堀部和経 W.S. 数学 と その周辺 「自宅内」
1999年 「2月の日記」です。
Background figure :Horibe Kazunori

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@1999/2/28(日)
 特に何もない一日だった。自宅で、テストの採点をゆるゆるとしているという一日でした。
 RASの設定に手を出すわけでもなく、新作を作るわけでもなく、一日過ぎてしまう。
 こんな一日もたまにはいいか。



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@1999/2/27(土)
 今日は、昔の仲間と夕方から飲む約束の日。午後3時過ぎから家を出て、名古屋に向かう。
 帰宅は、28日の午前2時をすぎた。だから、厳密には、この記事は一日後がいいかもね。



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@1999/2/26(金)
 Mathematica 日本語キットが届いた。早速、日本語化をしてみる。
 メニューもヘルプも全部日本語なった。これでずいぶんラクチンになった。ただし、日本語化できない単語も多いのでそこは、英語のままだが、使用するには、全くさしつかえなさそうだ。
 夕方、「メルバ春日井」の店長にアドバイスしてもらった、RASの設定を実行してみようと思う。そのために、ネットワークの設定を一度まっさらにする。また、すこしの間、通信断絶になる可能性あり。けど、やるしかないでしょ。



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@1999/2/25(木)
 今日は、休暇。朝7時から、Kさんと一緒に「御岳スキー場」行く。約2時間半で到着。吹雪。寒い。この僕がスキー場で寒いと感じる。何年ぶりだろう。スキーウエアの下に、薄いセーターを着る。
 午後には、晴れ間も見え、気温も上昇、夕方4時ころまで滑る。その後、スキー場の風呂に入り、さっぱりして帰宅。スキー場を出たのが、午後5時半過ぎ。途中、1時間の食事タイムを挟んで、9時には帰宅。
 太股あたり筋肉痛。次回のスキーは、いつになるのだろう。計画がない。何とかしなくちゃ。



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@1999/2/24(水)
 先月(1月24日)の日記に、「・・・一週間イタリアへ出張とのこと。ご苦労さんな事だ。パリ経由でローマへ18時間のフライト。・・・・」と、弟の出張の事を書いたが、昨日(23日)弟から
 「1月24日、弟は、ローマじゃなく、フィレンツェへ出張したのです。では、おやすみなさい。弟より」
 とメールを送ってきた。完璧な思いこみ間違いでした。イタリアと言えば、僕にとって、ヘップバーンの「ローマの休日」という刷り込みがあったんだと思う。フィレンツェだったとは、失敬。
 それに、フィレンツェなら今度は、レオナルド・ダ・ビンチだ。でもこれも刷り込みの一つだな。単純な1対1の対応だけによる連想は、思わぬミスを生む。今後の戒めにしよう。



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@1999/2/23(火)
 午後、耳鼻咽喉科にゆく。1時間20分かかり、「風邪だね」との診断と治療。
 夕食を済ますが、あまり体調良くなく、午後7時ベッドに入る。



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@1999/2/22(月)
 二日間も記載がないのは、風邪でダウンしたため。
 土曜の午後2時過ぎから、今日、つまり月曜の朝7時まで、ほとんどベッドに入っていた。そして、その間中寝ていたといっても、オーバーでないほど良く寝た。久しぶりにこんなに寝た。その間、31時間中、起きていたのは、4時間ほどである。一日半で、27時間の睡眠。おかげで体調もだいぶ戻った。
 まだ、咳は出るがそれも、我慢の範囲内だ。少しずつ、体調を戻し、やりかけのRAS(リモート・アクセス・サーバー)の構築に向かってがんばってみよう。
 咳がとぎれない中でがんばるが、あまり進展なし。



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@1999/2/21(日)



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@1999/2/20(土)



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@1999/2/19(金)
 今日は、上の娘を眼科に連れて行かなくてはならないので、夕方の会議を休むために、一時間休暇をもらった。午後(5時間目)まで授業をしたら、私の方が、辛くなってきたので、休暇を3時間にしてもらって、早めに帰宅。しかし、眠くもないので、書斎にいたら、ついつい、コンピューターのセッティングを始めてしまう。COM3にTAを接続し、久しぶりのISDNによる、快適なネットサーフィンができた。
 早く、リモートアクセス(RAS)をうまく設定するぞ。と、意気込む僕であった。
 しかし、久しぶりに「新作」の作業に取りかかってしまった。そうすると、今日は、こっちの作業にのめり込んでしまう。だから、RASの設定は、また明日だ。
 気ががりなことがある。それは、新作を作る材料が底をついてきたことだ。直径8mmのビーズ(プラスチック製)1万個は注文してあるのに、販売会社にも在庫がなく、制作中と言うことで、未だに届いていない。もう、3週間ぐらい経っているのに。まったくしょうがない。だいたい、その連絡もこちらからして、やっと分かったのだ。「う゛っーっ、わん。」



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@1999/2/18(木)
 今日も、ネットワークを完成させようとしたが、ついついDVDで「仮面の男 The man in the iron mask」を見てしまって時間がなくなっちゃった。この間買っておいたDVDをなかなか見る機会がなかったが、どうしてか今日にかぎって見てしまった。まあ、まあ面白かった。四銃士が渋くかっこよかった。ディカプリオは、ちょっと「甘すぎる」と言う感じだ。
 その後、コンピューターのセッティングを続けて、やっとプリンターを、LAN上からコントロールできるように、直せた。ふぅっ。



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@1999/2/17(水)
 新しいLANの構築は、なかなか難しい。マニュアルやら、一般の書籍を読んで勉強しているが、なかなか理解しづらい。けど、同じ人間の考えたことだし、分からない分けないよなと思ってがんばっている。が、実際よくわからん。焦らずがんばってみよう。



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@1999/2/16(火)
 やっぱり、シリアルポート経由でのTAのコントロールは、まだうまくいってない。従って、この日記は別系統でのアップである。28.8k bpsのモデムで、いつものマシンからアップしている。ノートパソコンでやるまでのことはなかった。
 HUBの方はきちんと動作している。そして、LANケーブルの方も、机の側面などに固定し、部屋に張ることができた。その際、リバースケーブルは、600円程度のリバースソケットによって、ストレートケーブルとしての機能をもち、長いLANケーブルの一部となって役立っている。リバースのリバースはストレートであった。これで、机の右の方からケーブルをちょろっと出しておけるようにしたのだ。
 しかし、まだ、その他の機能(ホントはこちらの機能を重視している)のセットアップが完成していない。よく分からないマニュアルを読破してがんばるぞ。
 明日は、早朝の補習があるので、今日はあまり時間がない、つらいなぁ。



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@1999/2/15(月)
 土曜日にの日に決めた、リモートアクセス可能にする計画をもう今日からスタート。(HUB+ルータ+高速シリアル)を一つにした製品を、約2万円で購入。マニュアルを読んで、さあ接続だ。その前に、今日の日記をアップしないと。接続がうまく行かないときは、日記は、ノートの方からアップと言うことになる。



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@1999/2/14(日)
 今回のスキー(一泊二日)は、良かった。
[その1]
 昔の仲間に久しぶりに会えた。Kさん父子。Nさん夫妻。Oさん父子。そして、Tさん。自己紹介のページにある僕の写真「高見石小屋の前にて」はTさんにとってもらったものだ。とにかく、久しぶりに会うと言うことはうれしいものだ。
[その2]
 気温が低く、雪質が良かった。標高1400〜1550程度のスキー場なのに、「キュッ、キュッ」と雪が鳴いていた。それにこの頃はゲレンデは、整備されていてコブなし、これがいい。
[その3]
 下の娘が、いつの間にか、僕がふつうに滑るスピードにほとんど後れをとらずついてくる。だから、リフト一本、ノンストップで滑り終え、止まって10秒もしない間に、娘と女房が来る。すぐリフトに乗る。という繰り返しができる。子供は、上達が早いな。僕のように25歳すぎてから覚え始めたスキーとは偉く違う。だか、娘はすぐに体が冷えて、4、5本で休憩をしないと、指が冷たくなって感覚がなくなるのだという。まあ、休憩は僕も多い方なのでいいけどね。
[その4]
 Oさんに教えてもらった。下諏訪にある時計博物館「儀像館」に帰りに寄ったこと。今度は、予約して、オリジナル時計を作ろう。おみやげ物のコーナーで「ゴジラの目覚まし時計」を女房が購入。明日から、ゴジラの叫び声で、起床する事になりそうです。
[その5]
 心配していた、「右膝の痛み」と「腰痛」は、バンテリンと腰痛バンドで押さえてスキーをすることができた。その上、その2つの痛みは、和らぎ、もうそんなことはなかったかのような感じになってきた。うーん、ありがたいことだ。少しぐらい痛くても、がんばっちゃって良かった。スキー場では、足の不自由な人たちが、チェアスキーでバンバン滑っていた。痛いぐらいでへこたれていては、いかんなぁーと思った。



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@1999/2/13(土)
 やったー。LAN経由で、印刷できた。いやー、LANってほんとに便利。早く学校にLANを張ろう。いやいや、外部とリモートアクセス出来るようにしよう。そのために、僕ん家をリモートアクセス可能なLANに、バージョンアップしよう。うん、その計画を、3月までに実行だ。面白そうだ。
 ノートパソコン「Aile」から、家のCanonは、コントロール出きていなかったのだ。僕としたことが、何度ドライバをインストールしても、新しいドライバを手に入れても、Windowsレベルの印刷がうまくゆかなかったのだ。そこで仕方なく、ついにあきらめて、データをフロッピーやMOに落として、デスクトップマシンで印刷していたのだ。
 これからは、LANで印刷できるぞ。しかし、これって、ひょっとすると、ノート用に使っているPrinter Cableが、どこか一部断線していただけ、なんて言うことないだろうな。まあ、調べる気もないけどね。
 とりあえず、今日はいい日になりそうだ。と言うのも。これを書いているのは、午前1時半ごろなんで。今日は、あさ8時半には、スキー場に向かって出発している予定。いかん、いかん、もう寝よう。でもまだ「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」の残り5分の1を読んでいない。目茶面白いので、早く読みたい。でも、いろいろやりたいことだらけで、困ったな。


 
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@1999/2/12(金)
 朝から、めちゃつらい。腰痛。腰痛用のベルトを母に借りて、出勤。車の運転もつらい。それに、今日は、授業が4つと会議か1つ。今日一日、体が持つかな?。
 自分で自分の体に、少しの無理と・少しのいたわりを、交互に与えながら一日過ごす。夕方、少し楽になる。
 もう帰ろうとすると、コンピューターの担当から、学校のコンピューターにLANを張りたいので、業者を呼んであり、今いるので一緒に会って欲しいと頼まれ、快諾。
 非常に若く、かつ、2枚目の担当者1名と会う。さすが、本職色々な事を聞いても、ほとんど的確にかつスピーディーに返事をする。ついでに、個人的に疑問に思っていたLAN関係の質問もしてしまい、解決。得した、得した。
 学校のLANと言っても、本格的なものではなく、4台のPCをつなぐと言うものだ。事務室は、もう、数人のノートパソコンをLANでつないで仕事をしている。
 先生の方も、そろそろと考えてくれているようだ。事務長はなかなか進歩的だ。ありがたい。しかし、工業高校などは、当然本格的なLANがあり、一部光ファイブァー網も施設してあるそうだ。やっぱり、実業高校は、そっちでは進んでいるな。
 とりあえず、こちらの希望を業者に言って、見積もりを出しもてらう事になった。あとは、その見積もりに対する事務長の判断を待とう。
 腰の方だが、帰宅途中に、薬局に寄り、「バンテリン」を購入、1680円也。入浴後、女房に塗ってもらう。女房は、何を考えか、ドバッとチュウブから出して腰に塗ってくれる。めちゃめちゃ、しみこんで効いてくる。いい調子だ。薬局のおじさんが(と言っても、僕と同じか、少し上ぐらいだが)「これは良く効くよ」と言っていたが、嘘じゃないようだ。今夜は楽に寝られそうだ。



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@1999/2/11(木)
 朝から、バレーボールの試合の監督。1回戦は、2−1で勝利。9時から10時半までの長い試合だった。
 2回戦は、なんと第1シードの、M高校。当然のごとく0−2で負け。試合時間は、30分ぐらい。午後2頃仕事終了。
 それから、周防正行監督の書いた「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」という本を読み始めた。めちゃめちゃ面白い。周防監督は、細部の表現もうまいが、ストーリーテラーとしても抜群に面白い。この本は、ノンフィクションなんだが。作ったようなうまい話がいっぱいある。すばらしい。今日は、まずこの本を読み切ってしまおう。
 と思っていたら、じわじわっと、腰が痛くなってきた。この間から、右の膝が痛かったので、どうも知らず知らずのうちそれをかばって生活していたのらしい。腰に来た。ううっ。つらいなぁ。



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@1999/2/10(水)
 夕方、一度家に帰り、すぐまた電車で春日井に引き返し、飲み会に参加。6時から12時まで、「道風」と「弥次喜多」ですごす。
 某O氏は、飲むとやかましくなり、人格変換装置が作動するらしい。たまらん。僕は、もっと、内容のある話がしたかったなあ。
 とりあえず、明日の休みも仕事なので、すぐ寝よう。



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@1999/2/9(火)
 仕事の上ではいろいろあったが、プライベートでは、特に「何」という日ではなかった。家に帰っても、仕事上のデータ整理などをしていた。
 もちろん、球で構成された立体模型の新作(以後、新作と呼ぶ)は少しずつ形になっている。


 
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@1999/2/8(月)
 昨日書けば良かったのだが、日曜は朝から中学の「資源回収」古新聞・古雑誌・牛乳パック・段ボール・ボロ布・アルミ缶を分別して、PTAの役員が各町内で集め、それを、中学へ各の自家用車などを使って運ぶ。そこには、回収業者と中学の先生がいて、大きなトラックへ積み替える。中学のグランドは、中学生と父兄と先生と業者でいっぱいだ。
 僕の町内(100軒)だけでも、親が20人ぐらい中学生が12・3人ぐらい出てきて仕事(ボランティア)をしている。多治見中学校区だけで2000人は働いていると考えられる。そして、そういう行事は、年3回ほどあり、小学校でも同じことが時期をずらして、(相談して計画してあるのだが)3回ほどある。各家庭は、子供が小中学生だろうと、子供がいなくても、協力的で、新聞は指定した形で、自分の軒下にちょうど朝8時に出していてくれる。それを集めて回るのだ。実際、自分でやってみて分かる大変さだ。
 その上、この集めたものは、一部はお金になるが、現在古紙は、代金がマイナスになっている。それでも、多治見の市民は、信じられないぐらいしっかりとこの行事を続けている。
 僕らが子供だったときは、「廃品回収」と言っていたが、その時代からずーっと親たちによって続けられている。当然、その日は先生方も学校に来て、額に汗して働いている。
 頭が下がる。名古屋の市民や先生に見せてやりたい。たぶん信じられないだろうな。
 だから、藤前だろうがなんだろうがどうでもいいが。自分のゴミ(使用したものすべて)は、自分で始末しろ。多治見に持ってくるな。と声を大にして言いたい。
 あとがき、女房曰く、名古屋のゴミの話題は、主婦の間で大変盛り上がる話題だそうだ。「何やっとんじゃ、名古屋は、・・・」と



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@1999/2/7(日)
 下の娘が、「リング2」と「死国」を見たいというので、女房が従姉妹も連れて3人で見に行くことになる。僕は、午前中からダラダラと、リビングで時を過ごす。
 球で構成された立体模型の、新作を作り始める。今度のものは、完璧にイメージできていて、2020個の球を使用する予定である。
 2020個と言う数は、今、ちょちょっと計算した結果なので、時間があるときにもう一度計算してみよう。
 ところで、映画の方だが、娘によれば大したことない映画だったそうな。



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@1999/2/6(土)
 帰宅するときに、携帯で家に電話をする、女房が体調が思わしくないという。帰宅して寝室に行くと、女房は疲れた顔をして、漫画の本を読んでいる。調子悪いなら寝ればいいのに、他事をしている。優しい言葉をかける気持ちがなくなりそうになるが、優しく何か欲しいものはあるかと聞く。何もないと返事。しょうがないので、ほかっておく。
 疲れが溜まると、調子を崩すようだ。
 おかげさまで、僕はすこぶる元気だ。



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@1999/2/5(金)
 今日、CDを整理していて、無くなったと思っていた、セリーヌ・ディオンのCDが出てきた。良かった。しかし、別の人のアルバムだが「ワンズ」が無いことが分かる。うーん、今度は何処を探せばいいのだ。プレーヤやステレオの中には無い。まあ、そのうちどこからか、出てくるだろう。
 明日は、土曜だが、午後3時から、バレーボールの練習試合があり、夕方まで仕事。
 あさっては、ゆっくりしよう。


 
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@1999/2/4(木)
 昨日のセリーヌ・ディオンのコンサートで、「名古屋が日本の最後のコンサートだ。」と言うようなことを、セリーヌが英語でしゃべっていたと思っていたが、ヒヤリングに自信がなかった。そのときは、ホントに名古屋をラストにするのかなぁ、ぐらいに考えていたが、間違いなかった。今日4日には、離日していると言う新聞報道があった。
 僕のヒアリングは、言葉がきちっと聞こえているわけじゃない。しかし、話言葉全体から意味が何となく分かるだけ。単語一つ一つは、ほとんど聞き分けられない。でも、なんか伝わってきた。
 今朝は、雪も心配で、朝5時40分に、目が覚めた。目覚ましの鳴る前だ。緊張しているとなぜ。時間通りに起きられるのだろう。不思議だ。絶対起きなきゃいけないときは、枕を3回たたいて、寝ると必ず(99%)起きる事ができる。僕の変なおまじないだ。



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@1999/2/3(水)
 セリーヌ・ディオンの名古屋ドームでのコンサートに行って来た。
 期待通り、予想通りの展開で面白かった。特に、アンコールに、タイタニックのテーマを持ってきて、ステージをタイタニックの船の舳先に見立てて歌うぞ、と言う予想通りであり、面白かった。途中、ビートルズや、エリック・クラプトンなどの懐かしのナンバーを歌ってくれたのが、僕としては楽しめた。
 ステージの構成は飽きさせないようなバラエティにとんだものとなっていた。
 前座の「HN(ヒューマン・ネーチャー)」という、オーストラリアの若者、4人組のステージのライティンクだが、もうちょっとスタッフも作ってやればいいものを、ただピンを当てたり、するだけで、ちょっとかわいそうだった。しかし、これが現実かな、と言う感じでした。
 今日は、女房も満足のコンサートだったみたいでよかった、よかった。
 帰ってきたのは、11時頃。明日は、早朝補習の日。大変だ。風呂は行って寝よう。
 だいたい、こんな日記をアップする時間も惜しい。



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@1999/2/2(火)
 明日は雪かもしれないと言うことで、車のワイパーを上げて駐車した。ちょっとオーパーかな、スキー場じゃあるまいし。
 昨日、Mathematica Ver.3 の日本語キットの先生版(安く購入できる)を注文した。ところが、その会社からメールが届き、僕のライセンスは通常版なので、通常版の日本語キットしか購入できないらしい。通常版の方が高いので、そのライセンスがあるのに、先生版を購入できないらしい。だいたい、僕がMathematica Ver.2 を購入したときには、そもそも先生版などと言うものがあったのだろうか。なんか、高い買い物をし続けているような気がしてならない。でも、その会社の人の言うには、次のバージョンアップの時に、先生版に乗り換えたらと言う。しかし、先生版を新品で購入するのと、通常版のバージョンアップとは、どちらが高いのだろう。
 ちなみに、Mathematica Ver.3 の一般価格は、
\310,000
 という、ものすごい値段なんです。



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@1999/2/1(月)
 久しぶりの休日の後の月曜は元気が出る。やっぱり休みは必要だ。
 夜、女房が髪の毛を染めて欲しいという。白髪が少し、目立つようになっている。染め始めて一年ぐらい。1ヶ月か2ヶ月に一度染めているみたいだ。そして時々僕に頼んでくる。やっぱり自分じゃきちんと残さずに染めるのは難しいようだ。
 髪染め液の臭いは臭いものだ。しかし、この臭いは美容院の息子である僕にとってなつかしい、子供の時の臭いだ。こんな変な臭いで子供時代を思い出すなんて、なんかおかしいな。
 今週の水曜に、セリーヌ・ディオンのコンサートに行くので、6枚はいるCDチェンジャーデッキにCDを入れて、ここ数日聞いていた。ところが、CDを出してみたら、セリーヌではなくて、マライヤ・キャリーのCDだった。僕は、二人の区別が付いていなかった。情けない。「うーん、この高音の伸び。さすがセリーヌ・ディオンだ。」などと思っていた自分が恥ずかしくなっちゃった。
 ところで、セリーヌのCD2枚は何処へ行ったのだ。探さなきゃ。



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