Kidoダイアリー                         Topへ戻る

Kidoワイナリーのワイナリーと日記のダイアリーをかけました城戸亜紀人の日記です。
くだらないとお思いでしょうが、内容もくだらないです。
興味のない方は、絶対見ない方がいいです。
ワインのこと、ブドウのこと、醸造家仲間のことなどなんでもありで書いていきます。

2007年8月3日 「イタリア料理 アルセーバ」
つい最近Kidoワイナリーから歩いて15分くらいのところにイタリア料理レストランがオープンした。
オナーシエフの塩原健太郎さんが自宅の横に念願であった自分のレストランをオープンさせた。
そのお店の名前は「アルセーバ」。洗馬(せば)という地区にあるのでセーバと名づけたようだ。
塩原さんはまだ若く(たぶん33歳前後)、今までは松本市の有名なレストランでシェフをしていた。私が塩原さんと最初に出会ったのは1年半程前でKidoワイナリーに訪ねて来てくれた。その時塩尻で地元の食材を生かしたレストランを開きたいと夢を語ってくれた。
そんな塩原さんの夢が現実となり、私も大変嬉しく思う。
早速先日オープンしたばかりの塩原さんのお店に食事に行ってみた。地元の食材にこだわっている塩原さんらしくサラダには自分の家で採れた野菜類を使っていたり、安曇野産の豚を使った料理などもあった。
ちなみに塩尻市はワインやブドウで有名であるがレタスの一大産地でもあり、そのレタスを使ったサラダは非常に新鮮で美味しい。その日はちょっと奮発して3500円の一番高いコースを注文したのだが、味わい、ボリュームともに申し分ない美味しい料理の数々であった。
ワインの造り手にとってその原料ブドウが地元産であることは大変意義があり、私はそうでないとワインを造る意味がないと考えている。しかし、料理人にとっては料理に使う食材が必ずしも地元産である必要はないし、都心のレストランでは到底地元産といわけにはいかない。地元産(あるいは国産)にこだわるとコスト的に高くなってしまうときもしばしばあるだろう。
そんな状況の中で地元産の食材にこだわり、使い続ける料理人の方には共感を覚え、応援したくなってしまう。
自然に恵まれた塩尻で地元の食材を使い、地元の水で調理し、その土地の空気の中でお客さんに食べてもらう。当たり前のことのように思えるがこれを体感出来るレストランはそうそうない。「食」の醍醐味を本当の意味で楽しめるのは「地方」だとつくづく思う。

住所 長野県塩尻市大字洗馬462−2
    Tel 0263−87−0398
    不定休 
  OPEN 11:30-14:00 ラストオーダー
  OPEN 17:30-21:30 ラストオーダー

かわいらしいお店の外観。
外から見るより店内は意外と広くカウンター席、テーブル席、座敷席があり25名くらいは入れそうな感じであった。
子供連れでもOKとのこと。
オーナーシェフの塩原健太郎さん。
とても面白い人です。
店内には活気あるシェフの声が響きます。
カウンター席ではシェフの手際良い調理が目の前で見れます。
安曇野産の豚を使った料理。
一番高いコース(前菜、パスタ、サラダ、メイン、デザート、コーヒー)でも3500円と良心的な値段です。
昼はパスタランチもあり1000〜1200円くらいでお手ごろです。

使用している器は地元陶芸家が焼いたもの。すべての器が非常に個性的です。

2006年3月25日「塩尻に待望のワインバーがオープン
 3月6日に塩尻駅の近くに待望のワインバーがオープンした。店の名前は「Brasserie ので Vin」。
Brasserie(居酒屋)で気軽にVin(ワイン)やフランス料理を楽しんでもらいたいというコンセプトで作られたお店だ。
塩尻市北小野出身の古田雅洋君(28歳)がオーナーでありシェフである。彼は昨年まで東京でフランス料理のシェフを務めていたのだが彼自身が大変なワイン好きで、ワイン産地として有名な地元でワインバーを開く決心をしたのだ。
ワインバーには地元塩尻産ワインはもちろんのこと山梨県や山形県や北海道などで熱意を持ってワイン造りをしているワイナリーのワインも取り揃えている。彼自身がそのワイナリーまで足を運び、ワイナリーオーナーと直接話をして購入してきたワインもいくつかある。また彼自身が個人的に好きな海外のワインも多数揃えてある。
実は彼は勉強のためにブドウ栽培やワイン醸造の作業をKidoワイナリーで時々手伝っている。昨年の秋、「無償で良いから何か手伝わせて欲しい」と突然ワイナリーにやって来たのだが、私は「怪しい人だ」と最初は思ってしまった。
ところが作業をしてもらっているうちに心の底からワインが好きな若者なんだということが分かり、その熱心な作業ぶりには感心した。最近では私の自宅に泊まってもらってワインを一緒に飲みあかしたりもするような仲になった。
そんな彼が「塩尻にワインバーを開きたい」というので正直最初は心配した。
私自身も塩尻に地元のワインが飲めるワインバーが出来たら嬉しいと以前から思っていたが、いざそれが経営的に成り立つのかどうかというと少し不安であった。
先日オープンしたばかりの彼のお店に行き、ワインを飲み、食事をさせてもらった。
大変すばらしいお店であった。彼の料理の腕はお世辞でなく間違いなく大変良いと思う。
彼ならやってくれると今は思っている。
ワインに大変良く合う料理ばかりです。
写真はパテ ドゥ カンパーニュやリエットです。
値段も良心的です。
写真には写っていませんがここのレバームースは絶品です。
メジナのカルバッチョです。
これがキリッとした酸味の白ワインと良く合うんです。
その時に仕入れた食材でシェフお勧めの旬の料理もあります。
オーナーシェフの古田君。
彼自身も今年の春に自分の家の畑にピノノアールを植えて栽培をするそうです。楽しみですね。

お店に場所は塩尻駅東口のコア塩尻の裏くらいです。
  店名  「Brasserie ので Vin」    
  住所  長野県塩尻市大門8番町9-39  田中ビル2F
        Tel 0263-53-8780
営業時間 18:00〜2:00(LO 1:00)  日、月、火
       18:00〜5:00(LO 4:00)  木、金、土
       水曜定休
   





2005年8月22日「NHK番組 知るを楽しむのテキスト」
 NHK教育テレビで毎週水曜日の午後10時25分〜
10時50分に「知るを楽しむ」という番組をやっている。その番組で9月7日より4回にわたり山梨のワインについての番組が放送されることになった。現在その番組用のテキスト本が出版されているのだが、日本のワインに興味のある方はそのテキスト本をぜひ読んで欲しい。
実際のテレビ放送ではその本に書かれているような詳しい内容まで放送されるかどうかは分からないが、その本の内容は山梨のワイン(広い意味では日本のワイン)の歴史、現状が非常によく調べられており、そして未来への可能性について大変熟考された問いかけがされてる。
「葡萄王国に探るワインの歴史と未来」という章では執筆者の鹿取みゆきさんが「表示とバルクの問題」というテーマでいま現在でもバルクワイン(海外からブレンド用として輸入されているワイン)に頼らざるをえないワイナリーが実はたくさんあることを鋭く指摘している。この問題は山梨に限ったことではなく日本のワイン業界全体に古くから関わる問題である。もちろん国産ブドウだけでまじめにやっているワイナリーもたくさんあるのだが、そうでないワイナリーもたくさんある。一番問題なのは本当は輸入ワインを使っているのにあたかも国産ブドウ100%を使っているかのように偽っているワイナリーがまだまだ存在することである。このようなブレンド用としての輸入ワインの表示に関して突っこんだ記事が書かれたのは画期的なことで執筆者の鹿取さんの決断と勇気に賞賛の言葉をお送りしたい。
これまでのワインジャーナリストの方の中にはこのような日本のワインにとってネガティブとも思える記事についてはあまりふれず、雑誌の広告スポンサーになっているワイナリーとの関係悪化も懸念して突っこんだ記事は載せられていなかったように思う。しかし、本当にまじめに国産ブドウのみで醸造しているワイナリーにとって真実を伝えてくれるジャーナリストの方の存在がなければ消費者にはそのようなワイナリーの存在価値がなかなか伝わらないのである。
「新世代の造り手たちの群像」という章では現在、山梨で栽培そして醸造の現場で活躍している意欲ある若い造り手たちが写真付で紹介されている。これまでのワイン雑誌で日本のワイン特集が組まれる場合、実際には現場で栽培や醸造にたずさわっていないような年配の方の写真や名前ばかりが載っていることが多かったがこの本で紹介されている人たちは実際に造っている人たちばかりだ。そしてこの本の中では彼らの生の声が聞ける。実に面白い。
この本はNHKの番組のテキスト本であるが、そんじょそこらのワインのテースティングばかり載っているワイン雑誌よりはるかに面白い。今回は山梨のワインということであったがぜひ長野のワインについても同じスタイルの本が出版されて欲しい。
NHK教育テレビ「知るを楽しむ」のテキスト本
本体価格 735円
9月7日が第1回目の放送。
テキスト本の中では山梨の代表的なワイナリーが
9社ほど写真付で紹介されている。
写真は山梨市にあるソレイユワインで知られる旭洋酒。
鈴木さんご夫妻が二人でやられているアットホームなワイナリーです。
山梨で現場の最前線で活躍中の若手栽培家および醸造家の生の声が聞けます。
この中で紹介されている人たちは以下の人たちです。
ボーペイサージュ 岡本英史さん。
丸藤葡萄酒  安蔵正子さん、竹内毅徳さん。
旭洋酒  鈴木剛さん、鈴木順子さん。
メルシャン 安蔵光弘さん。  金井醸造 金井一郎さん。
勝沼醸造 小林剛士さん。  原茂ワイン 杉山啓介さん。
シャトレーゼワイナリー 戸澤一幸さん。 
ルミエール 小山田幸紀さん。
ダイヤモンド酒造 雨宮吉男さん。
フジッコワイナリー 雨宮幸一さん。  
山梨ワイン醸造  野沢たかひこさん。


 

2005年6月4日「ウスケボーイズワイン会」
 山梨県勝沼町のメルシャン城の平山荘にて「ウスケボーイズワイン会」が行なわれた。
ウスケボーイズとは1998年3月に鎌倉市にあるメルシャンの研修センターにて日本の熱意ある若手醸造家が故麻井宇介氏を招いてワイン会を行なったのだが、その時のメンバーである。「ウスケボーイズ」という名前は仲間内で勝手に使っていたのだが何だか定着してしまった。麻井宇介氏はもともとメルシャンで活躍された方で現在の桔梗ヶ原メルローがあるのも氏の功績である。メルシャンに所属しながらも他のワイナリーの若手に惜しまぬ激励やアドバイスをして若い造り手から大変慕われていた。「ウスケボーイズ」全員の精神的師匠と言っても過言ではない存在であった。
麻井氏は2002年6月1日に病気で亡くなったのだが、まる3年経った今日またみんなでワイン会を開いた。今回のワイン会では5年間ほどフランスに研修に行っていた安蔵光弘氏と安蔵正子氏が久々に参加した。
1998年に鎌倉で開かれた麻井宇介氏を招いての最初のウスケボーイズワイン会は安蔵光弘氏が若い造り手たちに声をかけてくれて実現したものであった。
安蔵光弘氏はメドックのシャトーレイソンで研修し、安蔵正子氏はサンテミリオンのシャトーデスチュ-やポムロルのクレメンスなどで研修していた。彼らはボルドーで生活し、ボルドーの気候や土壌を見てきてワイン造りを経験してきたのだが、安蔵夫妻いわく「ボルドーは決して気候的、土壌的に恵まれているとは言えない。ただ、日本と違うのはワイン造りを取り巻く産業の環境が大きく違う。」
ボルドーでは畑を作るにもいろいろな専門業者が存在し、畑を整地する業者、暗渠排水を入れる業者、苗を植える業者などが存在し、分業することでコストダウンが計られている。安蔵夫妻が撮って来てビデオを見せてもらったのだが、ブドウの苗植えを日本の田植え感覚で実に簡単にやっているところを見せてもらった。
さらに醸造の方はワインのろ過やビン詰めは専門業者が行い、シャトーの人たちが行なうのは仕込みと貯蔵管理だけだと言う。
そしてビン詰めされたらすぐにネゴシアンの元に運ばれ、熟成、販売をやってくれている。
このような話を聞くとすべてのことを自分でやらなければいけない日本の造り手は大変であり、ある意味すごいと思った。
今後、安蔵夫妻が海外で学んできたこと、見てきたこと、感じてきたことが日本のワイン業界にうまくヒィードバックされていくと、もう少し日本の造り手もブドウ栽培や醸造に専念できるかも知れない。
日本のワイン業界に面白い2人が帰ってきた。
何かを変えてくれる予感がする。
メルシャン城の平農場にて。
左 安蔵正子(ルバイヤート)、右 安蔵光弘(メルシャン)

安蔵夫妻の代わりに鷹野永一氏(メルシャン)、鷹野ひろ子氏(先日まで勝沼醸造)がフランスのボルドーに研修に行ったので今回は参加できなかった。

2005年5月31日「イル・パラートワイン会」
数週間前のことであるが、東京銀座にある「イル・パラート」というイタリア料理レストランでワイン会が開かれた。今回は私と私の友人である小布施ワイナリーの曽我君、ボーペイサージュの岡本君の3人のワインをメインにしたワイン会であった。
「イル・パラート」のシェフの権田さんとソムリエの玉置さんがこの3人のワインに合わせて料理を作ってくださった。
通常は料理に合わせてワインをチョイスするのが普通であるが、今回は権田さんと玉置さんのご好意で逆パターンのワイン会が実現した。ワインはワイン会が行なわれる2週間以上前に事前に1本余分に送ってあり、それを権田さんと玉置さんがテースティングして合う料理とサービスの仕方を考えてくれた。出されたワインは以下のとおりである。(サービスも以下の順番であった。)
1.ボーペイサージュ  ピノ ノアール2003
2.小布施ワイナリー  ドメーヌソガ ソービニョンブラン2004
3.ボーペイサージュ  カベルネフラン2003
4.小布施ワイナリー  ドメーヌソガ シャルドネ2003
5.Kidoワイナリー    城戸プロジェクトKメルロー2003
まず、赤が最初に出されたことに驚いたが、それ以上に驚いたのはコルクを抜くタイミングである。通常は若いワインと言えども飲む2時間ほど前というのが一般的だと思うのだが、なんと1と2のワインは5日前、3と4と5のワインは10日前にコルクが抜かれたという。ワインのサービスをして頂いたソムリエの玉置さんいわく「私の仕事はワインを一番美味しく、料理と合う状態でお客さんに飲んで頂くことです。それぞれのワインのコルクを抜き、毎日少しずつテースティングして味香りの変化を観察し、このタイミングを決めました。そのワインの本当の力を知るには酸化してワインが落ちていくところまで観察しないと分からないと思うんです。」
まさにサービスのプロとはこのような方のことを言うのであろうか。自分達のワインであるが「今までに経験をしたことのないすばらしい味わいであった」と私を含めた3人は驚きを隠せなかった。
2005年4月16日「NHK朝の連続ドラマ」
最近、NHKの朝の連続ドラマで「ファイト」というドラマをやっている。ここのところずっと見続けている。
ストーリーは下町の小さな町工場「木戸バネ製作所」が舞台となりその会社の社長を俳優の緒方直人が演じている。
「木戸バネ製作所」は規模は小さいが非常に高品質のバネを作り出し、たくさんの得意先を作ってきた。しかし、その得意先の1つである大手商社が木戸バネ製作所の製品に他社のバネを混ぜて水増しして「木戸のバネ」として販売していたことが分かった。
これを知った緒方直人はこの商社の不正行為が許せず、ある新聞記者にこのことを話してしまう。それを聞いた記者は早速、新聞にこの記事を載せ、世間にその大手商社の不正が知れ渡ってしまう。
他の得意先はこの緒方直人の勇気ある発言に賞賛を送った。
その大手商社は社内調査を行い、単なる出荷ミスであったとウソの記者会見を行い、不正をもみ消してしまった。
その商社が大きな企業であるがゆえ、他の得意先もその商社からの圧力を恐れ、木戸バネ製作所との取引を止めてしまった。
正しい発言をした小さな会社が不正をした大企業に潰されようとしているかたちだ。
このドラマを見ていて自分の境遇に少し似ていると感じた。
誤解があってはいけないので断っておくが、決して大きな企業から圧力があるという訳ではない。
しかし、小さな会社が大きな企業に対して発言するには勇気がいる。自分の発言に対するいろいろなことを考えてしまう。
漢字は違うが、名前が同じキドということもあり応援している。 ガンバレ、「木戸バネ製作所」。
2005年3月17日「ティエリーピュズラとの交流会」
本日、恵比寿のロビンズクラブにてフランスのロワール地方の自然派ワインの造り手ティエリーピュズラの来日を記念してテースティング会&交流会が行なわれた。輸入業者のラシーヌとコスモジュンが企画した会であった。グレープガンポの勝山晋作さんがラシーヌの合田さんに頼んでくれて日本の熱意ある造り手に貴重な機会を与えてくれた。
私自身、ティエリーのワインは以前勝山さんのお店で1、2回ほど飲んだことはあったが今回のように何種類ものワインを比較してテースティングしたのは初めてであった。
ティエリーはマルセルラピエールやクルトワなどと同様に今、最も注目されているヴァンナチュールの造り手の一人である。
彼のワインの第一印象は「やさしい」であった。
これはヴァンナチュールに共通の味わいであるが彼のワインの良さは「やさしい」の中にしっかりとしたブドウ品種個性も表れている点だと感じた。
私自身の目指すワイン造りがヴァンナチュールであるということでは決してないが、何か学ぶべきことがたくさんあるような気もする。それは醸造技術どうのこうのではないと思う。
ティエリーと話をして感じたのが彼の生きざまがワインに表れているように感じた。
ヴァンナチュールのすばらしい点は造り手自身が本当に飲みたいと思うワインを造っている点であると思う。それは現在の世界的ワインの主流である濃縮度だとかパワーだとかいったものを一切気にせず、自分流にひらすら打ち込んでる姿であると思う。
真ん中の外人さんがティエリー。
日本の造り手の参加者は左から小山田(ルミエール)、曽我(小布施ワイナリ-)、城戸、岡本(ボーペイサージュ)。
ティエリーはただの気さくなフランスの農夫であった。
同じ匂いのする仲間であった。



2005年3月14日「プロジェクトK ビン詰め」                    プロジェクトKについてはこちらから
本日、プロジェクトKをビン詰めした。2001年春に自社農場にメルローの苗を植えて4年の年月が流れ、ようやくボトルに詰まった。
今の心境はというと「心底ホッとした」である。
ブドウの実が木になっていた頃は病気が出ていないかどうか毎日畑を見回っていたし、収穫近くになると鳥に食べられたりもして毎日が息の抜けない緊張の連続であった。
収穫が終るとひと安心するのだがすぐに仕込みに入りこれもまた緊張の日々である。
アルコール発酵が終わり、熟成のため樽に入れることができるとかなりひと安心となる。しかしワインは日々変化しており本当のやすらぎはまだ来ない。10日に1回くらいは貯蔵中に減った分のワインを注ぎ足してやり、常に満量貯蔵をしてやらなければいけない。そうしないと空間部分の空気により酸化や雑菌汚染を受けやすくなるのだ。
また、樽からテースティングをして日々の変化を察しながらおり引きのタイミングを決めることも品質を左右する重要な判断である。
本当の意味で緊張からの開放されるのはビン詰めである。
ボトルに詰まってしまったワインに対してもう造り手は何の手立ても講じれない。
あとは自然にまかせうまく熟成していくことを願うだけである。
2005年2月11日 「自然派ワインテースティング会」
本日、東京六本木にあるワインバー「祥瑞」で自然派ワインのテースティング会が行われ、参加した。ワインライターの鹿取みゆきさんが企画してくれ、「祥瑞」のオ-ナーである勝山晋作さんがワインをセレクトしてくれた。参加者は日本で現在ワイン造りをがんばっている若い造り手やワインジャーナリストの人たちであった。普通の流通にはのっていないような稀少な自然派ワインをフランス、イタリアを中心に勝山さんが選んでくれて、貴重なテースティング体験ができた。
最近では自然派ワインのことをビオワインとかヴァンナチュールとか呼び、注目されつつあるがこのビオワインでもさまざまなブドウ栽培方法あるいは醸造方法がとられていて、一様ではないようだ。
私も最近、鹿取さんに教えてもらったり、本を読んで勉強したりして知ったのだがまずブドウ栽培の手法においてビオロジックワインとビオデナミワインの二つがあり、前者は単なる有機栽培を意味し、後者はシュタイナー農法という月の満ち欠けなど天体がブドウの木や畑にもたらす影響を考慮しながらブドウを栽培していくという農法である。
後者のシュタイナー農法は非常に奥が深く簡単には理解できないが、あえて簡単に言えば天体が地球の植物に与える影響は時と共に変化しており、星座の位置によってやるべき農作業を決めていくという農法である。
もう1つビオワインに関係して酸化防止剤の添加量のことがある。ビオワインと呼ばれるワインは酸化防止剤の添加量が少なかったり、一切入っていないというイメージがあるが決してそういう訳ではないようだ。傾向としては添加量を少なくしている造り手が多いようだが、ブドウ栽培はシュタイナー農法に従い、ビオデナミワインであるが亜硫酸はけっこう添加しているケースもあるようだ。
何かこれからの自分のワイン造りに生かせることがあればと思い、今回のテースティング会に参加させてもらった。
中にはハッと思わせるワインも何点かあった。
ビオワインを造りたいという気持ちでワイン造りをしているわけではないが、いいところは吸収したいと思った。
2005年2月3日 「長野県原産地呼称管理制度」
「原産地呼称管理制度」ワイン好きの人ならフランスワインのAOCのことかとすぐ頭に浮かぶ言葉である。そのラベルに表示されている産地でブドウ栽培から醸造、ビン詰めまで確実に行われたことを保証する制度である。フランス、イタリア、スペインなどのワイン産地では古くから行われている制度あるが、長野県でも3年前からこの制度が導入され全国のワイン業界から注目されている。
今日の東京で第3回目となる原産地呼称の官能審査会が開かれた。長野県内のワイナリーから出品された約60点のワインを田崎真也氏をはじめとする審査員の方たちが官能審査(テースティング)をして品質的に一定基準に達しているワインが認定されるしくみだ。
本日この審査会に長野県ワイン協会からの依頼でオブザーバーとして参加した。
オブザーバーとは官能審査やその後のディスカッションには参加するが、審査の得点には一切入らず、審査が厳格に行われているかどうかを見届ける役である。
Kidoワイナリーのワイン自体は今回出品していない。
いろいろ考えてのことである。
基本的にこのように生産された産地を明確に表示するこの制度は賛成であるが、この制度がどのように運営、審査されているのかを自分で見て納得したうえで出品したいと考えている。
今回官能審査会に参加させてもらって官能審査会自体は厳正に行われていると感じた。しかし、官能審査会以前の原料が確実に長野県産であるかについてどの程度の審査がなされているのかがまだ分からないので、今のところ出品は見合わせようと考えている。自分の大切なワインであるのでそれをゆだねるには自分が納得してからでないといけないと思っている。
2005年1月19日 「値下げ販売」
今日コンビニに行ったら国内のあるメーカーのワインが半額になって販売されていた。昨年秋に収穫醸造されたいわゆる新酒というやつである。さすがにコンビニは商品の移り変わりが速いようで
年が変わるともう処分品扱いにしてしまっているようだ。
実際に現場でそのワインを造った人の気持ちを推察すると何ともやりきれないであろう。もし、自分のワインがそんな扱いをされたら大変な悲しみとその販売者への怒りを感じるに違いない。
しかし、悲しいことに販売者がどのような値段で販売しようとそれは販売者の自由なのである。
それでは自分の造った大切なワインを値下げ販売されないような方法は何かというとそれは信頼できる販売者としかお付合いしないということしかない。
一般にワインを含む酒の流通はメーカー→問屋→酒屋→消費者というように商品が流れていく。ある程度の規模のワイナリーはたいていこのような流通形式をとっている。ここでワイナリーは最初に問屋に流すことになるのだが、問屋の多くは正直言って大切に商品を育て売っていくという意識はない。(一部にはワインに対して大変理解があり大切に売ってくれる問屋さんも僅かだが存在する)
大部分の問屋は商品の中味やそのワイナリーのワイン造りに対する姿勢など関係なく、売れる商品(極論を言えば安売りできる商品)を大量にさばいて利益を上げようとしている。デスカウントストアやコンビニで販売されるようなワインは必ず問屋を経由して販売されているのだ。
これは決して問屋を批判しているのではない。
問屋が企業として利益を上げていくためにはこれもまた1つの方法であると思う。
本当に問われるのはワイナリー側の流通に対する姿勢であると思う。
Kidoワイナリーでは値下げ販売するような販売者とは絶対にお付合いできない。これはケチとかいう問題でなく自分のワインが大切だからである。

2005年1月6日 「WINE PROJECT in TOYOTA」
 「WINE PROJECT in TOYOTA」とは、愛知県の豊田市でワイナリーをつくろうというプロジェクトである。
今日、面白い人が訪ねてきた。彼の名は須崎大介、30歳で愛知県豊田市出身の若者である。
昨日、ヴィラデストワイナリーの小西さんから電話があり「愛知県の人でワイナリーを自分でやってみたいという人がいるから相談にのってあげてよ。」という話があった。
今日その彼が訪ねてきたのだが、話を聞いてみると豊田市の出身でワインが好きで3年ほどイタリアのトスカーナのワイナリーで研修してきたらしい。その彼が今度は豊田市でブドウ造り、ワイン造りをしてみたいというのだ。
この話に私はびっくりした。
何を隠そう私も同じ豊田市の出身である。(私は婿養子で長野県のブドウ農家に入った身分である)
さらに彼が豊田市でワイン造りをしようとしていることにさらに驚いた。
豊田市というのは夏、非常に蒸し暑く夜温が下がらないため長野県ほどブドウ栽培に向いている土地ではない。
そんな土地でやろうとしていることに賞賛と驚きを感じた。
Kidoワイナリーにはワイナリーを始めたいという人が今までにも何人か訪ねて来ている。今までの訪ねてきた人の多くはワイン造りの理想だけを夢見ていて、ワイナリーを立ち上げるまでに伴なう数々の困難を見れていない人が多かった。
しかし、彼は日本での醸造経験はないけれど免許取得等のさまざまな困難に立ち向かう心構えがあると感じてとれた。確かに、豊田市はブドウ栽培に最適とは言えないけれど必ず適する品種があると思うし、まず始めようとする熱意が一番大切だと思う。相当な苦労はするが情熱を持ち続けてやれば必ず夢が実現するだろう。
近い将来愛知県初のワイナリーが誕生するかも知れない。
2004年12月25日 「メリークリスマス」
 9月に始まった初仕込みから今日のクリスマスまでマシンガンで打ち続けた(打たれ続けた?)ような日々が続いた。
このKidoダイアリーも更新できずにいた。
ブドウの収穫、仕込み、ビン詰め、オープニングパーティー、販売と一息もつく暇もなく続いた。一言ではいい表わせない緊張、迷い、不安、喜びの連続でもあった。今までに一度も経験もしたことのないことも多くあった。
今思い返せば一番の不安であった販売もいつの間にか楽しいものに変わったいた。
「ダンチュウ」で日本のワイン特集が組まれオープンのタイミングが非常に運が良かった。今でもそうだが、ワインを造ることが自分にとって世界中の何事にも増して楽しいことであるが、自分のワインを売れることもそれと同じくらい楽しいことである(というかこれもワイン造りの重要な一部である)と確認できた。ただ誰にでも売れれば良いというのでなく、自分のワイン造りに対する姿勢を理解してくれるお客さん、酒屋さんに売ることができる喜びは良いワインが造れた時の喜びと似ている。
 今、私が感じるに日本のワインにとっていい風が吹き始めている。しかし、日本のワインが何でもかんでも注目されるのは間違いだと思う。本当に日本のブドウだけを使い、本気でいいワインを造ろうとしているワイナリーを消費者や酒屋さんも見極めてもらいたいと思う。そして本気でそのようなワイナリーを応援して頂ける人たちを大切にしたいと私は思います。
 このような風が吹いていることもあり、何とか年が越せそうな状況になってきた。
今日はおだやかなクリスマスを迎えることが出来た。


2004年9月4日「父退院」
脳梗塞で入院していた父 比佐志が退院した。倒れてから一ヶ月で退院とは予想以上の早い回復であり、嬉しいかぎりである。
とは言うものの今までのような力仕事はできないし、まだ言葉もうまく出ない。
一人で歩けるようにまでは回復しているのでブドウ畑にも足を運んでもらって、ブドウの観察をしながらゆっくりとリハビリしてもらえばいいと思う。

2004年8月30日 「樽」
今年の仕込みで使用する樽がすべて入った。
高級なワインは樽に入れることにより熟成が促進され、更に樽からの抽出される成分によりワインの香り、味わいがより複雑に変化してゆく。
よってワイン造りの中でどのような樽を使用するかという選択はワインの味わいを左右する重要なポイントの1つである。
私は今年の仕込みのため6メーカーの樽を購入した。すべてフランスのメーカーでボルドーの樽会社からスガモロー、ナダリエ、タランソー、そしてブルゴーニュの樽会社からフランソワフレール、ダミー、ビーヨンを購入した。
同じワインをそれぞれのメーカーの樽に入れても、同じワインには決してならない。各メーカーによって樽の木材の選び方や乾燥のさせ方や内側の焼き方が違うからだ。
樽メーカーもそれぞれ独自の個性を持っているのだ。
更にフランスの樽材の取れる森林にもアリエール、トロンセ、ヴォージュ、ヌベールといった個別の産地がいくつもあり、産地ごとに土壌や気候が違うため木目もそれぞれ変わってくる。つまり樽を通したワインの酸化熟成の速度も変わってくるのだ。
そんないろいろな要素を考慮しながら、そのブドウ品種に一番合うと思われる樽を選択する。
ここ数年で日本にもいろいろな樽メーカーのものが入るようになってきた。
たいていの場合、日本の輸入商社を通して購入するだが、最近では醸造家自らが樽メーカーから直接購入するケースも出てきている。
今回もフランソワフレールは小布施ワイナリー(長野)、ダミー、ビーヨンはダイヤモンド酒造(勝沼)が直接日本へ輸入をした。そしてその際Kidoワイナリーも一緒に取ってもらったものだ。

また、以前はボルドーのメーカーの樽とブルゴーニュのメーカーの樽をあまり区別せずに使用しているワイナリーが多かったが最近ではメルローやカベルネにはボルドーの樽を、シャルドネにはブルゴーニュの樽をというように使い分けをするワイナリーも日本で増えてきている。
写真はボルドーの樽メーカーのスガモローの樽。
容量は225リットル。
写真はブルゴーニュの樽メーカーのビーヨン(左)とダミー(右)。
容量は228リットルで幅がボルドーの樽より太い感じである。
Kidoワイナリーでは今年の仕込みのため、6メーカーで12本の樽を購入した。

2004年8月26日 「ワイン引取り」
本日、小布施ワイナリーで昨年仕込んだメルローを引き取りに行った。
本当は免許が下りたらすぐに引き取る予定であったが、引き取る前にタンクの容器容量検定をしなければいけなかったり、父が倒れてバタバタとしていたことなどもあり遅れてしまった。
小布施ワイナリーさんには大変申し訳なく思っている。
また、今日引取りをするまで週一回行われる補酒(貯蔵中に目減りする分のワインを足して、満量にする作業)は曽我彰彦君にやって頂いていた。大変ありがたく感謝している。
昨年秋の仕込みから何回も小布施に足を運び、ようやく自分の手元にワインが戻ってくる。
感慨深いものがあった。遠くへ旅に出した子供を迎える親の気持ちはこんな感じなのであろうか。
今日からワインは自分たちの故郷 桔梗ヶ原にて熟成が始まる。
Kidoワイナリーに迎えられたメルロー。
「お帰りなさい」と言ってあげたい。
2004年8月15日 「摘房」
今年はお盆なしである。
毎日、仕込みの準備と畑の作業に追われている。
父が倒れたこともありここ数日いろいろな人たちに手伝ってもらっている。
本当に感謝している。持つべきものはやはり友達であると実感した。
今日は「摘房作業」を手伝ってもらった。
「摘房」とは房を落とす作業である。
余分な房を落とすことにより、残された房はより濃縮した成分を持つブドウとなり結果的に良いワインが出来るのである。
「摘房」は海外では「グリーンハーベスト」と呼ばれる。その名のとおり緑の房を取るということである。
もちろん取った房は仕込みには使わず、土に戻るだけである。
日本の場合、この「グリーンハーベスト」をわりと遅い時期にやる場合が多い。
今年は私も今回少し遅めの「グリーンハーベスト」を選択した。なので房はまったくのグリーンではなく少し色付き始めている。
なぜそうするのか。
日本の場合、比較的土壌が肥沃なため木の伸びがよく、わりと栄養成長が強い。あまり早くに房を落とすと木の栄養成長が強くなり、木ばかりが大きくなりブドウが熟しにくくなることがある。
もちろん日本でも痩せた土壌のところでは早くに房を落とすべきである。あまり遅れると全房に十分な養分が行き渡らずブドウが熟さないことになる。
「摘房」のタイミングはあくまでもブドウの木の伸び、言い換えれば土地の肥沃さに合わせて時期を決めるべきである。
このタイミングが出来るワインの品質に重要な影響を与えてくる。
お手伝いに来てくれた鴨居さんに「摘房」をやって頂きました。
「摘房」は誰かにやってもらった方がいいのです。
実際にブドウを造った人がやると思い入れがあり、どうしても多く房を残してしまいます。
今日は鴨居さんにバシバシ落としてもらいました。


2004年8月10日 「父倒れる」
実は8月2日、父(城戸比佐志)が脳梗塞で倒れてしまった。
救急車で運ばれ、危険な状態は脱したが右半身麻痺と言語障害が出ている。
これからリハビリをして回復をするようにがんばっていく。
早く戻ってきてワイナリーをいっしょにやりたい。
2004年8月2日 「草刈り」
今年3回目の草刈りをした。
Kidoワイナリーでは畑に草を生やしてブドウを栽培する「草生栽培」をしている。そのため夏場は草刈りが大切な仕事になっている。
「草生栽培」に対して草を生やさない栽培方法は「清耕栽培」と呼ばれる。トラクターで土を耕し、草を生えさせないようにする方法である。
特に垣根式ブドウ栽培での「草生栽培」は草刈りが大変で非常に労力と時間を必要とする。
畝間(ブドウの木の列と列の間)はゴーカートのような乗用草刈り機に乗って作業するため楽であるが、株間(ブドウの木と木の間)はビーバーと呼ばれる刈り払い機で1本づつ草刈りしていく。(下の写真)
時々ブドウの木を刈ってしまうこともある。
除草剤を使っているワイナリーもあるが、Kidoワイナリーでは使用しない。
除草剤を使えば10分の1くらいの労力と時間で済むのだが、自分がそこからできたワインを飲むと思うと使用する気にならないからである。
「草生栽培」をしていると草や土に昆虫が住み着くようになる。時にはその昆虫達がブドウの木の幹に卵を産み、幼虫がかえってブドウの幹を食べ木を枯らせてしまうこともある。
そんな苦労ばかりしてなぜ草生栽培にこだわるのか。
それは収穫できるブドウの品質がいいからである。
日本のブドウ畑の土地は比較的養分が多いため、ブドウの木が成長しやすい。そこで「草生栽培」をすることによって草に養分を吸わせるのである。
ブドウの木は草に養分を取られると生命の危機を感じ、良い子孫を残そうと栄養成長から果実熟成に切り替わるのである。そして良い種(たね)を作ろうとする。
つまり完熟した果実が作られるのである。
Kidoワイナリーでは春先のブドウが根を伸ばし、芽吹く時期はブドウは養分を必要としているので地面を耕し、それ以降は草生栽培に切り替えてブドウと草を競争させている。
30アールのメルローと10アールのシャルドネの草刈りで2日間かかります。これを春から秋にかけて年間5回草刈りします。

2004年7月29日 「容器容量検定」
先週、容器容量検定をした。
容器容量検定とは、ワインを入れるタンクの容量(リッター数)を測定し、桶帳(おけちょうと読む)を作る作業である。
ワインを含むアルコール類の製造には酒税というものが関わってくる。
この酒税はワインの場合、1リットル製造すると(正確には出荷すると)70円47銭の酒税を税務署に払わなければいけない。
よってワインの製造、販売をする場合、製造量(リッター数)を把握し記帳していくことが必須の義務となっている。
ボトルの詰められたワインは720mlとか360mlの規格ビンに入っているため正確な数量が把握できる。
しかし、タンクに入っているワインは簡単には数量は分からない。
そこで容器容量検定ということをやってタンクの容量を確定していくのだ。
タンクに満量で入っている場合は比較的簡単であるが、満量より少なく入っている場合は簡単ではない。
そのような場合のために桶帳を作るのだ。
桶帳の作り方は非常に時間と労力がかかる。
タンクを水で満量にして、そこから10リットルとか20リットルずつ水を引き抜いていく。その際、水を引く抜く度に満量から何ミリ水位が下がったかを記録していく。(何リットルずつ引き抜くかはタンクの大きさによってそれぞれ決まっている。)
それをタンクが空になるまで繰り返していく。
タンクが空になった時点での引き抜いた水の合計がそのタンクの満量時の容量となり、この方法で作成した桶帳を見れば、タンクの上から何ミリ下がったところにワインがあるのかを測定すればワインの量が把握できる仕組みになっている。
この桶帳は使用するすべてのタンクについて必要である。
新品でタンクを購入した場合、この容器容量検定を業者側でやってくれることが多いが、Kidoワイナリーの場合は新品で買ったタンクはごくわずかであったため、ほとんどのタンクについて行わなければいけなかった。
尺棒(しゃくぼう)と呼ばれるものさしのような棒を使って、タンクの上から何ミリ下がったかを計測していきます。
何リットル引き抜いたかはハカリで計ります。




2004年7月26日 「除葉」
ここ数週間ほど「除葉」に明け暮れている。
「除葉」とは房の近くの葉っぱを取り除くことで「リーフ リムーバル」とも呼ばれる。
除葉をする目的は主にブドウの房に太陽を多く当ててやることである。
ブドウの房に太陽の光を当てることは非常に重要なことでよく太陽を浴びた房と日陰で育った房では果皮中の色素の量が違ってくる。
つまりよく太陽を浴びたブドウからはしっかりとした色調の品種の特徴がよく表れたワインが出来るのである。
また、日陰で育ったブドウにはメトキシピラジンとよばれる物質からくる青臭い香りが表れやすく、未熟なブドウ果実であったことがすぐに分かってしまう。
とくにボルドー系の赤ワイン品種(カベルネソービニヨン、メルロー、カベルネフラン)ではブドウが未熟な場合、この香りが出やすい。
このメトキシピラジンという物質は光が当たることにより分解するため、除葉をすることにより減少していく。この物質は20年ほど前まではカベルネソービニヨンの品種の特徴としてピーマン香などと表現された香りであるが、最近では未熟な果実香としてあまり良くない意味として使われる。
カルフォルニアやチリなどの気候の恵まれた良くブドウの熟したカベルネソービニヨンにはこの香りがないと分かってきたのである。
カベルネソービニヨンは非常に晩熟のためフランスでも毎年完熟するわけではないのである。
またフランスのロワール地方のワインで「シノン」というカベルネフランから造られるワインが有名であるが、特徴として「青臭い香り」と表現されるが多かった。実はこれは「シノン」の土地の特徴というよりは、フランスでも北に位置する産地のため日照量が不足することが多かったためである。

どこまで除葉すべきかについてはその土地の日照量や日差し強さによりさまざまである。
日差しの強いカルフォルニアで日本と同じように除葉をしたらブドウが日焼けし、かえって品質を落としてしまう。
また、年によって暑い夏と冷夏の年では除葉の程度も変えるべきである。
どこまで除葉すべきかの判断が、ワインの品質に重要な影響をもたらすのである。
Kidoワイナリーの除葉は一枝ずつ状況を見ながら除葉の程度を決めていきます。
ワイナリーのよっては機械化されており、ドライヤーみたいなもので葉を焼いてしまったり、吸引して葉を摘み取っていくものもあるようです。

2004年7月7日 「果実酒製造本免許取得」
今日は七夕である。
七夕は自分の夢を短冊に書くと願いがかなうと言われている。
偶然であるが、かねてから私の夢であった「自分のワイン造り」の第一歩となる果実酒製造本免許が本日交付された。
自分でワイナリーを作ろうと決心して約2年半ようやくスタートラインに立つことができた。
この免許を取得するまでにいろいろな苦労はあったが、正直な現在の心境は特にうれしいという気持ちはない。
それよりも今年の仕込みでいかに納得した仕込みが出来るかで頭がいっぱいである。
ほとんどの機械を中古で揃え、修理をしなければいけないものも数多くある。あと2ヶ月でこれらの設備で整備し、使い勝手が良いようにしなければいけない。しかもお金をかけずに。
あれこれと緊張感でいっぱいだ。
2年半前は免許が取得できたら高級なワインで乾杯しようと思っていた。
しかし、そんな心境ではない。
発泡酒(淡麗の缶350ml)と飲みかけのワインで普通どおりの食事をした。

2004年7月3日 「緑枝接ぎ」
本日、シャルドネの緑枝(りょくし)接ぎをした。緑枝接ぎとはその名のとおり緑の枝同士を接木する方法である。
ブドウは元来、根が病害虫(特にフィロキセラというアブラムシ)にやられやすく、通常畑に植えられている苗木はすべて接木されている。
地面から10センチくらいのところで接木されていて下の部分を台木といい、上の部分を穂木という。
台木は病気や寒さに強いアメリカ系のブドウの野生種が使われ101−14、5BB、5C、SO4、グロワールなどの種類がある。台木も種類によってよく伸びるものや伸びの弱いものなどそれぞれ特性が違い、その土地や気候やブドウ品種によって選択を変える必要がある。
穂木は目的とするブドウ品種で今回はシャルドネを接木した。
昨年から植えてあった台木の今年伸びた部分に対し、現在畑に植えてあるシャルドネの枝の先端部分を切り取ってきて接木するのだ。
Kidoワイナリーでは年間100本ほど次の年の苗のために接木を行っている。
通常苗木屋さんで買うと1本1000〜1200円ほどしてしまう。(苗木屋さんでは緑枝接ぎは行っておらず、
剪定の際に取っておいた茶色の枝同士で接木して、後に発根させる方法をとっています。)
さらに自分で接木すれば自分が欲しい目的のクローンが確実に手に入るというメリットもある。
そして苗作りから手がけたブドウでワインができたらそれはもう最高である。
シャルドネの穂木にカミソリでくさび形の切れ込みを入れます。
この時、断面がデコボコしていると成功率が下がります。
カミソリの切れ味が重要なポイントなのです。
台木には縦の切れ込みを入れそこに穂木を差し込みます。
台木の太さと同じくらいの穂木を選択することも重要です。
台木は101−14を使用しています。
水分の蒸発を防ぐ目的で接木テープでグルグルと接木部分を巻いていきます。
これで完了です。接木がうまくいっていれば10日ほどで芽が伸びてきます。

2004年6月26日 「ウスケボーイズワイン会」
本日、山梨県明野村の明野ふれあいの里のロッジを借りて「ウスケボーイズワイン会」をした。
ウスケボーイズとはバローロボーイズ(イタリアのバローロという有名なワイン産地で活躍している若手醸造家のグループ)に対抗して付けた名前である。
ウスケとは故麻井宇介さんからとったもので参加者全員が麻井さんの生前に麻井イズムをたたき込まれた醸造家たちである。
このウスケボーイズワイン会は1998年に麻井さんを交えて鎌倉のメルシャン研修所にて初めて行われた。当時私は五一ワインの社員という立場で参加していたが、自分たちが造ったワインと世界の名醸地のワインを飲み比べ、麻井さんから叱咤激励を受けた。
麻井さんは日本のワインも、世界の名醸地のワインに肩を並べる日がすぐに来るといつもおっしゃっておられた。それは単なるお世辞とか励ましではなく本気でそう思っていると私たちには感じて取れた。
2年前に麻井さんはこの世を去ったが今でも私たちは麻井さんと同じ考えでこのワイン会を続けている。麻井さんがなくなる前に書かれた「ワインづくりの思想」は私たちにとって麻井さんからの遺言書として、いつまでも心の中に一文一文が刻まれている。
右前からボーペイサージュの岡本君、勝沼醸造の鷹野さん、小布施ワイナリーの曽我君
左前から旭洋酒の鈴木君、Kidoワイナリーの城戸。
あと、メルシャンの鷹野さんが参加するはずだったが、風邪のため参加できず。

1998年の初回にはこのメンバーに安蔵さん(現在メドックのシャトーレイソンにて研修中)と水上さん(現在サンテミリオンのシャトーデスチャーで研修中)が参加していた。

2004年6月23日 「Kidoワイナリー完成」
ついに建物が完成した。
2年前からあたため続けたワイナリーのレイアウトがついに現実のものとなった。
ワイナリーを始めようと決心した時、一番苦労が予想されたのが果実酒製造免許の取得と考えられたが、実際にはそれよりも土地と建物の問題の方が苦労した。
畑を農地転用することや建物を建てるための開発行為許可など想像以上に苦労した。
そして壁や窓や床の材質や色を1つ決めるにも何度も建築会社の白馬工業さんと打合せをした。だぶん白馬工業の今までのお客さんの中で私ほど打ち合わせが多かった人はいなかったと思う。
嫌な顔1つせず対応してくれた白馬工業さんには本当に感謝している。
日本の多くのワイナリーの場合、経営トップの考えによってワイナリーのレイアウトが決められていることが多い。(日本に限ったことではないと思うが)
それゆえ、実際に働く人々にとっては使い勝手が悪いことも多い。
しかし、Kidoワイナリーは違う。
そこで実際に働く人の考えに基づいてすべてが決定されている。
お金のかかっていない小さなワイナリーではあるがそこに込められた思いは間違いなく日本一である。


2004年6月16日 「ヴィラデスト ワイナリー」
 本日、たまたま時間が取れたので妻の由紀子と玉村豊男さんがオーナーで昨年、長野県東御市にオープンしたヴィラデストワイナリーを訪問した。
訪問すると玉村さんがワイナリーの前にいらっしゃったのであいさつをした。
初対面であったが、玉村さんも塩尻で新しくワイナリーを始める私のことを知っていたようでがんばってくださいと激励してくれた。
以前から知り合いであったスタッフの小西さんがワイナリーと畑の案内を丁寧にしてくれた。
建物、醸造設備のすべてが高価そうであった。
中古醸造機械で揃えるKidoワイナリーとは対照的である。
生産規模ではヴィラデストワイナリーとKidoワイナリーはほぼ同じくらい小さいものである。
私はこのような小さなワイナリーが長野県にもっとたくさん出来ることを望んでいる。
お互いに少しづつ方向性は違うが、個性豊かな小規模ワイナリーとしてがんばっていきたい。
ヴィラデストワイナリーの工場内。
ピカピカのステンレスタンクや発酵用の木桶が設置されていた。うらやましーなー。
ワイン造りは設備で決まるものではないと自分に言い聞かせた。



2004年6月11日  「酒屋さん挨拶回り」
今日、軽井沢方面の酒屋さんに挨拶回りをしてきた。この酒屋さんへの挨拶回りは今年の2月頃から始めたのだが畑も忙しくなりここ2ヶ月ほど出来ていなかった。知り合いから長野県内でワインに力を入れていて、親身になって話を聞いてくれそうな酒屋さんの名前と場所を聞き、20件ほど教えてもらった。
これらの酒屋さんを訪ねてその店主の方とお話させて頂き、実際にKidoワイナリーのワインが出来た際に大切に売って頂けそうなお店かどうか確認する目的と販売に関してまったくの素人の私が勉強させて頂くという2つの目的があった。
朝6時に家を出てもちろん高速は使わず車を走らせた。
8時半頃に丸子町の岩井屋さんに挨拶し、その後軽井沢の桐万さんに行った。桐万さんでは土屋さんご夫妻にガンバッテと温かい激励を受けた。
次に小海町にある清水屋さんに向かった。清水屋さんに行くとアルプスワインさんの営業の方や長野県酒販の方がいてその方たちの前で店主の小山さんに私の考えるワイン造りや流通に対する考え方をお話した。
非常に話づらい状況であったが、自分の考えはお伝え出来た。
清水屋さんを出るとコンビニで昼食のパンとオニギリを買い、運転しながら食べた。
次に浅科村にあるみどりやさんへ行った。井出さんご夫妻が温かく迎えてくれて、ブドウの話、ワインの話など3時間近くお話した。2回目の昼食までご馳走になった。
井出さんに近くに清水牧場というところがあってチーズを作っているから寄ってみたらいいよと言われ、地図を書いてもらい車を走らせた。
清水牧場はご夫婦2人でやられていて超おいしいチーズをつくる牧場でその業界では超有名らしい。
地図を書いてもらっても分からないくらい非常に分かりにくいところにあった。
清水牧場の奥さんにいろいろな話を聞いた。
チーズ生産者にもいろいろな区分があるらしい。自分たちで牛や山羊を育て乳を搾ってチーズを作るところをフェルミエといい、乳をどこかから買って来てチーズを作るところを○○○というらしい。聞いたけど名前を忘れてしまった。
もちろん、清水牧場はフェルミエである。日本にはフェルミエでないチーズ工房がいっぱいあるらしい。
奥さんは消費者にフェルミエとそうでないところのチーズの価値の違いを説明するがあまり理解してもらえないと嘆いていた。
ワインと非常に似ているんだと共感を覚えた。日本のワイナリーの形態にもいろいろある。自社農園のブドウのみでやっているところ、契約栽培ブドウを使っているところ、ブドウブローカーと呼ばれる仲買人からブドウを買ってくるところ、輸入ブドウ、果汁をつかっているところ、輸入ワインを使っているところさまざまである。
しかし、どのメーカーがどのような形態になっているのかは明らかにされていない。
私も清水牧場さんと同じ考えで原料がどこからきているのかがその商品の価値を決める一番重要な要素であると思う。極論を言うとそれは品質以上に重要だと思う。
日本の食の業界がまじめにやっている生産者が正当に評価される時代に早くなって欲しいと常に思う。
清水牧場を出るともう日が暮れていた。今日の最後の一軒 長門町の森田屋へ向かった。
元気な奥さんが迎えてくれた。小布施ワイナリーの曽我彰彦君のことも良く知っていてその話で盛り上がり、私に対しても激励の言葉をかけてくれた。
森田屋さんを出て塩尻に向かった。家に着いたのは午後10時であった。

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