なんでだろうなんでだろう
なんでだろうなんでだろう
03.08.10
知のボーダーレス
「何でだろうなんでだろう」と言う言葉が巷で流行っているらしい。
子供向けのテレビ番組あたりが震源地らしいが、世の中この言葉のとおりのことがあまりにも多いように思える。
8月6日、例によって半年ぶりの通院で東京の国立がんセンター中央病院に行った。
この時はあまり気負うこともなく自然体で出掛けたので車中暇つぶしにでもと思って週刊誌を一冊購入し、それこそ暇つぶしに見ていたが、この週刊誌に載っている女の裸の写真というのは一体何んなのであろう。
週刊誌というのは女の裸を載せないことには売れないのだろうか。
週刊誌の読者というのは女の裸の写真を望んでいるのであろうか。
そういう私も一通りはページをめくってみたが、それ以上には見る気もせず、それ以降は活字の部分を読んでいた
。
週刊朝日、サンデー毎日、週刊新潮、週間ポスト、どれもこれも同じように女の裸の写真を満載しているが、それこそなんでだろうなんでだろうと言わなければならない。
大手出版社の発行する週刊誌が、揃いも揃って同じような女の裸の写真を載せているという事は、そこに何らかの文化的要素があると言わなければならないのだろう。
その文化的要素というのはいったい何なのであろう。
これとは別に、女の裸だけを売り物にした雑誌や週刊誌もあるわけで、これはこれで納得できる。
むしろこちらの方が出版社としてのポリシーを持っていると思う。
政治、経済、社会のオピニオン・リーダーとしての大手出版社が、女の裸の写真を載せることの方が本当はおかしいのではないかと思う。
これはある種の文化的ボーダーレスの現象ではないかと思う。
つまり、人前では硬いことばかり言っている堅物でも、その深層心理ではエロ願望を持っているということを暗示しているのではなかろうか。
だから週刊朝日とかサンデー毎日とか、週刊新潮というような一見お硬いように見える週間誌も、その前と後ろにはエロチックなページを作っているのではなかろうか。
しかし、消費者としてこういう週刊誌に自分の金を出して買う側は、こういうものを期待して金を払っているだろうか。
記事の内容に関連した写真ならば興味を持って見るであろうが、本当はそんなものを見るために金を払っているわけではないと思う。
これはいわば週刊誌の付加価値といわれる部分で、自動車に本来の車の機能とは全く関係のない部品が付いているのと同じだと思う。
日本の工業製品の大部分、つまり車や家電製品のあらゆるものが、普通は殆ど使い物にならない余分な機能をつけて、それを付加価値と称してその分値段を上げ、消費者に余分な金を払わせる手法と同じなわけである。
そういう考え方の延長線上に、週刊誌の内容とは全く関係のない女の裸の写真を載せて、その分価格を高くしている。
本来の機能だけの単機能の製品は競争力を失ってしまうので、どの週刊誌も同じように、護送船団方式と全く同じ様相を呈しているわけである。
我々。庶民というのは実に愚かで、こういう多機能の製品にあこがれているが、その機能を全部使いこなすことは至難の技である。
それでも使い切れない機能があれば、使う使わないは別として機能があるというだけで、それを喜んでいるのが庶民といわれる消費者である。
自分では使いきれず、使い切れないけれども、いろいろな機能があるというだけで満足しているわけである。
週刊誌の女の裸の写真も、それと同じで、週刊誌を作る側も見る側も、エログロ・ナンセンスを満載しておけば、知的に大いなる包容力がある、と錯覚しているわけである。
紛れもなく知力のボーダーレスの状況に至っているわけで、この知的ボーダーレスというのは、我が日本民族の尤も得意とするところだと思う。
「散切り頭を叩けば、文明開化の音がする」といわれた時代、我々庶民というのは男女混浴であった。
それが文明開化という風潮の中で、男と女が同じ湯につかることは卑猥で、低俗なことだという価値感のもと、男性と女性の性による区分けが確立したと思うと、
それが今度は男女平等参画という価値感のもと、男と女の垣根を取り払うことが善となってしまった。
100年の間に又元の価値観に戻ってしまったわけである。
こういう価値観の変化というものには必ずオピニオン・リーダーというものがあるわけで、それを今日はマス・コミにケーションが大きく関わりあっていると思う。
そこで不思議に思うことは、こういう週刊誌なり雑誌の経営者なりオーナーというのは、自ら出している自社の雑誌を見て恥ずかしいと思わないのだろうか。
そういう自尊心、理知、理性というのはないのだろうか。
こういう雑誌を出している経営者なり、発行もとの編集者というのは、羞恥心とか、誇りというものを持ち合わせていないのだろうか。
味噌も糞も一緒くたにして、ただただ売れて金さえ儲かれば、誇りも名誉心も羞恥心も持ち合わせていないのだろうか。
汚い街
車中で暇つぶしに買った週刊誌を一通り読み終わった頃東京駅に着き、例によって例のごとく診察を終えて外に出ると、それまでの緊張感が一遍に溶けていくような気がして、安堵感で一服が吸いたくなる。
この日に限って、特別な気負いもなく、この際、病院の全容を一度写真の収めてみたいと思ったので、病院前の大きな道路を渡ってアングルを狙ってみた。
ところがこの国立がんセンター中央病院というのはあまりにも大きくてファインダーに収まりきらなかった。
この国立がんセンターというのはまさしく国立というにふさわしい威容である。
20世紀の末から21世紀初頭の人類の英知を結集した殿堂にふさわしいものだと思う。
この病院の対面が東京中央卸売市場。
その脇の商店街というのは、これまた完全にアジア的というか、貧民屈というか、半世紀前の闇市然とした商店街である。
香港の下町、深センの自由市場を髣髴させる光景である。
半世紀前の闇市ならば自転車やリヤカーが通りを埋めつくところであろうが、さすがに21世紀ともなるとそれに変わって車がごちゃごちゃに止めてあるが、この雑然さというのはいったい何なんであろう。
まさしくなんでだろなんでだろうと言わなければならない。
3階建てのアパートの1階部分がそのまま商店になっているが、アパートの部分をそのまま高架鉄道に置き換えれば、それは御徒町のアメヤ横丁の風情と同じになる。
私の一族には小売業、いわゆる商売屋というのがいないので、商売人の心意気というものは今一理解しにくい面があるが、汗水垂らして体で銭を稼ぐ心意気というものは、敬服もするし、驚異でもある。
築地の魚河岸で代々商売をしているような人たちは、やはりそれなりの商売道というようなものを持っているに違いない。
白い割烹着に長靴でさびた自転車に乗っていたり、リヤカーに大きな冷凍マグロを乗せて引いている前垂れかけたおっさんが、水産会社の社長であったりするのだろうけれど、ここで仕事をし、生活をしている人々、つまり築地の魚河岸の住人の美意識はいったいどうなっているのかと不思議でならない。
市場の中の汚さ、市場周辺の汚さと雑然さというのはいったいどうなっているのであろう。発泡スチロールの屑からダンボールの切れ端等々、市場中、町中がそれであふれているではないか。
食品を扱う場が汚いというのは、なにもここだけの問題ではなさそうで、世界的に共通なことのようだけれど、それにしてもここで仕事をし、その上ここで生活をしている人がいる以上、もう少しどうにかならないものかと不思議でならない。
街の汚さは住民のモラル低下に尽きると思う。
この周辺は、そういう人々の車が2重3重にも駐車しているわけで、この一事で以って、既にこの場で生活している人々がモラルの点では人並み以下という明らかな証拠である。こうはっきりと断定すると、この周辺の人々から反発が来ることは必定であるが、街の汚さと、車の違法駐車の恒常化という点から、まさにこの近辺は無法地帯に等しい。
「法を遵守していたら生活できない」という言い分は、一見説得力があるように見えるが、それはあくまでも逃げ口上に過ぎず、この周辺に住む人々の総意が、街を美しくするとか、市場内という自分たちの職場を奇麗にしようとする意志がないということに他ならない。それを第三者の無責任な批判とするよりも、視点を変えて考えてみると、ここで生活をし、ここを職場としている人々は、極めて人間的な営みをしているということになる。
法に拘束されず、自分たちの好きなように、好きなルールを作って、その中で生きているという事は、極めて人間的な営みだろうと思う。
もっとも人間らしさに富んだ、人間味にあふれた街ということが出来る。
人間が本来持っている自己愛に忠実に、自分さえ儲かれば、後の事は関与しない、という発想は人間の基本的欲求に極めて近いといわなければならない。
市場の中は過去に何回か見学したことがあるが、まさしく無秩序としか私には見えない。しかし、部外者の私にはそう見えても、業者の間には私たちの知らない何らかのルールがあるのかもしれない。
この汚さというのは極めてアジア的だと思う。
この市場というのは、一次産業と二次産業の接点なわけで、ここでは人間の奇麗事というのは通用していないようだ。
人々は本音まるだしで生きているわけである。
新しい街
この東京中央卸売市場の反対側はこれまた超近代的なビル群となって生まれ変わっている。
5年前、沈んだ気持ちでここに通いだした頃は、鉄板で囲まれて、再開発の看板がそれに懸けてあった。
この地は元汐留駅であったものが、旧国鉄の改革で払い下げとなり、長い間放置されていたところだと想像する。
病院に通うたびに、この鉄板で囲まれた空地を横目で見ながら、東京のど真ん中で如何にももったいないという気がしたものである。
そう思いながらも、病院に通っている間に、それがだんだんと形になり、今日では立派なビル街となって生まれ変わってしまった。
ところが不思議なことに、どのビルにもビル全体の名前がない。
貸しビルであろうが、複合ビルであろうが、名前のないはずはないと思うが、ビルの入り口には何々ビルという名称はついていなかったような気がする。
あれだけ立派なビルの入り口に表札がないというのも不思議でならない。
世界貿易センタービルとか、エンパイヤーステートビルというはっきりとした固有名詞がないみたいだ。
ジョイント・ビジネスとして、複数の企業が共同出資しているから特別な呼称が付けられなかったのかもしれないが、それにしても不思議なことだ。
そしてこのビル全体が貸しビルというのも不思議なことだと思う。
ホテルでもなければマンションでもなく、デパートでもなければ専門店ばかりが入っているわけでもない。
このビル全体が貸しビルとしてオフイスになっているわけで、テナント料など知るわけもないが、テナントとして入居するだけでもきっと天文学的な賃料と想像するが、この様子を見ると、今の日本の不景気というのは信じられない。
小泉首相になってからも既に2年経過しているが、景気対策とか、不況脱出という話題が出ない日はないのに、最近の東京のビル建築の勢いを見ると、とても不景気などとはいえないと思う。
バブルの時は誰も「今がバブルだ」ということを言わなかったので、事業をする側としては、おだてに簡単に乗っかってしまい不良債権をつかまされたが、その反省の上に、「不景気だ不景気だ!」といっておれば、事業をする側としては経費を切り詰めるだけ切り詰めれるわけで、不景気の方が事業をする側として仕事がしやすいのではなかろうか。
このビルの前に旧新橋駅を復元した建物があった。
てっきり博物館的なものだと思って中に入ってみると、これが高級レストランであって、メニューを見ただけで尻尾を巻いて出てきてしまった。
思えばこれも実に不思議なことだと思う。
土地一升金一升の東京で、独立2階建ての建物でレストランが成り立つことが不思議でならない。
成り立つかどうかは、これから先2,3年、いやもっと10年単位で見なければならないかもしれないが、投資した金額を償却するとなれば、私の頭では考え切れないことだ。
この真新しいビル群と、新橋駅を復元したレストランの出現という事は、日本の経済もまだまだ大いなる余力を持っているということではなかろうか。
バブル崩壊後、人は挨拶として「不景気だ不景気だ!」ということを言っているが、バブルの教訓から「儲かって儲かって!」という挨拶を言わなくなっただけで、その実結構儲けているのではないかと思う。
儲けてはいても、世間では不景気か吹きまくっているので、他企業並みに人員削減は出来るし、賃金を低く抑えても大義名分があるわけだから、良心の呵責に浸る必要がないはずである。
ところがここに金融という問題が介在してくると、とたんに事業実態が不明瞭になるわけである。
銀行が不良債権を抱え込むという事は、既に銀行としての機能を失っているということに他ならない。
銀行としては既に死んでいるに等しいことである。
こんな馬鹿な話もないと思う。
質屋のオッサンが質草の目利きを間違えて過大に貸し付けて、貸した金が回収できず店をたたむということと同じであるが、本来、担保の価値というものをきちんと判断しなかった、出来なかった質屋のオッサンというのは金貸しをする能力がないわけである。
それでは倒産しても致し方ない。
銀行の不良債権という事はこういうことだと思う。
株価が暴落したとか、土地が下がったから担保が不良債権化した、という言い分は銀行がいうべき言葉ではないと思う。
経済というものが生き物である、という事は銀行が一番よく知っているわけで、そういう認識の元、担保を吟味して、それに見合う金を貸すのが銀行としての本来の姿であり、在り方であるにもかかわらず、その自分達の基本的な軸足、支点を見失って、他社を見比べ、自己判断をせず、横並び式の経営をしていたから不良債権を抱え込むことになったわけである。
自分達が単純に商売に失敗しただけのことで、その失敗を素直に認め、潰れるものはあっさりと潰れ、生き残るものは痛みを背負って事業を存続させるほかない。br>
銀行が未来予測を間違うというのは、あくまでも自分達の失敗なわけで、それは誰の所為でもない筈である。
そういう失敗をしないように優秀な人材を確保し、その優秀な人材に高給を呈してきたのではないのか。
今日の日本の銀行は質屋の丁稚が頭取になっているわけではない。
一流大学の優秀な人材が集まっているにもかかわらず、それが未来予測を誤ったということは、あくまでも業界内の問題であって、それを株価の低迷や土地価格の下落の所為にすべきではない。
元汐留駅の再開発で林立した超高層ビル群を見るにつけ、日本の実業界というのは立派に生き残っているが、その足を引っ張っているのが銀行だと思う。
本来、銀行というのは事業に資金を提供して、事業をバック・アップするのが使命であろうが、バック・アップする評価の基準を土地においていたところに、その誤りがあったのではないかと思う。
土地神話を自ら作り、その神話に自ら埋没してしまったわけで、それは土地を食い物にするという発想の根本から間違っていたわけである。
額に汗して働くことを嫌悪し、土地からあぶく銭を生ませよう、という発想の原点に誤りがあったわけである。
この地域が鉄板で囲まれていた頃、東京のど真ん中の広大な土地をもっと有効に使うことはないものかと思ったものだが、その時、この地にゴミ処理場とか原子力発電所を作ったらどうなるだろう、ということに空想をめぐらしたことがある。
ゴミ処理場とか原子力発電所などというものは誰しも自分の近くには作ってもらいたくないものだと思う。
だからといって日本の僻地ならばいいのかといえば、そこに住む人からすれば当然御免こうむりたいと思うのが普通である。
自分の近くにきて欲しくないものは誰にとっても同じで、東京都民が嫌だと思うものは、僻地に住む人にとっても同じである。
そして普通の発想からすれば、自分のところで出たゴミ、乃至は自分達で使う電力は、自分たちの近くで処理し、自分たちの近くで生産するのが妥当である。
この当然なことに逆らってまで、こういう社会的インフラを遠くに持っていくという事は、
都民をこういう危険な施設の傍には住まわせたくない、という東京都側のエゴイズム以外のなのものでもない。
都内では土地代が高いという理由がもっともらしくいわれるが、こういう言い訳というのは、どういうふうにでも改めることができるわけで、その気にさえなれば法律で如何様ようにもすることが可能である。
ただ大多数の意見として、都内にゴミ処理施設とか原子力発電所を作ってもらっては困るという声があるので、そうなっていないだけのことである。
ここで問題になるのが政治のリーダー・シップである。
我々のような民主的国家では政治がリーダー・シップを取るという事は基本的にはあってはならないことだと思う。
そのことは別の言葉でいえば独裁政治を施行せよということなわけで、今日の我々は独裁政治という言葉に対しては極めて嫌悪感が強いにもかかわらず、それを政治のリーダー・シップと言うと如何にも民主的政治のような錯覚に陥って、平気で使っている。
この問題で政治のリーダー・シップということになれば、政治家なり東京都知事が、自分たちの出したゴミは自分のところで処理し、自分たちの使う電力は自分たちの近くで作ろうと、都民を納得させなければならないということである。
まあそんなことは実現しないだろうが、鉄板で囲まれた広大な空地を見ながらそう思ったものである。
ペリー記念館
病院を出てあちらこちら見ながら新橋駅まで歩いてきたら丁度昼になったので、腹ごしらえをしようと思ったが、昼になってしまった以上何処に入っても混んでいるに違いないと思い、この日は握り飯で済ませることにした。
コンビニで2,3個握り飯とお茶を購入して新橋駅前の機関車の展示物の前で食べていたが、ここでは例によって右翼がアジ演説をしていた。
例の辻元清美の逮捕劇のことを盛んにアジっていたが、彼女の内縁の夫が元中核派の幹部で、未だに革命の情熱に燃えているという趣旨のことを盛んにアジっていた。
そして辻元清美の家の前に重信房子の潜伏先であったのだから彼女はこういう連中とつながりがあるに違いないという趣旨のことを言っていた。
真偽の程は定かではないが、まんざら嘘八百でもないと思う。
十分に考えられる事ではあるが、右翼が駅前で街宣車の上からがなっている内容というのは、にわかに信じがたい思いがするのも偽らざる心境である。
その演説を聴くのも程ほどで切り上げて品川に向かった。品川では電車の写真を撮りまくったが、電車というのは案外捕りにくい被写体であった。何しろ横長なのでファインダーに納めにくい。昔から電車とか汽車には少なからず興味を持っていたが、マニアというほどのめりこむことはなかった。
列車を写真に撮るのにこの品川でなければならないという特別の理由もなかったが、この日は横須賀に住む長男の家にいく予定になっていたので、たまたまこの品川で時間調整をしたまでである。
それで、この品川から京浜急行で浦賀に出るつもりであった。
というのは一度ペリー提督の上陸した地点を見てみたいと思っていたからである。
ところが下調べも十分にせず、思いつきで行ったものだから完全に失敗であった。
ペリーは浦賀に上陸したと漠然と思っていたので、浦賀に行けば何か記念のものがあるであろうと考えていたが、京急・浦賀駅の周囲にはそれらしきものは存在していなかった。翌日、長男がペリー上陸記念館なるところに案内はしてくれたが、この日は私のあてずっぽうな行動では行き着けなかった。
浦賀の町は海岸に沿った小さな町で、造船所と思われる大きな工場があったが、この暑い最中に散策することもままならず、通り合わせたバス停からバスで三崎口に出ることにした。
ペリーの記念館は、実際にはこの地にあったわけであるが、駅前に設置してあった案内板を頼りに探してみたがついに行き着けなかった。
暑い日中を歩き回ったので、水分補給のため缶ビールを飲みのみ歩き回ったが、この日は得るものは何もなかった。
翌日、長男が家族を海で遊ばせるために行楽に出た折、このペリー上陸記念館に連れて行ってくれた。
そう大して広くはない公園の一角に、小さな白亜の記念館があった。
入場料も取らなかったが、ただだけあって展示してあるものも何もめぼしいものがなかった。
館の入り口の両側にぺりーと下田伊豆守の胸像が鎮座していたが、これも恐らくレプリカであろう。
しかし、日本に最初にペリーが来た時は、この当たりの人々はさぞ驚いたに違いない。
黒船4杯がいきなり目の前にあらわれた時の驚きというのは想像に絶するものがあったろうと思う。
ペリーの一行がボートで上陸してきたとき、お互いに言葉がわからないもの同志、どのように話し合ったのか不思議でならない。
長崎の出島を通して細々と西洋事情がはいっていたとはいえ、大方の庶民にとってはそんなことは知る由もないことで、そういうところにいきなり蒸気で動く鋼鉄製の軍艦が現れたとしたら、その驚きというのは想像を絶するものでなかったかと思う。
普通の庶民は驚いているだけで済んだろうが、それと対応した幕府の役人というのも、相当にしたたかであったと言わなければならない。
恐らく、心のうちでは一般庶民と同じように驚愕していたと思うが、それをおくびにも出さず、相手と交渉しなければならなかったわけで、ずるずると日にちを延ばし、相手をいらつかせ、自分に有利な交渉をしようとしたに違いない。
この時、双方にとってもお互いに言葉が通じなかったわけで、そこをどういうふうに克服したのか不思議でならない。
このペリーの来航というのは我々の方にしてみればまさしく青天の霹靂というに等しかったと思う。
それで、その場の交渉は何となく切り抜けたが、ここでそれに対応すべき長期展望となると誠にお粗末なことをしていたわけである。
こういう事は我々大和民族、日本民族の持って生まれて性癖だったのであろうか。br>
政治とか外交ということには、短期戦術と長期戦略が必然的に必要だと思うが、短期戦術というのはその場で結果がわかるが、長期戦略という事は結果がうんと先にあるわけで、目の舞にその実績というものを示すことが出来ないので、我々はどうもそれに価値観をいていない節がある。
これは我々国民の一人や二人のことではなく、民族全体として、そういう思考に陥っているのではないかと思う。
このペリーの来航に刺激されて、国防ということ。今の言葉でいえば国の安全保障ということであるが、それに対する危機感が急に煽られて作ったのがお台場と称する砲台で、お寺の釣鐘を大砲に見立てて設置したというのだから、その発想そのものがあまりにもお粗末である。
そういうことを江戸城の奥で大の大人、老中といわれる幕府の重鎮が鳩首会談して決めたとなるともうお笑いである。
ペリー来航という大きな出来事で、危機感が覚醒されるまではよかったが、その危機感に対する長期展望というのは、全く出鱈目で、その場限りの泥縄式の発想しか出来なかったわけである。
この発想の延長線上に、日本が日米開戦に嵌まり込んだ軌跡が重なるし、そして損後復興以来の安全保障の問題があると思う。
日米開戦の前に行われた御前会議というのは、全く相手を研究することなしに、その場限りの自分達の都合にいい判断と思いつきで開戦することになってしまった。
そしてその結果としての戦後復興も、早急に目先の食う欲望を満たさなければならない、というその場限りの施策の積み重ねでこれまで来たものだから、そこには復興の長期展望が不在であった。
だから未だに占領当時の押し付け憲法にキュウキュウしているわけで、自分たちで憲法さえ作れないではないか。
そして今我々は、飽食の中に生きているわけで、今生きている日本人には、愛国心もなければ、民族の誇りもどこかに置き忘れ、井戸の中で自分たち同胞の足を引っ張り合って生きているわけである。
ペリー来航というショック、いわばペリー・ショックで、国防ということが如何に大事かということがわかったとしても、お寺の鐘を大砲に見立てことが済むと思う発想は一体どこからきたのであろう。
アメリカのトータルの力も知らないで開戦に踏み切った愚は一体どこから来ているのであろう。
戦後、独立を回復しても、自分たちの憲法を自分たちで作ろうとしない愚は一体どこからているのであろう、
まさしく「なんでだろう、なんでだろう」といいたくなる。
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