pickup グランプリ有馬記念とは?
1955年まで、暮れの中山競馬では中山大障害が看板レースであったが、東京競馬場で行われていた東京優駿と比べると華やかさに欠けていることは否めず、そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧氏が、中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアが、ファンがより親近感を持てるようにと、プロ野球のオールスターと同様に、ファン投票による出走馬の選定という世界で類を見ない画期的な選抜方法で、第1回「中山グランプリ」として1956年12月23日に中山競馬場の芝2600メートルで行われた。
翌1957年1月9日に提唱者の有馬氏が急逝し、その功績を称えて、第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった
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参考
有馬記念 第51回グランプリ有馬記念 2006年
タイム2:31.9
ディープインパクト牡4
武豊・57
平成18.12.24(晴・良)
pickup 中山競馬場 2500M芝
スタート直後コーナー進入でスタンド前、折り合いに専念しここではあまりペース上がらず。 2角から向こう正面で上がることが多いが最後の急坂もありさほどペース上がらず。6回コーナーを回る特殊なコースも先行有利。
中山競馬場(JRA)
中山競馬場 中山競馬場
2500m芝レコードタイム
タイム2:29.5
ゼンノロブロイ牡4
O.ペリエ・57
平成16.12.26(晴・良)
pickup 有馬 頼寧[ ありま・よりやす ]とは?
・旧久留米藩主有馬家の嫡子として東京に生まれる。
・東京帝大農科卒業後、農商務省に入省、農村各地を視察。のち東大農科講師、助教授。
・日本農民組合創設や部落解放運動の支援などに尽力。
・衆議院議員に当選、政友会に入党するも、授爵後、貴族院議員(研究会所属)となる。
・斉藤内閣の農林政務次官、近衛内閣1の農相を歴任。
・また、近衛側近として新体制運動を推進。大政翼賛会初代事務総長となったが翌年辞任。
・戦後、A級戦犯として収容されたが不起訴。
・日本中央競馬会理事長。「有馬記念」競走はその名にちなむ。
クリック20世紀
参考
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pickup 中山競馬場 ▼レコード▼(全て有馬記念)
1日の入場人員 177,779名(平成2年12月23日)
1日の売上げ 105,249,175,200円(平成8年12月22日)
1競走の売上げ 87,501,042,400円(平成8年12月22日)
pickup 有馬記念の歴史
1956年 芝2600mの混合重賞競走、中山グランプリとして創設。
1957年 名称を有馬記念に変更。
1966年 施行コースを芝2500mに変更。
1970年 スピードシンボリが史上初の連覇。
1990年 オグリキャップが優勝。
1996年 勝馬投票券の売上げ世界レコード875億104万2400円を記録。
2000年 テイエムオペラオーがJRA古馬GIグランドスラムを達成。
2004年 オリビエ・ペリエが騎手として史上初の3連覇。
2004年 藤沢和雄が調教師として史上初の3連覇。