は じ め に

20世紀に入ってからの近現代史というのは非常に面白く興味あるものである。
ところが時代がここまで下ってくると文献も多く、そのために研究者も掃いて捨てるほどいるわけで、私の拙い文など何の価値もないが、私のほうはこれはこれで遊びでやっているわけだから、研究者や学者と張り合う気持ちはさらさらない。
だから非常に気が楽である。
それにしても、日本の学者とか研究者というのは何故に自分の祖国をそう悪し様に悪く言うのであろう。
確かに、日本の20世紀に入ってからの国のあり方というものは、アジアの犠牲の上にあったことは認めざるをえない。
ならばヨーロッパ人がアジアの救済に努力し、アジアの近代化に手を貸したか、と問えば答えは否である。
アジア人が自らの力でヨーロッパの帝国主義的植民地主義というものを克服したかと問えば、やはり答えは否である。
中国が共産主義革命をなして中華人民共和国というものを作ったことは認めざるをえないが、ならば台湾の国民政府、中華民国との関係はどういう風に整合性を持って語られるのであろう。
朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国との分裂はどう説明すればいいのであろう。
中国が共産主義革命をなしえたということは、中国の人々の民族意識の高揚が成した技であろうか。
中国に民族意識が芽生えたのは、日本が中国の古来の価値観を全部壊したからからこそ、そこに新しい思想が生まれたわけであって、中国の旧秩序の崩壊ということに関して日本は大いに貢献したわけである。
日本が中国において無益な殺生をしたことも確かに歴史上の事実に違いない。
この点に関しては我々は謝罪もしなければならないし、反省もしなければないことは論を待たないが、その点に関してはすでに国家間で話し合いが持たれ、一応解決はされている。
しかし、双方で世代が変わってくると、前の約束を反故にするかのような発言が顕著になってきたことは愁うべきことである。
人間の持つ言語というのはまことに便利なもので、便利と裏腹に不便でもあるわけである。
一つの事柄に対して表から見ることもできるし、裏からも見ることができるわけで、それが又時代によって裏になったり表になったりするものだから、本当の真実というものはわからなくなってしまうわけである。
真実は一つなのに、それを見る人間のほうは、各人各様、自分の持ち場立場で、自分の都合にいいように解釈するわけで、そういう状況下であってみれば、声の大きいほうがなんとなく整合性があるように思ってしまうわけである。
そして、そういう観点から歴史とか世の中のことを批判しようとすると、どうしても自分の解釈を発信しようとする人は、文化人、学者、研究者というインテリーの方になってしまうわけである。 八百屋さんや、パン屋さんや、床屋さんという、いわゆる庶民といわれる人々と言うのは、発信しようとも思わなければ、そんなことを考える暇さえ持たないわけである。
そういう状況であって見れば、世の中に出てくる言論というのは、反体制の側の主張のみが世に氾濫するということになる。
今の世の中で声の大きいほうがなんとなく整合性を持っているように庶民が思い、そう受け取るということは非常に危険なことだと思う。
多数決原理の民主主義の時代ならばそれで結構な気がするが、多数決ならばそれが正しいということにはならないわけで、多数の迷える羊に正しい道を教えることも政治の大きな使命だと思う。
第2次世界大戦の前の日本というのは、軍人達だけが軍国主義にかぶれていたわけではなく、国民全部が軍国主義者であったわけで、軍国主義というバスに乗り遅れたら、日本の国民として生きておれなかったわけである。
まさしくそこには多数決原理で動いていた庶民がいたわけで、個々の迷える羊は全部が軍国主義という一つの方向を向いていたわけである。
今、日本の近現代史をひも解いてみると、日本の学者とか研究者というのは、あの戦争をしたのは日本に覆い被さっていた魔物か、エイリアンか、悪魔の仕業であるかのように論じ、はたまた日本人の中の極悪非情な悪人が体制側を則ったかのような論調を挺しているが、自分で自分の心の内面をよく掘り下げて考えてみれば、特別に好戦的な日本人が好きかってに戦争をしたわけではないと思う。
当時の国際関係の中で、日本の生きる道を模索した中の一つの選択であったわけで、悪魔や極悪非道な日本人が好き勝手にアジアの人々を蹂躙したわけではないと思う。しかし、結果として選択の誤り、過ち、民主化の度合いの未熟さというものは謙虚に反省しなければならない。
そういう明治維新以降の日本というものを私なりの視点で眺めてみたのが以下の文章である。
言うまでもなくこれは私の独断と偏見以外の何物でもない。

2001年(平成13年)6月26日

長谷川峯生

目次に戻る