自分史8・お正月

お正月に寄せて
平成13年もあと1ヶ月で又新しいお正月を迎える時期に来てしまいました。
お正月も過去60回も経験すると、今更嬉しくも楽しくもないが、人間が日々平穏に暮らす上で、無限の時間のつながりの中で時季折々にけじめをつけなければならないので、個人の思惑を超えて年々歳々やって来る。
やはり子供の頃はそれなりに楽しい思い出があるが、一家を構え妻子を養う立場になると、そうそう楽しいとばかりは言っておれなくなった。
人間が社会生活を営むには糧を得なければならず、その糧を得る段階で、正月だからと言って世間一般の人と同じように正月を楽しむ事の出来ない職場というものがある。
例えば、警察官だとか、交通機関に関する職場の人とかは正月だからといって休んでいるわけにはいかない。
私もそういう職業に就いていたので、正月だとて出勤せざるを得なかったことがしばしばあった。
特に子供が中学生になる頃までは、正月は家にいて、一家団欒をしたいものだと思っていた。
私自身の子供の頃は、父が普通の勤め人だったので、正月には家にいたため、そういう思いは特に無かった。
子供の頃の正月といえば、前日の大晦日に銭湯に行って、初詣に行こう行こうと粋がって背伸びをしてみたものの気が就くと朝になっていたりしたものである。
しかし、それ相応に成長し、高校を出る頃になると我が家にもテレビが入り、家族全員で紅白歌合戦を見たものである。
小学校時代の正月といえば、どうも覚えが無いが、覚えが無いという事は、大した印象に残るような過ごし方をしていなかったということであろう。
しかし、正月には下着を新調し、新しい服を着た覚えはあり、小さな熨斗袋に入ったお年玉をもらった覚えはある。
このお年玉で何か買おうと思っても、街がしまっていて何も買えなかったことは覚えている。
自分の子供達にも、自分がしてもらったと同じ事はしたつもりであるが、全く同じだったかどうかは定かに覚えていない。
人の子の親になってみると、そうそう子供の状況に合わせて家にいてやれるわけでもなく、正月から出勤という事もしばしばあった。
そういう時は家内が父親の仕事の意義を言いくるめてやってくれたに違いない。
正月の朝から出勤というのも実に味気ないものである。
隣近所がまだ寝ている時間に、車のエンジンを掛けて、誰もいない街を走り抜け、誰もいない会社に出勤というのもわびしいものである。
警備という仕事は平和な時ほど忘れられがちで、我々が忙しくなく、暇なほど世の中が平和だという事である。
しかし、だからと言って無しでは済まされないわけで、そうかといって警備する方も世の中が平和だからと言って職場を放棄するわけにもいかない。
仕方がないので、もっぱらテレビの監視という事になるが、正月番組というのもそうそう見ていられるものではない。
我々の年代になると、自分の子供の時の時間よりも、成人して自分の家族と共に過ごした時間のほうが長いわけで、その過程において、家族と共に正月の過ごせなかった時期というのもかなりあった事になる。
お巡りさんや、鉄道員の正月の仕事に就いては全く知らないが、工場の警備担当の仕事というのは文字通り全く暇で、ただただそこに居るだけという按配である。
当然、交代要員はいるわけで、時間が来れば交代してくれるが、交代してもしなくても全く変わりはない。
こういうときの楽しみというのは、やはり食事を作る事である。
男が5、6人も集まるとその中の一人ぐらいは料理の好きな人間がおり、そういう人のアドバイスを受けたり、本人が直接手を下したりして、皆でわいわいがやがやと自分達の料理を作るという作業は面白い。
作っている時は楽しいが、これの後片付けというのは人気がない。
しかし、朝から自炊をするという事になると、殆ど一日中料理をするという事になってしまって、主婦の仕事というものを改めて認識させられる。
男が料理をするという事は講釈も多くなるわけで、味噌汁の作り方からご飯の炊き方までそれぞれ各人各様のやり方が出るわけで、その度毎に喧喧諤諤の議論になり、それが又楽しいわけである。
しかし、こう云う事を楽しめる人と楽しめない人がこの世にはいるもので、他人の価値観に全く妥協できない人がいるが、そういう人は自分で自分の世界を縮めてるようなものである。
わずか10人にも満たない仲間内でも、様々な人間模様を垣間見る事が出来る。
私は極めて楽天的な性質なので、こういうケースではキャンプを楽む気持ちで、自分で出来る事は何でもしたし、他人のアドバイスは本人の前だけはそれに従っておいた。
正月に出勤して一番困る事は、商店が1軒も開いていないという事である。
予め買いだめはしているのだが、準備に手落ちがあった時、買い足しが出来ない事である。
最近はスーパー等が元旦から営業するところも現れたので、その点は助かるが、何一つ買えないという状況は実に困るものである。
幼少の頃は母が、結婚してからは妻が、正月の料理を作ってくれたが、あれは実に大変な事である。
最近は息子も娘もそれぞれに独立して、妻と二人で如何に正月の手抜きをするかで悩んでいる。
いっそのこと海外にでも逃げ出そうかとも思っているが、息子や娘が大ぴらに実家に帰る機会を、こちらの都合で潰してしまうのも可愛そうで迷っている次第である。

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