ビクトールが倒れたのは、交易から帰って直ぐの事だった。 「ねーヤマト、ビクトールさんてまだ意識戻らないんだよね…」 「うん…もう3日も経つんだけどね…」 医務室に向かう姉弟の声は重い。 心配しているのだ。 明るく、強く。 時に自分たちの保護者然としてある、ビクトールのことを。 もう、倒れてから3日。 原因不明の高熱で昏睡状態に陥ってから、一度も。 目を、覚まさないのだ。 原因不明、といっても。 交易に一緒に出向いていたヤマトには、心当たりはあった。 街から街への道中で。 はじめて遭遇した、名も解らないモンスターがいた。 多分、そいつのせいに違いない。 というよりも、それ以外に他に思い当たるような事がないのだ。 すぐに倒せた。 でも、きっとビクトールは何かしら攻撃を受けていたのだろう。 しかしそこまでは推測出来たものの。 高熱の原因が何であったのかは解らず終いなのだった。 毒であるのか、呪いであるのか。 それとも、他の何かであるのか。 結果、対処も解らずで、ビクトールが昏睡から目覚めることはなかった。 「お…っと、大丈夫か?」 医務室のドアを開けようとした途端。 勝手に扉が開いて、軽くヤマトにぶつかった。 向こう側から顔を出したフリックがすまなさそうに覗き込む。 「あ、はい、フリックさん来てたんですね。」 「ああ、もう行くところだけどな。」 「ビクトールさんは…」 「ああ。相変わらずだ。」 「そうですか。」 ほんの少しの微かな期待でも、裏切られると辛いもので。 ヤマトは沈んだ表情になった。 その、頭に手を置いて。 フリックが、苦く笑った。 「でも…まあ、顔くらいは見て行ってやってくれよ。お前が声掛けたら起きるかもしれねーし。」 「うん。」 「じゃ、俺はもう行かなきゃだから。」 ぽんぽん、と頭を軽く叩いて、フリックは。 そう告げると早足で青いマントを翻して行ってしまった。 その背を見送るヤマトに、ナナミの声が。 「…あっさりしてるよね。フリックさん。あんまり心配じゃあないのかな…?」 言われて、ヤマトは。 ぎこちなく笑顔を作る。 「まさか。そんな事ないでしょ?今だって、ビクトールさんの様子見に来てたんだろうし。」 「そうかなー?そうだよね。だけど…もうちょっとこう…ねー…」 ヤマトの否定の言葉に。 渋々といった様子でナナミは頷いた。 けれど、まだどこか不服そうにぶつぶつと言って唇を尖らせた。 ほんとうは。 ヤマトも。 少し、そう思っていた。 フリックが、あまり、ビクトールの心配をしてないのではないのかと。 普段の彼らの仲の良さを。 知っているからこそ、そう思ってしまう。 もし、例えば。 倒れたのがナナミだったなら。 自分なら、きっと、心配で心配で側を離れられないと思う。 夜も眠れなくって、付っきりで。 早く目を覚まさないかと。 なのにフリックは。 ああして、たまに見舞いには訪れているものの。 後は、本当にいつも通りなのだ。 ビクトールが、目を、覚まさないのに。 もしかしたら。 このまま。 かも、しれないのに。 フリックの事を、薄情であるとかそんな風には思えない。 本当に心配してないだなんて、そんな風にも思えない。 でも、だからこそ。 いつも通りでいられる、そのことの。 理由が解らなくって、胸の支えが取れないでいる。 そう、自分は、苛立っている。 フリックなら。 なりふり捨てて、ビクトールの身を案じるだろう、と。 勝手に、そう、信じていた。 そう、あって然るべきだと、思ってた。 そうあるべきだ、だなんて。 けれど、そうではなかった。 その事に。 酷く傷付いている。 勝手に信じて、勝手に失望してる。 でも。 信じていたかったのだ。 二人にある。 絆を。 ビクトールが倒れてから、5日が過ぎた。 それでも、まだ。 目覚めることはなかった。 「ね…フリックさん。」 「ん?」 よく晴れた空から、惜しみなく日差しが降り注ぐ。 城にある釣堀で。 ヤマトはフリックと並んで何をするでもなく、桟橋に腰掛けていた。 ビクトールの分も、と。 忙しく走り回るフリックを。 ヤマトは城主権限で、軍師から無理矢理奪い取って来たのだった。 誰にも邪魔されずに、ゆっくり話の出来るところに。 「ビクトールさん…ちっとも、目を覚ましませんね。」 「ああ、そうだな…」 「もう、5日もなるのに…熱も引かないし…」 肩を落として呟くヤマトに。 フリックが殊更明るく声を。 「大丈夫だって!…そのうち、何でもなかったかのように目を覚ますさ。」 「でも…」 「そう心配するなよ。あいつの事だから、空腹の限界がきたら絶対起きて来るって!」 「……」 「な、何だよ?」 自分を、励ますフリックを。 ヤマトは、見た。 フリックが、不審がるような、そんな目で。 「フリックさんは?」 「え?」 「フリックさんは、心配しないの?」 「……」 「原因不明で、熱も下がらなくて…!目も覚まさないでいるのに?!」 口火を切った途端。 ずっと、胸に溜めていた疑問や不満が次々と漏れていく。 「もしかしたら、ずっとこのまま目を覚まさないかもしれないのに?!このまま…死んじゃうかも、しれないのに?!!」 「……」 「心配するでしょ?!ふつー!なのにどーして心配するななんて言えるの?どーしてフリックさんはそんなへーぜんとしてられる訳?!!」 最初、驚いた、といった風に大きく目を見開いていたフリックの。 表情が穏やかに変わる。 「ビクトールさんのこと、心配じゃあないのっ?!!」 ヤマトはといえば、少し涙目になって、肩で息をついている。 その、ヤマトの。 手を取って、フリックは強く握り締めた。 「大丈夫だ。」 「…っ」 「大丈夫、だから…」 それは、揺ぎ無く強い力だった。 「あいつは、死んだりなんかしない。」 「ど…っして、そんなこと…」 強く、力を込めたまま。 けれど。 それが嘘のように、ほんとうに柔らかに。 フリックは笑ったのだ。 「解るからだ。」 「…え?」 「あいつの事は、誰よりも、俺が一番解ってるんだ。」 言い切る、その言葉に。 一切の澱みはない。 「今のあいつにはやるべき事がある…知ってるだろう?ネクロードの事。」 ビクトールの故郷。 この、城のあるかつての村を。 滅ぼした、忌むべき相手。 そう、思い出してヤマトが肯く。 「奴を討ち取るまでは、ビクトールがくたばるなんて事は絶対に有り得ない。例え…何があっても、な。」 だから必ず目覚める筈だ。 恐ろしく執念深い奴だからな。 と、そうフリックが告げて笑った。 そして。 ふっと遠くに目を向けて。 「それに、まだ…」 呟いた後は続かなかった。 水面をはぜる光がちらちらとその横顔を煌かせて。 無表情、ともいえるその顔を、綺麗に彩っていた。 「まだ…って?」 「ああ…いや、いいんだ。」 訊き返したヤマトに、はっとしてフリックがかぶりを振る。 「とにかく、あいつを信じてやってくれ。こんな事で、どうにかなるような奴じゃないんだ。」 「……」 「な?」 「……うん。」 再度、強く手を握られて。 その、強さに押されるように。 ヤマトは小さく肯いたのだった。 そしてその2日後。 ビクトールはやっと目覚めたのだった。 「それでは、回診に行って来ますね。」 そう言って、トウタを連れてホウアンが出て行くと。 医務室にはフリックとビクトールの二人きりになった。 窓から、夕焼けの赤い空が見える。 しん、とした空気を破るかのように、ビクトールが大きく伸びをした。 「あ〜〜〜しかし何だな…ほんとに意識不明で寝てたなんて嘘のよーだなー」 「それはこっちの台詞だ…」 ビクトールの熱は、丸7日を過ぎると、急激に平熱へと戻ったのだった。 そしてそれと同時に意識も回復したのである。 原因は相変わらず不明のままではあったが、特にこれといった後遺症も見当たらず。 一週間も寝たきりであったにも関わらず、たちまち何事もなかったかのように起き上がったビクトールを見て。 医師のホウアンは完全な回復を宣言した。 普通なら、足が萎えて立ち上がる事など侭ならない事実から察するに、病的な原因ではなく、魔術的なものだと決断したのだろう。 魔術なら、熱が下がって目覚めた時点で効力が切れたとみていいとのことで。 後は簡単な検査を済ませれば、明日からは日常に戻れるとのことだった。 「…ったく、人騒がせにも程がある…」 「まーまーまー!悪かったって!」 腕を組んで、ぼやいたフリックに。 ビクトールは軽く侘びを入れて手を伸ばした。 備え付けの椅子に座ったフリックの。 頭を抱え込むようにして、抱き込んだ。 フリックは、大人しくされるがままにさせている。 「な…心配、したか?」 低く、耳元に響く声に。 瞬間、身を竦ませたフリックだったが。 冷たい、声で返す。 「心配なんか、する筈ないだろ。」 「そうかー?」 「そうだ。」 それは残念、と。 小さく笑って、ビクトールがよっ、と声を上げて力を入れる。 寝台に引き上げられたフリックは、更に引っ張られて、ビクトールの膝上にと背後から抱え込まれた。 「まーまーこれも快気祝いだと思ってよー」 目線での無言の抗議に、ビクトールの暢気な声が降る。 にこにこ笑うビクトールに、フリックは大きく溜息を吐いた後。 ゆっくりと体の力を抜いて、胸に凭れ掛かったのだった。 しばらく、静かに時間が流れたあと。 ビクトールがひそりと言った。 「お前…ずっと『還ってこい』って、言ってくれてたよな。」 「っ?!」 すっかり全身で寄り掛かっていたフリックが、弾かれたように体を浮かせた。 「全然動けなかったけどよーちゃあんと、聞こえてたんだぜ?」 「……っ」 何を言わんとするのか、ビクトールを凝視していたフリックの顔がばっと赤くなる。 「ほんとは、心配、してくれてたんだよな?」 優しく、ビクトールが問い掛ける。 その、眼差しを避けるかのように。 フリックはまた背を向けて俯いた。 「…別に…ほんとに、心配なんかしてなかった。」 「ふうん?」 腕を回して。 ビクトールがフリックを、また、抱え込む。 「だって、心配なんかする必要はないだろ?お前は、やるべき事を残して、簡単に死んでしまうような奴じゃないんだから。」 「まあな。」 「俺は…ちゃんと、お前のこと、信じててやったんだぞ。し、心配なんか、する訳ないだろ…?」 「うん、そうだな。ありがとな。」 ビクトールの腕に、力がこもる。 「ネクロードの奴も生きてやがったし、この戦争だって、見届けなきゃな。おちおち死んでなんかいられねぇよな。」 「……」 「それに…」 ビクトールが、背中越しフリックの首筋に。 甘えるように擦り寄った。 「まだ、お前の返事、きかせて貰ってねぇもんな。死んでも死に切れねぇ…」 「…っ」 まわした手で。 フリックの手に指を絡ませる。 そのまま握り込んで。 「返事、きいてもいいか…?」 それは、フリックの耳に。 甘く甘く響いた。 「返事…」 「なあ、俺は…お前とずっと一緒にいてぇんだ。」 うっとりと囁かれる睦言に、フリックが身を縮込ませる。 けれども。 それを振り払うかのようにして。 冷ややかに言い渡す。 「…たかだかモンスター如きにやられて死んじまうような奴とは、ずっと一緒になんていられない…」 「だから、死んでねぇじゃねぇか…」 「でも、死に掛けてただろう。」 「…それでも、ちゃんと生きてるぜ?」 「それは結果だろう?そんな…心配ばっか掛けさせやがる奴なんてご免だ。」 「お前…さっき、心配なんかしてなかったっつってたじゃねぇか!」 「当たり前だっ!!お前の心配なんか、する訳ねーだろ?!!」 「……っ…!」 支離滅裂、と言ってもいいような。 勝手な言い分に、ビクトールは呆れて、一瞬言葉に詰まってしまった。 けれど。 「あーもー!解った!!俺が悪かった!!!」 そう叫んで。 両手を挙げて、降参のポーズを取ったのだった。 そうして。 体全体で、言葉の端々でさえ。 『とても心配してた』と訴えているのに。 頑なに『心配なんかしてなかった』と言い張る。 そんなフリックを力一杯抱きしめた。 『心配してなかった』と言い張る、その理由を知っている。 自分の強さを。 信じていてくれたからだ。 志半ばで、斃れるような。 そんな男ではないと、信じてくれていたからだ。 だからこそ。 心配などしてはいけなかった。 それが解るから。 尚更、ビクトールの胸に愛おしさが湧き上がる。 「お前が心配しなくても、それでも、心配掛けさせるような真似はもう…出来るだけしねぇから。」 腕の中の、フリックが微かに震える。 「返事も、急かしたりしねぇ、から…」 ビクトールの、声も僅かに震える。 「まだ、傍にいさせてくれ…」 「っ…」 「お前と…一緒にいてぇんだよ…」 後ろから抱きすくめるビクトールには、フリックの表情は伺えない。 ただ、身を強張らせているのが解るだけだ。 その肩が揺れて。 ぽつりと、声が。 「…一緒に…いたら駄目なんて、一言も言ってない。」 「おう…」 「心配、掛けさせるも何も…心配なんかしねーって言ってるだろ…」 「おう…」 「だからお前は…お前の、好きなようにしてればいい。」 「おう。」 「ちゃんと、傍にいてやるから…」 「お…」 「俺だって、お前とは一緒に、ず…っ」 ビクトールが思い切り抱き締めたので。 フリックは最後まで言葉を続ける事が出来なかった。 「くっ…苦し…っ!」 ぎゅうぎゅう締め付ける腕を剥がそうと苦戦して。 フリックはもがいた後、どうにか肘鉄を放った。 「っ?!!」 「て…め…殺す気かっっ?!!!」 息が出来ねーんだ、と肩で息をついてフリックが呻いた。 同じく、綺麗に決まった一撃に呻くビクトールが。 それでも、更に腕を回してフリックを捕まえる。 「お前…懲りん奴だな…」 「今…っ、お前っ…あれは返事だよな?!」 頬に手を宛て。 見詰めて、問う。 そんなビクトールに。 フリックは。 目を細めて、笑む。 「違うぞ。」 「へ…?」 「返事は急かさないんだったよな?」 「そりゃ…そーだけどよ…でも、お前、」 「俺はまだ、返事する気なんて毛頭もないからな。」 「…じゃー今のは?」 「別に…ただの現状の気持ちだ。」 「……」 意地の悪い笑みでしゃあしゃあと答えるフリックに。 ビクトールは力なく肩を落とす。 しかし。 すぐさま立ち直って、破顔する。 「ま、いいか。お前が、今、俺と一緒にいてぇと思ってるならそれでよ。」 そう言って、また、フリックを抱え直して後ろから腕を回す。 「おい…」 「まーまー快気祝い、快気祝い!」 「…もうちょっとだけだからな…」 ぶっきらぼうな、フリックの返事は。 ビクトールの笑みを更に深くさせた。 ほんの少し。 僅かに開いた、医務室の戸が閉まる。 そっと足音を忍ばせて。 細心の注意を払ってヤマトはそこから離れて行った。 回診に出たばかりのホウアンと出会ってビクトールの回復を聞いた。 その足で、急いで向かった医務室で。 夕暮れの中。 静かに寄り添う二人を見た。 声を掛けるべきか悩みあぐねている間に。 何だか盗み聞きのような形になってしまった。 いけない事だとは解っていたけれど。 でも。 どうしても、聞かずにはいられなかった。 勝手に信じて、勝手に失望して。 そして。 勝手に、また、安心してる。 フリックが、ほんとはちゃんと。 ビクトールの心配をしていたのだと知って。 二人の間に。 確かに、強い絆が、ある事を知って。 解ってる。 こうあるべきだ、なんて。 勝手な理想を、二人に押し付けていただけだという事。 でも、それでも。 信じていたかった。 世の中には。 決して揺ぎない。 強く、確かな、絆があるのだと。 そして。 あの二人なら。 その絆を知らしめてくれるのだ、と。 信じていたかった。 けれど。 本当は、きっと、信じきれてなどいなかったのだ。 でも、もう。 解った気がする。 確かに、この世には。 決して揺るぎない、強く確かな絆はあって。 けれど、それは。 他人が思い図れるような、そんなものではないという事。 「でも…完璧にビクトールさん、尻に敷かれてるなあ…」 覗き見た遣り取りを思い出して、ヤマトがひそりと笑う。 「それに、フリックさんも、意外に背負ってるし。」 結局らぶらぶなんだよなー、と腕を伸ばして天井を仰ぎ見る。 『返事する気なんて毛頭もない』 そう言ったフリックの魂胆は、きっと。 また、同じような事態に陥った時。 『まだ、お前の返事、きかせて貰ってねぇもんな』 また、同じ理由でビクトールが死ねないようにするためだ。 フリックは、ちゃあんと解ってるのだ。 自分に応えて貰う為に。 ビクトールが、それこそ死にもの狂いになる事を。 それこそ、本人の弁曰く。 『あいつの事は、誰よりも、俺が一番解ってるんだ。』 この言葉に尽きるのだろう。 そう、ちゃんあと、解ってる。 自分が、ビクトールに、とても愛されているという事を。 ちょっとムカついて来たので。 ヤマトは、足を速める。 今頃。 更にいいムードになっているだろうから。 早くぶち壊しに行こう。 程なくして。 目的の人物を見付けて、ヤマトは大きく手を振った。 「ナナミ〜!」 「あ、ヤマト。どうしたの?慌てて。」 「ビクトールさんが目覚めたんだって!」 「ほんとに?!!」 「うん。さ!早く会いに行こう〜っ!!」 姉の手を取って走り出したヤマトは。 その、意地の悪い企みとは裏腹な。 とても綺麗で優しい。 そんな笑顔を浮かべていた。 |
リクに確か「熟年夫婦」とあったのですが… 何だか、夫婦とゆーよりも、何年も同棲して籍だけ入ってない周りも認める内縁関係、みたいな二人になってしまいました(大汗) ど、どーしてこんな事に… しかし私も、基本的にはフリックは熊の事をあまり心配しないと思ってます、 簡単には死なないだろーし、ちょっとした仕事や戦なら笑って済ませてしまうと信じてると思いますので。 熊は、とてつもなく強い。からこそ、惹かれる。のであって欲しいです。 氷天ゆき様、お待たせしてしまってすみませんでした。 ちょっと(いや大分?)リクを外してますが…こ、こんなカンジは如何なものでしょうか? お気に召して頂けると嬉しいのですが。 |