サヨナラバス



フリックと喧嘩した。
ハイランドとの大きく長い戦争が終わって、二人で旅に出た矢先だった。
同盟軍の本拠地だった城を出たのが2日前。
そしてこのクスクスの町で昨日取っ組み合いをした。

原因は些細な事だった。
けれどその結果はそうではなかった。

「お前の顔なんか二度と見たくない。」
そう言って、フリックは一人でラダトに向う荷馬車に同乗させて貰えるよう交渉している。
喧嘩なんざ腐るほどした。
先の捨て台詞だって、聞き慣れるくらい言われた。
なのにどうして今回だけはいつもと結末が違うのだろう。
フリックが振り返った。
どうやら交渉は成功したらしい。
「じゃあな…元気で…」
「おう…」
それしか、答える事が出来なかった。
フリックが背を向け馬車に乗り込む。
自分もそれに乗ろうとはしない。
何が違ったのだろう。
どうして別れる事になってしまったのだろう。
腰を落ち着けたフリックが振り向く。
てっきり怒った顔をしているものとばかりと思っていたけれど。
意外にも、フリックは笑っていた。
それは、単純に『嬉しい』というものなんかではなく。
いつも自分が何かしでかした時に、怒って、呆れて、けれども最後には結局許してくれる。
その時の笑顔だ。
眉を寄せて、少し困ったような、諦めたような。
『仕方ない奴だ。』
そう言ってまた、何もなかったかのように日常に戻っていた。
けれど、その笑顔で。
フリックは一人で行ってしまうのだ。
もう元には戻れない。
この笑顔を見る事は二度とない。

鞭のしなる音が響くと馬車は動き出した。
もう、フリックの顔は見えない。

原因は些細な事だった。
けれどとてつもなく大事なものを失った気がする。

昔はずっとひとりで旅をしていた。
今更、ひとりきりで生きていく事に不安も戸惑いもなんの問題もない。
なのにどうして。
涙が込み上げてくるのだろう。
こんなに後悔するくらいなら。
どうして一言。
『行くな』
と言えなかったのだろう。
もしくは、自分もあのまま隣に乗り込めばよかったのだ。
馬車はもう遠すぎて追い駆ける事も出来ない。
空を仰ぐと、今しがた別れたばかりの男を思わせる青が、酷く目に沁みた。





「お前の顔なんか二度と見たくない。」
そう言った後、不意に気付いてしまった。
もう、自分達を縛る由縁は何もない。
傭兵隊の砦も、戦争という結束を強いられる非常事態も。
ビクトールが思うが侭に、自分との関係を好きに出来る事を。
自分が、ビクトールが。
『一緒に居たくない』
そう思うだけで、二度と会わないようにも出来るのだ。

原因は些細な事だった。
喧嘩なんか毎日のようにした。
その度怒って、呆れて、けれども最後には結局許してしまっていた。
そんな風な。
いつもの、喧嘩と同じだと思っていた。

なのにビクトールは自分に『行くな』と言わないし、一緒に行く素振りも見せない。
ラダトに向う荷馬車に同乗を求める交渉をしていても、素知らぬ顔で遠巻きに見ているだけだ。
原因は些細な事だった。
こんな事で、本当はビクトールと別れたくなんかない。
だけど。
今迄喧嘩をする度修復出来たのは、そうせざるを得ない状況のせいだったのだとしたら。
ビクトールが、本心から自分の存在を必要としないのだとしたら。
それは本当に本当に辛い事だけれど。
それでもやはり自分はまた、許してしまうのだろう。
ビクトールが、それを本当に望んでいるのだとしたら。
それで、あの男を幸せにしてくれるのであれば。
馬車に乗り込んで振り向く。
目に入ったビクトールの顔は、怒っているようにも呆然としているようにも見える。
『行くな』と引き止めてくれないだろうか。
もしくは、当たり前のように馬車に乗り込んで隣に座らないだろうか。

鞭のしなる音が響くと馬車は動き出した。
弱気になる自分を心の中で叱責して、前を向く。

この別れを後悔するかもしれない。
否、もう、後悔している。
ビクトールの姿は見る間に小さくなって、今はもう見えない。
緩やかに流れる景色が次第に滲んで見えなくなっていく。
思い切って目を閉じると、焼き付いて離れない先程別れた男の姿が浮かび上がる。
その男には絶対に泣き顔など見せたくはなかった。
けれどここにはいないのだから、泣いてもいいのではないか。
そう思ったら、次から次へと涙が溢れ出た。













***

「…で、何でお前がここにいるんだ?」
ラダトの街中で、ばったり出くわした自分に声もなく驚いた後、フリックは怒ったように言った。
別れた筈の男が目的地で待っていたのだから、フリックの言い分は尤もだ。
「あー…あの後すぐこっちに向う船に乗ってよ…」
でもまさか先に着いちまうたぁ思わなかったけどよ。
と、頭を掻きながら見たフリックの顔はまだ怒っている。
「どうして…」
「お前の方こそどうした?まるで泣いてたみてぇに目が真っ赤になってんぞ?」
その上、腫れぼったい気もする。
「煩い!これは…ただの寝不足だ…!」
「へぇえ〜寝不足になる程、辛ぇ事でもあったのか?」
「…っ…!」
冗談めかして核心に触れてみる。
フリックもまた、別れを悔やんでいてくれていたのではないのかと。
道中、涙を流すほどに。
そう願いを込めて。
目だけでなく、頬も耳も真っ赤になったフリックは、何か言おうとしているらしかったが言葉にならないらしく、口をぱくぱくさせている。
「俺は…お前と別れて辛かったぜ?」
「……」
「だから追い掛けて来ちまった。」
あの時フリックの姿が見えなくなって、無理矢理ここに船を出させた。
そして船頭に嫌な顔をされるくらい早く早くと先を急がせた。
「…ったく、お前は…」
大きな溜息を吐いて、フリックは肩の力を抜いた。
そして、笑う。
あの、眉を寄せて、少し困ったような、諦めたような。
結局最後には自分を許してくれる、あの笑顔で。
「とりあえず俺は着いたばっかりで腹が減ってる。何か食いに行こうぜ。」
フリックからの言葉は特になかったけれど。
また、隣に在る事を許されたのだと知る。
それだけで充分過ぎるほど幸せを感じる自分に苦笑が洩れた。
またいつもの日常に戻る。
けれど、それが自分にとっては何よりなのだ。
「だったら、あそこの宿屋の料理は絶品だぜ?」
肩に手を回してフリックを促す。
手に伝わる確かな感触に、フリックの存在を思い知らされる。
もう二度と失くしたりしない。
溢れ出る痛みと幸福感を、胸の奥で強く強く噛み締めた。


終。2002.11.04



わざわざ家に遊びに来てくれた彩子さんへの捧げもの。
大阪に行った時の土産もSSだっったんで、今回も〜とか思ったんですけど。
当日に間に合わず…しかもちょっと辛気臭い話だし。
ごめんよ、彩子さん…何だったら書き直しますが…

久々に聴いたカセットに入ってたゆずの歌なんですけど…
もしこれがビクフリだったら…と考えて、この後熊なら絶対追い駆けるんじゃないのかなぁと。
なので、無理矢理ハッピーエンドに(笑)
この二人はできててもできてなくてもいけそうなんですけど、自分的にはまだできてないけどお互い想い合ってて、この後進展がある。ってのがいいですな。



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