ε−δ論法(イプシロン−デルタろんぽう)

 大学数学で習う項目のうちでも、理解しにくいモノの代表格として、この項目で説明するε−δ論法(いぷしろんでるたろんぽう)があります。そういった理由から、以前はいきなり大学入学と同時に習う講義で、この定義が導入されたようですが、ある程度、抽象的・厳密な論理展開に慣れてからの方が良いでしょう、とこの定義に触れることを先送りにするカリキュラム構成が流れになっているようです。そうであっても、一度は通らなければならない壁であることには違いありません。
 皆さんが、数学科専攻でない学生さんなら、ε−δ論法は、連続であることを計算するテクニック論として『不等式を解ければ連続であることを計算したことになる』という理解で、後は問題集に当たられればよいかと思います。
 でも、数学が専攻の学生が、そこまでの理解しかないのでは、数学を専攻されたかいがないと思います。
 数学では、微分が生まれて以来、極限演算をするに当たって、0に限りなく近い数は数学として、実在する数として扱って良いのか、随分と問題になってきました。その論理的厳密性に目をつむって、微分・積分は、色々な問題を解くことが出来る計算手法だと、数学界に認知されていきました。数学的裏づけなしに、実用面で発展していきました。
 この数学的裏付けをしよう、という背景がまずありました。0に限りなく近い数、をどう表現すればよいか、0に限りなく近い数は、無限に求め続けることが出来ます。0.1より0.01が0に近いですし、それよりも0.001の方が0に近い。このことを永遠と繰り返すことが出来ます。この永遠と繰り返すことが出来ることを数学的に表現することに迫られたわけです。
 この事態を数学では、『無限小分割』と言います。この無限回繰り返される事態を、計算するなら、無限回計算し続けなければなりません。ところが、無限回計算続けるのでは、答えは一体何回目で求まったと言えるでしょうか。数学では、計算が終わった時に、答えが求まったと言えることになっています。その理屈からすれば、無限回計算し続けなければならない、ということは、答えはいつまで経っても求まらない、と宣言しているようなモノです。これでは数学していることになりません。
 有限回で求まる計算方法の確立がテーマになります。
 実は、この難しい問題をε−δ論法は解決できたのです。その出だしは、「任意の正数εに対し」とあります。「任意の正数に対して」とは、「自分勝手に選んだどんなプラスの数であっても」という意味合いです。この表現は、0.1であっても、それよりも0に近い0.01であっても、さらに0に近い0.001であっても、「どんな数であっても」ということを想定されて、「いくつが来ても良い」という計算手法になっています。
 つまり、無限に計算し続けなければいけない事態を、あたかも、εという一つの任意の数で計算すれば良いんだ、と、有限で終わる計算にすることが出来たのです。
 このことこそが、数学の中で、ε−δ論法が、長寿になった根幹です。数学の定義・定理は毎年いくつも生まれます。それは、定理であれば、証明がされたということは、不老不死の「不死」を手にしたことになります。ただ、何年もみんなが使い続けることを不老と呼ぶならば「不老」たり得る理由が必ずあります。
 数学専攻科の学生でしたら、そこの部分を感じ取って、数学を会得していって下さい。
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 さて、ε−δ論法を理解する上で、敢えて前半しか書きませんでした。後は皆さんが、計算問題を解くことで身につけていくことです。問題集は、例題と練習問題とその解法があるモノを買って、必ず、自分で紙に書いて勉強して下さい。最初は例題と解答を書き写すことが勉強です。この時、解答を一段落ぐらいずつ憶えてから、紙に書くという操作をして下さい。一字ずつ書き写すという方法では中々上達しません。最初はそういう風にしか勉強できないかもしれませんが、少しずつ、一回で憶えられる文字数を増やしていって下さい。
 理解を助ける最大の方法は何のためにやっているかを一通り分かった後にあとはひたすら計算問題を解くことです。それを続けることで、あるとき「分かった!!」と実感できる時が来ます。

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