ヒトリの若い青年が、山奥の獣道を歩いていました。
「獣一匹出ないじゃないか」
青年は地元の人間に、悪さをする熊退治に雇われたのです。
いわく、湖で取られたひらめを運んできた湖賊や、山で取れるきのこを運ぶ山賊などに被害甚大だそうです。
「・・・・・・」
普通湖賊や山賊の退治に雇われるんだけどな、と青年は思いましたが、久しぶりの仕事なので黙っていることにしました。成人の儀式で旅をするのも楽ではないのです。
しばらく山を歩いてみましたが、野うさぎがうろうろしていたり、豊かな木の実が目に付くばかりで、問題の熊はいっこうに現れません。
「一度戻るかな・・・」
青年は思いましたが、どうも困ったことに、道に迷ったようです。あたりはどんどん暗くなってきます。風が吹く、草はなびく、木の葉はゆれる、腹は鳴るでなんだか心細くなってきました。
「まいったな・・・」
いかにも何か起こりそうです。自慢ではないですが青年はとても運が悪いのです。
ため息をついてふと顔を上げると、明るい光が目に入りました。誰か同じように山狩りに入った人間が、野宿の支度でもしているのかもしれません。少し元気が出てそちらの方向に歩いて行くと、驚いたことに異国風の立派な家が一軒たっていました。
そして玄関には、
repas et chambre りょうりとおへや
chez WILD bear 野良熊家
という札がでています。
「・・・・・・」
青年の人生にしては珍しく、今日は運が良いのかもしれません。
玄関は太い丸太で組まれて、実に立派な門構えです。
そして硝子の開き戸に、金文字でこう書いてありました。
【どなたさまもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。】
「こんなところで、物騒じゃないのか・・・?」
少しあやしいかもしれない、と思いましたが、なにぶん一日山を歩きずくめでしたので、青年は戸を押して、中に入りました。そこはすぐ廊下になっています。
硝子戸の裏側には、金文字でこうなっていました。
【ことに若い方や経験豊富な方は、大歓迎いたします。】
正直言って外見は年より下に見られて困ることもあるくらいです。
若くてもこれまでの戦歴は他にひけをとらないつもりです。
成人の儀式の最中とはいえ、自分の腕に自信がないわけではありません。
「山奥で、物騒だから、腕に自信のある人間が集まるのかもしれないな・・・」
自分は歓迎を受けても良さそうだな、と思うと、青年は先に進むことにしました。
ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは水いろのペンキ塗りの扉がありました。
「変な家だな。どうしてこんなにたくさん戸があるんだろう」
また少しあやしいな、と思いましたが、考えてみると北の地方では寒さを防ぐためにそういう造りにすると聞いたことがあります。そこでその扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。
【当家は注文の多いところですがどうかそこはご承知ください。】
「なかなか流行っているところらしいな」
山奥なのにすごいな、と素直に感心して青年は、その扉をあけました。するとその裏側に、
【注文はずいぶん多いでしょうが、一部屋ずつお進み下さい。】
「これはどういうことだろう」
青年は顔をしかめました。
「・・・多分ここは主人が一人でやっている店なんだな。支度が手間取るということか」
とりあえず座らせてくれないかな、と思って先にすすむと、どうもうるさいことに、また扉が一つありました。そしてそのわきに鏡がかかって、下には長い柄のついたブラシが置いてあります。
扉には赤い字で、
【お客さまがた、ここで髪をきちんとしてください】
と書いてありました。
青年はこれはもっともだな、と思いました。一日中山を歩いたせいで自分はひどいなりをしているでしょう。
「山のなかだとおもってみくびったかな・・・」
作法も厳しいしよほど格式の高い店なのかもしれません。お値段の方もそれなりでしょう。懐が心配になってきました。
とりあえず、せめてみぎれいにしておくことにして、バンダナを外してきれいに髪をけずりました。
そしたら、どうです。
ブラシを板の上に置くや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなって、風がどうっと室の中に入って来ました。
青年ははびっくりして、扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。油断なく身構えましたがそれ以上のことは何も起こりませんでした。
早く何か温かいものでも食べて、元気をつけたいな、と見ると、扉の内側に、また変なことが書いてありました。
【武器をここへ置いてください。】
見るとすぐ横に黒い台がありました。
「・・・・・・」
また少し不安になりましたが、とはいえ、武器を抱えて食事をするという法もありません。
「よほど偉い人間が、始終来ているところなのかもしれないな」
こういった隠れ家風の場所は、貴族辺りが好んで来るのかもしれません。何となく気に入らないとは思いましたが、剣帯を解いて、それを台の上に置きました。
いざとなれば自分には紋章もあります。
また黒い扉がありました。
【どうか靴とマントをおとり下さい。】
長靴も泥にまみれています。
「仕方ない。たしかによっぽど偉い人間でも奥に来ているものらしい」
青年はマントを釘にかけ、汚れた長靴をぬいでぺたぺたあるいて扉の中にはいりました。
扉の裏側には、
【ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、ことに尖ったものは、みんなここに置いてください。】
と書いてありました。扉のすぐ横には黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口をあけて置いてあります。鍵まで添えてありました。
「・・・・・・」
特に貴重品は身につけていません。自分には関係ないな、と通り過ぎようとした時、金庫の扉に張り紙がしてありました。
【ベルトは外しましたか?】
確かにわずかですが金具がついています。それにしても高価な宝石がついているわけでもないベルトまで外すとは。
「・・・つまりは腹いっぱい食わせてくれるということなのかな」
青年はベルトを外して、何となく意味がないような気がしましたがぱちんと鍵をかけました。
すこし行きますとまた扉があって、中にはすばらしいごちそうが用意されていました。
【お召し上がり下さい】
このあたりで採れたらしい野うさぎやきのこや木の実のほかに、山の中にもかかわらずひらめのような魚料理も用意されています。
これだけのものが食べられるのなら、これまでの面倒も納得がゆくというものです。
しばらくすると青年はすっかり満腹して、用意されていた酒で少し眠くなってきました。
勘定は後で良いのかな、と次の部屋を除くと、どうやら寝室のようでした。
そういえば入り口に「りょうりとへや」とありましたから、ここは宿も兼ねているのでしょう。
あくびを一つして見回すと、浴室らしい扉がありました。
風呂の支度がしてあります。
「・・・今日はここで泊まるかな・・・・・・」
そうと決めれば早く休むことにしよう、と青年はありがたく風呂をつかうことにしました。
一日の汚れと疲れを落として風呂を出ると、身につけていた服がなくなっていました。
「・・・・・・」
洗濯しておいてくれるなら、何か一言残しておいてくれてもいいのにな、と思いましたが、風呂で酒も回ってきたようです。裸でうろうろしていても仕方ないので眠ることにしました。
寝台の脇の小卓に、小さな壷が置かれています。
【お使いください】
みると壷のなかのものは甘い匂いのする、クリームのようでした。
「・・・クリームをぬれというのかな」
室のなかがあんまり暖いと外に出るときひびがきれます。その予防なのでしょう。
「気の利いた宿だな・・・」
青年は壷を眺めましたが、面倒なので明日にすることにしました。
寝台には暖かそうな毛皮が置かれています。
明かりを落としてそこにもぐりこみました。
すぐにおかしなことに気づきました。
もぐりこんだ毛皮が勝手に動いて自分を包み込んでいます。
耳元で声がしました。
「いただきまあす」
「何・・・」
大きな手で口を塞がれてしまいました。
もう一方の手が体中をなで回しています。
ようやく青年は何が起きているのか検討がつきました。口をふさぐ手を払いのけると、寝台から逃げ出そうとして失敗しました。
「貴様・・・熊だな!」
「おう」
確か今、いただきますとか言っていたような気がします。このままでは食べられてしまいます。何だか嬉しそうな様子で、毛皮がのしかかって来ました。
「今日のはいい感じだな!」
若いしかわいいし、と言うと、変なところを触ってきます。
「なっ・・・何をする!」
「何だクリーム塗ってないじゃないか」
熊は腕を伸ばすと、小卓から壷を取り上げました。じつに用意周到です。
「あっ・・・・」
熊が慎重にクリームを塗りだしたので、青年は固まってしまいました。
どうもただ食べられるのとは違うようです。
「何だ初めてか」
はっはっはっ、と熊が笑いました。青年は必死で抵抗します。
「俺は、俺は、お前の、退治に、来たんだぞ!」
「うんうんそうかそうか」
「湖賊や山賊から泥棒して、悪いと思わないのか!」
「そしたらお前も同罪だぞ」
「何でだ!」
「さっき食ったろ」
ひらめやきのこ。青年ははっと息をのみました。
「うまかった・・・」
そうだろ、と熊が頷きました。
「だから今度は俺がおいしい思いをさせてもらう番だな!」
言うと熊は青年を抱え込みました。
クリームを塗り終わったようです。
「や・・・・・・」
「はっはっはっ」
青年がなかなか戻らないので熊退治を頼んだ村の人間はとても心配しました。
しかしどういうわけか熊の被害もぱったりおさまったので、それでよしとすることにしました。
青年の消息はそれきりわかりません。
どっとはらい。
完
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