あとがき 

 

 

ワ−プロといのは実に有り難い物である。

我々の年になると物忘れがひどくなる。

それでもこのワ−プロというのはそれをカバ−してくれる。

原稿を書いても原稿の時点では曖昧に書いておけばいい。

後はワ−プロを打つ時点で機械の方がそれを修正してくれる。

だから原稿を書いているときに辞書を引く必要はない。

よって思考を中断する事無く、頭に浮かんだことを何でもかんでもメモ式に書き留めておくだけでいい。

後はワ−プロを打つときに修正しながらすればいいので、実に有り難い。

文明の利器とはよく言ったものである。

文章を手書きで清書していたら大変な労力であるが、OAとは良く言ったものである。

我々個人レベルではオフイス・オ−トメイションとは多少違うが、文章を書く商売の人にとってはワ−プロと、コピ−と、フアックスがあればどんな僻地にていても文化の発進地と直結している。

これからの文筆家は田舎にいても仕事が出来る。

現にそうしている人、作家もいる。

誠に便利な世の中になったものである。

けれども人によっては都会の喧騒が精神の糧になっている人も居るにちがいない。

現代人は都会に住むことがステイタスである。

そういう意味では田舎はつまらないが、世の中の趨勢は環境の問題等においても、田舎の生活の方にウエイトが移りつつある。

私などは文章を作ることが遊びであるので、その点深く考える必要はないが、これを書いているとき気が付いたが、文を書くのに、頭脳だけで書く方が、物を見てそれを文字で表現するよりは楽である。

物を見てそれを文字で表現するというのは、思ったよりも難しい。

その点、TVや新聞を読んでそれについての感想を書くほうがうんと楽である。

今後も何処まで続くか分からないが、私のことだから三日坊主にならなければいいがと思いながら、何処まで続くか見物である。

今回も脱稿しようとしたらゴルバチョフの失脚というニュ−スに脅かされて、またまた一文をしたためなければならない。

世の中というのは実におもしろいものである。

それを斜めに構えて評論家よろしく自分勝手に論評を加えるのも又楽しい遊びである。

 

 

                       平成3年8月25日

 

                           長谷川 峯生

 

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