北海道放浪記

by 風 森 蔚 樹

 

26日 | 27日 | 28日 | 29日 | 30日

北海道フォトギャラリー


 これは、1996年9月26日から9月30日にかけて、風森が行った旅行の記録です。日記風になっています。

 

9月26日

 前日(いや、今日か)、3時まで起きていたせいで、頭が痛い。しかも、目覚めたのは10時過ぎ。いきなりこれか。無計画にも、ほどがある。しかたないので、シャワーを浴びて、軽くブランチを摂って、荷物のパッケージングをやって(準備を一切やっていなかった)……なんてもたもたしていたら、出発したのは、結局11時20分。今日、フェリーに乗れなかったら、青森どまりかなあ、などと考えながら、国道51号沿いに北上して、大洗海岸にあるフェリーの発着港を目指す。わりと道中順調にいって、着いたのは13時前。さて、今日のフェリーはあるのかなぁと、のんきにチケット売り場に向かったのはいいが……1日1便、しかも出発は23時30分!?冗談ではない。そんなの待っている間に、青森着いちまうじゃんか。やめやめ、計画変更、北上して青森から函館に渡ろっと。
 でも、そのまま高速のるのは、コストもかかるし、第一、面白味にかける。よし、猪苗代湖まで下道で北上しよう。それから、国道115号にのって、福島西ICから東北自動車道にのればいいや。というわけで、出発!
 と、調子にのって車を走らせたはいいが、やはり茨城・福島は広い。51号で水戸に出て、それから国道118号で須賀川・郡山を目指したのだが、思ったほど路が捗らない。途中、大子町で袋田の滝でも見てこうか、とも思ったのだが、時間がきつかったのでやめた。北海道旅行のはずが、東北で終わってしまったら、まあ、それはそれでいいかもしれないけど、ちょっと何か違う気もするし。
 そんなこんなで、猪苗代湖に着いたのは17時を大幅に過ぎていた。ちょっぴり休憩して、はやガソリンが半分をきっていたので、湖畔の日石で給油し(17:50、277km)、野口記念館にも寄りたかったなあと後ろ髪を引かれつつ、115で福島へ向かう。しかし、もうとっぷりと日が落ちていて、115は山越えコースだから、ちょっと怖いものはあった。慎重に進んで、カーブが多い路を抜け、遠くに福島の市街の灯が見えて……安心してしまったのだろうなあ、つい、急に広い道に出たので、知らぬ間にスピードが出ていたらしく、しかも折悪しく秋の交通安全強化月間というわけで、福島手前で、スピード違反で捕まってしまったのでした。しかも、32キロオーバー(って、オイ)。もちろん、一発免停。後日、期間短縮の講義を聴くために、有給使って幕張まで出向く羽目になりましたとさ。トホホ。まあ、身から出た錆だから、仕方ないけど。
 そんなことやってたんで、東北自動車道にのったのは、19時過ぎていたと思う。福島市内で夕飯食べようかとも思っていたんだけど、そんな気分にもなれずに、ひたすら北上する。やはり、初めての道交法違反だったから、ショックは大きかった。かてて加えて、夜の高速は怖いし、なんかあんまり街灯もないしで、それでも岩手県内に入ったんだけれども、岩手山SAで力尽きて、眠ることにした。明日に備えて給油もして(22:20、339km)、もちろん車内泊。今回は全部これでいく気だしね。
 

9月27日

 疲れていたはずなのに、6時前に目覚めてしまった。理由は、異様に冷えていたこと。寒くて寒くて、寝ていられなかったのだ。まだ9月、となめてかかっていたのが甘かったらしい。とにかく起きてしまったからには出発するかと車を走らせ(出発5:55)、途中道路脇にある温度計を見ると……5℃!?おいおい、寒いはずだよ。しかも、行く先は朝方雨が降ったらしく、底冷えのする感じである。しかし、進むにつれて見る見る天候が回復してきて、6時半過ぎには、空に見事な虹が架かっていた。晴れ男の面目躍如である。それと同時に、見事な青森の田園風景が、眼前に広がり始めた。ふえ、本当に、一面りんご畑なんだぁ。この手の風評って、大体誇張されているから(ふらののラベンダーとかね)、それほどでもないのかと思っていたけど、とんでもない。青森には、りんご農家以外はいないんじゃないかというくらい、一面のりんごの木。壮観である。
 ちょうど7時くらいに、青森ICから高速を下りる。正確には判らないけれど、岩手山SAから、240kmくらいかな。で、来たついでだというわけで、三内丸山遺跡に向かう。着いたのは7時10分くらい。ICから10分か。ずいぶん近いなあ。とにかく見学させてもらおう、と行ったはいいが、当然ながら朝早すぎて、何も開いていない。しかし、遺跡自体はopenになっていて、いつでも誰でも入れるようになっている。住居の上屋構造(家の部分ね)が復原されていたりして、体験型博物館にするつもりが見える。いいことだ。昔は、こんな世紀の大発見があったら、研究が一段落するまでは、一般人を立ち入らせなかったもんだけどね。でも、見た感じ、まだ生きている場所(遺構が有りそうだが、未発掘の場所)が多かったから、下手に運営したら研究に響きそうではあった。でも、縄文で千年単位の定住コミュニティが発見されるなんて前代未聞のことだから、そのことも含めて縄文時代を一般の人に勉強してもらうには、いい機会かもしれないし、なかなか折り合いが難しいところであると思う。
 7時半に三内丸山を離れて、市内に向かう。腹も減ってきたし、駅前に出て朝食でも摂ろうと、青森駅に車を回したのだけれど……やはり、無意識に口を衝くのは、「津軽海峡冬景色」のフレーズ(笑)。結局、青森駅前で、車を止める場所を探してぐるぐる回っている間中、エンドレスで唄っていた。
 駅ビルの駐車場に車を置いて、駅前の喫茶店でモーニングサービスを食べながら、こっちのスポーツ新聞を読む(8:00)。やはり旅行に行ったときは、その地方の新聞を読まなきゃ、うそでしょう。でも、大抵、聞いたことのない地名のオンパレードで、旅先の雰囲気を醸し出すくらいの役にしか立たないんだけどね(笑)。
 そうやってのんびりしていたせいで、函館行きフェリーの港に着いたときには、もう朝の便は出てしまった後だった。またやっちゃったよ。仕方ないので、正午の便の乗船手続きをする。手続きしたのが10時、フェリー出港が12時半だから、その間、待ちぼうけ。昼寝でもしてようかとも思ったが、下手に熟睡して、乗り損ねたら洒落にならないと、結局ぶらぶらとして無為に時間を過ごした。港から対岸の松前半島や、右手の下北半島、左手の津軽半島がよく見えたので、それをボケーっと眺めていた。もちろん、口ずさむのは、「津軽海峡冬景色」(笑)。
 やっと乗船し、出港しても、向こうに着くのは16時過ぎになるらしい。今度は気にする必要もないので、2等客室のタコ部屋で、ひっくり返ってお昼寝タイム。もちろん、財布やバッグは、身体に縛り付けてある。一人旅をするときには、隙を見せないことが一番重要だからね。
 15時30分頃、まもなく函館に着くという船内アナウンスが流れる。さっそく飛び起きて、甲板に出てみる。見る見るうちに、小さかった港町が、視界いっぱいに広がってくる。中国に行ったときに、やはり甲板から上海の街を眺めたときも感動したけれども、船から陸地を眺め、そこに今まさに着く、というシチュエーションは、なぜか人のロマンチシズムをかきたてるものがある、と思う。マドロスや鳥羽一郎の気持ちが判る気がするなあ。それから船底に下りて、下船に備えて車に乗り込む。乗船時の配置の関係で、ぼくの愛車は一番下りの栄誉を与えられたらしい。気分よく下船、時間は16時10分。そのまま函館市内に向かう。函館山を右手に見ながら、国道5号を辿っていくと、見えてきました五稜郭。幕府軍最後の砦。榎本武揚が降伏し、新撰組の生き残り、土方歳三が戦死した地。幾ばくかの感慨と、己を貫いた男への哀切を込めて、巡礼のような気持ちで足を踏み入れたのだが……意外なことに、それほど極端な観光地化はされていなかった。ごく普通の市民公園として親しまれている、といった趣で、制服姿の高校生が修学旅行で走り回っていたり、風景を愛でるのではなく、写真を撮ることに執心しているおっさんがいたりするのを除けば、そこに150年前の激闘へと思いをやることができる要素は、皆無だった。ま、それが健全な姿だとは思う。そもそも函館の住民には、幕府の行く末なんか、興味の対象外だったはずだし。でも、壮絶な歴史のワンシーンを、風化させることだけはして欲しくないな、とも思った。会津までいってしまうと、執念が感じられて恐ろしいものがあるが(笑)。
 そんなこんなで函館見物を終え、さて札幌に向かうかと、車を走り出させたのは17時過ぎていたと思う。どのくらいの距離かなあ、などと考えていたら、ちょうど5号に架かっている、距離標識盤が目についた。

「札幌 270km」

 どっか〜ん(笑)。そら距離があるとは思っていたが、270kmとは……あきれてあきらめて、とぼとぼと車を走らせる。すべて、ぼくの無知が原因。もっと勉強しなければ……と考える頭の片隅で、でも、標識に「どこそこ 200km どこそこ 300km」と掲示する感覚もすごいなと、妙なおかしみが沸いてきた。ぼくはやはり本州の人間であって、一般道で、次の都市まで200kmなどという感覚にはついていけないらしい。それこそ高速道路にのれば、「東京まで100km」なんて表示に出くわすことはしょっちゅうだが、それでも、やたら京都や大阪までの距離標識を見かけることなどない。感覚的には、東京の街角に、京都まで何キロとか書いてあるのと一緒だと思う。そして、そう表示してあるということは、それが必要とされている証左であるから、あらためて北海道のスケールの大きさに圧倒される思いがした。
 函館から札幌まで、ルートとしては、5号でずっと北上して、長万部から37号にのり換え、洞爺湖を見てから再北上、230号を使って札幌に至る、というコースを選んだ。日本海側も捨て難かったが、内浦湾を見ておきたかったこと、洞爺湖を見たかったことなどが選定の理由。走り始めてから、函館市はすぐ抜けて、七飯町、森町と抜けるころには、あたりはすっかり暗くなっていた。さて、今夜はどこらで寝るかな、と考えはじめたころ、「長万部 99km」の表示が。99kmか、近いじゃん、よし、今夜は長万部だな、と考えたあたり、すでに北海道的思考に染まり始めていた証拠である(笑)。
 当面の目標を長万部と決め、>八雲町を北上する。森町から、路は内浦湾を臨みながら進むコースに変わっていた。その日の月齢は満月に近く、内浦湾に投げかけられた月明かりが長く尾を引いて、波間に光の路を作り出している。そんな光景を楽しみながら長万部町に入ったのは、19時ちょっと前。そして、どこか寝るところをはないかと探すぼくの前に現れたのが、長万部温泉の看板だった。ちょうどいい。昨日は風呂に入れなかったし、気持ち悪いから風呂だけ入らせてもらおうと、温泉街に車を向けると、入口付近で銭湯の看板が。これこそ求めていたものだと、さっそく汗を流した。もちろん、温泉。アルカリ泉質で、ちょっと臭かったが、充分堪能して外へ出た。その夜は、国道沿いの湾が一望できる休息地帯に車を止めて、月光と潮騒に身を委ねながら眠りに就いた。時間、19時30分。
 

9月28日

 やはり寒くて、朝6時半に目が覚めてしまった。しかも、寝起きが悪いぼくにしては、ぱっと起きて、頭すっきり。すかさずエンジンをかけて、当面の目標である洞爺湖目指して出発する。黒松内町、豊浦町虻田町と何事もなく抜けて、やってきました洞爺湖(7:30)。少し遊んでいこうかとも思ったが、午前中に札幌に着くことができなかったら怖いので、湖畔に下りることはせず、高台から風景を愛でるのみにした。洞爺湖は、湖の真ん中に中島という小島を抱えていて、ドーナツみたいな形をした湖である。湖と森、湖中の小島、右手に聳える有珠山……。山紫水明という言葉があるが、まだ朝靄がかかる湖水の眺めは、まさにその言葉そのものだった。
 充分洞爺湖を楽しんだ後、再び北上。今度は国道230号にのって、高原越えである。留寿都村は、まだ「高原」といった感じではないのだが、喜茂別町に至っては、完全に高原の趣である。長野を彷彿とさせる風景で、しかも長野より車の量が少ない、理想的な高原である。のちほど、もっと高原らしいところに遭遇するのだが、現時点では喜茂別の風景は、充分楽しめるものだった。
 8時50分、喜茂別にて給油、前回にプラス379km。家を出てから、ちょうど1000kmといったところ。風景を楽しみながら走り、途中、中山峠で休憩。ドライブインはなぜか大盛況で、やはり山越えをして札幌に向かう人でごった返していた。そのわりには、あまり道中車に出会わない。
 とうとう、札幌市に入る。時間は、9時半前。よかった、まもなく市内だな……などという考えは、大甘であった。札幌市は、なんだかやたらと広いのだ。豊平峡、定山渓と過ぎて、中山峠から1時間走っても、まだ市内に入らない。ようやく市内に入り、大通公園の地下駐車場に車を止めたときには、すでに10時半を回っていた。それから、あんまり考えてはいなかったが、せっかく来たことだしと、市内を当てもなくぶらつくことにする。
 最初に、お約束でしょうと大通公園をふらつき、その足で時計台を目指す。しかし、あまりにイメージとかけ離れていたせいで、2度も前を通りすぎてしまった。修復中で、全体を足場で覆ってあったのもあると思うが、しかし都会的なインテリジェントビル街に、突如として前時代的な建築物がある違和感は、ちょっと喩えようもないような、インパクトのあるものだった。横浜や神戸、東京の神保町なんかもその傾向があるが、周囲とマッチしていない分、こっちのほうが変である。
 あとの残り時間は、地下街を歩いて、デパートを徘徊して、南三条まで足を伸ばし、とぶらぶらして、車に戻って出発をした時は正午を過ぎていた(12:30)。昼食を摂ろうかとも考えたのだが、お金がかかりそうだったからやめる。
 車を出発させてすぐ、道央道にのる。目指すは旭川である。もはや「旭川まで160km」などという表示には、まったく動じなくなっている(笑)。しかも高速道路であるから、速いものだ。14時20分には、旭川に着いてしまった。高速道路といえば、ここではじめて高速道路の対面通行に出会い、少々面食らった。噂には聞いていたが、きちんとした中央分離帯があるわけでもなく、道も狭いので怖いものがある。が、道央道を走っている人は、なぜかあまりスピードを出さないので、その点での恐怖はあまりなかった。ただ、80kmくらいで走っている軽トラックなどを、追い越すことができないのは参った。まあ、急ぐ旅ではなかったから、それはそれで構わないのだけれど。
 そして、旭川である。ここは見事な地方都市で、駅前に商業区が集中している以外は、実に閑散としたものであった。昼食を摂ろうかとも思っていたのだが、駐車場がないので断念し、やむなくまたコンビニ弁当でごまかした。そして、目に付いたので旭川道立美術館に寄ってみた。ちょうど千葉県の県立美術館のような感じで、行った日は浮世絵の企画展をやっていた。まあ、面白かったかな。
 早々に旭川に見切りをつけ、ちょっと早いかとも思ったが、層雲峡へ向かった。余裕があれば、層雲峡を見てから富良野に回ろうか、などと考えていたのだが、これが大間抜けで、両地域を結ぶバイパスはないので、本気で両方行くつもりであれば、また旭川に戻らなければならないのだ。このことに層雲峡に着いてから気づき、面倒になって結局富良野はパスした。また行く機会もあるだろう。
 そんなわけで、層雲峡に向かう。国道39号に沿って石狩川が流れ、眼下に雄大な風景を眺めながらのドライブである。当麻町、愛別町、上川町と、何度も石狩川と交差しながら、道は続く。川のせいか比較的開けている土地で、いままで山がちなところばかり走ってきたので、結構気分転換になってよい。だが、それもつかの間、上川町に入ってすぐ、急にあたりは秘境の雰囲気を醸し出し始めた。行く手には大雪山の雄姿、眼下の川は激しさを増し、路は渓谷の中を縫って進み、隘路の両壁は一刀両断したかのような険しさである。そんななか、所々で車を止めて景色を鑑賞しながら進んだこともあって、層雲峡温泉郷に到着したのは17時10分であった。既に日は傾き、はや冬の気配があたりには漂っている。この寒さのなかで車中泊を決め込んだら、翌朝には凍死体のいっちょ上がりである。ここは乏しい資金と相談しながらも、ペンションに投宿することにした。温泉街入口のところにある紹介所に掛け合い、程近いところにあるペンションの一室を確保する。さっそく手続きをすると、風呂に入り、ご飯を食べて、さっさと床に就いた。久々に畳の上で寝ることができた。
 

9月29日

 この旅も、いよいよ残すところあと2日。後半戦に突入である。今日中に苫小牧に着いて、しかもフェリーに乗らなければならない。なかなか距離的には厳しいが、ま、何とかなると出発した(10:00)。
 出発してすぐ、有名な層雲峡の滝群入口前に差し掛かり、見物していくことにする。距離的に厳しいなぞとほざいていたわりには、余裕のあることだと自分でも思ったが、大丈夫だろうという楽観主義と、せっかく来たんだから見ないとねーという旅人感覚が支配的になってしまった。朝早くだったから混んでもいなかったし、はやいとこ行ってくればOKと読んで、車を下りる。
 結論から先に云うと、この判断は大正解だった。ここの滝、本当に見事なのだ。銀河の滝雲井の滝など、連続して続く瀑布前を散策できるよう、遊歩道が整備してあり、気軽に滝の鑑賞ができるのだ。地面がしっかりしているせいか、大勢のアマチュア・カメラマンが朝早くからきていて、流れ落ちる滝に向かってシャッターを切っている。この手の風景は、文章ではどうやっても感動を伝えられない。ぜひ見ていただきたい情景である。
 10分ほどで切り上げるつもりが大幅にオーバーして、滝群を出発したのは10時45分だった。再び国道39号にのって、大雪山越えを敢行する。などといっても、全然雪などなく、その点季節柄気楽なもんである。冬だったら、こうはいかない。いや、そもそも道路が通れないか?でも、確かめたくない疑問である。
 それはともかく、滝を出発してすぐに大雪ダムの傍らを通りすぎ、国道273号で上士幌町を目指す。三国山越えの三国トンネルを抜けると、上士幌町である。早いもんだ……と、トンネルを抜けると……。
 絶句。自分の目の前に開けている光景が信じられなかった。一面の森。ヨーロッパもかくやという、彼方まで続く森が、眼下に広がっていたのだ。日本の光景じゃないな、と思う。言葉は出てこない。ただ、黙って森を見ているだけしかできないのだ。この風景を目の当たりにしたことで、知り合いに北海道の話をするたび、一度は自動車で走ることを奨めるようになったといえる。写真にも撮ったのだが、やはり奥行きが感じられなかった。ぼくの腕が悪いのはもちろんだが、所詮2次元では3次元の感動は伝えられないと思った。いや、言葉が悪いな。2次元と3次元では、感動の種類が違うのだ。ぼくが大いに喧伝したいのは、三国トンネルの大パノラマを見る感動であって、それは同じ場所の写真や風景画とでさえ、まったく異なったものなのである。
 感動でふらふらになりながら、上士幌町の市街地へ向かう。尤も、市街地なんか無いようで、いたるところに「動物飛び出し注意」の標識と、雪が積もったとき用の幅員表示棒が設置されていて、雪深く、人間の少ない牧歌的な生活が垣間見えたような気がした。そもそも、信号すらない。店もない。そろそろ腹減ったなあと思っても、食料を調達できないのだ。無論、ガソリンスタンドもなく、この旅行に出る前に、北海道に住んでいた経験を持つ職場の先輩が云っていた「常のガスメーターは半分以上を維持しておけ」という言葉の意味が判った。こんなところでガス欠になったら、洒落でなく、待っているのは死である。ゆえに、ようやく山を下りきって、人里に出たときには正直ほっとした。それでも、人の姿を見掛けないのはなぜだろう(笑)。
 少し時間は戻るが、山くだりの途中で、糠平湖という湖があり、そこで道が左右に分かれている。ぼくは右に曲がって日高へショートカットするつもりだったのだが、間抜けなことに曲がるところを見過ごしてしまい、気づいたら山を下りきって上士幌の市街に入ってしまっていた。だが、結果的には、これがぼくの夢をかなえることになった。ぼくの夢とは、「どこまでも続く直線道路を走ってみたい」である。それが、あったのだ。上士幌の南隣の町、士幌町に。
 上士幌はやたら広いわりに人間の住んでいるところは狭く、すぐ道は士幌町に入っていった。ここは、地図上では道路が縦横に走っており、人がたくさん住んでいるように思えたのだが、これが勘違い。目の前に広がるのは、一面の畑のみ。縦横に走っている道路とは、あまりに広すぎる畑のため、整備された農道だったのだ。まるでアメリカの大規模農業のようで、ここもある意味日本的でない光景である。
 山と森と畑ばかりの風景を見やりつつ地図を確認したぼくは、逡巡せず国道274号にのろうと決めた。南に下れば高速道路があったが、やはり高速にのる気にはなれなかったし、そうなると鹿追町から清水町に抜け、そのまま日高夕張へと続いていく274を捕まえたほうがよいように思えたからだった。ルートを決めれば、あとは早い。なにしろ見通しいいので、迷う心配があまりないのだ。尤も、同じような風景が続くので、目印がない不安は付きまとうのだが、遥かに見える日高山脈を目指せばいいと開き直って出発した。案の定、274はすぐ見つかった。そして、路なりに走り始め……すぐに、感動のあまり停車してしまった。夢にまで見た、地平線まで続く真っ直ぐな道だ!本当はそんなに長くはなく、15kmくらいなものなのだが、起伏があるのでずっと先まで見通せず、道が地平線で切れているように見えるのだ。道の両脇には、畑と森、その遥か向こうには、雄大な大雪山系と日高山脈……シテュエーションに酔える場面である。実際気分は『イージーライダー』、もしくは『北の国から』(随分かけ離れた作品だが)。この道を歩いていったら気分いいだろうなと思いつつ、車を捨てるわけにもいかないので、のんびりと20分くらいかけて、至福のドライブを楽しんだのだった。
 鹿追町を抜けて清水町に入り、十勝川を渡ると、ぼちぼち町中らしくなってきた。と、ここに至って、今日ここまで信号を見かけなかったことに気づいた。実におおらかな話である。ここで給油(13:50、427km)。あと5時間くらいで苫小牧まで出なければならない。ちょっと焦燥感が出てきた。それでもまだまだ余裕がある。夕張でメロン買おうなどと考えていたのだから(笑)。
 日勝峠を抜けると、日高町である。ここは本当に山しかない。実際、地図上で見ても、人里がない。人間は、道路周辺にしがみついている感じである。冗談ではなく不便だろうなと考えながら走らせていると、行けども行けどもアップダウンで、そのうちよく住んでいられるなとか不穏なことを考え始めた。ここの子どもたちは、まず間違いなく周辺地域との交流がないと思う。交流しようにも手段がなさそうなのだ。自然に帰れ、開発は止めろ、というのも、都市部に住んでいる人間のエゴなのかもと、らしからぬことまで考えてしまった。
 日高町を抜けると穂別町、次はいよいよ夕張市である。その間の道は相当にあるのだが、また景色が雄大であることは間違いないのだが、特筆するようなことはなかった。まあ、強いて云うならば、異様にアップダウンが激しくて、山また山の地形のため、ひとつ峠越えたらもうひとつ、てな感じで、いい加減嫌になってしまったことか。5つ6つ峠越えをしたような気がする。そんなに越えていないかもしれないが、嫌になっているのでそう感じたのだ。数えてもいなかったしね。
 で、夕張市である。ここでの目的は、云うまでもなく夕張メロンを買うこと、それ以外にない(笑)。最初、市街まで行って買おっか、市場もあるみたいだし、とか考えていたのだが、時間も押していたので断念、274沿いに店がないか探すことにした。と、お誂え向きに、紅葉山のところでドライブインがあるではないか。立ち寄って値段を訊いてみると、上・中・下があって、下は3000円から、中は5000円コース、上は天井知らずとのこと。ちょっと贅沢して中のを買うことにした。なかなかの玉2個で5500円のところ5000円だそうで、ま、それはお愛想だと思うが、値段交渉して時間をつぶすつもりもなかったので、云われるままにお金を払って夕張メロンを手に入れる。実際、素晴らしい芳香で、その甘い香りを楽しみながら、残りの道中は過ごすことになった。
 目的を果たしたら、さっさと苫小牧に着かないといけない。もう、16時を過ぎてしまった。JR石勝線沿いに274を進み、途中川端駅前からショートカットして国道234号にのる。あとは道なりに南下するだけである。追分町、早来町と通り過ぎて、17時ちょっとには苫小牧市に入ることができた。
 苫小牧市。新王子製紙をはじめとする、パルプ産業が盛んな工業都市である。つまり都市部なわけで、市内に入ったとき、その日はじめて多くの車が走っているのを見、また3車線道路が敷かれているのを見て、「帰ってきたな」と感じてしまった。どうやら、自然が好きなのは、本質的にぼくが都市の人間であるかららしい。自然への想いは憧憬であり、都会へのそれは本来あるべきところへ納まる安堵感なのだ。まったく物音が聞こえない、真の静寂というのを味わったことがあるが、ぼくにとってそれは、恐怖を感じる経験であった。寂しいことではあるが、20世紀の機械文明に生を受け、マテリアルな日本文化に生きてきたぼくの、既に変えようがない性なのだろう。自然謳歌という2日間の祭りを終えて、いまぼくは日常の入口に立ちつつあるらしい。そこに寂寥感と同時に安堵をも憶えることを、どう表現していいのか、ぼくには判らない。ぼくはかなり矛盾した人間なのだが、それでもこの二律背反は、ぼくという人間が寂しい感性を持っているのではないかと考えさせるに充分だった。
 そういった思いは数々抱いていても、祭りはいつか終わるもの。ぼくは苫小牧の港にあるフェリー乗船手続き所に赴き、仙台行きのフェリーへの乗船手続きをした。ほかの場所行きだと、時間的ロスが大きかったのだ。そして18時30分、ようやく暗くなりつつある北の大地を見やりながら、フェリーは仙台に向けて出港した。
 このフェリーは、往きに乗ったバス代わりのフェリーなんかと違い、観光目的で運用されている。つまり、長い船旅(というほどでもないのだが)の間、退屈しないような仕掛けやイベントが組まれているのだ。その夜はシャンソン歌手とジャズピアニストとの共演とかだったが、とても見る気分ではなかったので、夜の海を見ながら思策に耽ろうかと甲板に上がる。しかし風が強くて、それどころではないようだ。第一暗くて、どっちが陸だか海だか判りやしない。あきらめて船室に戻ると、こちらは往きと変わり映えのしない雑魚部屋で、やることもないので、しかたなく朝に備えて眠ることにした。早起きして、三陸海岸を眺めようと思っていたからだ。少し波が出ていたが、幸い船酔いには滅法強い体質で、まもなく心地よい眠りに就いた。
 

9月30日

 特に目覚し時計などはセットしておかなかったのだが、なぜか3時ごろに目を醒ます。ま、ひどく早い時間に就寝したこともあるが、目指した時間ぴたりというのは、どういうわけだろう。なんにせよ、通り過ぎてしまってからでなくてよかった。
 さっそく甲板に出てみる。しかし、闇が濃くて何にも見えない。遥か彼方に光点が無数に見え、それがおそらく陸なのだろう、とは判別つくのだが、海岸線が完全にブラックアウトしているので、やむなく断念、もう少し日が昇るまで待つことにした。
 缶コーヒーをすすりながら、ボーッと待つこと1時間。ようやく白々と夜が明けてくる。さっそく再び甲板に出る。今度は、やはり暗いものの、ぼんやりと三陸海岸の輪郭が浮かび上がっているのが判る。しかし、とても写真に撮れるようなものではない。頼まれていたので何枚か撮ったが、現像してみると、やはり真っ暗。無駄なことだったようだ。
 朝、朝食を摂ってから車に乗り込み、下船の放送があるまで待つ。仙台港に着いたのは、9時15分だった。それから家に帰りつくまでのことは、ぼくにとっては蛇足以外の何ものでもない。一応概略を云うと、白石ICから東北自動車道にのって、磐越から常磐に乗り継ぎ、桜土浦ICで高速をおりて、千葉県佐原市郊外の家に辿り着いたのが17時30分だった。途中友部SAで給油(14:50、481km)したり、疲れから福島松川PAで昼寝したりしたが、取りたてて述べるようなことはない。ぼくにとっての北海道は、苫小牧に入ったとき、既に終わっていたのかもしれない。
 しかし、ぼくはまた北海道に行くだろう。都市部に身を置くのが本質だとしても、大自然への憧憬や、未知の風景に対する好奇心は本物だからだ。ぼくの旅のモチベーションはそこにあり、北海道はその気持ちを存分に満たしてくれる大地であった。今回の総走行距離、2007km。しかし、ぼくの北海道旅行は、まだ続いているのだ。次は愛車で稚内に行くことを、既に決めて楽しみにしているのである。


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