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犬山「なり田」

犬山「なり田」  2003・03・0-11
昨日(5月11日)、妙な体験をした。
家内がシャンソンのコンサートに連れて行くというので、シャンソンなどどうでもよかったが、家内が機嫌を損ねるのが怖いので仕方なしについていった。
犬山の「なり田」というレストランであった。
犬山駅から徒歩5,6分のところで、とても便利なところ にあったが、この「なり田」というレストランが実に奇妙 なものだった。
レストランといえば普通は洋食屋を思い浮かべるはずであ る。
白いクロスの掛かったテーブルとイスがあって、そのクロ スの上には一輪の花が飾ってある光景を想像するのが普通 だろうと思う。
ところが、この「なり田」というのは、純和風、江戸時代 の日本建築そのもので、テレビ・ドラマの水戸黄門や銭形平次がいてもおかしくないような雰囲気である。
建物がそうであるならば、和食が膳で出てくれば何も違和感はない。
ところが、ここでフランス料理が出てくるのである。
純和風建築とフランス料理の取り合わせというのは、どう見てもミス・マッチではなかろうか。
家内が先導していくのでその後についていくと、まず入り口は100%完全なる日本家屋。低い門構えを通過して奥に入ると、奥には典型的な日本庭園が見える。
門を入ると右側に玄関があった。
この玄関の周囲の雰囲気はまるで村の公民館か集会所という感じである。
敷居をまたぐと下足箱のあるところなど昔の小学校にでも来たような感じだ。
ここで予約の有無を確認して通されたところが板の間である。
この板の間の隅のところにコンサート用の機器が置いてあった。
そして、一般客席というのがこの板の間で、この板の間のあちらこちらに座卓が置いてあり、それには白いクロスが懸けられていた。
白いクロスが懸けてあったのでてっきり座卓だと思っていたら、これがあにはからんや、囲炉裏というか掘りコタツというか、腰掛けて中で足が伸ばせるようになっていた。
この板の間の客席というのがどうにも違和感をかもし出している。
その反対側には板の間にふさわしくテーブルとイスの席も用意してあったが、イス席と囲炉裏席が混在しているところがなんとも不思議だ。,br> そして、この席の違いが客の扱いの違いとなっているのかどうかは判らない。
室内の雰囲気としては、本来、畳であるべきところを、板の間に改造したという感じが免れないが、板の間に正座するなり胡坐をかいて座るのかと思うと、腰掛になっているわけで、なんとも妙な取り合わせである。
しかも、こういう環境でありながら、この店ではフランス料理を提供するというのだから、これがミス・マッチと言わずにどう表現したらいいのであろう。
その上、この状況の中でシャンソンのコンサートをするというのだから、これを奇妙といわずにどう表現すればいいのであろう。
白いシャレた洋館で、フランス料理を楽しみながらシャンソンを聞くというのであれば、不思議でもなんでもなく、極常識的なことであろうが、水戸黄門か銭形平次が出てきそうな日本家屋で、フランス料理を味わいながらシャンソンを聴くというのは、ミス・マッチ以外のなにものでもないと思う。
この「なり田」という店は、通常からフランス料理を提供する店らしいが、そこでたまたまシャンソンのコンサートをするということで、主催する側としては、左程の違和感はないかもしれないが、はじめて直面した者にとっては、こんな奇妙な取り合わせもないと思う。
私はグルメではない。グルメの対極に位置するほうで、食物は本来生を維持するミニマムのものでいいという類の人間である。
食物は栄養補給、生命維持以外の価値を認めないタイプの人間である。
だからといって食物に好き嫌いがないわけではない。
当然、好きなものも嫌いなものもあるが、料理に講釈をつけるほどの知識はもち合わせていない。
ただおいしいかまずいか、好きか嫌いかの二者択一しかない。
だからものを食べるときの作法というのは実に鬱陶しく思えてならない。
特に、西洋料理を食べるときの作法が嫌だ。
ナイフの持ち方がどうのこうの、スープの飲み方がどうのこうの、音を立ててはならないなどという講釈が我慢ならない。
自分の金で食べる時は躊躇することなく和食を選ぶことにしているが、この時は創作フランス料理というわけで箸がでてきたので、その点は安心した。
料理が出たり、演奏が始まるまで少し時間があったので、好奇心に駆られて部屋の中を見て回った。
確かにパンフレットにあるとおり150年の歴史を感じさせるほどの古い建築物であるということは納得した。
1842年に作られ、1879年に改築されたとなっているが、それだけの歴史の重さを十分に感じ取れる代物である。
問題は、その150年の歴史の中で、人間の生活が大きく変わったということを考えなければならないと思う。
150年前のものがそのまま残っているわけではなく、この家の中で人が生活を営みながら、近代化の歴史と共にあったことを考えてみる必要がある。
部屋の真ん中に大きな空調機が鎮座していたり、それを隠蔽するために格子で囲ったりと工夫がなされているが、照明のコードがところどころ露出していたりして、古いものと新しいものが混在しているわけで、これは良い悪いの問題ではなく、文明の進化の証でもある。
空調機や照明、はたまた音楽を奏でる機器は現代のものであるが、その脇には明治、大正、昭和という時代を経過した小物が随所に散見でき、陳列してある。
これらの小物は芸術品ではなく、庶民の生活の道具として、生活の中で極自然に使用されていたもの、使い古されたものが陳列してあった。
生活の中の小物というのは時代が進化すれば捨てられ、忘れ去られてしまうが、そういうものを見るには博物館に行かなければ見れなくなってしまった今日この頃である。
水戸黄門や銭形平次が現れそうな昔の町屋の中で、フランス料理を提供し、シャンソンを奏でるということは、私にとっては全く奇妙な取り合わせでミス・マッチとしかいえない,しかし、これは私の心の中にある常識という枠に縛られているから、ミス・マッチにしか見えないが、文化、文明の進化ということは、常に常識を乗り越え、常識の枠を超え、常識を超越しなければ新しい進化というのはありえないわけで、その意味からすれば、日本家屋でフランス料理を提供するという発想も、新しいグルメの進歩なのかもしれない。
小奇麗な白い洋館でフランス料理を楽しみながら、シャンソンを聴くというのならば、これは完全に常識の枠内のことで、不思議でもなんでもなく、なんら違和感というものは感じられないはずである。
日本家屋で創作フランス料理を提供するから、そこに違和感と同時に斬新さとか、好奇さとか、物珍しさとか、ユニークさが潜んでいるに違いない。
コンサートの方はシャンソンと名うったわりには本格的なシャンソンはあまり聴けず、オリジナル曲が多かったが、やはり生は生なりに聞いていても心地良かった。
特に、胡弓というのは実に不思議な音色で、この音色はまさしく中国、シナの音色である。それと女工哀史を題材とした「内津峠」という曲も素晴らしかったが、あそこに女工哀史の話があったとは意外だ。
もっとも女工哀史というのは野麦峠で有名になっているが、織物工場、紡績工場のあった地ならば、大なり小なり女工哀史的な話はあると思う。
それと、現在の音楽状況の中で不思議でならないのは、こんな小さな空間で行うコンサートでも、マイクの力を頼りにしているということである。
大きなホールなら致し方ないが、こんな小さな会場でも、当然のように電気仕掛けの機器が所狭しと場所を占領するということは、音楽を人に聞かせるには、こういう機器が必要不可欠とでも思い込んでいるからではなかろうか。
歌をうたうときには、マイクというものが必要不可欠とでも思い込んでいるのではなかろうか。
そういえばカラオケで歌うときも、小さな部屋にもかかわらず必ずと云っていいほどマイクがあるが、あれはどういうわけなのであろう。
小さな部屋で4,5人でカラオケを楽しむのになぜマイクが要るのか不思議でならない。
これも歌を聴くという要因よりも、歌をうたう方に力点があって、歌うためにはマイクが必要不可欠だ、という常識が出来上がり。それに嵌まり込んでいるせいではなかろうか。
歌というのはイメージが一人歩きしてしまうことがあるようだ。
女工哀史を主題とした「内津峠」という曲を聴くと、あの野麦峠を連想してしまう。
自分たちのまわりにはいくらでもああいう情景、叙情が転がっていたということをつい忘れて、野麦峠のあの美しい情景と叙情が目の前に浮かぶということは、イメージが先行しているということだろう思う。
それを胡弓の調べに乗せて聴くということは、えもいわれぬ妙な雰囲気を感じてしまう。そして、この日の我が家内のいうシャンソンのコンサートなるものは、実にみょうちくりんな異体験の中で終わった。
京都にあるような古風な日本家屋の中で、フランス文化の真髄ともいうべきフランス料理を味わいつつ、これもフランス文化風の歌を中国の楽器で聴きながら、地元の郷里の叙情をしのぶ、というなんとも形容のしがたい一時を過ごした。
あらゆる文化のカクテルとでも云うのだろうか。
そしてそれが終わって、夜の犬山の町は紛れもなく日本の風情を漂わせていた。

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