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アパッチ砦
アパッチ砦 2003.5.29
昔、撮りためたビデオの中に、「アパッチ砦」という作品がある。
この映画、例によってジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン主演の私好みの西部劇であるが、どうにもおかしいところがある。
とういうはNHKが制作年度を入れたのではないかと思うが、1948年の作品となっていた。
同じジョン・フォード監督、ジョン・ウエイン主演の映画に「黄色いリボン」という作品があって、こちらは1949年制作となっている。
前者はモノクロ・フィウルムで、後者は総天然色映画である。
カラーはこの際どうでもいいが、主演しているジョン・ウエインが前者の場合あまりにも若々しい。
後者の場合は、それ相当に年齢を違和感なく感じ取れるが、前者の場合どう見てもジョン・ウエインが30代の作品ではないかと思う。
つまり制作年齢が10年ぐらい違っているのではないかと思った。
たった一年の違いでああもふけるということは、いくらメーキャンプをするとしても不思議でならなかったが、これが全くの私の思い違いであったことがわかった。
この寸評を書くにあたり、少しインターネットで調べてみると、ジョン・フォードという監督は1947年から52,3年の間に5本も同じような映画を作っているという記述があった。
どれも同じような西部劇で、似たり寄ったりのストーリーということである。
そういえば、この「アパッチ砦」も「黄色いリボン」と内容的には瓜二つで、主題歌まで同じではないかとさえ思えてくる。
「アパッチ砦」というのは、騎兵隊の駐屯している駐屯地の名前で、この時代西部の荒野にはこういう砦がいくらでもあったに違いない。
そして、その砦と砦をつなぐのが駅馬車隊であったと想像される。
この時代の駐屯地というのは一種のコミニテイーを形成していたわけで、その意味ではカウボーイ達が屯する町とは違った雰囲気を漂わせていたのではないかと思う。
ストーリーとしては、新任の司令官が僻地への赴任が面白くないところにもってきて、インデアンが居留地を出て大同団結し、彼らの牧草地を取り返そうとしているという情報に接し、それを討伐に行くという筋書きである。
そこで新司令官のヘンリー・フォンだとベテランの中隊長、ジョン・ウエインの意見が食い違い、ジョン・ウエインは和平工作で話し合って先住民、インデアンを説得しようとするのだが、新司令官のフォンダ扮するサーズデイ司令官は、それに耳を貸さず、無闇に突撃をするので命を落としてしまうというわけである。
映画を見る観客としては、サーズデイ司令官の判断は基本的に間違っていると思う。
モニュメント・バレーのビュウートがそそり立つ荒野の戦いで、狭い谷間に向かって闇雲に進めば、高台にいる敵からは狙い撃ちされることは素人でもわかる。
映画とはいえ、その辺りの状況判断というのはいささか稚拙であるが、これもジョン・ウエインを引き立たせるための方便であったのかもしれない。
しかし、こういう西部劇にも必ず現れてくる悪徳商人の存在というのは、いかにも面白い構想だと思う。
この映画にしても、「黄色いリボン」にしても、同じ人が監督をしているわけで、そういう意味で同じストーリーになるのかもしれないが、こういう未開の地であくどい銭儲けに現を抜かす人間を差し挟むという度量は、たいしたものだと思う。
全編、奇麗事で飾らず、人間の汚い部分を差し挟むことで、白人の西部開拓の整合性をいくらかでも緩和する狙いがあったのかもしれない。
だが実際問題として、こういう辺境には文明社会との差を利用して、あくどく儲けた商人がいたことは洋の東西を問わず事実だろうと思う。
日本でも北海道開拓ではアイヌを騙して暴利を得た倭人がいたわけで、やはり文明の接点では、こういうことは常にあったものと思わなければならない。
不思議なことに、アイヌ民族にしろ、インデイアン・ネイテブ・アメリカンにしろ、白人が来るまでの間に統一国家というものを作らず、文字も持たなかったということは一体どういうことなのであろう。
人類学的にはアイヌ民族もインデイアンも、モンゴリアンと称してアジア大陸から枝分かれした同じ系統の人種だといわれている。
人類の誕生から今日まで、地球規模で見て、西洋先進国も日本もアイヌ民族もネイテイブ・アメリカンも同じ時間を共有してきたわけである。
その中で、ヨーロッパ、アメリカ、日本、中国、ブラジル、ペルー等々、多種多様な文化と文明が存在するようになったのはどうしてなのであろう。
同じ時間を共有していながら、その過程で、ネイテイブ・アメリカンは白人に支配され、居留地に起居することを余儀なく迫られたわけであり、アイヌ民族は倭人と同化したのかしなかったのか曖昧な存在となってしまったが、これは一体どう解釈すればいいのであろう。
ここに今日の南北問題、開発途上国の問題が潜んでいるわけであるが、人類は未だにその答えを見出していない。
西部劇というのは、白人がネイテイブ・アメリカンを居留地に閉じ込める過程を、面白おかしく描いているわけで、完全に白人の側からの視点で描かれている。
10年ぐらい前に、この支配された側のネイテブな人々の立場にたった文明批判的な論議が盛んに沸きあがった時期があった。
アメリカ大陸における白人の西部支配というのは文明論的にはどう位置つけたらいいのであろう。
今回のイラクの戦争に際しても、アメリカの超大国ぶりそのものが批判されて、アメリカのやることは何でもかんでも「悪」だという見方が罷り通っていたが、これは完全なる偏見だと思う。
荒野の真ん中でインデアンに襲撃されてピンチのとき、騎兵隊が駆けつけると、我々は拍手喝さいをしながら見たものであるが、アメリカが今日超大国たりえるには、やはりそれだけの努力をし、血も、汗も、金も、注ぎ込んだ結果だと思う。
アメリカは建国の時から、独立戦争をし、南北戦争を経て、西部開拓にも死力を尽くし、数々の試練を乗り越えて今日の超大国になったわけで、その裏にある目に見えない、歴史に名の残っていない人々の血のにじむような努力、フロンテイア・スピリットに支えられた努力というものを我々は見落としてはならないと思う。
ただ、現在の表面だけを見て、「強いからいけない」では整合性のある論理にならないし、真面目な文明論からは逸脱してしまう。
強さの裏にはアメリカ人のフロンテイ精神が潜んでいることを知らなければならない。
ジョン・フォード監督は、そういう辺境でがんばった人々をたたえて、こういう作品を作ったのではなかろうか。
映画のナレーションの中に「彼らは一日50セントで、この辺境の任務につき、彼らの歩んだ道がアメリカ合衆国になった」という言葉があったが、まさにそうだと思う。
今、ネイテイブ・アメリカンというのは、ある意味では居留地であるが、その中では自治を認められ、外の世界とも自由に行き来しているようである。
決して収容所の中に閉じ込められているという感じではない。
それにしても、この「アパッチ砦」と「黄色いリボン」では、制作年度が1年しか違わないのに、ジョン・ウエインの年の違いはどう考えたらいいのであろう。
メーキャンプの巧みさで済ましていいものだろうか。
この両者におけるジョン・ウエインの役柄というのは、現役バリバリの中隊長と、退役まじかの中隊長という違いがあるが、これらはジョン・ウエインのために作られたといっても過言ではない。
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