◆働き盛りに失明の恐怖




 ◆発病から15年余り、今も不安な日々◆

 目覚めると、どこか違和感があった。「あれっ。右目が見えない」。1984年8月の朝、当時、函館大学の教授(商学部)だった横浜市金沢区の井口伸さん(53)は、慌てて洗面所の鏡をのぞいた。見える方の左目を凝らすと、右目が真っ赤に充血しているのが分かった。

 「最近忙しかったし、疲れのせいかな」。近所の眼科で目に注射を打ってもらい、一、二週間で視力は回復した。だが、ほっとしたのもつかの間、同じ症状が二度、三度と繰り返す。12月、紹介されて行った北大病院で「ベーチェット病の疑いがあります。あと一度でも炎症が起きれば、失明することも覚悟して下さい」と告げられた。頭の中が真っ白になった。

 ベーチェット病は、原因不明で、目の症状、口内炎、皮膚症状、外陰部潰瘍(かいよう)の4つの主症状をはじめ、関節炎や神経症状など、人によって全身に様々な症状が出る。

 37年に初めて報告したトルコ人医師の名前が付けられたが、中東から東アジアにかけた地域だけに見られることから「シルクロード病」とも呼ばれる。

 日本では、72年に難病の特定疾患に指定され、推定患者数は約1万8千人。発症率は男女でほぼ変わらず、目の重い症状は男性に多い。

 診断名を告げられた井口さん。自分の父親もこの病気で失明していたことが、ショックに輪をかけた。

 ベーチェット病は遺伝する病気ではない。家族内での発症は2、3%、それも多くは兄弟間で、親子での発症例は極めてまれだ。「なぜ、という思いと、苦労して針きゅうを覚えた父の姿を知っているだけに、不器用な自分にはできっこないと、自暴自棄な気持ちになりました」

 長男は小学校入学を控え、二男は1歳になったばかり。専業主婦だった妻は、子供を実家に預けて働く算段を始めた。

 ベーチェット病の平均発病年齢は、35・7歳。結婚や出産、子育てなど生活の面でも、また仕事の面でも、まさに「これから」という時期に突然、人生の歯車を狂わせる。

 井口さんは服薬治療を続けながら、寝つかれない日を送った。朝目覚めては、「きょうはまだ見えてる」と喜んだ。87年春、現在勤める関東学院女子短大(横浜市)に新設された経営情報科教授に推され、「どうせこの先分からないなら、思い切って好きなことをやろう」と、故郷の北海道から転居した。

 発病から15年余り。常に失明の不安が付きまとったが、「もう一度」の目の炎症は結局、起きていない。4年前からは薬も飲んでいない。一時0・1未満まで落ちた視力は、0・7ぐらいまで戻った。

 主治医で横浜市大眼科教授の大野重昭さん(55)が中心となって呼びかけた、「第1回国際シルクロード病患者の集い」が来月19日から22日まで、神奈川県葉山町で開かれる。井口さんは、事務局の仕事をボランティアで手伝い、「集い」でも発言する予定だ。

 「自分はたまたま運が良かった。父のように失明したり、重い症状に苦しんだりしている患者がいることを、もっと一般の人に知ってもらいたい」

 「集い」を前に、難病と闘う患者の声を伝える。

 (田村 良彦)

(4月18日9:58)

      

 ◆目の症状 男性は重症化




 ◆発症から10年以上で40%が失明◆

 ベーチェット病患者の約7割は、目に症状が現れる。何度も炎症を繰り返したあげく、失明に至ることも少なくない。

 北海道苫小牧市で針きゅう・マッサージの治療院を開く高野喜久治さん(59)は30歳で、視力を失った。

 発病したのは、その2年前。ある朝目覚めたら、両目とも開けているのに、霧の中にいるように視界が真っ白だった。自宅から数十メートル離れた両親の住む実家まで、手さぐり状態でたどり着き、病院へ運ばれた。

 口内炎や、腕や足に赤い斑点(はんてん)ができる皮膚症状、激しい痛みを伴う陰部潰瘍(かいよう)に、視野にクモの巣がかかったような目のかすみ。医師に問われるまま思い返すと、数年前からこれらの主症状はすべて出始めていた。

 視力は1週間ほどで一度回復したが、それでも間もなく、再び目の炎症発作が襲う。網膜やその外側のぶどう膜が炎症を起こし、真っ赤に充血して痛んだ。眼圧が上がって視神経が傷み、激しい頭痛を繰り返した。数えきれないほどの発作を重ねたあげく、視力を失った。

 ベーチェット病の発症率そのものは男女でほとんど変わらないが、目の症状は男性に多く、しかも網膜など目の後部に炎症が起きる例が多いため重症化しやすい。症状が出て1年で40%が視力0・1以下になり、10年以上では失明する例が40%。それでも厚生省研究班の班長を務める横浜市大眼科教授の大野重昭さん(55)は「昔に比べれば、治療法の研究が進み、全体的に軽症化の傾向」と説明する。

 日本でこの病気が注目され始めた60年代ごろは、目の症状にはステロイドの内服薬が多用された。だが、急な薬の増減を繰り返すと、かえって失明を早める結果に陥ることが後に分かった。現在では主に、痛風薬のコルヒチンや、免疫抑制薬のシクロスポリンが用いられ、目の炎症発作の予防に効果を上げている。ただし、悪化を防ぐ絶対的な方法は依然としてない。

 勤めていた社会保険事務所をやめた高野さん。30歳から3年間、札幌の盲学校で針きゅう、マッサージを学んだ。足の腫(は)れと痛みに悩み、授業を抜け出し病院へ通うため雨降る中、いつ通りかかるか分からないタクシーを待ち、道端で何十分も手を挙げ続けた時、目が見えないつらさをかみしめた。

 「失明すると分かった時には、それは落ち込みました。でも悲しみというよりは、自分のかかったこの難病に対する怒りというか、腹立たしさの方が強かったです」と高野さんは言う。

 世間の人に病気のことを知ってもらおうと、仲間に呼びかけ、患者会を作った。そんな姿が地元のテレビニュースで取り上げられたのが縁で、妻の冨美子さん(55)とも結ばれた。

 今でも、足の血管は頻繁に腫れ、痛みで立っていられないこともある。いつまで苦しまなければならないのか、と思う。病気の解明が簡単ではないことも、よく分かっている。

 だが、「この病気のため、どこかでだれかが懸命に努力してくれているんだということが、患者を勇気づけてくれる」。来月、神奈川県葉山町で開かれる「国際患者の集い」で、高野さんは話そうと思っている。

(4月19日9:22)



 ◆年代、時期で変わる病状



◇“なまけ病”と誤解も…HPに悩み多数◇

 「付き合っている彼がベーチェット病です。私は彼が大好きで結婚したい。でも彼の方が病気のせいでためらっているようなんです」(A子)

 「A子さんへ。私の場合は結婚後に発病したのですが、子供たちと十分遊んでやれないといった罪悪感はあります。しかし、そばに安心できる人がいるというのは、病気と闘って行くにはかなりの力になります」(てちゅぱぱ)

 埼玉県三郷市の★★★★さん(39)は、ベーチェット病についてのインターネットのホームページ「てちゅぱぱのページ」
(http://www.din.or.jp/~kenko/)を開いている。「てちゅ」は、幼いころの二女の呼び名だ。

 自由に書き込みできる掲示板の「患者さんの広場」では、患者らの本音の悩みが飛び交う。★★さんも話に加わる。「病状や治療のことはもちろん、発病する年代のせいか、仕事や結婚、出産などの書き込みも多い」

 コンピューター会社の技術者だった★★さんは、26歳の時に発病。視力は両目とも0・1以下に落ちた。大好きな洋画は字幕が読めない、趣味だった車の運転ももう無理だ。

 そんな時に出会ったのが、当時、個人向けに出回り始めたパソコンだった。文字の大きさは最大に設定。扱い方はお手のものだ。一昨年2月に、自分で、このホームページを作った。

 最初は個人的な闘病日記のつもりだったのが、反響のすごさに、★★さんの方が驚いた。

 職場で“なまけ病”と誤解されるという訴えがある。ベーチェット病は、人によって、全身に様々な症状が出るため、ひと言で「こんな病気」と周囲に説明するのが難しい。さらに症状は、不定期に出たり引っ込んだりを繰り返す。

 前週までは何ともなかったのが、今週は人知れず、皮膚の腫(は)れと発熱に苦しんでいることもある。でも翌週はケロッと治まる。見た目では分からない。病気を知ってる人にさえ、「何だ、サボっていたのか」と思われる。

 目、皮膚、口の中と並ぶ主症状に、陰部にできる潰瘍(かいよう)がある。直接口に出しづらい悩みでも、インターネット上の仲間になら相談できることもある。

 ベーチェット病は発病から10年から15年以上たつと、症状が落ち着いてくると言われる。「年代的にも若い、頻繁に症状が出て外出さえままならない患者には、パソコンという方法が役に立っているのかな」と★★さんは思う。

 体調が変わりやすく毎日はパソコンに向かえない山崎さんに代わり、病歴30年、40年の“ベテラン患者”が参加し、返事を書いてくれることも増えた。

 今月初め、うれしい知らせの書き込みがあった。一昨年掲示板を通じて知り合ったベーチェット病患者の山口県の「いち」さん(33)と福岡県の「あや」さん(34)から、3日に結婚して一緒に暮らし始めたとの報告だった。掲示板には、仲間から祝福の書き込みが相次いだ。

 二人の報告はこうだ。「この先どうなるか分からないことも多いのですが、周囲に支えられ、二人力を合わせれば、やっていけそうな気がします」

(4月20日10:04)



 ◆強い副作用伴う治療薬




 ◆仕事や出産は…悩む若い患者たち◆

 ベーチェット病の治療に使われる薬は、強い副作用のあるものがほとんど。病気との闘いは、いかに薬と付き合っていくか、でもある。

 東京近郊に住むA子さん(34)は、結婚後間もなくベーチェット病を発病した。たびたび激しい頭痛や発熱に悩まされていたが、診断がついて薬を飲むようになって、病状は落ち着いていた。

 「そろそろ子供がほしいのですが」。A子さんが主治医に相談したのは、治療を始めて1年余りたったころ。体調の良い日々が続いていた。子供を持つことは結婚以来の、夫婦そろっての希望だった。

 妊娠への影響を考え、慎重に薬の量を減らしていった。だが、約2か月で薬が半分ほどになった時に再び、高熱で身動きさえできなくなり入院。「せっかく薬を減らして頑張ってきたのだから」と、2週間後、やや落ち着いたところで退院したが、数日で再び悪化した。

 中枢神経に症状が出る「神経ベーチェット病」の疑いがあると診断され、ステロイド(副じん皮質ホルモン)の大量療法を受けることになり、当面、妊娠どころの話ではなくなった。

 ベーチェット病の治療にまず使われるのは、コルヒチンという痛風薬だ。目の炎症発作を抑える働きがあるが、血液障害のほか、男性では不妊の原因となる精子の減少や、女性では妊娠への影響が指摘されている。

 コルヒチン以外でよく使われる免疫抑制薬のシクロスポリンやステロイドにしても、それぞれ肝臓・腎(じん)臓や骨への影響など、強い副作用を伴う薬だ。

 青年期に多く発症するベーチェット病では、薬と妊娠、出産に関する悩みも大きい。

 厚生省研究班班長の横浜市大眼科教授の大野重昭さん(55)は、「服薬を続けながら妊娠、出産した患者さんも多くおり一概には言えない。病状も一人一人異なるので、患者さんと医師がよく話し合って決めるしかない」と説明する。

 「今は自分の体を治すことが先決」というA子さん。いずれ数年のうちに結論を出さなければならないが、「納得のいく答えを出せるといいな」と話す。

 大阪で患者会の事務局長を務める豊中市の西上厚子さん(63)は、病歴30年の自称“ベテラン患者”だ。インターネットのホームページを通じて知ったA子さんへも、応援のメッセージを送った。「仕事をどう続けて行くか、結婚は? 出産をどうするかは、若い患者さんに共通の悩み」と話す。

 患者仲間から相談を持ち掛けられることの多い西上さんが、最近もう一つ気になっていることは、重症患者や高齢化した患者のことだ。

 治療の進歩によって数は減ったとは言え、神経ベーチェット病の重症例では、知覚障害や運動障害のため寝たきりのような状態になることもある。また、60、70年代に発症し、失明率も高かった患者が、高齢化してきている。

 「寝たきりになった患者が、ベーチェット病というだけで、病院から受け入れを拒否されたケースもあった。医療の側にもまだ理解がされていない」と、西上さんは訴えている。

(4月21日9:16)



 ◆国境超え 患者交流の輪




 ◆体質と環境の複合? 原因究明も進む◆

 世界約20か国のベーチェット病患者が参加する「第1回国際シルクロード病(ベーチェット病)患者の集い」は、来月19日から22日まで、神奈川県葉山町の湘南国際村センターで開かれる。済生会横浜市南部病院の眼科医師、西田朋美さん(33)は、「集い」の事務局長として、海外との連絡などに忙しい。

 西田さんの父、稔さん(68)はベーチェット病患者だ。26歳で発病し、妻とも発病後に知り合った。朋美さんが生まれたころには、すでに失明。だから娘は目の見える父を知らないし、父は娘の顔を知らない。

 朋美さんと妹が生まれた時、稔さんは、大分県の盲学校で教えていた。数年後に、故郷の福岡県の国立福岡視力障害者センターの教官になった。

 診断を告げられて落ち込んだ稔さんを支えたのは、「目が見えないことを貴重な体験と思って、失ったものを追い求めるのではなく、残されたものを生かすことを考えなさい」という年老いた母親の励ましだった。盲学校の教師として自分が教える立場になった時、学生に伝えたいと思ったのも、この言葉だ。

 そんな父の姿を見て、物心ついたころから、眼科医になると決めていた朋美さん。「小学校の作文に『大きくなったら目の医者になって、父の目を治したい』と書いていました。絶望を乗り越えて力強く生きる素晴らしい人」と、父のことを思う。

 稔さんは、2年前に妻に先立たれ、米国留学を昨年途中で切り上げて帰国した朋美さんと横浜市に暮らす。今は、福祉団体などに頼まれ、地元の小学校などで、視覚障害について講演することも多い。「目が見えないとはどういうことか、決して差別があってはならないことを、子供たちに教えたい」と言う。今回の「集い」でも副会長の一人として、発言に立つ予定だ。

 「集い」には世界各国の研究者も集まる。代表を務める横浜市大眼科教授の大野重昭さん(55)は、この病気の発生する地域に着目した「シルクロード病」の名付け親でもある。

 トルコ、イラン、日本……。遠く離れたこれらの民族に共通するものはないのか。大野さんらの研究で解明されつつあるのが、白血球に関係するHLA―B51遺伝子だ。

 ベーチェット病で起きる炎症は、白血球の中で最も数の多い好中球が働き過ぎ、体の組織を自ら傷つけるためと考えられている。HLAは白血球の型のことで、HLA―B51遺伝子は、日本人の15〜20%にあるほか、シルクロード地域の民族も、ほぼ同様の割合でこの遺伝子を持っている。

 国内の患者を調べると、発病の関係は分かっていないが、HLA―B51遺伝子を持つ割合が約60%と高い。「ただし、遺伝子の保有率は同じなのに、なぜかハワイや南米などに移住した日本人は、この病気が見られない。体質的な素因と、環境要因が相まって発症すると考えられる」と、大野さんは説明する。

 大野さんによると、研究・治療が進んでいる日本に比べ、中央アジアなど医療の手が十分届いていない地域も多い。国境を超えた患者同士の交流の輪が、今広がろうとしている。(田村 良彦)

 (次週は「検証・救急体制 ある乳児の死」です)

(4月22日9:43)