堀部和経 W.S. 数学 と その周辺 「自宅内」
1999年 「5月の日記」です。
Background figure :Horibe Kazunori

HOME「自宅」 「日記」の表紙
前の月へ 次の月へ

5月 1日へ




TOPへ
@1999/5/31(月)
 池の周りに、直径3,4cmの飾り石を並べていたら、親戚のある人に、その石の下に、もう少し小さな砂利を敷き詰めてからその上に並べるといいよとアドバイスを受け。今度の休みにでもやり直そうかと思っている。
 僕もそっちの施工方法がいいとは思っていたが、ずぼらして、いい加減な方法を採っていた。言われてみてやっぱりいい方法に変えることにしよう。
 僕が勤務している、学校の図書館で、『石』展を開くことになり、要請をうけ、僕のコレクションの鉱物標本を貸し出した。ガラスケースにきちんと並べて見ると、僕のコレクションも結構良いものだななどと、自画自賛。
 <展示鉱物一覧>
  滑石・石膏・方解石・蛍石・黒曜石・長石・石英・コランダム・ダイヤの原石・自然銅・晶洞瑪瑙・ギベオン隕鉄・黄鉄鉱・孔雀石・ラピス・ラズリ・緑柱石・ルチル電気石・鱗雲母・オパール・ヘマタイト・岩塩・ウレックス石・方鉛鉱・トパーズ・桜石・白鉄鉱・サヌカイト



次の日へ
@1999/5/30(日)
 午前中は、バレー部の練習。
 昼食はインド・パキスタン料理店で、ナンとカレーを食す。上手い。やっぱり、本場の味は違うなぁ。
 午後、ショッピンクセンターで買い物。催事場で、出店があり。宝飾品関連の店が出展していた。ヘマタイト製の数珠があり、値段を聞くと、まあ手頃な感じ。一つの数珠に、同じ直径のヘマタイトがちょうど30個。これ幸いに4本数珠を買う。1本ばらして、30球タイプを作り。3本ばらして、90球タイプの立体模型が作れる。1球あたり83.3円だった。まあ、ヘマタイト製の直径9mmの球でこの値段なら、いいんじゃないかな。
 新しい形じゃなく、新しい材質に走ると、数学からちょっと遠ざかるかな。でも、これも僕の趣味だから、うーん、楽しいな。



次の日へ
@1999/5/29(土)
 なんか、ちょっとこの頃いらいらする、どうも自分の趣味の時間が減っているせいだ。明日も、午前中は、バレー部の練習がある。だから、今夜中に書斎を整理し、掃除もして、また、自分の趣味の時間を作り出すための準備をしよう。



次の日へ
@1999/5/28(金)
 球技大会で一日体操服でいいな、と考えて、背広を用意しなかった。登校して、自分の日程を見てびっくり、午後名古屋駅近くへ出張ではないか。どうしようもないので、早めに学校を出ていったん多治見に帰りそれからJRで名古屋へ。
 「怪我の功名」もあるもので、用があっ県立多治見病院の近くで昼食をとり、その足で、病院での用を済ます。これは、結果的に上手い方法とチャンスが来たと言う感じだ。
 名古屋駅に着いたとき、会議まであと5分。「愛知県中小企業センター」へ急いで行って、ジャストセーフ。
 講演会は、中京大学情報科学部・長谷川純一教授の「コンピューターはサッカーのチームプレーを理解できるか」であった。面白い、長谷川先生が、何を目的にしたいのか、よく分かり、講演を聴いていて思い浮かんだ疑問や、僕自身のアイデアを、僕が質問するわけではないのに、先生がその話題にそってストーリーが進むという感じだった。僕の頭の構造にとって非常に心地よい話題の連続だった。楽しい講演会であった。
 夜、長女が修学旅行から帰ってきた。土産話が面白かった。
 漁村での民宿での分宿の話題が一番面白く。娘の班は8人で、1軒の民宿に泊まったんだそうな。そういう民宿がいっぱいあり、中学の生徒全員が1つの村に泊まると言うのが2泊目だったらしい。8人の女子中学生に食べきれないほどのごちそうを出してもらったようで、その上4人に1匹の鯛の活け作りが付いていたそうな。残すと悪いと思って全部食べたのに、次の日の朝、民宿のおばさんは、「みなさん、夕べはあんまり食べなかったので・・」と言って、朝からごちそうをいっぱい出してもらったそうな。「あんなの食べきれないって」と言うのは娘の話。
 その他、いろいろ「文句」話で盛り上がりました。僕へのおみやげは、ミッキーマウスの小さいタオルでした。ありがとう。



次の日へ
@1999/5/27(木)
 今日は突然すごい風が吹き、嵐になってしまった。そのため、愛知県西部に警報が発令され、学校に登校した生徒を帰宅させ、自宅待機させることになった。そして僕は、午後事務仕事をせっせとこなしました。
 帰宅すると、養生してあるはずの池には、雨水が結構溜まっていた。そこでついでに、下の娘と一緒に暗くなりかけの庭で、池の掃除をし、水を張ることにした。深夜庭にでで確認すると、満杯の水が溜まっていた。明日の朝は、庭の景色が少し変わるぞ。うき、うき。



次の日へ
@1999/5/26(水)
 池の工事も終わった。しかし、僕の帰宅が余り早くなかったので、暗くなってからしか見ることができなかった。コンクリートの養生が済み次第、水を入れてみたい。
 TeX(テフ)もだんだん面白くなってきた。職場の先輩のF先生にも、表示スタイルを教えてあげたくなってきた。
 上の娘が、今日修学旅行に出発した。今夜から明日一日雨という予報だ。なんかかわいそう。せめて、曇りぐらいだと良いのだが。明日は、どんな日程だったんだろうか。雨に余り影響されない日程だといいなぁ。



次の日へ
@1999/5/25(火)
 池の工事もあと一日となった。僕が期待した以上の仕事をしていただいた。細かな細工や仕事の確かさが感じられた。排水の仕組みも僕の細かな要求に答えるものとなりそうだ。早く完成して欲しい。
 今日は、帰宅後じっくりTeXを勉強する時間があった。2段組も上手く表現できそうだ。これで、テスト問題の作成に使えそうだ。
 明日から上の娘が修学旅行に行く。2泊3日だそうだ。どうも話を聞いていると東京のお台場へ行くのが一番の楽しみのようだ。どっかのTV局があるらしい。何でも、新社屋でビルの一部が球型になっているとか。局の名前を聞いたのだが。余り興味のない僕にとって、NHKでないことぐらいしか記憶にない。それと、地引き網もするらしい。ディスニーランドにも行くと行っていた。なんか色々盛りだくさんの旅行だ。
 昨日の岐阜新聞に、知人(友人の奥さん)がコラムに登場していた。写真もカラーでまあまあの写りだった。本物はもっと美しい人なんだが。(新聞の写真に高い期待をしても無理かも)内容は、僕の専門に特に関係ないので、余り関心はないが、どうも岐阜の町づくりアイデアの連作コラムの第3段だったみたいだ。
 もしこれを読んだら、本人さんメールをくれー、僕の友人よ。(これで分かるだろー)



次の日へ
@1999/5/24(月)
 今年度になって、仕事上のポジションが変わってからどうも忙しい。なんか自分の時間が作りにくくなっている。これはいけないことだ。知恵を出して、時間を作り出そう。そして何とか、また、自由な時間を作って、精神世界の旅を始めよう。



次の日へ
@1999/5/23(日)
 娘が卓球の試合に行った。どうも最初の試合で負けてきたようだ。帰宅は、午後2時頃。
 その他、特にかわったことなし。
 ただ、母の検査入院が6月2日に決定した。母はどうも、元気なく、家全体が多少くらい感じになる。当然のことなのでしょうがないでしょう。
 庭の池は、土日は工事がお休みなので、2日間そのままである。あと、1日か2日で完成だろう。楽しみだ。



次の日へ
@1999/5/22(土)
 昨日は数学科の「科旅行」があり、三重県の志摩半島の和具へ一泊旅行のため、日記の記載なし。
 僕は、みんなと別れて、昼には帰校し午後バレーボール部の練習に付き添う。
 和具から帰るとき、ペンションのオーナーのモーターボートで、ペンションの桟橋から、賢島港へ送ってもらう、所用時間20分弱。賢島から名古屋まで近鉄特急で2時間9分、後はJR20分で勝川へ。
 快適に帰ることができた。特に、英虞湾の景色を堪能しての、賢島までのクルージングは気持ちよかった。そして、まだ観光客も集まる前の時間の賢島駅周辺の静かなこと。人でいっぱいの観光地ではない風景は、趣があった。
 真珠のおみやげの専門店にて、30球で編み上げる立体模型の形の「根付け」(珊瑚製)を見つけ購入。そして店主と話をしていて、その珊瑚の球(直径2〜3mm)を500個ほど分けてもらう。代金1万2千円。1つあたり24円、まあ手頃な値段であった。今度は、珊瑚で立体模型を作ってみよう。



次の日へ
@1999/5/21(金)

次の日へ
@1999/5/20(木)
 昨日、日記が書けなかったわけは、育友会の役員会があり、その後、数人で飲みに行き。帰宅が遅くなり、記述不可能と相成りました。
 今日は、職場の仲間12人ほどで、バーベキューを食べた。やっぱり僕は、人よりよく食べるわ。と言うことが実感できました。
 庭の池の改築工事は順調に行っているようだ。まあ、4日ほどの工事だが、2日目の昨日は雨天のため工事中止だったから、今日は工事2日目。排水口も完成し、水深を深くするための土砂も取り出してあった。後は、周りの石の微調整と防水工事だけが残っているようだ。楽しみだなぁ。



次の日へ
@1999/5/19(水)



次の日へ
@1999/5/18(火)
 今日の仕事は、大半が会議であった。
 帰宅してみると、頼んであった池の改修工事が始まっていた。この池は、今は亡き「おやじ」が作った池だ。もう、作って40年近くなる。長女が生まれてすぐに、落ちて溺れるといけないからと、水を抜いていたものだ。だから枯れさせてから、14,5年経っている。それを復活させるのが第1の目的だ。ついでに、33年前に死んだおやじの「この池、ちょっと浅かったなぁ」という、作ったときの反省を今回取り入れて水深を5割ほど増すことにした。このおやじの「反省」は、僕が小学校の3,4年の頃聞いて覚えている言葉だ。ついに、あのときの思いを果たすことができる。
 でも、池で何を飼おうかな、とりあえず、まず金魚だな。それとフナ。鯉は、どうもねぇ。成金みたいであんまり好きじゃないなぁ。
 と言っていても、1年後には、「やっぱ鯉はいいねえ!!」などと言っているかもしれないけど。



次の日へ
@1999/5/17(月)
 情けないことに、まだ足が痛い。筋肉痛なので、数日で直ることは分かっているが辛いなぁ。
 今日もTeXの学習は進む。新しいものは面白いなぁ。色々な数式がとてもきれいにかける。なんか、わくわくする。クヌース先生すごい。
 今日の午後、名古屋に出張だった。おかげでかえって帰宅が早かった。夕食の後少しくらくなった庭にウサギの「プイ」ちゃんをだし、散歩させてやる。小屋よりすーっと広い庭を、ヒョコヒョコと跳んでいた。と言うよりも、歩いていたと言った方が正確。ピョンピョンとは跳ばないぞ、うちの「プイ」ちゃんは。



次の日へ
@1999/5/16(日)
 情けないことに、両足、左手が痛い。足は筋肉痛、たいして動いていないのになんと言うことだ。左手はボールを受けたため昨日からずーと痛い。足などは、階段を下りるのに苦労するほど痛い。つらいなぁ。そこで「バンテリン」のスプレーをかけて痛みを取っている。だから、今、両足がスースーだ。
 しかし、痛みは辛いが、なんと今日完璧に「pLaTeX2e」を理解した、あとは練習あるだけ、テフの文法書の良いのが手に入れば万々歳と言ったところ。
 高校程度の数式を表現する方法は今日マスターできそうだ。なんかうれしくなるなぁ。



次の日へ
@1999/5/15(土)
 pLaTeX2eのインストールが完了した。
 教職員親睦のソフトボール試合があり、僕はキャッチャーをやった。それもミットが無いのでグローブだった。ピッチャーがすごい球を投げる体育の先生で、バシッというボールを投げてくる。それを受けていたので、手が痛い。左手の手のひらから指まで腫れている。自分の手ではないみたい。おまけに、チップしたボールが、右手の親指に当たり、爪がはがれるかと思った。
 そんな思いをしたが、試合はボロ負けでした。



次の日へ
@1999/5/14(金)
 「pLaTeX2eを使えるように」,「JavaScriptを学ぶ」,「数学Cの指導書のある章を書く」,「2003年からの新しい指導用要領にそった『数学A』のある章を書く」この4つを夏までに何とかこなしてしまおう。と言うのが僕の目標であり、必ず実行したいこと。
 と言うことで、早速実行。今日は、以上



次の日へ
@1999/5/13(木)
 ずっとやりはじめようと思っていて、そのままになっていたTeX(テフと読む)をはじめた。
 全く分からない、やはり独学(テキストもなしの独学)は無理らしい。やっぱり、何冊かテキストを読んで覚えることにしよう。
 ところでTeXとは何かというと、うーん、一言で言って「組み版ソフト」。ワープロみたいなものだが、1つの本を1冊丸ごと印刷するときに、初めの方の装幀と、後半の装幀が狂ってしまうとみっともない。それを防ぎ、一括してきちんとした組み版を自動で作り上げるソフト、と言ったらいいのだろうか。
 クヌース博士の作ったフリーソフトで世界中にファンが多くいる、というものらしい。とにかく、僕も自由に使いこなしてみたいなぁ。



次の日へ
@1999/5/12(水)
 久しぶりに夕方から夜にかけてゆっくり過ごした。
 上の娘が、ラジオ(中波)を聞きたいと言いだした。1ヶ月ほど前からだ。
 何でも、「キンキキッズ」の番組が10分間あるそうだ。我が家は、鉄骨作りでなおかつ、外壁がアルミ製なので、電波はシールドされているらしい。どうも、中波の受信状態が良くない。毎日、ぬれ縁にラジオを出したりしながら聴いていたようだ。
 そこで、娘に古いがちゃんと聞くことのできる「ラジカセ」(この用語も古くさいなぁ)を貸してやった。2階の自分の部屋で聞くことができるようにと貸したのだ。それに、屋根はシールドされていない・・・・。あれ、屋根に太陽光発電器を設置しているから、2階でもだめかぁ?、まあ、しょうがない。
 娘は、周波数のチューニングノブを回すのは初めてらしく、「こんな風にして聞くの?」という。そりゃ今のラジオは、チューニングはオートだし、プリセットされていて、ボタンを押すだけで指定の局が聞くことができるので、知らないのは当然だった。そして、選局していると、「キュゥーン、クィーン、ザザッ、ガーピィー」の音を聞いて選局してやると、「なんか、盗聴しているみたいだね」という。そうか、そんな風に感じるんだ。そして、その後に、あの懐かしい、韓国語放送が聞こえてきた。うーん。僕らの高校生時代は「深夜放送」全盛期だったのかなぁ。 「オールナイト・ニッポン」や「東海ラジオ」を聞いていたなぁ。「あまちん」「森本レオ」「あべ静枝」「鶴光」なんていう、パーソナリティ(これも今使わないなぁ)がいた。
 娘は受信状態が良いとは言えない状態の「キンキ・キッズ」の10分の番組をテープに録音してしる。コツコツよくやるよ。



次の日へ
@1999/5/11(火)
 なんか忙しく、この日記もじっくり書いている暇はなし。もう寝ないと、明日の体力が持たない。お休みなさい。



次の日へ
@1999/5/10(月)
 月曜から仕事がフルにある。うーん、忙しいが、なんかいいなぁ。とりあえず、一仕事、片づけた。
 今年は、メチャ忙しそうだ。この中で教科書の仕事やら、趣味と言っていい仕事まで、時間をやりくりして、何とかこなそう。
 その上、庭の池の改築までやりかけてしまった。まあ、実際に動くのは造園業者さんに頼むのだが。
 今日も深夜になってしまった。寝るとするか。



次の日へ
@1999/5/9(日)
 昨日と同じく一日中、惰眠に継ぐ惰眠をむさぼりました。
 ほんとに2日間よく寝た。明日から仕事にかんばろう。



次の日へ
@1999/5/8(土)
 9時に起床、朝食をとり、新聞2紙をじっくり読む。眼科に娘2人をつれていき、帰りに昼食を外食しようと女房を含む4人で出る。ところが、眼科がメチャ混んでいて、とても昼食をゆっくりとる時間が無くなり、急遽コンビニ弁当になる。(女房のみ午後の日程が決まっていたため。)
 1時頃帰宅し、居間でボーとしていたら、知らぬ間にフローリングの上で寝ていた。娘に起こされ、ベッドに移動しまた睡眠、結局夕食直前まで寝て、一日寝ていたと言うことになる。夕食後はすぐに入浴、ハイビジョンで「007は2度死ぬ」を見た。特撮もちゃっちいし、ストーリーも平凡だし、あれがよくヒットしていたものだ。
 と、言うことで、ほんとに何もしない、一日だった。



次の日へ
@1999/5/7(金)
 仕事はいっぱいあるのだが、女房の帰宅が遅くなるとのことで、僕が早めに帰宅。
 夕食後、書斎にこもり仕事の続き。何とか、「14日に向けての仕事」は、見通しが着く。月曜に仕上げて、完成できそうだ。
 すると、次の仕事がまっている。これは18日用の仕事、これは月曜にならないと続きはできないので、とりあえず一服ができる。
 明日と、明後日は久しぶり、ほんとに久しぶりの2日続きの休日。書斎の整理などやって過ごすとしよう。楽しみだ。



次の日へ
@1999/5/6(木)
 今日も一日目一杯仕事。
 この調子だと、僕自身の時間が無くなってしまう。もっと効率よく片づけないと。指導書の執筆やら、新しいシリーズの教科書のアウトラインも夏までに仕上げなくては、その他に僕の趣味と言っていい様々な仕事(works)をやらなくては・・・
 よし、もっと張り切るぞ。



次の日へ
@1999/5/5(水)
 4日の深夜からDVDで「グッド・ウイル・ハンティング」を女房と下の娘と3人で見始める。娘は、これよく分からないと行って、ベッドに行く。2人で最後まで見る。
 いい。だいたい予想通りの展開で、予想通りの結末。女房は、もう途中から泣いていたが、僕は、「友人がウイルの部屋に尋ねてきて、ウイルがいないのを確認するところで、泣けた。」良い映画だ。配給会社はねミラマックス社だ。良いはずだ。この会社は、「Shall We ダンス?」を全米配給した会社だ。これからは、きちっとチェックしなくちゃ。
 映画の内容とは別に、映画の中で「数学」がどのように扱われているかを見たくて購入したと言う意味もあるが、買って良かった。割りと、数学を数学らしく取り扱っていたと感じた。黒板にかかれている数式も、それらしかったし、グラフも本物みたいだ。(ひょっとすると本物かも、それを確認する能力がこちらにはない。)ただ、はじめに廊下の黒板にかかれている問題は、そんなに難しい問題なんだろうか?と言うのが少し疑問だ。これにしても、僕にその能力がないのが残念だ。
 でも、かえって、分かってしまうと、映画そのものに没入できなくって、映画のおもしろさが半減するかもしれないので、いいのかもね。
 深夜2時過ぎに睡眠をとる。これから寝るわけだが、今日は大阪へ編集会議だ。またまた、めちゃめちゃな生活時間になっちゃった。もう寝よう。
 5日の夜になったが、特に体調も悪くなく、いい一日だった。
 ちゃんと大阪での編集会議にも出て、まじめに参加し、発言もしたしまあ良しとしよう。行き帰りの新幹線なども特に問題なくスムーズに運行されていたし、指定席もあり。何不自由なく往復できた。
 帰りは、ぐっすり眠っていたのだ分からないが、行きは、わざと各駅停車の「ひかり」(車体は300系)に乗ったので、500系の「のぞみ」にすれ違いと追い越しを1編成ずつされ、一瞬だが近くで見ることができた。先頭車両の形はいい形だ。
 (べつに500系を見るのが初めての訳ではないが、電車は基本的に好きだ。)



次の日へ
@1999/5/4(火)
 連休4日間の中で唯一、日程が組んでなかった日も終わってしまった。
 久しぶりに、ゆっくりと昼前まで寝ていた。昼食を取り、午後は、座敷用の机を修理。古いものだがも表面の材質が堅く気に入っていた机。その脚が一本とれていて、仮止めして使用していたものだ。
 裏面の板を切り取り足を固定する柱材に足を固定するための方法を工夫しながら修理。まあ、裏面と言うこともあり、割と楽に仕上げることができた。またこれで、5年ぐらいは持つだろう。このテーブルは、父が生前購入したものなのでもう35年程度は経っているものだ。まだまだ大事に使えば使えそうなものだ。とりあえず直って良かった。



次の日へ
@1999/5/3(月)
 父の33回忌をした。
 10時過ぎから家で、お坊さんにお経を上げてもらい、その後、お寺「虎渓山 保寿院」でお参りをする。お昼は、場所を土岐市柿野の「あさひ荘」に移してとる。温泉にも入り、帰宅。その後、お墓参り。僕ん家の墓地は、なんと珍しいことに、ほとんど敷地に隣接しているので、墓参りをさっと済ませることかできる。あまりに楽なので、僕などは、いつ行ったのか記憶がない。二階の窓から石塔が見えるんです。
 父が亡くなって、もう30年以上経ったんですね。42才で亡くなり、今僕が43才。一応、父より長生きしています。これが大事なことですよね。



次の日へ
@1999/5/2(日)
 今年のゴールデンウイークは、旅行の計画などはない。子供たちもどこかに行きたいとは言っていない。しかし、映画「バグズライフ」は見たいと言っていたので、市内の映画館に行く。10時45分からの回に行く。客は、子供と大人の組が、10組程度と言う感じ。CGのできもストーリーも予想よりよく、結構良い出来だった。ピクサーという制作会社は、10年ほど前から、注目していたが、やっぱりすごかった。実験的な短編「ルクソー、Jr」ですごいなあ、と思っていたらやっぱり、ここまで来たか、と言う感じ。次回作以降も期待していい制作会社だと思う。
 その、「ルクソー、Jr」のLDは、大切にしなくちゃ。
 大変なことを忘れていた。今日は、僕の中学時代、軟式テニス部の顧問だった、高山先生が定年だと言うことで、昔を懐かしむ会が、6時から開かれていて、僕も参加予定だったのだ。8時になって気がついて、すぐに駆けつける。幸い、車なら自宅から数分で行けるところなので8時10分頃には着いた。なんと、100人から120人程度の先輩やら後輩で会場はぎっしりだった。ただ、終了直前に行ったので、ほとんど話をするひまもなく終了となってしまった。再会を約束して、帰宅。
 ああ、残念。カレンダーにはちゃんと記入してあったのに。うぅぅぅぅ〜っ。不覚。反省反省。
 その上、先生にも一言も話もできなくて・・・・・



次の日へ
@1999/5/1(土)
 昨日の日記のとんでいる理由。育友会の仕事のために、一日休暇をとる。
 安全点検・授業参観・育友会総会・学年懇談会・懇親会・2次会・3次会・と行事続きで、帰宅は、深夜におよぶ。
 大変、今朝はまだ、完全にアルコールが抜けていないのではないかと思われた。そのため今日一日は仕事が辛かった。



TOPに戻る