「なーなー筧〜!今日バレンタインじゃん?!」 巨深高校、アメフト部。 その、朝練の休憩中に水町が言った。 「何個チョコ貰えるか賭けねえ?」 「ばっ…!何を言ってるんだ君はっ!君が筧先生に勝てる筈がないだろう?!」 「そうだそうだ!!!」 その応えは、言われた筧本人ではなく、その傍らに陣取ってる大平大西コンビによって返された。 「あー?んなの解んねえじゃん。俺って結構モテるんだぜー?」 「うっ…!」 「そっ、そんなの、ただの浮ついた女子がキャーキャー言ってるだけだろ!」 「そんでもモテてん事に変わりねーもんねー!」 「…っ!!」 そうして始まった、小学生かのような喧嘩に。 筧はふうと溜息を吐いて頭を押さえた。 やってる事はガキそのものではあるが。 2m前後もある男三人が騒ぐ姿は、人目を引くし、何よりむさ苦しい。 もう一度筧は溜息を吐くと。 「いい加減にしろって。」 そう言って仲裁に入って大人しくさせる。 毎日がこんな風なので、彼らの扱いには筧はもう十分慣らされていた。 大平と大西が『先生』と呼ぶのにも、自分でも確かにそういう立場なのかもしれない、と思う程に。 但し、先生は先生でも、『幼稚園の』であるが。 「だから筧、勝負しよーって!こいつらじゃ相手になんないしさあ〜」 口をとがらせ、また、水町が余計な事を言い出したのに筧が顔を引き攣らせた。 少し怒りを込めて筧は睨み付けたのだが。 水町は何処吹く風で、頭の後ろで腕を組んで、ただ筧の答えを待っているだけだった。 飄々として、時に捉えどころがない。 けれど愛嬌のある仕草や表情で。 今は2mを越す大平達と一緒だから目立たないけれど、背は抜群に高い。 体も均整良く、ちゃんと筋肉もあって引き締まっている。 顔だって、整ってると思う。 その顔で、明るく人懐こく笑って、場を盛り上げて。 水町は、本人が自信たっぷりになってもいいくらい。 間違いなくモテる。 きっと、今日だって、沢山のチョコレートを贈られるだろう。 それを嬉々として受け取る様も、ありありと目に浮かぶ。 「…しねえよ、バカ。それに俺、そーゆーの興味ねえよ。」 「ええ〜〜〜?!!!」 あからさまにがっかりといった顔になって、水町が叫ぶ。 「そうだぞ水町!筧先生はお前と違ってそんな軟派なヤツじぇねえんだっ!!!」 「ああ?!俺はナンパなんかしねーよ!」 「そのナンパじゃないよ、やっぱり君は脳みそまで筋肉なんだね…ってそれよりも、そもそも君は筧先生というものがありながらっ…!」 「ああもう…お前ら、ほら、休憩終りだってよ!」 また騒がしくなりそうな気配に、筧は割って入って声を掛ける。 その一声に、座っていた三人は聞き分けよく立ち上がった。 そうして、また練習に赴くために歩き始める。 軟派だろうが騒がしかろうが、基本的に皆アメフトには真面目に取り組んでるのだ。 続いて筧も歩き出そうとして、ふと視線に気付く。 水町が何か言いたそうにして、こちらをじっと見てる。 「…?どうした?」 「べつに…」 まだ、さっきの勝負とやらを持ち掛けるのかと筧が窺ってみる。 が、水町はふいとそっぽを向いて。 そしてそのまま歩き出したのだった。 「…??」 少し気にはなったが。 水町がおかしいのはいつもの事だ、と思い直して筧もその後に続いたのだった。 良く晴れた日の。 聖バレンタインデーのはじまりであった。 比較的校則の緩い巨深高校では。 持ち物検査もなく、校内はバレンタイン一色に染まっていた。 教室や廊下、果ては職員室にまで、色とりどりに可愛くラッピングされた小さな箱はその存在を大いに主張している。 そして勿論、筧の周辺でも。 まず靴箱に数個入っていた。 その時、一緒だった水町の靴箱にはぎっしり入ってたらしい。 それから、大平のにも一個入っていた。 大平は真っ赤な顔をして涙を流しながら喜んでいる。 まあ、興奮して泣いてるのはいつもの事ではあるのだが。 しかしそんな大平を見た大西が、表面上平静を装っているのに「なぜあの野蛮人が貰えてこの僕が…」とひっそりと唇を噛んでいたのを水町が見付けて爆笑したりしていた。 「そーしょげんなって!バレンタインには恋の魔法が溢れてっから、大西だってなんか間違って貰えるかもしんねえじゃん?」 「まっっ…間違いってどういう事なんだい?!!そ、それに大体、魔法なんて非科学的な事、信じられる筈がないだろう?!」 「そりゃそーだけどよー…でも信じたいじゃん。」 それを聞いて筧は水町を見る。 別にどうもしない会話の筈だったのだけれど、何故か引っ掛かりを覚えたからだ。 何か、水町は魔法を信じたいと思うような事があるのだろうか、と。 魔法を掛けたいと願う、何かがあるのだろうかと。 視線を感じた水町が、筧を見返す。 「筧も、魔法とかって信じる?」 「信じねえよ、そんなもの。」 「あっはは!筧らしー」 そう笑う表情はいつものもので。 筧は気のせいだったのだと思い直したのだった。 そんなこんなで半日が過ぎて。 今は昼休み。 いつも来てる屋上で、筧は一人ぼんやりと座っていた。 今日は丁度4時限目が自習だったので、いつもより早くここへ来たのだった。 同じ組の大平も途中まで一緒だったが、今は購買に行っている。 筧も行くと言ったのだが、「筧先生は座って待ってて下さい!」とか何とか言って大平がそれを大いに拒否したのだ。 大西は朝に会ったときに体育なので遅くなるかもと言っていた。 きぃ、と小さく軋む音がして。 唯一ある扉が開く。 水町が来たのかと思って。 顔を上げた筧の目に映ったのは、数人の女の子だった。 「筧君…あの、これ…」 おずおず、といった具合に近付いて来た彼女等は、煌びやかな小箱を差し出して言った。 「う、受け取って下さい…っ!」 一生懸命、といった風に一人のコが言うと、その後ろに控えていたコ達も一斉に小箱を差し出した。 どのコも緊張して顔を赤くして。 手も、僅かに震えていた。 それを見る、筧の顔も少しばかり赤みを帯びていく。 けれど。 筧は緩く首を振ると、ゆっくりと立ち上がった。 そして。 「悪ぃけど、それは受け取れねえ。」 「っ!!」 その言葉に、弾かれたように女の子達の顔が上がった。 ぐっと唇が噛み締められて、でもまた、少し涙目になって声を上げる。 「付き合ってとか、そういうんじゃなくて…っ、受け取って貰えるだけでいいんです!」 「それでもダメですか?!」 下から、哀しげに見詰められて。 筧はうっとなってしまった。 が、それでもどうにか毅然とした面持ちを作る。 「ごめん…そーゆーのは好きな奴からしか貰わねえ事にしてる。」 素っ気無い言い方であったけれども。 それは筧にとっては精一杯の誠意を尽くしたものであった。 その意を汲んでかどうか。 女の子達は顔を伏せ。 仲間内で何か言い合った後。 小さな声で口々に謝って、そしてその場を後にしたのだった。 彼女達の背中を見送って。 筧の胸が少し痛む。 別に謝る必要なんてない。 そう言いたかったけれど、それはとうとう口には出せなかった。 「あ〜あ〜かっわいそー!」 ふいに声がして。 驚いて筧は辺りを見回した。 すると、扉の上、建物の屋根に当たるところから、ひょっこりと水町が顔を出していた。 「なっ…?!お前っ、何でそんな所に?!!」 「だってさ、来たら丁度告白タイムまっ最中じゃん?思わず隠れちゃったってワケ!」 「……」 それはそれで、水町の言い分は正しいように思えて、筧は口を噤んだ。 水町はよっと掛け声を上げると飛び降りて。 そのまま勢い良く筧の側に寄った。 「チョコくらい貰ってあげたらいいのに。あーんないっしょーけんめーだったのにさ。」 覗き見るようにして水町が言うのに、筧は憮然と答える。 「だから余計にだろ…一生懸命なのにいい加減な気持ちでなんて受け取れねえよ。」 「フーン?筧ってマジメだよなあ。俺には良く解んねーけど。」 だって折角用意してくれてんのに、貰わねえと悪いじゃん? そう言って、水町は含みなくにっかと笑う。 それは価値感や考え方の違いというやつだろう。 筧には、その理屈は賛同しかねる。 「うるせえよ。」 そう思って、難しい顔になって筧はぼそりと呟いた。 そして水町がどこか感心したように言ってのけたのを、それは皮肉か何かかと筧は軽く睨んで返す。 やっぱりそれをものともしないで、水町は視線を扉に向けた。 「けどマジよかったん?結構可愛いコもいたのにさあ?」 「…お前みてえに、あっちもこっちも俺は手ぇ出したり出来ねえよ。」 その台詞に。 ばっと凄い勢いで振り返った水町が大声を上げた。 「ばっ…か、カケイ!俺そんなマジ遊んでねって!!昔はともかく、今はホントまじめなもんだって!!」 「…別にそんなムキになる事ねえだろ。」 「そりゃなるって!筧に誤解されんのなんかヤだもんよ!」 「ふーん…」 慌てふためいて必死に言い繕う水町を、筧が冷ややかに見遣る。 筧が、別に水町を信じていない訳ではない。 ただ、それでも朝から何度も見掛けた、嬉しそうにチョコを貰う水町に。 少なからず含むものがあるのは仕方ない。 ちょっとした沈黙が訪れる。。 落下防止のフェンスを抜ける風が髪をなぶっていく音だけが耳元で響く。 「…で、いんの?」 「は?」 それは。 やっと聞き取れるか、くらいの声だった。 「だからさ…さっき言ってたじゃん。チョコ、好きな奴からしか貰わねって。」 「ああ。」 「いんの?好きな奴。」 「……」 咄嗟には声が出なくて。 また、風の音だけの世界になった。 水町の少し長い明るい色の髪が、風に散って面白いくらいに次々と形を変える。 その、水町自身の表情はずっと、固まったままで。 風の冷たさだけがそうさせている訳ではないようだ。 窺うような探るような。 そんな瞳で筧だけを見てる。 そして。 そんな風に見詰められて筧は。 居ても立っても居られないような。 焦燥に駆られて胸がぐっと苦しくなるのを堪えた。 「…なんでそんな事訊くんだよ?」 「なんでって…そりゃ、訊きたいから。」 「そんなの、言わなくったって解ってるだろ。」 出来る限り隠し通しているけれど。 筧と水町は、所謂『恋人』同志だ。 お互いが好きだから、付き合っている。 だから、そう思ってる筧は、そんな事を訊いて来る水町の意図が掴めないし、それにわざわざ答える必要も感じなかった。 けれど、そう返された水町は。 一瞬、むっとした顔になって。 そしていつも見る癖の、尖らせた口になって、視線を外した。 「わかんねえよ…解ったとしても、ちゃんと筧の口から聞きてえんだって。」 「水町…」 「俺は筧のこと、好きで好きでスゲー好きでちょー好きでちょー愛してるケド、筧は俺のことどう思ってんの?」 「…っ」 「な、筧、好きな奴って誰のコト?」 「…そ、れは…」 「筧せんせえ〜〜〜っ!!!おっ、遅くなりましたああああああ!!!」 大平が勢い良く扉を開いて屋上に飛び出した時。 水町と筧は酷く驚いた顔をして振り向いた。 「すいません!購買混んでた上にコイツが…っ」 「何だ君は!自分の無能さを棚に上げて、人の所為にするのか?!ただ僕は筧先生はやきそばパンよりフィッシュカツサンドがお好きだと教えてやっただけだろう?!!」 「だからこうしてちゃんと買い替えに行っただろうがあ〜!!」 扉を潜った二人は、言いながらも小突き合ってフェンス間際まで来ていた筧の元に駆け寄る。 大平の胸元には、パンやらおにぎりやらが溢れんばかりに詰まった袋が大事そうに抱えられていた。 それだけの量と種類なら、たかだか一個のパンくらいで言い争わなくともいいのに、とそう思う筧から笑みが洩れる。 そして、彼等が姿を現してから途端に賑やかになって、筧はほっとして緊張を解いた。 そんな筧に。 大西がメガネを摺り上げながら覗き込む。 「先生、大丈夫ですか…?何か顔が赤いですけど…っ?!」 「えっ?!い、いや、別にっ…!」 「そうですか…って、はっっ?!ま、まさかまた君が朝の勝負とかなんとかで筧先生を困らせてたんじゃあないだろうな?!!」 心配そうに筧を見ていた大西が、ぐわっと仰け反って、そして水町に向き直って一喝した。 「何っ?!ほんとうか、それは!!!」 大平も水町に向かって、泣きながら叫ぶ。 「……いや、お前ら…」 「何だよ、お前らうっとおしーなー!もー!!」 「だったら水町君がどっか他所に行けばいいだろう?!」 「お前らがどっか行けって!」 「うおおおおおおおおお!!」 「……」 三人が騒ぎ始めるのを呆れつつ眺めながら。 筧は必死になって平静を取り戻そうとした。 酷く驚いたせいだろうか。 心臓がばくばくいっている。 『筧は俺のことどう思ってんの?』 水町の事はちゃんと好きだと思っている。 そうでなければ、付き合ったりしない。 ましてや、男となんかと。 ただ、それを口に出してどうこう言うのは、あまり好きじゃない。 それに水町のように、ぽんぽんと口になんて出て来やしない。 だけど、ちゃんと好きだと想ってる。 態度にだって、出来る限りは出しているつもりだった。 しかしそれでは駄目なのだろうか。 水町には、伝わらないのだろうか。 だとしたら、きっとやはり少なからず自分に非があるのかもしれない。 そう思って筧は密かに息を吐いた。 が。 そんな感傷に浸る間もないくらいに、煩くなってきて。 「おい!早く食わねえと授業始まっちまうぞ!」 口だけではなく、手や足も出始めた三人に向かって筧は怒鳴り付けた。 その鶴の一声に一同は大人しくなって、まるで飼い主に叱られた犬のように、すごすごと筧の隣に移動する。 「先生、ほんとに大丈夫ですか?」 隣に座りながら、大西がまだ顔が赤いと心配そうに筧を見る。 「っ、なんでもねえよっ…それに…別に水町に困らせられてたワケでもねえよ。」 「筧先生がそう仰るなら…」 まだ、どこか不審気にしていたが、大西はパンの袋を開けると急いでそれに噛み付いた。 筧も、渡されたサンドイッチの袋を破く。 それを食べようとして、ふと、水町の視線に気付く。 ジュースのストローを銜えたまま、朝の時のように、また何か言いた気にしながら筧を見詰めている。 「…何だ?」 「うん…ホントに俺、困らせてね?」 「っ?!!」 咀嚼していたサンドイッチを、思わず吹きそうになって。 慌てて筧は口を押さえた。 「な〜にやってんだよ、かけいー」 「先生っ?!!」 「だっ!大丈夫ですか?!!」 咳き込む筧に、大平大西コンビが驚いて尋ねるのに、筧は何でもないと言ってまた咳き込んだ。 隣に座る水町に、背を擦られながら筧はちらりとその顔を見る。 わざと言ってるのか、何の含みもなく言っているのか。 判断つかなくて、筧はただ、答える事も出来ず。 水町を睨み付けてやるくらいしか出来なかった。 8時を過ぎると、もう、真っ暗になっている。 今日もまた、放っておくと夜中まで練習しかねない水町に。 付き合ってた筧がキリのいいところで声を掛けて終わらせた。 夜の空気は冷え切っていて。 東京とはいえ、幾つか瞬く星のある夜空に白い息が煙る。 大平と大西が、部室の鍵を競うようにして一緒に職員室に返しに行ったので。 部室から校庭へと帰路を辿る今は、水町と筧の二人っきりだった。 当然、こんな遅い時間には、他の生徒の姿も見えない。 「ちょ…っ、歩くのはえーって!かけい〜!」 先を歩く筧に向かって、水町が情けない声を出す。 その両手には紙袋一杯のチョコを抱えている。 「お前が遅いんだろ。」 「んな事ねえよ〜!なあ、筧〜何怒ってんだよー」 「っ!怒ってねえよっ!!」 「…怒ってるじゃん。」 「……」 ざかざかと歩く、筧の歩調は変わらない。 仕方なく少し駆け足になって水町はその隣に並んだ。 「なあ、マジ何怒ってんだよ?」 「……」 筧は応えなかったものの。 なあなあ、としつこく水町に食い下がられて、やっと口を開いた。 「…怒ってねえっつってんだろ…ただちょっと腹が減ってるだけだ。」 「なんだー腹が減ってるから怒ってたのかー」 「だから怒ってねえって!」 筧は怒鳴り返したけれど。 ほっとした顔になって水町が頷く。 そして、何か思い付いた顔になって。 「あ、じゃあ、チョコ食う?」 「チョコってお前、まさか…」 がさがさ鳴ってる紙袋を見て筧が呟くと、水町は慌てて首を振った。 「ちっ、ちげーって!貰ったやつじゃなくって、俺が前から持ってたヤツ!!」 そう言って紙袋をひとつに纏めて手に持つと、もう片方の手で肩に掛けたカバンの中をごそごそと引っ掻き回した。 そして。 「あった!これこれ!食おうと思って入れたままにしてあったんだよなー」 どこにでも売っているような。 棒状になったチョコレートを差し出して、水町は笑った。 「いいのか?」 「うん。それにホラ、今日いっぱい貰っちったし。」 紙袋を掲げる水町に、それもそうだと筧は頷いてチョコを手に取った。 「じゃあ貰う。サンキューな。」 「おー」 筧は包みを開けて一口齧る。 思ったよりもそれは、甘くなく、筧の口にも合うものだった。 もう一口、二口と黙々と食べる筧を見て。 水町が小さく笑って言った。 「で、結局筧は今日は一個もチョコ貰ってねえんだよな?ゲタ箱にあったのも返しちまったんだろ?」 「……」 尋ねて来た水町を。 じっ、と見た後。 筧はぽそりと呟いた。 「…貰った。」 「えええっ?!!」 声を上げて。 固まった水町を捨てて、筧が歩きはじめる。 慌てて水町が追い縋った。 「貰ったって?!いっ、何時?!!!」 「…今、食ってる。」 「へ…?」 また、固まった水町を。 やはり筧は置いて行く。 今度は10mくらい離れてからはっとして水町は走って筧を追い駆けた。 「まっ…待って!か、筧〜!!」 全速力で走って、前まで回り込んで。 水町ははあはあ息を切らして、筧の目の前に立ち塞がった。 「あのさっ、筧はさ…」 まだ、少し整わない息が小さな白い塊を作っては消える。 「男からチョコ貰うのってアリだったんだ?」 「…そう、だな。相手によるけどな。」 「なんだあ…だったら、俺、ちゃんとチョコ用意してたらよかったなー」 そーゆーの、筧は嫌いかと思ってた、と水町は頭を掻いた。 そして。 「…で?」 「で?」 「確か筧は好きな奴からしかチョコ貰わないって言ってたじゃん?」 「ああ。」 「じゃあさ、筧の好きな奴ってのは、俺のコトだよな?!」 口調は質問的であったけれども。 嬉しそうに、緩んだ顔の水町は。 もう、答えを知っている。 そんな水町に、筧は意地を張るのはバカらしいと思って肩の力を抜いた。 それに。 『ちゃんと筧の口から聞きてえんだって』 水町の言葉が蘇る。 その時の、拗ねた表情も。 だから。 「ああ、俺はお前が好きだよ。」 「?!!」 知っている筈の事を、ただ、言葉にしてやっただけで。 水町はとてもびっくりした顔になった。 そうして見開いた目がすっと細まると、空いた片手で筧を抱き寄せる。 「へ、へへへへへ〜」 「何だ、気持ち悪ぃ…」 「や、やっぱバレンタインには魔法があるんだなって。あんな安物のチョコでも効き目バッチシだよなー」 「別に…魔法なんてもんじゃねえだろ。いつも思ってる事を口にしただけじゃねえか。」 「ンハッ!『いつも思ってる事』だって!!あー…やっぱ夢みてえ…」 「……」 瞳を輝かせて笑って。 首許に懐く、水町にむず痒さを覚えて筧は唇を噛み締める。 たった一言。 『好きだ』と言っただけで。 水町はとても嬉しそうな。 そしてこの上なく幸せそうな顔をした。 その事が、筧の胸にも明かりを灯す。 そこから暖かな何かが広がって。 嬉しい筈なのに、泣きたいような気持ちにさせる。 『好き』とかそういう類の言葉は。 自分からはとても、水町のようには簡単には出てこなくて。 だけど、そのたった一言が。 水町にこんな幸せそうな顔をさせるのであれば。 たまには。 極、ほんのたまに、だけれど。 あるがままの気持ちを伝えるようにしよう。 そんな風に思えるのは。 これも水町が言うところの、『バレンタインの魔法』なのであろうか。 そんな事を筧は頭の隅でぼんやりと思った。 水町が僅かに動いて。 頬を擦り合わせる。 そうして、おとがいを何度か甘く噛んでいって。 唇に触れる。 軽く啄ばんだ後、深く合わせた。 誰も居ない、暗い校庭。 星の光も凍りそうな、寒空の下。 ただ、触れ合うところだけが温かかった。 校庭を抜けて。 校舎に辿りついた時、大西と大平はその入り口で二人を待っていた。 少し、時間が掛かった事を問われるかと思った筧の予想を外して、何にも言われはしなかった。 それどころか、大西は、どこか落ち着かない態度で心ここに在らず、な感じである。 気付くと、手には、今日いたるところで見掛けたような包みを持っていた。 「大西、それ…」 「いっ、いえ!そのこれはっ…!!」 筧が声を掛けると、大西は見て解る程にびくっとしてしどろもどろになって。 赤い顔をして言葉に詰まる大西に。 「へー!大西にも魔法効いたんだな。よかったなー!!」 水町がばんばんと背を叩いて茶々を入れる。 「まだ君は魔法だなんて事を言ってるのか…っ!」 「あったり前じゃん、俺は叶ったもんねー!なあ?かけい!」 憚る事無く、満面の笑みを浮かべる水町に問われて。 明らかな照れ隠しな表情をしている大西と。 どうやら、鍵を返しに行く間にでも貰ったらしいその包みとを見比べた後。 筧は、笑う。 そして。 「ああ。俺にも…効いたみたいだしな。」 その笑顔に。 しばしの間、皆は見惚れてしまって。 けれど、その直後、各々の思惑の叫びが響き渡ったという。 これが、聖バレンタインデーの顛末。 |
キリリク5000。「バレンタインデー」
今井いお様に奉げました。
水町は誰からでも気軽にチョコを渡されたりしそうだけど、筧は本命チョコを一大決心で渡されるだけそうだよなあ…
2005.02.04