モーターレーシング歳時記
思いつくままに一言




2014.1.22
小林可夢偉が1年開けF1ワールドに戻ってきた。
2014年F1シリーズにケータハムF1チームからのカムバックである。
ゼッケンは10。
最後の最後に決まった。
昨年はフェラーリ・ワークスからWECに参戦していた可夢偉だったが、彼の胸の内はやはりF1が本命であった。
可夢偉のいない去年のF1シリーズは、見ていても正直な話、誰が勝っても良かったし、見るのも積極的ではなかった。
ケータハムは、これまでは強力なチームとは決して言えず、むしろ逆であった。
が、うまいことに今年からF1のレギュレーションが変わる(パワーユニットがレシプロからターボ付加へ)。
極端な言い方をすれば、全チームが一線に並びヨーイドンである。
やり方次第では上位にいける可能性も秘めている。
それよりも何よりも、F1マシンのシートに座れたのが我々ファンも含め喜びと言えよう。
我々日本のF1、ひときわ可夢偉ファンにとって待ちに待った朗報である。

ちょっと時間をずらし、この件は別掲の予定。


10.19
トヨタ、プジョーが相次いで来年用のニューマシンを発表した。
特筆すべきはいづれもハイブリッドカーだということだ。
ル・マンなどではここ数年、パワーユニットに大容量ディーゼルを搭載して戦いが行なわれていたが、風向きはハイブリッドに傾きつつあるということか。
詳細はまだ定かではないが、取りあえずは写真を掲載したのでそれをご覧頂きたい。
また取り上げたい。


    
Toyota                                  Peugeot


2011.10.13
昨日、私が住む街の駅前通りに、一台のクルマが停まっているのに眼が惹かれた。
実に手入れが行き届き、外装の輝きにも驚いた。
そのクルマは「プリンス・グロリア・スーパー6」。
今から見ても、いや今のクルマから見るからかも知れないが「エレガンス」そのものに私には見えた。
埼玉ナンバーは、昔のそのもの。
だが、黒塗りの、そのPrince Gloria super6はメンテナンスも最良で、一服の清涼感を私に与えてくれた。
1960年代のクルマをこの時代まで最高の状態に持たせているオーナーに敬服した次第。

10月9日の日本グランプリの、レース前のドライバーズパレードで多くのクラシックカーが走って注目を浴びたが、私にはこれらのクルマとはまったく異なる感覚をグロリアは与えてくれたのだ。
もっというなら、プリンスというメーカーからスカジーを連想し、さらに直6エンジンからは、船橋サーキットのCCCを走った半球形燃焼室エンジンを搭載したその6気筒から発するすさまじいサウンドまで連想してしまったのだ。


2.22
2・22付け「FMotorsport F1」によると、ダイムラー社のディーター・ツェッチェ/CEO(最高経営責任者)が語ったものとして、「モータースポーツはわれわれのシンボルだが、同時にそれは勝利が宿命とされている。メルセデスとしてF1に参戦するからには、そこには勝利がなくてはならない」。という記事が眼についた。
このコメントは私にとって大変に興味深い。
ワークスチームの言葉としては至極当然のことで、F1参戦が技術のフィードバック、あるいは結果・勝利を目的とするのはそう驚くに値しない。
が、ダイムラー/メルセデスとなってくると、いささか(私には)違う。
CEOがいう通り、私にもこのコメントは重く、いや重過ぎるくらいに感じるのである。

私はかつて、戦前のグランプリ史の資料を、かなりの頻度で調べたことがある。
その資料に、前述コメントがラップしてくるのだ。
シルバーアローにしろ、スリーポインテッドスターにしろ、嫌というほど聞いて見てきた単語であり、必然的に、戦前のグランプリにタイムスリップする感じなのである。
だからといって今、くどくどと、このことを書く気はない。
フェラーリにとって、マクラーレンにとって、ルノーにとって、あるいは他チームにとって、強敵が現れ、勝利を公に宣言された形ともいえる。
心してかかっていってほしい、と私は思う。
なかんずくホンダ、トヨタがワークスとして残っていてくれたら....。
こう思うのは卑しい根性なのだろうか。

 1936年「W125」


2010.1.3
あけましておめでとうございます

webでの初書き込みが本欄になるとはゆめゆめ思わなかった。
書くといってもF1に関してはなにを書いていいのか、このところ、あまりにもめまぐるしく動いていたので、正直とまどっていた。
アロンソがフェラーリに、バトンがマクラーレンに、わが可夢偉がザウバーに、そしてライコネンがラリー界に転身したなど、ひとつひとつが、それぞれ書き込みに値したのだが、その都度になるが、なぜか私はいまいち乗らなかった。
それでもこれからだが、トップページにかつて記したように、2009〜2010 F1界の話題を、視点を変えた形で書きたいと考えている。
突然のごとく襲った世界の経済パニックは、F1界をも強烈に襲い、ちょっと追いていけないくらいめまぐるしく変化している。
FIAトップの交代、ワークスチームの撤退、BSタイヤの今シーズン限りの撤退、新興チームの台頭、レギュレーションの変更等、それぞれが刺激が強過ぎて論評するどころか、いち早く逃げ出したくテーマばかりである。
だが、少なくともシーズンが始まる前までにはこれらに関する記事のアップは終えたいと考えている。

本年もよろしくお願いいたします。

白井景


2009.9.21
「F1通信」に、”F1ドライバーベスト50”という記事が掲載されている。
(私には)ランクに異論があるものの、懐かしい顔がズラリと並んでいるので、見ていて楽しかった。
いわば「モーターレーシング歴史館・本館」におなじみの顔ぶれではあるが、使われている写真が、本館のものとは違ったものが多いので、一興であり、まだご覧になっていない方にはぜひお勧めしたい。
人それぞれ見方が違う、という観点からも、それぞれの方に味わってもらえれば、という気持ちから採り上げた次第。


その昔という表現となるが、私は、国内メーカーのレーシング開発者(エンジン開発担当)と対談し、その末席を汚したことがある。
そのエンジニアに限ったことではないだろうが、ベンチテストでのエンジン始動とぶん回し(?)が、彼らにとって一番緊張し、あるいは誇らしげに思う時なのではないかと、その時思ったことがある。
その時は、エンジン据え放っしの長時間テストでの、途中での対談であった。

後先になるが、今もそう感じている。
埼玉の某メーカー系セミファクトリーでエンジンテストに立ち合わせてもらった時にも、似たような経験をした。

ネットの時代を迎え、エンジンベンチの動画をよく眼にするようになった。
最近ではルノーV10(2004年当時)の、その模様を見て若干のうずきを感じた。

モーターレーシング好きの私は、元来、シャシー、足回り関係よりエンジン関係のほうに興味を持ち続けてきた。
幻といわれているスズキのV12エンジン(現在はその存在は多少なりと紹介されてはいるが)にしても、未だ興味を持ち続けている。

いずれは、これらレーシングエンジンの変遷史を編纂したいと考えている。
そんなこんなで、興味をかなり失った近年のモーターレーシングで、若干ながら心の支えを取り戻してくれたのが「ルノーF1」のベンチテストの模様だった、といっても過言ではない。

少しづつでも「モーターレーシング歴史館」とその周辺に手を加えていきたいと今考えている次第。

2009.8.23記
白井 景


2009.5.26
見るともなく見ていたある書籍の、あるページの2枚の写真が眼に停まった。
一枚は、ご記憶の方もおられようと思うが、第12回東京モーターショーに出品された日野自動車の「コンテッサGTプロトタイプ」であり、もう一枚は富士スピードウェイで行なわれた第3回日本グランプリ・メインイベントのスタートシーンである。

この2枚の写真はストレートには関係はない。
ただコンテッサGTプロタイプは「ヒノ・サムライ」となって実戦に登場はした。

このところ無性に、いわゆるプロトタイカーシルエットを恋しく感じている。
眼に停まったのは、多分そんな所為だとは思う。

いわずもがな人間は老いていく。
だが、40年も前の現実がセピア色に見えないから不思議ではある。
「歳時記」という項目を作っていて良かったと思う。

これからもこんなものくらいは書いていきたいと思っている。

 


11.13
九州が生んだ、というよりも日本が生んだ不世出の大投手、稲尾和久氏が本日未明亡くなった。70歳であった。かつて私は、西鉄ライオンズの大ファンであり、稲尾氏の大ファンでもあった。嵩じて、平和台球場に(夜行列車で)足を運んだのも、昨日のことのように蘇ってくる。1958年(昭和33年)の日本シリーズでの巨人に対して3連敗の後4連勝の立役者であり、61年の年間42勝等、稲尾氏の足跡は、語り尽くすことの出来ない金字塔で埋め尽くされている。モーターレーシング以外でこの欄を使用することをお許し頂きたい。西鉄ライオンズと稲尾氏とは、それくらい私にとっては青春のビッグページでもあった。ご冥福を心からお祈りいたします。ちなみに、58年当時のF1界はマイク・ホーソン、スターリング・モス、マヌエル・ファンジオ、トニー・ブルックス等、これまた不世出の名ドライバーが目白押しの時代でもあった。


10.31
ニッサンから「GT−R」が発表された。グローバルカーで、メーカーとしては、GTカーというよりスーパーカーのイメージに位置付けしたがっているようだ。私がここで書きたかったことはふたつある。ひとつは車名がNISSAN GT−Rとなり、スカイラインの名が消えたことである。かつて通産省の仲介でニッサン自動車とプリンス自動車が合併した日の夜、私は西東京のある場所で酒を飲んでいたが、隣の席での数人の青年達の、悲痛な声での話し合いが聞こえてきて、それはついには叫び声となり、そして泣き出したのを、昨日のことのように覚えている。言わずもがな彼らはプリンス自動車の、工場の技術者達であった。詳細は略すが、プリンスが(いろんな意味で)ニッサンの軍門に下ったと判断し、憂いていたのである。その彼らの最後の砦、スカイラインの名前もこんどのニューGT−R登場で消えた。そしてもうひとつ、(私の中での)GT−Rのイメージは、強烈な連勝記録を残した(DOHC・6気筒)GT−Rそのものではなく、それ以前の、スカイラインGTの(ワークス仕様)レーシングバージョンで、印象度はこれこそGT”R”の名に値すると、今でも私は思っている。このクルマは「本館」のある章にも多少記しているが、1960年代、船橋サーキットで行なわれた「CCC」に出場したものであった。直列6気筒SOHCながら、吸排気を逆にしたヘミヘッド仕様のもの。ボディシェルはオリジナルのものとは、そう差異はないが、その凄さはエキゾーストサウンドにあった。私には、まさに爆音に聞こえたものである。その爆音を残し、レーシング・エランを追い駆ける姿はまさに鬼神であった。その後、両者は合併が行なわれ、名実ともに「GT−R」が登場することになったのである。50年以上前の話である。


10.21
ちょっと話は古くなりますが、先週の日曜だったと思います。衛星TVで「DTM」を見ました。スペイン・バルセロナへの遠征レースでした。ミカ・ハッキネンも出場していました。メルセデス・ベンツとアウディの一騎打ちのシリーズです。文字通り、ワークス丸出しの激しいレースです。ですが、言葉は悪いのですが、「ぶつけ合い」のイメージは拭えませんでした。挙句にはアウディ・チームのレース総引き揚げとなってしまいました。後味の悪いレースでした。観客の立場は無視の感じが否めませんでした。私もかつてETCのレースで同じようなシーンを実際に眼にしたことがあり、日本のレースでも、ここまでではありませんが、あったことがあります。また、総引き揚げというシーンは、そう眼にすることもありません。シリーズ戦「DTM」はヨーロッパでは人気が高いと聞いています。ぶつけ合い(!?)といい、総引き揚げといい、ちょっと残念な気がします。次の戦いが待っているわけですが、その時、果たしてこの問題はどうなっているでしょうか。


10.8
「ノリック」の愛称で親しまれ、人気があった2輪ライダーの阿部典史選手が、10月7日午後6時過ぎ、大型スクーターを運転中、川崎市川崎区の公道で、(Uターンしてきた)4トントラックと衝突、病院に運ばれた後2時間後に死亡した。32歳だった。阿部選手は1993年、全日本ロードレース選手権500ccクラスの史上最年少チャンピオン(18歳)となり、翌94年、世界ロードレース選手権(グランプリ)500cc部門に挑戦した。1996年、日本グランプリの同クラスで初優勝、グランプリに通算3勝した。天才肌のライダーであった。
心からご冥福をお祈りいたします。


10.4
モーターレーシングの「安全面」に誰よりも神経を使ってきたジャッキー・スチュワート氏。その氏が書き下ろした本が10月13日に出版される。「Jackie Stewart/Winning not Enough」=Headline社 20ポンド。その本の紹介をTelegraph co.ukでしている。そのサイトの中には4本の動画があり、過去の忌まわしい事故の記録もかなり収録されている。never forgotton-the dear friends i lost /Sir Jackie Stewart. 1994年の凄惨な事故以来、確かにF1での死亡事故は幸いにも起きていない。が,だからこそ、いつの時でも、大事故の記憶は忘れ去ってはいけないのだ、と氏は力説する。そういう私も、このビデオを見た時、悪夢が蘇ってきて正直おぞましい気分となった。しかし戦争の記憶と同様、モーターレーシングの大事故の記憶も、決して忘れ去ってはいけないのだ、と私も反芻した。今日の安全レースの礎となったともいえる、多くのドライバーの犠牲を無駄にすることだけは、絶対に避けなければならないのである。これら一連のサイトを、出来れば、ひとりでも多くのF1ファンに見て頂きたいと私も願う次第。この本の抜粋記事の翻訳は、「F1通信」に掲載されている。


10.1
新装成った富士スピードウェイで行なわれた日本グランプリ。この稿をご覧の方の中で、実際に現地に行かれた方はいらっしゃるでしょうか。もしおられましたら、その印象をぜひ掲示板等でお聞かせください。私はというと、TV観戦でしたが、正直いうと、スタートを切った時は、1976年当時と、あまりにも状況が酷似していたので一瞬鳥肌が立ちました。確か当時は、スタート時間を2時間遅らせ、終了した時はかなり暗くなっていたと記憶しています。私も(グランドスタンドから)カメラにスタートシーンを納めていますが、歴史館・新館「特別写真館」に、同じようにそのシーンを撮った方から送られてきた、貴重な写真が掲載されていますのでぜひご覧ください。開催日(データ的に9月末は雨天が多い)、コース状態、交通アクセス、観戦ポジション等、今大会で浮き出た問題点も来年までに(必ず)解決してほしいと思います。


9.16
・戦前の貴重なグランプリ・シーンを始めとして、戦後にF1として再開されたグランプリ・レースの懐かしい、これまた貴重な動画等が見られるサイトを発見しました(既にご存知の方も多いかとも思いますが)。興味ある方はご覧になっては...。F1GPニュース・動画WEBで、[F1動画]グランプリの涙ーF1の歴史は、喜びも悲しみも背中合わせだ、というタイトルのものです。


9.8
・日本グランプリが2009年から鈴鹿と富士で交互に開催と、FIAから正式に発表された。これは富士スピードウェイ(株)とF1の開催権利を管理するフォーミュラ・ワン・アドミニストレーション(FOA)との話し合いの末、合意を得て発表となったもの。これは、性格的に大きく異なる鈴鹿と富士の両コース、隔年開催を望むF1ファンは多く、これらの意見を取り入れた結果だと言っていいだろう。朗報には違いない。


8.22
・(モーターレーシングに関しての)1960年代、70年代、80年代前半の写真、本、その他等が、私の資料部屋からけっこう見つかりました。すべて、今となっては貴重なものだと思います。未掲載のまま、あるいは、やがて処分の対象となってしまうかも知れません。そこで、本館に今後、少しづつでも掲載していこうとの考えに至りました。どういう形で載せていくか、まだ決めかねていますが、いづれにしろ、尻切れトンボの多い本館のシリーズものの、穴埋め的存在になればいいと思っています。


8.19
・「Honda F1」という言葉の響きは、私ども古いタイプの人間に は、ひときわ愛着と愛情を覚える単語であります。そんなホンダF1が今、傍目には、勝利へのジレンマに陥っているように見えます。いったいどうしたので しょうか。かつては16戦中15勝もしたこともある同チームです。なんとか一時も早く元気を取り戻してほしい、とホンダ・ファンは願っていると思います。 そんな折、ホンダ・チームも自らのサイト(myearthdream.com= 日本語スタートキャンペーン)で異例のキャンペーンを行なっています。ご存知アースカラーRA107の日本の部分に、抽選でファン20名のネーミングを入 れて日本グランプリに走らせる、というものです。最近ではSAF1も有料ですが、同じようなことを行なっています。応援に興味をお持ちの方はぜひサイトを 覗いてみてください。


8.13
・1)1988年F1シリーズ全16戦レースダイジェストのDVD、「F1 Legends/F1 Grand Prix1988」・2枚組が、8月24日に発売(GENEON ENTERPRISEーSports&Culture)される。また9月7日には、1970年代F1を舞台とした映画ソフト化「F1グランプリ 栄光の男たち」が発売予定されている。
・2)ボーダフォン・マクラーレン・メルセデスサイトで、MP4/22メルセデスに乗ったアロンソと、量産車およびレーシング仕様ベンツとが、シルバーストーン・サーキットで走り比べ(?)する動画が掲載されている。興味ある方はどうぞ。


7.15
・日本にもファンが多かったナイジェル・マンセル氏(イギリス、53歳)が、先週のシルバーストーンのピットレーンパークで、現在のBMWザウバーF1にチョイ乗りした模様のビデオが公開(F1通信)されている。90mの直線とドーナツターンの走行シーンだが、わずかだが、かつての”ライオン丸”を彷彿とさせる。今週末のホッケンハイムリンクでも同様の企画があるということだ。


6.28
・皆さんはル・マン24時間レースお好きですか? 私はかつて(長い間)”大”がつくくらいのファンでした。その私は、アウディvsプジョーの、(ワーク ス同士のマッチレース)今年の同レースに、久しぶりに釘付けになっていました。ネットでの鑑賞でしたが正直堪能しました。「ジャック・ビルヌーブを応援する!!!」に、プジョー・チームから出場したジャック・ビルヌーブの、ドライバー交替の動画がアップされています。かっこいい同選手の動きと共に、ル・マンのムードが多少なりとも味わうことが出来ると思います。よろしかったらどうぞ!


初書き/2007.6.25:
・特別な意味はありませんが、なぜか「チーム・ロータス」がひときわ懐かしく感じる今日この頃です。
・映画「グランプリ」を、見る者に彷彿とさせる
シェル・モータースポーツ2007のTV広告製作現場・舞台裏動画タイプ500F2、312、312B、248F1などのフェラーリ歴代F1マシンがカン高いエキゾーストノートをたてながら疾駆する。これまた懐かしく感じられました。


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