News/水路通報


クラブの歴史     艇の推移へ 戻る

  • 1985年12月
    鳥取国体の時に出来た、境港公共マリーナにほとんどの艇が移動し、残った4艇で初代会長塩津氏(故人)を中心にクラブを作ろうと始動する。
    米子港の岸壁にアンカリングで沖出し係留。

  • 1986年(昭和61年)発足
    「錦海クルージングクラブ」として、1月1日正式に発足。
    会則作成。
    2艇入会、6艇となる。

  • 1987年(昭和62年)
    2月、初代会長死去により2代会長に、高下士良氏が就任。
    1艇退会、3艇入会、8艇となる。
    10月、第1回アメデカツカップ開催。

  • 1988年(昭和63年)
    4月、第1回いもれーす開催。

  • 1989年(平成1年)
    1艇入会、9艇となる。
    アマチュア無線クラブコール申請。
    小型船舶安全協会加入。
    「錦海クルージングクラブ」トレーナー作成。

  • 1990年(平成2年)
    1艇脱会。8艇。

  • 1991年(平成3年)
    1艇脱会、1艇休会。2艇入会。8艇。
    9月、台風19号で被害

  • 1992年(平成4年)
    1艇入会。9艇。

  • 1993年(平成5年)
    3艇入会、1艇復会、2艇脱会。11艇。
    米子港に、防波堤が完成。

  • 1994年(平成6年)
    いもれーす改め、さくらカップと呼ぶ。
    米子港防波堤内(通称錦海ヨットハーバー)に移動する。天国!
    安全な泊地が出来たとたんに、6艇の入会がある。17艇。

  • 1995年(平成7年)
    17艇で錦海ヨットハーバーは満杯となり、入会希望者を、断ざるを得なくなる。
    この年、場所問題で、クラブ内は、大荒れとなる。
    ミニオンの上代氏死去。

  • 1996年(平成8年)
    錦海クルージングクラブ10周年記念パーティー。
    1艇退会、入会待ちの1艇入会。17艇。
    入会規定変更。

  • 1998年(平成10年)
    錦海ヨットハーバー桟橋に水道完成。

  • 1999年(平成11年)
    三代会長に、関 秀隆氏就任。
    スピカの松村氏死去。
    がいな祭協賛「体験航海」実施。
    身障者フォーラムin鳥取大会協賛「体験航海」実施。
    クラブ旗&クラブステッカー作成。

  • 2000年(平成12年)
    エンブレム作成。
    10月6日、鳥取県西部地震。米子港岸壁の一部崩壊、公共マリーナの桟橋が落ちるなどし、第14回
    アメデカツカップ急遽中止。
    11月ホームページ公開。

  • 2001年(平成13年)
    1艇退会、抽選により1艇入会。1艇オーナー変更。17艇。
    会費納入についての会則変更。
    米子港震災復旧工事の影響が現れる。共同船底掃除中止。
    船台置場、上架岸壁一時使用中止(2年間)。
    12月マリーナ化の話が県より出る。

  • 2002年(平成14年)
    1艇退会、入会待ちの1艇入会。
    米子港震災復旧工事の影響が続く。共同船底掃除中止。
    中海プロジェクト協賛「海と遊ぼう」体験クルージング実施。

  • 2003年(平成15年)
    米子港震災復旧工事終了、共同船底掃除再開。
    ゴールデンBEEの岡本氏死去。
    第17回アメデカツカップ参加艇が20艇を超える。
     

  • 2004年(平成16年)
    1艇世代交代、1艇退会、抽選により1艇入会。
     

  • 2005年(平成17年)
    1艇入会。
    スプラッシュの小松氏死去。

  • 2006年(平成18年)

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