燃やすよりはこの場を納めようとしたヤマトに、カミューが賛同する。 マイクロトフも特に異議なく同意した。 何も未知の危険な食材の行く末を危惧していたのはフリックだけではないのだ。 上手い事難を逃れた、という雰囲気に容赦ないナナミの声が突き刺さった。 「えー?もう残りちょっとなんだから、片付けてしまおうよ。せっかくビクトールさんが用意してくれたんだしぃ〜」 「?!」 「?!」 (そういえば…ナナミ殿は…) (…恐ろしく食の範囲が幅広いんだったよね…) 「そうですね、ビクトール殿の好意を無にしてはいけませんね。」 「?!」 「?!」 (こんのバカクロトフ〜〜〜〜っ!!!) ワナワナと目を逸らして震えるカミューと目が合って、ヤマトは首を振った。 「じゃあ、カミューさん、そういう事で…」 何かを言い出したナナミを止める事など、ヤマトには出来ないのだ。 いや、この城でそれが出来る者など誰一人としていやしないのだが。 意を汲んだカミューががくりと項垂れて頷いた。 そうして、残る4人で鍋を囲んで、もう少しだけ夕食会は続いたのであった。 些か静かになった室内で、隣から聞こえる艶かしい物音が時折響いたりもしたが、誰もそれに関して特に意見を述べるものもいなかった。 気になるアレの行方についてだが。 翌日、カミューが自室から一歩も出て来なかった事から推して計るべきだろう。 更に余談だが、同じくフリックも部屋に篭りっきりであったという。 |
バカですね!ははははは! 新年一発目がこれですんません… 鍋は楽しくっていいですよねー! しかしこんな鍋は嫌ですがね(笑) |
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