エピローグ 旅を終わって

 

帰りの飛行機の中では機内食に出された小さなワインを二本飲んだら、もう完全に白河夜船の状態で、飛行中ずっと眠りこけていた。

隣にいた家内は「あんたのいびきで隣の人はどこかに逃げていった」と言っていたが、案外そうかもしれない。

飛行機が成田に着き、入国審査を経て広いロビーに出て真っ先に飛び込んだのがトイレであった。

こうして飛行機から降りて心おきなくシテいると、日本はつくづく良い国だと心底思った。

トイレは綺麗だし、何人も揃って出来るし、無料だし、ヨーロッパではこうはいかなかった。

今回世話になったスーパー・ツアー・コンダクターは、日本人と西洋人では体の構造が違うと言っていたが、人間の体などというものは民族が違ってもそうそう異なるものではないと思う。

しかし、やはり国土とか風土の違いで、食生活も違えば、排泄の仕方、ないしは考え方は違っていると思う。

例えば私などは日本では何処でもトイレなどあるものという前提で生きているわけで、少々水分を取りすぎても気にすることはない。

町中を歩いていても何処でもトイレなど貸してくれるという前提で生きている。

だから知らず知らずのうちに世界中何処でもこんなもんだ、と思い込んでいたが、広い世界はそうではなかった。

古代ローマ人の作った水道というのは今でも遺跡として残っているが、ところによっては下水までも残っているところがある。

遺跡として残るということは実に大変なことだと思う。

これらが出来た当初は、水道というものが人間の生活に必要であり、下水もそれと同じ程度に必要だ、と思われたからそれが作られとものと考える。

だとしたら、それは一体誰が壊したのかということになる。

ローマの遺跡はボンベイの遺跡のように火山の噴火によって壊滅したわけではない。

作ったのも人間ならば壊したのも人間と考えなければならない。

ということは、それを作った人間と壊した人間では価値観が全く違っていたとしかいいようがない。

ローマという繁栄した都市を次に支配した人々にとっては、水道も下水も全く不要であったわけだ。

もし、その人たちがそういうものを必要とし、これは便利なものだという認識を持っていれば、壊すことなくそれをそのまま使いつづけたに違いない。

水道も下水も不要だと思う、ということは、文化そのものがその域に達していなかったということである。

こういう言い方をすると、ローマ人の後にローマを支配した人たちは野蛮であったか、ということになるが、これは文化というものの視点が違えば案外そうとも言えないのかもしれない。

例えば、我々は今非常に近代的で文化的な生活を送っている。

ところがそういう生活から一時的に逃げて、わざわざワイルドなアウトドアにあこがれる人もいるわけで、水道などに頼らなくても、野原の泉の方は良い、水洗便所よりも大自然で花を摘む方が良いという考え方もあり得るわけで、一概にどちらが文化的かということは言い切れない。

問題は、こういう建築物は遺跡として残っているが、人間の方は姿形がまったく残らないということである。

このことは有史以来の人々の生活は、侵略したりされたりの連続であったということである。

ローマ人、ギリシャ人、ケルト人、ゲルマン人その他諸々の民族が、それぞれに楽園を求めて右往左往していた筈である。

ところがその楽園というのが民族によってまちまちなわけで、それが価値観の相違というものであり、それぞれが勝手に自分達の楽園を追い求めるので、そこに民族の葛藤が生じるのではないかと思う。

ここらの実情は、我々のような比較的単一民族で、四周を海という掘りで守られた民族には想像を絶するものではなかろうか。

我々日本人も、純粋に単一民族でないことは重々承知しているが、そういう事実だからこそ、たいしたことだと思う。

純粋に単一民族ではないということは、海の向こうから流れ着いた人たちをも我々の民族に中に同化したということで、ヨーロッパでも同化する場合もあれば厳然と拒否し、異端者として拒絶する場合もあったに違いない。

ヨーロッパは何といっても陸続きなわけで、その中でたくさんの民族がひしめき合ったわけだから、同化した場合もあれば、相手を拒絶した場合も有ったに違いない。

そういう環境の元で、ヨーロッパというのは一つの特定の民族が自分達だけで自分達の主権国家を作ることははなはだ難しかったものと思う。

ドイツは単一のゲルマン民族だけの国家ではなく、同じことはフランスにも、イギリスにも言えるわけで、彼らは単一民族で出来た国家ではない。

大もととの核となりうる民族があって、それを取り囲むように様々な人々がその国家の構成員として内包されている。

こういう国の国民は、自分はどこそこの国の国民だ、ということを意識して自覚しなければならない。

おそらくドイツ人もフランス人もイギリス人もそういうものを持っていたと思う。

ところが20世紀になって、特に第2次世界大戦後、交通機関の発達により人々の移動がこれまで以上に安易になると、人々の移動が文化度の低いところから高いところへと、水の流れと逆の作用が起きてきた。

文化というものの価値観が均一化されて、誰でもが同じような文化度を目指すようになったわけで、より文化の高いところに周辺から人が集まるようになってきた。

古代ローマでは水道や下水が整っていたので、次にそこを支配した人々は、そういうものを壊すことなく、その価値を認め、有効利用するようになったようなものだ。

こういう流れの中で、元々国の基幹をなす人々は、周辺から集まってくる人々を排除するのではなく、そういう人たちに自分達に嫌な仕事、つまり下等な仕事を与え、自分達は楽をすることを考えるようになった。

ある国の中が単一民族で出来ているとするならば、道路工事や、下水掃除、土木工事、ゴミ収集という仕事まで自分達の誰かにさせなければならない。

ところが、トルコや、アルジェリア、インド、インドネシアから安い労働力が入り込めば、そういう人に仕事を与え、自分達はそういう仕事しなくても済む。

このように国の中で階層化が起きると、全体としては国民の全部が無責任になると思う。

自分達の国だから嫌な仕事も皆で片付けようという発想は沸いてこない筈だ。

今回、ヨーロッパを旅行してそういうことを私は感じた。

また、ヨーロッパでは自販機やATMが全く見あたらない。

これはドイツならドイツ人、オーストリアならオーストリア人、イタリアならばイタリア人が全く信用ならないということが根底にあるもの推察する。

同じドイツ人なり、オーストリア人なり、イタリア人の中に得体の知れない不心得者がわんさといるので、自動販売機などを置いても中身の商品も、お金も、瞬く間に取られてしまうという思考が前提にあると思う。

何処の国でも不心得者、犯罪者はいるものであるが、国の構成員が単一の民族ではなく、何処の馬の骨ともわからないものが、自分の回りにうようよいるとなれば、自販機やATMなど設置できないのも無理からぬことである。

今回の旅行でもバスで移動中はともかく、バスがホテルの前に止まってトランクの荷下ろしする際には荷物を取られないように注意するよう再三に渡って言われ、イタリアに入れば、スリや置き引きに注意するよう口酸っぱく言われた。

私に言わしめればこんな先進国があるものかと言いたいところである。

特にローマでは観光が立派な産業とされているようであるが、観光を国の売りものにするなどという発想は、完全に斜陽国家だと思う。

もちろんローマの遺跡を撤去して、リニューアルすればいいなどと極論を言うつもりはないが、観光を売り物にするということは乞食国家なわけで、人のお恵みで生きるということに他ならない。

健全な精神の持ち主ならば、生きることに対してもっと積極果敢な発想をすべきであって、それでこそ前進があるものと思う。

イタリアでスリや置き引きに注意しなければならないのは、もうこの時点で乞食根性が染みついているわけで、人々は額に汗して働くことを拒んでいる証拠だろうと思う。

今回の旅行でイタリアの入国審査を通過したが、この国の官吏は、自分達でペチャクチャおしゃべりばかりして、肝心の客に対しては全くつっけんどんである。

町中をパトロールしているお巡りさんも、二人でペアを組んでいる点では我が国と同じであるが、これもお互い同士でしゃベりまくっていた。

サンピエトロ寺院ではあまりの混雑で、ガイドが横は入りする団体をお巡りさんに告発にいったら「いま人手が足りないので対応できない」という対応だった。

帰りの飛行機が成田に着く直前、我々の席のすぐ近くの外人夫婦に家内が話しかけたところ、彼らはこれから日本を回るということで既に再三日本にきているということであった。

彼らも日本を絶賛していた。

外人が日本を褒めると、我々はそれを外交辞令と受け取りがちであるが、彼らは本心からそういっているに違いない。

わずか9日間、ヨーロッパに行っただけでもつくづくそう思う。

日本にきた外人はその殆どが日本を褒めるが、私はこれを日本人を目の前にして、本人たちに不快な思いをさせないための外交辞令だと思っていたが、どうもそれは違っていたようだ。

それが彼らの本音だったと思うようになった。

私も今回の旅行で改めてそう思う。

日本は実に良い国だ。

 

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